八木原 翔胤

好奇心の赴くまま生きてきた社会不適合者が、40年という時間をかけてギターに出会い、人生…

八木原 翔胤

好奇心の赴くまま生きてきた社会不適合者が、40年という時間をかけてギターに出会い、人生が変わっていく様子を発信するnoteです。

最近の記事

ここ一番での逃げ癖とこれからできること

弱みをさらけ出すということ 今日お話することは僕という人間の、本来あまり人に語りたくないような、僕のクズ男ストーリーです。なぜ、そんな話をするのかというと、背中を押してくれる存在があるからなんです。RED HOT CHILI PEPPERSというバンドのギタリストのジョン・フルシアンテです。 ドラッグに溺れたジョン・フルシアンテ 彼は世界三大ギタリストにも選出されるくらい偉大なギタリストなのですが、ドラッグのオーバードーズで亡くなったギタリストの後釜として18歳でRE

    • 結果はコントロールできるという傲りと突然襲いかかるレンガ

      成功体験と大いなる勘違い 僕の人生前半での大きな成功体験は慶應義塾大学の合格でした。小さい頃からスポーツも勉強もできる子どもでした。特に足が速く、保育園ではぶっちぎりで一番でしたし、小学校は規模は大きくないけど学校代表として選ばれたり、中学校ではテニス部で2年生から引退まで地元の市大会で優勝し続けました。勉強でつまづいた記憶もなく、中学最初のテストは全て95点以上で学年上位だったと記憶しています。こんなんだから自己肯定感は高かったんですが、大学の合格は格別でした。自慢みたい

      • 音楽との出会いと「いいかねPalette」という歪な空間

        いいかねPaletteの「あいうえお」 「音楽の力を信じる」 この言葉は、僕が10年やっていた学習塾を閉じ、有田焼の制作・PMやテニスコーチなど全ての仕事を辞めて、音楽に全振りするキッカケ(呪い)を与えてくれた福岡県田川市の廃校利活用施設「いいかねPalette」の事務局の黒板に書いてあった言葉です。「あ」は、挨拶をする。「う」は、嘘をつかない。そして「お」の部分に書いてあったのが、この「音楽の力を信じる」という言葉でした。 元々この施設に行った理由は、当時ハマっていた「

      ここ一番での逃げ癖とこれからできること