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国宝障壁画展示《楓図》《桜図》(智積院・宝物館):茫々60年、あれは夢・幻だったのか?国宝の前のお昼寝
(長文になりますのでお気を付けください)
はじめに
このnoteのどこかの記事で、私がいかに日本美術について疎かったのか、それまではいかに西洋美術偏重だったのかを書きました。そしてその原因の一つは私たちの年代が受けた美術教育ではないかとの推測も。
さて、その西洋絵画一辺倒だった私が「線スケッチ」を始めて、180度態度を改め日本美術に目覚めたことも書いてきました。とはいえそれは「線」という立場での浮世絵版画、新版画の鑑賞が中心で、昨年からようやく水墨画について本腰を入れて理解しようと実物の鑑賞を始めたのです。
昨年はそれぞれの鑑賞結果の記事を書き、今年2月末に東京国立博物館の恒例の正月展示、長谷川等伯の国宝「松林図屏風」についての記事を投稿したばかりです。
その記事の最後で私は無謀にも次のような約束を読者にしました。
この名作《松林図屏風》を専門の人々や他の分野の著名人はどのように鑑賞しているのか知りたくなってきました。
次回、その2では人々のこの絵の鑑賞法について探ってみたいと思います
知識、経験が変われば見方も変わる。実物鑑賞変遷記」
”無謀”という表現ですが、投稿した時はもちろんそうは思っていません。しかし作業をはじめてすぐに後悔するはめになったからです。
その理由の詳細はここでは省きますが、一つだけ云えるのは長谷川等伯の画業についてきちんと知る必要があること、《松林図屏風》だけを見ていては、各界の人々の《松林図屏風》についての評の背景を理解できないとつくづく思ったからです。
そこで、3月の下旬に関西に出かけたおりに、長谷川等伯のもう一つの国宝《楓図》の実物を見ようと決め、智積院・宝物館を訪れたのでした。
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茫々60年、あれは夢・幻だったのか? 誰にも話していない若い日の秘密
さてここで《楓図》の感想を述べる前に、60年近く誰にも話していなかった私と智積院および《楓図》についての秘密を打ち明けます。
その秘密とは、
昭和41,2年頃、大学生だった私は京都の夏は暑く、当時は下宿に冷房があるはずもなく、たまりかねてお寺の高い縁側ならば風も通り涼しいだろうと思いよい場所を探しにでかけました。しばらく歩くうちに「智積院」という無名のお寺が目に入り、中に入ることにしました。
無名と云ったのは、金閣寺、銀閣寺、清水寺、天竜寺といった教科書に載るような有名な観光寺院は別として当時はほとんどのお寺は観光地化しておらずほぼ無名でしたから、それほど驚くことではありません。
そこで「大書院」(今だから名前が分かるのですが当時は建物の名前も知りませんでした)の縁側が高くて涼しいことを発見、人っ子一人もいないのでそのまま昼寝をしてしまったのです。
目が覚めて部屋の奥の襖に目をやると、やたらにド派手な色彩の襖の絵が広がっているではありませんか。
しかし当時の私にとってはまさに「猫に小判」、その後長谷川等伯の国宝の絵だと分かっても「へーそうなんだ」と一瞥する程度、むしろよい涼み場所が出来たと何度も足を運びました。
さて、皆さんは不思議に思われませんか? 「一体なぜ国宝の絵がむき出しで置いてあるのか? あり得ない。またなぜ何度も入ることが出来るのか? 拝観料はどうした?」とおそらく思われるはずです。
ところが、私の記憶では、絵はむき出しのまま、すなわち建物の実用の襖であり単なる建物の一部として存在していました。また今思うと縁側の前は「利休好みの庭」として知られる豊臣秀吉が建立した祥雲禅寺の名勝庭園なのです。
そのような場所にもかかわらず、無料で入れたのは間違いないのです。
と、私の記憶では確かにそうなのですが、日本美術に関心を持って以来、日本の絵画がその脆弱さのために厳重に隔離保管され、しかも短期間しか展示されない事実を知るようになって、自分の記憶をあやしく思うようになってきました。
しかも、ご承知のように、現在京都の歴史的なお寺はどこもかしこも拝観料をとっています。「智積院」も「大書院」に入るのに拝観料が必要ですし、何よりも「楓図」「桜図」の国宝が隔離保管されてしまいました。
ですから先に述べた「秘密」も「そのようなことはあり得るはずがない」と私自身の記憶もぐらつき始めたのです。
まさに「茫々60年、あれは夢・幻だったのか?」という心境です。
