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お金や子育て支援ではない、少子化の本当の原因

少子化問題に悩まされて久しい日本であるが、その原因は一般に、「経済面で結婚したくても出来ない」や、「子育て支援の不足により子育てに不安を感じるから」と言われることが多い。

しかし、過去の日本の出生率推移や海外の状況を見ると、それは真っ赤な嘘であることが分かる。

この記事では、少子化の本当の原因について推測していこうと思う。

1.個人の人権:結婚しない、子供を産まない自由


昭和の頃までの日本は「結婚して子供を育てた人間が一人前」という価値観が普通だった。そうした圧力が社会の規範として成り立つことで多くの人が自然と結婚して子を持った。

しかし、時代の変化と共に個人の自由を重視する風潮が生まれ、結婚や子育てにとらわれない生き方がもてはやされるようになった。それと引き換えにして結婚はしたい人だけがすればいい、無理にする必要はない、という娯楽と同じ立ち位置となり、社会の規範としての役割が失われてしまった。

また、それと並行して社会の発展も進み一人でも便利で快適な暮らしができるようになった。これが若者の結婚に対する意欲を下げただけでなく、対策を取ろうにも自由の侵害、生き方の押し付けと言われるリスクを高め少子化対策を大々的に打てない状況を作り出した。


2.女性の人権:男女平等の推進、女性の社会進出


男女平等、ジェンダー平等の名の下、社会での男女間の格差をなくす動きが世界中で広められてきた。特に女性は男性や男社会から差別されてきた弱者として扱われ、差別解消の取り組みが進められた。女性の社会進出を進めたり、キャリア職に女性を登用する動きが活発化した。

しかし、女性には自分よりも強い男性をパートナーとして選びたがる生物的な本能があり、それは上昇婚という形で統計にも表れている。そうなると、女性の権利が上がれば上がるほど、パートナーとしてみなされる男性は減っていき、急速に非婚化が進んでいくことになる。

結婚できない理由に「出会いがない」「いい相手がいない」というのがあるが、これは女性は複数選べる中からお目に適う相手がいないという意味であるのに対し、男性の場合はそもそも女性から全く相手にされないという形でその意味合いは全く異なる。上昇婚の仕組みがある以上、女性が選ぶ側になることが多いからだ。

詳しい経緯については、5章の方で取り上げたい。

3.子供の人権:親に対する責任の肥大化、子育てのリスク化


子供が事故や病気などで死ななくなったのと引き換えに、それまで問題視されていなかった子供への扱いや行いが問題視されるようになり、次第にそれはエスカレートしていった。子供に対して異常に神経質な国となった。

そして子供が不幸になる事件が起きればたちまちメディアやネットで拡散され、不幸へ追いやった親へのバッシングがし烈化した。結果、子供を不幸にするくらいなら最初から産むべきではないという考えが、人権意識の高まりや子供を産まない自由の蔓延とともに正しい考えとして広まっていった。

ネット上でも自分の能力の低さから子供を持つことをためらったり、ろくでもない親に対して最初から産むなと怒りをぶつける人間は多い。これは、子供を守れという皆の正義感が親への攻撃、産ませない圧力として現れた結果である。

また、子供の人権を守るべきという考えは「丁寧な教育を施して将来の道を閉ざさないようにするべき」という考えにも至り、量より質の子育てをする親が急増した。子供ひとりにとにかくお金をかけ、塾通いや受験をさせる事が(特に都心部で)普通のものとなった。当然、いいポストは限られているので親達は少ないポストを手に入れるべく子供への投資をエスカレートさせ、子供を持つことのハードルを大きく引き上げてしまった。また、数々の子育て支援も、子供ひとりにかける金を増やすだけに終わり、目立った効果を発揮しなかった。

4.結婚手段の変化:お見合い文化の衰退


昭和の時代に皆婚が実現できたのは、お見合いという結婚を促す社会の仕組みが整備されていたからである。親や周りから早く結婚するように圧力がかかる一方で、収入や容姿などのモテるスペックを持っていない人でも家庭を築ける補償がなされていた。

しかしこれもまた、自由主義や個人主義が広まると「結婚するかどうかは個人の自由であり他人が口出しするな!」という意見が強くなり、お見合いは結婚を強要するものとされて衰退した。

