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自分を貫く難しさ


自分が思った通りに生きる、というテーマで昨日記事を書いたが、それは結構難しいと感じる人が多いだろう。
私もその一人だ。

https://note.com/uenohiromi03/n/n2e278a818d8c?sub_rt=share_b


特に「下心」があるときは、自分を貫くことが難しい。
なぜなら「下心」がある時点で、自分を貫いていないからだ。

例えば恋愛。
相手に好かれたいと思う「下心」があるから、相手が好きなタイプを調べたり、相手が興味がある趣味を自分の趣味にしてみたりする。もちろんそれは可愛いもので、何も悪いことはないが、
無理をしすぎると一時的にうまくいってもやがて綻びが出てくる。

例えば就職試験。
これも長く面接のアドバイスをしてきたのでよくわかるのだが、自分を別人に見せるやり方をする人が多いが、それも人を見るプロにかかってしまえば、たちまち見抜かれる。
または、競争率の低い会社は、別人を演じていると分かっていても内定を出す。
いずれにしても、入社後も別人を演じ続けることはできないし、何かの理由がなければ長続きはしない。

このように「下心」がある場合は、自分を貫こうという気持ちをすでに捨てている。
人生の一大事でなければいいが、自分にとって大事なことほど自分を貫いた方がいい、と最近思っている。
それは何かを創ると言う作業に携わろうとしているなのかもしれない。

最初は、「何が作れるか」を考えた。
次に「何が受けるか」を考えた。
それをベースに作品を作った。どんな結果になるのかは、結果が出ていないのでわからないのだが、自分で見直してみて「本当に、あなたはそれでいいの?」と問いかけた時、答えは「No」だった。
つまり私は「これを作りたい」と言うものがまだ見つかっていなかったのだ。
だからしばらく作るのをやめてみた。
すると、だんだんと作りたいものが見えてきて、当初には絶対にそんなもの作るものか、と思っていたものを作っている自分がいた。
すると、それを作っているときにはそれだけで楽しいし、書いていない時もその作品について考えている自分がいる。どっぷり浸かりきっているのだ。
これが創作の楽しさなのかもしれないし、これが自分がやりたいことなのだ、とようやく実感し始めている。

仕事を辞め、時間を作って、その時間の大半を注ぎ込んで作っているのだから、自分が作りたいもの、自分が作りたい世界があるはずなのだ。
それなのに、自分を貫かず簡単な方向に進んでいてばかりでは、結局自分の作りたいものは永遠に作れない。
誰が評価しようとしなかろうと、私は私の世界を作る。
そう決めて、2024年から真剣に取り組み始めたのだから。

自分を貫くことはときに難しいけど、自分を貫くことでしか得られない喜びがある。
どのくらいの時間がかかるのか、どんな結末になるのか、案はあるが本当にそうなるのかさえまだわからない今が、一番楽しいのかもしれない。
または、この時期を楽しむことが今は必要なのかもしれない。

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