ということで、うかつにそのようなことを人に話せばほら吹きぐらいにしか思われないだろうと、誰にも話していなかったのです。
しかし《松林図屏風》の各界の人々の評価を調べる中で、私と同年代かより年配の人たちの似たような思い出話が目に入りました。
一つは、「戦後昭和30年代、京都のお寺は拝観料をとっていなかった、今はどこもとるようになってしまった」という嘆きの言葉です。おそらく私の記憶の昭和41,2年頃もまだその傾向が続いていた可能性があります。
事実最近図書館で手に取った高幡勲氏の「一枚の絵から 日本編」2009(岩波書店)の中に、たまたま次のような一節を見つけました。
それは、狩野永徳《花鳥図襖 梅に水禽図》についての文章です。
あるとき(注:1980年前後)ふと思いつき、すばらしい絵があるんだけれども見に行かないか、と演出助手や製作の若者を誘って、久しぶりに大徳寺の塔頭、聚光院の門をくぐった。拝観料を取るための受付がない。学生時代、京都の親友と連れ立って何度も足を運んだときと同じだ。まさか、いまも寸志を置くだけでよいなんてことが・・・。
この文章から、大徳寺のような名だたる名刹でも高畑氏が学生時代(1950年頃)は勿論、1980年頃も拝観料を取っていなかったことが分かります。ですから、智積院でもおそらく私が訪れた当時は拝観料を取っていなかったと推測できます。
さらに、次のような文章が続きます。
玄関を開けて案内を乞うと、出てこられたお坊さんが一言、「もう見せてまへんのや」「えっ」
得意げに人まで連れて来た手前食い下がるしかない。
「昔、たびたびお邪魔して拝見させていただいたんです。京都で一番好きな絵なんです。ほんとうにすばらしくて」
「いや、あの襖、はずしてます。しまいこんでありますのや。秋の特別拝観の折りにはめますさかい、そのときに見に来られたらよろしいがな」
それはそうだろう、いまどき国宝の襖絵を部屋にはめたまま、気安くみせてくれるはずがないじゃないか。すごすご、ぶつぶつ、とりあえず大仙院の庭なんか見て帰ったような気がするが、はっきりと覚えていない。
高畑氏の落胆ぶりが目に見えるようですが、私にとっては、ああやっぱりそうだったのだな、狩野永徳の国宝の絵もやはり昔はむき出しでそのまま襖として使われていたのだと確信できたのです。
加えて今回の智積院宝物館の訪問中、「昭和43年に、それまでの大書院から襖をはずして収蔵庫に移した」との説明文を目にしました。
ですから私が寝転んで観た昭和41,2年当時はまだ本物の襖だったことはおそらく間違いないでしょう。
以上、長々と記述してきたのですが、ようやく「あれは夢・幻ではなかったのだ」と確認できたので、この場所で秘密を公開することにしました。
少し胸のつかえがおりた気分です。
とはいえ、これからは「昔はよかった・・・・等伯の絵を寝転んで独り占めにして見た」と若い人をつかまえては自慢げに話す、過去を懐かしむ典型的な老人になりそうで心配です。
長谷川等伯《楓図》、長谷川久蔵《桜図》、その他の国宝障壁画を見る
さて、ようやく本題です。鑑賞時間をたっぷり取りたいので、宝物館の入場するや否や「前室」「特別展示室」を通り抜けて「国宝障壁画展示室」に直行しました。
なお言い忘れましたが智積院の宝物館は、昨年4月に開館したばかりです。障壁画は、常時空調管理のためガラス越しに見なければなりません。
しかし鑑賞者の不満を解消するためか、壁画面とガラス面との距離が30㎝程度と通常の美術館の展示に比べて狭くなっており、そのため細部を見るためにオペラグラスや目を凝らす必要はありません。
以下、長谷川久蔵の《桜図》、長谷川等伯《楓図》、《松に秋草図》、《松に黄蜀葵図》の順に感想とコメントを述べていきます。
長谷川久蔵《桜図》
![](https://assets.st-note.com/img/1712920666877-QPHOiffnjx.jpg?width=800)
出典:wikimedia commons, public domain
●桜の花は蕾を除いて全て正面描きである。また、それぞれの花の直径が異様に大きい。一般に水墨画(花鳥図)の花木、草花の描写ではこのようなデフォルメは例がない(少なくとも見たことは無い)。しかし、そのためか桜の花の白い色が占める面積の割合は、見た目の印象として1割~2割近くに見え(実際に測ればもっと少ないはず)、金地を背景に遠くからも強く印象付けられる。しかもエンボス加工のように盛り上がっており、近くに寄るともっとその印象がさらに強くなる。これらは年月を経ていてかなり黒ずんでおり、もし描かれた当時に見れば、驚くほど白い花が強調されたはずである。