それと引き換えに発展したのが自由恋愛やそれを軸にした婚活だ。自分で好きな人を見つけて自由に関係を築き、好きなタイミングで結婚する。端から見ていれば個人の幸福を尊重する素晴らしい仕組みにも見える。

しかし、自由に相手を選べる環境は相手に選ばれるために他人と競い合う環境でもある。自由な競争によって恋愛でも勝ち負けが生まれ、一部の人に人気が集中する結果を招いた。今日、婚活市場でハイスペ婚が大きなウェイトを占めているのも、非モテと称される女性と交際経験の無い男性が増えているのも、こうした自由恋愛による格差が生じた結果である。

更に、先述した結婚しない自由の浸透によって、結婚に至るためのハードルは一層高いものになった。なぜなら、結婚において、ひとりで自由に生きる選択肢が出来て、必ず誰かを選ばなければならない必要がなくなったからだ。

その結果、「妥協して結婚するくらいなら結婚しない方がまし」という選択を取る人が増え、皆悪い意味で妥協できなくなった。経済力や容姿など人としてのアドバンテージを持つ者でなければ容易に結婚することが出来なくなってしまった。これは婚活市場で選ばれる側である男性で顕著だ。

近年では、こうしたハードルの高さが認知されたことで、最初から諦めてしまう人も続出している。生き方の自由や選択の自由は能力の無い者を選別し排除する自由も容認してしまったということである。

5.男女平等とジェンダー平等:性役割の解体による機能不全と分断


近代になるまで日本のみならず世界各国が男尊女卑の文化を築いてきた。なぜかといえば、そうする事が国という共同体を維持する上で適切だったからだ。

男性の方が立場が上というのは紛れもなく差別ではある。しかしその立場は、女子供を守るという責任や甲斐性と引き替えに存在していた。権力を持つ代わりに下に付く人達を守るべき、という意識が男性達には求められていたし、当の男性達も働くことを軸に、甲斐性を発揮して女性や子供を守る(かつ女性からの承認や感謝を得る)事で自分の生きる意味を見出していた。ネットでも一時期話題となった性欲由来の優しさだ。

一方女性にとっても優秀な男性の遺伝子を遺したいという欲求を満たす上で、男性の方が立場が上の方が該当する男性が増えるので都合がよかった。また、男性に護られる事を多くの女性達が望んでいる(この辺りは、現実創作問わずどういった男性がモテるかを見ていただくと分かりやすい)点からも、男性に上に立ってもらい庇護を受ける方が都合がよかった。

言ってみれば、男尊女卑も性役割も男女それぞれの特性と異性に求めるものの違いによって生まれた自然な関係だ。

実際、狩りや戦が行われていた時代であれば、こうした関係で男性が犠牲を払いながら共同体を護り、女性は庇護を受けた上で子供を産んで育てる事に徹していた。それによって時代の荒波をしのいできた。

しかし、近代になり平和で豊かな時代が長く続くうちにその役割の意義が忘れられるようになってしまった。加えて欧米由来の人権思想がなだれ込んだ結果、これらの性役割は人権を著しく損なう差別的で遅れた文化と批判されるようになった。

それと引き替えに広まったのが男女平等、ジェンダー平等の文化だ。欧米本来の考え方だと女性も男性と同じように働き、責任を背負うべきという考えなのだが、日本では元々の文化と合体した結果、女性を絶対的な弱者として保護する考え方になってしまった。女性を男性が守る文化は残しつつ、権利は平等にして差別を無くすという考えが一般的になった。

結果、男性達にとっては権利面での優位性はないのに責任だけは今まで通り背負い、加えて女性差別を無くすために家事育児もやる事が求められるようになった。また、女性や子供を守る上で必要であった暴力的な振る舞いも人を傷付けるものだと激しく非難され萎縮した振る舞い(またの名を精神的な去勢)をしなくてはならなくなった。

それにより、女性達を護ることが出来ない弱々しい男性が多く生まれてしまい女性からは「キモい」と忌避されてパートナーとして選ばれなくなってしまった。また、男性自身も一方的に負担を背負わされ、攻撃も受ける環境に晒された事で女性を護る意味を見出だせなくなってしまい、恋愛や結婚から離れてしまった。「コスパ悪い、面倒だ」と言ってこれらを忌避するのにはこういった意識も大いに関係していると考えられる。

