見出し画像

ここ一番での逃げ癖とこれからできること


弱みをさらけ出すということ

今日お話することは僕という人間の、本来あまり人に語りたくないような、僕のクズ男ストーリーです。なぜ、そんな話をするのかというと、背中を押してくれる存在があるからなんです。RED HOT CHILI PEPPERSというバンドのギタリストのジョン・フルシアンテです。

ドラッグに溺れたジョン・フルシアンテ

半裸でギターを弾くジョン・フルシアンテ Peter Pakvis/Getty Images

彼は世界三大ギタリストにも選出されるくらい偉大なギタリストなのですが、ドラッグのオーバードーズで亡くなったギタリストの後釜として18歳でRED HOT CHILI PEPPERS(以下、レッリチ)に加入しました。その後、「Mother's Milk」「Blood Sugar Sex Magik」という2枚のアルバムを世に出し、世界的な大ヒットを飛ばし人気絶頂の中、日本公演のさなか突如帰国、脱退してしまいます。帰国した彼を待っていたのは鬱とそれを紛らわすためのドラッグに明け暮れる生活でした。彼の腕をよく見ると注射の針を打ちすぎて赤くただれている箇所がいくつも見られますし、歯もドラッグのせいでボロボロに欠け全てインプラントにしたそうです。ここまで廃人になった過去がありながらも、リハビリ施設を経て社会復帰し、レッチリに戻り「Californication」「By the Way」「Stadium Arcadium」という傑作となるアルバムを発表します。ジョンはドラッグに溺れた過去を隠すことなく、インタビューなどでしっかりこの件を語っています。その姿勢に背中を押されて、僕は今この記事を書いています。

大切な人のここ一番で逃げてきた

高校を卒業しフリーターを経て、僕は長崎の北九州予備校に通うことになります。当時19歳。僕の前の席に座っていた子とその後付き合うことになるのですが、大学のミス、ミス長崎に選ばれるような美人で優しくてとてもいい子でした。彼女は地元の大学、僕は多浪して慶應に行ったのでしばらく遠距離の期間もありました。真剣な付き合いだったので、それぞれの親にも紹介し合って、結婚するものだと思っていました。今思うと慶應に入ったことで調子に乗っていたんだと思います。僕はアナウンサーに内定した人に入れ込み、結果的に長年付き合ったその人と別れることになります。その後、彼女は大変だった就活を一人で乗り切り、僕はその間、他の女性にうつつを抜かすというダメ男の典型を地で行っていました。不安になってネガティブになっている彼女を見て、僕は逃げるように他の女性に走ってしまったのですが、本当はここ一番でサポートしないといけない場面でした。結局この方と30歳手前までいろいろあったんですが「一番大変なときに支えてくれなかった」と何度も言われました。

そして、一度あることは二度あります。子持ちの方と10年弱年お付き合いしたときの話です。始めは子どもたちの勉強面を僕が担当していたんですが、次第に生活面も見るようになり、一緒に遊びに行ったり、習い事の送迎や病院に連れていったりと、父親のように接していました。血は繋がってないけど自分の子のように大きな愛情を持っていましたし、小さかった子どもたちもすっかり大きくなり、進路を一緒に悩んで受験を乗り切ったり、国内外いろんなところに連れて行ったりとたくさんの思い出ができていました。子どもたちの話ばかりですが、彼女は年上ということもあって面倒見がとても良く、優しくて、料理が上手でした。趣味にも没頭させてくれたりと好き勝手させてくれて、僕はまた調子に乗っていました。そんな彼女と些細なことをキッカケに喧嘩をしてしまい「また、いつもみたいにごめん」って謝ってくるかなーとか思いながら、数ヶ月が経っていました。その間に、またしても僕は他の女性にうつつを抜かしていました。そして、人づてに衝撃の事実を聞くことになります。子どもがいじめを受け学校を辞めていたのです。振り返ると、その子はSOS信号を出していました。家から離れた学校に通っていたので、車で送迎することが度々あり車内で学校が辛いみたいな話になっていたのですが、僕は決まって、辛いこともそりゃある、だけど踏ん張って頑張って欲しいと話していました。そのときの僕は現状を自分の物差しで見てしまい全く違う認識を持っていました。兄弟の中で特に勉強ができる子だったこともあり、エリートとして中高、そして、有名大学に進学して欲しいと僕は考えていたので、SOSのよう話に耳を傾けられていませんでした。そして、ある日突然学校に全く行けなくなってしまい、いじめが発覚したという流れでした。まさに、ここ一番で子どもと彼女を支えて一緒に乗り越えないといけない場面でした。それにも関わらず、僕は不在。またしても逃げていたんです。

今度こそ、もう逃げない

今だからこそ、単に逃げていた自分が主張してきたことが「ただの言い訳」に過ぎないと振り返ることができますが、当時の僕は勘違いも甚だしい状態でした。ちょっと勉強ができて大学でロジカルシンキングとかを学んだ奴が自分を正当化するために正論っぽいようなことを並べて、上手く話を持っていって相手を打ち負かしたように勘違いしていただけです。

大切な人を大切にできずに傷つけた。それ以上でもそれ以下でもない。大切な人を大切にするという当たり前のことができなかった。それだけだったんです。

ジョンがどうだったかわかりませんが、少なくとも僕は大切な人たちを大きく傷つけて、今この場所にいます。戻れるなら戻ってやり直したいけれど、過去をやり直すことはできません。そして、このことがなければ今東京でギターを弾いていることは間違いなくありません。僕はこの後悔を抱えながら生きていくしかないし、今度こそ大切な人のここ一番を支えたい。もう二度と逃げたくない。

大切にできなかった人たちに今から何かをすることはできないけれど、これからを精一杯生きて、僕という人間を音楽を通して表現していくことはできる。そういう想いでギターを弾いていきたいと思います。

僕が大切な人を想うときに聴く曲 レッチリの「Dosed」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?