●このような桜の描写に対して、地面に描かれた草花(例えば菖蒲や草(萱?)の葉)は、水墨画のように向きや大きが写実的に描かれている。どの草花も可憐で美しく描かれているが、個人的にはタンポポの葉が可愛らしく印象に残った。
●なお、中国の花鳥画の場合は、描かれる草花樹木、どれ一つとっても図像学的に意味を持つものしか描かれないのに対し、ここで描かれた草花は図像学的な意味に関係なく、日本人の自然を愛でる、自然に抱かれる喜びから選ばれ描いているように思える。
●桜の幹の描写は、父の等伯と同様、狩野永徳ばりに太く力強い。印刷図版からは輪郭がきちんと描かれていると思っていたが、今回実物を見たところ、輪郭が描かれないところやほとんど薄くて見えない部分があることに初めて気がついた。これは《楓図》も狩野永徳の《檜図》でも同様で、永徳が中国の水墨画表現から離れようと開発した描き方の可能性が高い。
●水墨画との大きな違いは、画面の全面がほぼ金雲で占められていることである。下方に僅かに水の流れなのか、暗くて判然としない穴があり、草花の奥の空間が描かれている。これらは、中遠景を金雲で隠していることを示し、すやり霞や雲、霧で中遠景を全て覆い隠す日本の絵画の伝統に従っている。
以上の各感想項目に対応する拡大図(部分図)を以下に示します。
![](https://assets.st-note.com/img/1712933961290-XuNj7nBlZz.jpg?width=800)
どの花も正面描き、蕾は色んな向きに描かれる。汚れていない花は白(左側部分)、胡粉が落ちた花は灰色(右下部分)、ここでは示していないが、上部の桜はさらに黒く汚れた花がある。
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菖蒲。菖蒲の葉(?)、タンポポの葉
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名前不明の花、葉
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右下部分の幹の輪郭線はない。
中央の幹の左側の輪郭線は途切れ途切れの部分がある。
コメント:桜の花がすべて正面向きなのは、装飾性を際立たせるとともに、400年を経た現代の日本画家、加山又造氏の桜の絵や、同じく桜の絵で人気の中島千波氏の絵にまで桜の花の正面描きのスタイルが受け継がれているのは驚くべきことだと思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1713363569190-7HhA6eqp1c.jpg?width=800)
左側には楓の葉の正面描き、右の山には正面描きの桜の花
出典:wikimediaa commons, GFDL+creative commons2.5
中島氏の桜の絵は下の動画をご覧ください。全て桜の花は正面を向いています。
それは根強く日本人の心に響く描き方なのでしょう。しかしこのことは、海外、特に欧米人の目から日本美術がどう評価されるのか、日本美術の特徴は何か、欧米人から見て中国の水墨画と日本の水墨画が何が違うのか、今回の《松林図屏風》の評価にも関連します。次の《楓図》その他の作品の感想を終えてから改めて考えてみます。
なお、桜の花の不自然なほど大きなサイズへのデフォルメはおそらく広大な部屋の中で遠くから襖絵を見るときに、現実の比率の大きさの花ではインパクトがないために大きくしたのではないかと推測します。
長谷川等伯《楓図》
![](https://assets.st-note.com/img/1712936335218-2EeFg6cEHd.jpg?width=800)
出典:wikimedia commons, public domain
感想の各項目と内容は、久蔵の《桜図》とほぼ同じです。
●楓の葉の向きは、桜の花と同様、全て正面向きである。しかし、幹や枝の太さとの比較して、サクラの花ほどのサイズの拡大はされていない。おそらく紅葉の色が遠くからでも際立つためと思われる。
●楓の彩色は間近に見ると、驚くほど繊細な色の塗り分けがされている。真紅の葉一色ではなく、薄ピンク、薄赤茶など同系色と、紅葉していない緑の葉を混ぜるなど、配色が心憎い。(ただし、薄ピンク、薄赤茶は、実は本来すべてが真紅で、それが経年劣化して色褪せむらが生じた可能性もある)