女性にとっても、優秀な遺伝子を持つ男性を求める性質と男女平等の文化が噛み合っていないため、平均より上の男性しか異性として見れなくなってしまった。それにより結婚したくても「(魅力を感じる)相手がいない」と結婚出来ない女性達を多く生み出してしまった。(第2章で述べた女性の上昇婚志向である)

加えて、男性のような甲斐性を女性は中々持ちづらいので子供はともかく自分より下の男性を養いたい、支えたいという意識の変化も起きなかった。それにより女性の社会進出が進み経済的に自立する女性が増えると、「ひとりでも十分生きていけるから結婚する必要がない」「結婚したかったけど魅力ある人と出会いがないからこのまま独身でもいいかな…」と自ら結婚しない道に行く女性が続出した。

こうして、男女平等により性規範が解体された結果として、男女が別々の理由で結婚から遠ざかってしまった。

また、こうした認識の食い違いがフェミニズム思想と合体する事で男女間での衝突や分断も起きるようになった。この衝突がメディアで可視化された結果、異性への印象が悪くなり恋愛や結婚を忌避する動きが若者の間で出てくる事になった。特にそれが極端化したのが、超がつくほどの少子化になっている韓国である。日本も韓国と文化や風習で似通っている部分はあり、男女の対立が深まれば韓国の後を追ってしまうのではと懸念する声がある。

6.都市部への若者の人口集中:結婚から遠ざかる環境への若者の集中


コロナ禍の一時期を除いて、日本は東京への人口一極集中が続いているし、それ以外の大都市も地方から人、特に若者を吸い寄せ集めている。

しかし、都会であるほど恋愛や結婚へのハードルは高くなり、そこに若者が集中することは必然的に非婚化や少子化へつながる。都会は便利な暮らしを当たり前のように享受でき、娯楽の種類も多彩だ。そんな環境だと恋愛や結婚相手に求める基準は必然的に高くなる。「ひとりでも快適に暮らせるのにわざわざ妥協してまで誰かと付き合う必要はない」という考えがより強くなるのだ。

また、若者の数が多いことから出会いの機会も田舎よりは多いが、反面自由恋愛の競争も激しくなり、先述の快適に暮らせる環境も相まって恋愛対象として選ばれるハードルは一層高くなる。
マッチングアプリ等で好き放題に出会い、気に入らなければ即交際終了といった環境下は戦場そのもので、男性は一部のハイスペに人気が集中してそれ以外の男性は選ばれない。また、女性も(例え相手が遊び目的でも)ハイスペ男性とマッチングしてしまう事で、男性に要求する水準が跳ね上がってしまい、折り合いをつけれないまま歳を重ねてしまう。都会ではこうしたことが日常的に起きているのだ。

更に都会はリベラル的な価値観が強くなりがちだ。豊かな環境故に社会や暮らしがなくなるかもしれないという危機感を持ちにくく、共同体の維持よりも個人の在り方に目が向きがちになるからである。先述した結婚しない自由も、未婚者が増えることで社会にどんな影響が出るかが都会ではピンとこないために、支持する人が多いと考えられる。また、リベラル思想では女性を被害者として保護する考えも強いので、女性を無条件で甘やかしてわがままな性格になることを後押ししてしまっている。

少子化の原因はお金がないからと言われることが多いが、この説が本当なら収入が多い都会ほど、出生率が高くなる傾向になるはずである。しかし実際には、全国で出生率が最も低いのは東京都だ。逆に最も高いのが貧困率の高い沖縄県である。むしろお金があって何不自由ない生活が送れる環境の方が少子化になると考えた方が良いのではなかろうか。


・まとめ


以上が、筆者が推測した少子化の本当の原因である。筆者は社会学や心理学などの専門分野に特に精通している訳でもなく、ここで挙げた内容は本当に個人的な意見でしかない。だが、世間で言われているような理由は明らかに本当の原因から外れているように感じる。今回こうやってまとめてみて、少なくとも政治的ただしさとやらの方がよっぽど少子化の原因になっていると感じた次第だ。

少子化を本当に止めるためには、実際の原因は何かをより深彫りして突き止め、適切な対策を随時打っていくことが必要である。それを実行するには社会全体でその原因が共有され、政治を動かすほど民衆の風潮が変化することが求められる。筆者も今後更に分析や研究を進め、noteをはじめとした様々な方法で事実を広めていきたいと思う。


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