未紅葉の緑の葉を、幹の左側の枝に多く配し、右側の枝には配さないようにして配色の分布にも変化を付けている。
●草花は、楓の木の周りに、久蔵の《桜図》以上に数多く、目立つように大きく描かれている。太い幹の一本の楓の木を主眼とするこの構図は、狩野永徳の《檜図》と同じで、等伯の対抗意識を感じるが、《檜図》の場合はこれほどまできらびやかに草花は描かれていない。《桜図》と後述の《松に秋草図》と併せて巨木と草花の取り合わせは長谷川派の特徴かもしれない。
●《桜図》の花と同様、楓の葉が正面描きなのに対し、草花は、見下ろす角度から写実的に描写されている。
●《桜図》の幹以上に、楓の木の幹や枝の輪郭線はほとんど見えない、あるいはあっても薄い。
●金雲についても《楓図》と同様画面の大半を占め、一部水なのか、闇なのか群青で示され、中遠景は描かれない。
以上の感想項目に関する拡大図(部分図)を以下に示します。
![](https://assets.st-note.com/img/1712991341732-kjfCOSlBoO.jpg?width=800)
真紅、薄ピンク、薄茶、濃緑、若草色、などの配色
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真紅、薄ピンク、薄茶、濃緑、若草色、などの配色、緑の葉を入れない。
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白や赤の鶏頭の花、不明の花の写実的な描写
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名前不明の白い花、萩(?)の葉、蓮の葉や図10の不明の花の写実的な描写
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主幹の輪郭線はほとんど描かれず、右の枝の輪郭線は強く引かれている。
コメント:《桜図》、《楓図》ともに大書院の襖に対として設置していることから、それぞれ構図、描き方の特徴が共によく似ています。
主幹を中心に大きく描くのは狩野永徳の《檜図》と同じ構図ですが、今回《檜図》に比べて画面下の草花がこの二人の絵に目立つ特徴ではないかと感じました。下に狩野永徳の《檜図》を示します。
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出典:wikimedia commons, public domein
案の定というか、少し意外でしたが、ここには草花がまったく描かれていません。草花がない分、逆に全体にみなぎるエネルギー、雄渾さが半端ありません。逆に、等伯親子の絵は永徳の力強さには及ばない感じです。むしろ色彩の華やかさ、優しさが前面に出ています。
とはいえ、永徳の場合現存作品数が少ないので、草花を描いた絵もあるのかもしれません。もう少し調べてみることにします。
次節に示す長谷川等伯《松に秋草図》では、草花がさらに大きく描かれているので、長谷川等伯が狩野永徳描き方に対抗心を燃やして、草花を大きく配した構図を始めた可能性があります。
長谷川等伯《松に秋草図》
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出典:wikimedia commons, public domain
《桜図》、《楓図》についての感想と相応しますのでこの絵の感想は簡単に記しますが、もともとの記事の目的である《松林図屏風》の松の葉の描写の比較という意味では、この絵は大変重要です。
●松の巨木のサイズに比して、秋の草花が異様に大きく描かれている。松は、狩野永徳の《檜図》の巨木と同じ構図をとり、それに対し巨大な秋草を全面に配したのは、永徳を意識した等伯の構図かもしれない。
●松の葉は典型的なやまと絵の松の描写に対し、秋草は花および蕾、葉っぱの向きは水墨画の写実的描写なのが対照的である。
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葉や花は色んな向きに大きく描かれている
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松の根元に笹や菊(?)、萩(?)などが大きく、色んな向きに描写されている
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能舞台の背景に使われるような松の枝葉の様式的な造形描写
コメント1:《桜図》、《楓図》、《松に秋草図》の順に草花の描写が水墨画の花鳥画と同じ写実描写で、どうやら長谷川等伯が、狩野永徳の様式に対抗して試みたのではないかという上述の私の感想は、絵を見れば誰でも気が付く内容なので、先行事例がないかと検索したところ、題名もそのものずばり、「長谷川等伯の草花表現」、出光美術館の黒田泰三氏の論文が見つかりました。
黒田泰三「長谷川等伯の草花表現」出光美術館研究紀要 第十七号(2012)
以下、黒田氏の結論を引用します。詳細は上記論文を参照ください。
等伯における草花表現は、やまと絵学習の成果として独自の様式を作り、さらにそこに金碧の技法を加え、同時代の雄永徳一派の影響を採り入れながらも、彼らとは異なった様式、すなわちモチーフをなるべく限定し、その単体としての美しさをていねいに描写した。そして、モチーフの数はいよいよ絞られて近接された単一主題となり、デザイン的な装飾性を増していく中で画中での空間は奥行きを失うものの、モチーフの形態には相変わらず自然景表現が込められている。つまり、一貫しているのは自然景表現にもとづく情趣表出なのである。
論文なので固い表現が目立ちますが、著者が言いたいのは、長谷川等伯は、永徳の金碧画の様式を採り入れつつも、狩野派にはない自然景の中の草花をそのまま再現する表現を作ったというのです。
狩野派との対比を重視するあまり、「自然景の中の草花を描写した」とあたかも現代の画家が行うような意図的な狙いだったと強調していますが、以前、私が雪舟の「四季花鳥図屏風」の記事で述べたように、水墨花鳥画における通常の写実的な草花表現を単に採用したという私の見方でも成り立つのではと思うのですが・・・。
コメント2:この《松に秋草図》で一番注目したのは松の葉の描写です。というのは、この記事のもともとの目的は、同じ長谷川等伯の《松林図屏風》がなぜ日本の水墨画の最高傑作と言われるのか、等伯の他の作品と比べて探ることにあるからです。同じ松の木を描いた《松に秋草図》はその目的にかなっています。
図17に松の描写の部分拡大図を示します。どう見てもこの松の葉の描写は写実的ではありません。今日でも能舞台の背後に見られる形で、完全に様式化、図案化された造形です。それは日本独自の造形、すなわち「やまと絵」の描き方と云えます。
ちなみに、昨年東京国立博物館で開催された「やまと絵」展の図録を確認すると、すでに平安時代に描かれた秦致貞筆《聖徳太子絵伝》に同じ形の松の葉の描写がみられることから、その造形の始まりは平安時代にまで遡ることがわかります。
一方、図15、16の部分拡大図に示す秋草の描写は、大きさのデフォルメはあるものの水墨画の描き方、すなわち写実的な描法に従っています。その結果、《松に秋草図》の中に極端にデザイン化された松の葉の造形とリアルな描写の草花が存在するわけで、これほど異なる二種類の描写が共存することに改めて驚きます。
ここまで記述して、昨年12月3日に、雪舟等楊の《四季花鳥図屏風》の樹木、草木の描写を「やまと絵」との対比で記事にしたことを思い出しました。
当時は、樹木の枝と草木の奥行き描写に焦点を当てていましたが、松の葉までは注目していませんでした。
《四季花鳥図屏風》の右隻にも松の木と葉が描かれているので、今回あらためて模写を行い、長谷川等伯の《松林図屏風》、《松に秋草図》の松の葉と、雪舟等楊の《四季花鳥図屏風(右隻)》の松の葉を比較してみます(下図)。
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水墨画という共通点で《松林図屏風》の松の葉と雪舟の《四季花鳥図屏風》の松の葉を比べると、雪舟の松の葉の描写は、一本、一本松の葉を丁寧に描き分けているのに対し、《松林図屏風》の松の葉は、藁筆で一気に描いたと云われるように、あまり例が見られない描写です。
実は、長谷川等伯自身も、例えば《山水図襖》(京都・隣華院)、《山水図屏風》(三重・等観寺)や《列仙人図》(京都・壬生寺)の水墨画の中で松を描いていますが、雪舟の松の葉とまったく同じ描き方をしています。すなわち、松の葉を一本、一本描く中国の水墨画のオーソドックスな描き方に従っているのです。
一方、《松林図屏風》と《松に秋草図》の松の葉を比べると、その差は一目瞭然です。ただ、最初はもこもことしたマツタケのような形の緑の葉の塊に目が行くのですが、必ずその下に何本もの小枝が鳥の巣のように緑の葉の塊を支えるように描かれており、やまと絵における松の葉の描写は、それもセットになっていることを今回はじめて気が付きました。
なお、松の葉だけでなく、幹の描き方も興味深いと思います。《松林図屏風》の幹は、ザザザーとシルエットのように塗りつぶされているのですが、《松に秋草図》では表皮がひび割れた松に特徴的な模様をしっかり描写しているのに対し、感想の項で述べた様に輪郭線は薄いかほとんど描かれていません。
一方、雪舟の《四季花鳥図屏風》の松の幹は中国の水墨画には見られない太さですが、輪郭は一般の水墨画の樹木の幹の描き方のくっきりとした輪郭線で描写されています。
なお、12月3日投稿の記事で、雪舟の《四季花鳥図屏風》の松の幹の太さを指摘して、雪舟こそ桃山障壁画の祖ではないかと仮説を提出しました。
今回の松の葉と幹の比較を、他の狩野派の画家、特に巨木を据える様式を開発した狩野永徳の作品などを併せて比較するとよりその仮説の裏付けができそうですが、長くなるので別の機会にしたいと思います。
長谷川等伯《松に黄蜀葵図及菊図》
宝物館の「再現展示」ゾーンには、《松に黄蜀葵図及菊図》が書院造の違い棚の壁面に描かれています。
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出典:安田成美「旧祥雲寺客殿障壁画の復元研究」8,9頁、図1および2
http://yasuharashigemi.com/research/doctoral_dissertation_yasuhara.pdf
実は、それらはもともと大きな絵だったものを細分して貼ったもので、日本画家の安原成美氏が大学院での研究結果をもとに復元模写しています。
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出典:安田成美「旧祥雲寺客殿障壁画の復元研究」76頁、図83
http://yasuharashigemi.com/research/doctoral_dissertation_yasuhara.pdf
この研究内容も興味深いのですが、ここでは省きます。興味のある方は下記をご覧ください。
ドクター論文のPDFファイルは下記です。
http://yasuharashigemi.com/research/doctoral_dissertation_yasuhara.pdf
ここでは、この復元模写の松の葉の描写および草花の描写法が、《松に秋草図》の場合とまったく同じであることを指摘しておきたいと思います。
西欧人、中国人の目になって《松林図》、《桜図》、《楓図》、《松に秋草図》を見てみた
以上、智積院・宝物館の「国宝障壁画展示室」の主要な作品を見てきました。いわば長谷川派の主要な金碧障壁画を見てきたのですが、もう一度ここで、当初の動機を確認したいと思います。
それは、昨年年初から、線スケッチの観点で「水墨画」を理解しなければならないと思い実物の鑑賞を始めた時から始まります。最終的に下記の疑問が残ったのです。
2)日本の水墨画は中国と何が違うのか? 単なる物まねではないのか? 雪舟はどこがすごいのか? 桃山期以降の水墨画をやまと絵との対比や視点でどのように鑑賞するか? 禅画はどう位置付けたらよいのか? 日本の文人画(南画)は中国の文人画に対してどのように考えたらよいのか・・・
https://note.com/wataei172/n/nd8174222c96d?magazine_key=m1d12ff3866d1
そして、誰もが日本の水墨画の最高峰と称える長谷川等伯《松林図屏風》の実物を見た結果《松林図屏風》だけでは上記疑問の手がかりは得られず、長谷川等伯の全画業を見たうえで考える必要があるとの動機から始めたわけです。
長谷川等伯の画業は幅広く、もともと仏画や肖像画、中国画(着彩)、やまと絵、水墨画(山水、花鳥)、彩色屏風絵、障壁画など驚くほど多彩な分野でそれぞれ質の高い作品を生み出しています。
これらの全ての作品を取り上げるわけにはいかないので、今回の障壁画と《松林図屏風》を用いて、一つの試み(遊び?)をしてみます。
それは日本美術をまったく知らない、すなわち西欧の「芸術観」しか知らない西欧人がこれらを見たときの反応を予想するのです。次に同じく中国人が見たときの反応も予想してみます。ただしこの場合は、日本の水墨画が発展した室町時代と同時代すなわち明の時代の中国人としましょう。当然この中国人は、西欧の「芸術観」はまったく持っていません。
もし日本美術を知らない西欧人、中国人(明代)が《松林図屏風》、金碧障壁画を見たならばどのように目に映るのだろうか?
<西欧人の感想>
■《松林図屏風》
●この絵の主題は何だろう。ただまばらに松が散らばっているだけだ。まったくこの絵から何も伝わらない。画家は一体何を伝えたいのだ。画家の世界観、思想が全く見えない。
●このだだっ広い白い紙の部分は何だ。筆が入っていないではないか。未完成のまま放置しているのか。もっと筆を入れて完成させなければ。
●松の葉は乱暴な筆致ではあるがリアルに描いている。しかしその枝葉と幹、根を入れた松全体は単なるシルエットにしか見えない。まったく立体感を感じない。松林や一応山も描いているようだが奥行き感がない。空間が描かれていないのだ。絵画とはとうてい思えない。
■《桜図》、《楓図》、《松に秋草図》
●この花の描き方は何だ。全部正面を向いているぞ。しかも、現実の花よりもサイズを大きく誇張して描いている。枝についた花は立体的ではなく、まるでスタンプを押したように平板ではないか。それは工芸品の模様や装飾のようだ。
●楓の葉も正面を向いたものばかりだ。桜と同じようにスタンプで押したように見える。
●この大面積を占める金色の箔は何だ。単なる背景か。しかし丸みを帯びた部分があるがこれは何だろう。穴の部分には水か何か描いている以外、ひたすら金色だらけだ。ここは手前の草花と巨木の奥にある中景や遠景を描く場所だろう。なぜ金色で中景、遠景を覆い隠すのか?
●金色だけでなく葉の緑やの花の極彩色は派手過ぎないか? きれいできらびやかなことは認めよう。けれども、巨木の花、葉は装飾的、手前の草木は写実的な描写と、異なる描法が共存しており一貫性が無い。どこにも画家の思想や世界観が描かれていないではないか。
といったところが西欧人の主な感想ではないでしょうか?
それでは、明代の中国人の感想も下に示します。
<中国人(明代)の感想>
■《松林図屏風》
●墨と筆で描いてあり、松の他に山が薄く描かれているので一応水墨山水のつもりかもしれないが、中国には松だけ描くような水墨山水はないので、この絵は水墨山水画とはいえない。
●南宋の水墨画では確かに紙の白を使って霧や雲を表現するものもあるが、このように大きな面積の余白を設けることは無い。霧や雲の形が明確ではない。
●粗い筆致の葉の表現は中国でも即興表現としてないことはないが、それにしても大雑把な印象。描写に緻密さ、厳格さがない。全体に密度がなくゆるい。
●水墨山水は士大夫が眺めるものであり描かれるものすべてに意味がある。すなわち描き方に約束がある。しかしこの絵にはその片鱗すら見いだせない。水墨山水の決まり事にしたがっていないので水墨山水画とは云えない。
■《桜図》、《楓図》、《松に秋草図》
●描かれているものから言えば、中国の花鳥図にあたるが、水墨画ではない。ただただ、金色の背景と、極彩色の巨木と草花が描かれており、ひたすら華美な装飾品のような印象。
●水墨花鳥画にみられる、宗教的、精神的な深みが感じられない。ただ華美な調度品、工芸品のようだ。
と、やはり中国の絵画から受ける厳しさ、隅々まできっちりと構成、描写されている感じ、無駄な余白はなく絵全体が計算されている感じ、抒情的な要素が無いなど、書画一致という観念はないにしても、精神性、宗教的意味を絵画に求める点、西欧人と共通の絵画に対する見方を中国人は持ち合わせているので、以上のような感想になるのではないでしょうか。
特に、自然と人間との関係は、日本人と、中国人、西洋人とは基本的に異なっており、それが絵画にも反映されていると思います。
等伯自身は、当然西欧の芸術観は知る由はありません。
西欧人の観点からすれば等伯が手掛けた画業は、信じられない程の広さに見えるはずです。しかも画家としての「水墨画」「肖像画」作品から「仏画」「やまと絵」「金碧屏風絵、襖絵」などの装飾品、調度品など西欧人の範疇では職人としての作品制作まで行っているのは理解できないでしょう。
しかし等伯にとっては、西欧の芸術観、画家としての在り方はあずかり知らぬことです。ですから、このような現代の価値観で言えば、芸術作品から装飾調度品まで様々な様式を一人の画家が描き分けた例は西欧(おそらく中国でも)ではあまりないと思います。(やまと絵と水墨画の落差を見比べてください。これほどまでの大きな違いの絵を、最高の水準レベルで一人の作家が描いた例は西欧や中国でかつてあったでしょうか?)
ようやく近現代になって欧米の画家、例えばピカソなどに見られるようになったのではないかと私は思うのですが・・。
さて、以上私が推測した、日本の代表的絵画に対する西欧人、中国人の一方的な見方に対して反論すれば、そのまま日本美術の特徴に繋がるはずですが、それは別の記事で述べたいと思います。
最後に
突然突飛なことを書きますが、《松林図屏風》の記事と、その2についての記事の準備、そして今回の記事を書いている最中に、次のような疑問が頭に浮かびました。
ジャポニスムによって印象派の画家を始め西洋の画家が大きく影響を受けたことが知られているが、なぜ北斎や広重、歌麿など浮世絵ばかりが大きく取り上げられ、やまと絵や室町水墨画、障壁画や江戸期の文人画、琳派の絵など、典型的な日本絵画がなぜ彼らに取り上げられなかったのか?
私はその理由をこれまで疑いもせず「浮世絵が西洋にない日本絵画の特徴を持っていたから」すなわち「線描だけによる深い表現、陰影のない、明るい色彩」「北斎や広重の大胆な構図、モダーンな表現」と、専門家が述べていることをそのまま受け入れて、今に至るまでそう思い込んでいましたが、はたしてそうだろうか?と疑問が浮かび、根本的に考え直すことになったのです。
実を云うと最近の一連の作業でまったく正反対の、以下に示す考えが芽生えました。
それは「浮世絵版画、特に風景画について言えば、西洋絵画の基本で描かれていたからこそ受け入れられたのだ」。具体的には:
1)近景、中景、遠景を全て描き、奥行きのある空間描写である。すなわちやまと絵、桃山障壁画の「霞、雲、すやり霞、金雲」で中景、遠景を隠すことをしない(すやり霞、雲を一部使うことはある)、あるいは、水墨画、人文画に見られる余白はなく、油絵と同様すべて色面で埋められている。
2)都市風景では西洋の遠近法を使い空間の奥行きを描写している。また事物の描写は装飾的ではなく写生的描写を用いている。
という西洋絵画と共通の2点である。
一方、事物の輪郭を線のみで表し反射、陰影を使わずに高い絵画表現を達成している、市井の人物を描写する、奇抜で独特の構図という西洋絵画との大きな違い(それこそが西欧の画家が注目した)はあるが、上記2点があるからこそ浮世絵版画のみが印象派の画家達に受け入れられやすかった理由ではないかと思われる
そのきっかけは、以前小村雪岱の「日本橋」について記事を描いていた時に、浮世絵、特に後期では「線遠近法」が多用されていることに内心驚いたことです。それが私の思い込みを変えることになりました。
ということで、日本美術の特徴や評価を考える上で、西洋絵画のその後の変遷、抽象絵画からポップアート、グラフィックアート、現代の漫画、アニメに至る相互作用にまで見渡す必要があると思うようになりました。
なお、長谷川久蔵《桜図》の花の正面描きに関連して、現代の日本画作家の加山又造氏、中島千波氏の例を出しましたが、実は京都に滞在中に、同じ現代日本の代表的作家の村上隆氏の個展のポスターをたまたま見かけたことを今思い出しました。
それは、京セラ美術館限定開催の「村上隆 もののけ」展です。
私自身は、村上隆氏の絵画の実物をみたことは無いのですが、「スーパー・フラット」の概念など、日本美術に基づいた考えで制作された作品が国際的に評価されていると聞いているので、もしやと思い調べたところ、やはり推測があたりました。
展覧会ポスターに採用された作品《金色の夏の空のお花畑》をご覧ください。
ものの見事に、こちらに花が顔を向けているではありませんか。
日本を代表する画家が、伝統的絵画手法を採用していることにある種の感慨をもちました。
次に関西に行った折に訪問してみようと思います。
(おしまい)
前回の記事は下記をご覧ください。
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