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いつか誰かが歌う詩#10

「ねえ、君はどの季節に死にたい?」

ここに吹く風と、そして流れる時間と、それらと同じ速さで彼女は言葉を世界に囁いた。
ぼくは彼女をちらと横目でみると、彼女も視線だけをぼくに向け笑っている。
からかっているような、真剣なような。それはぼくには分からないけれど。

「考えたこと、ある?」

彼女は視線を前に戻して、独り言のようにつぶやく。ぼくも視線を戻してため息を一つはいた。
考えたことはないよ、というと彼女は「もったいないなあ」と笑った。

「君の誕生日はいつ?」

七月だよと答える。彼女は「らしくないなあ」とまた笑う。

「君は夏に生まれることを選択した?」

まさか、とぼくは笑って答える。

「ほらね、わたしたちは生まれる季節を選べないのよ。でも、死ぬ季節は……選べるじゃない?」

そんなこと言われても、ではあるが彼女の言うことは間違いではない。だからぼくは沈黙をもってそれを答えとする。黙ったぼくを見て彼女は満足げな笑みを浮かべた。どうしてそんなことで笑えるのだろうか。

「だから、どんな季節に死にたいか。ちょっと一緒に考えてみようよ。一番かっこよくて、鮮烈で、美しい、死ぬための季節があるかもしれない」

死ぬための季節、か。
といっても季節は四つしかない。そんなことを思っていると、

「二十四節季でもいいよ」

と彼女が心を読んだかのように言う。
なるほど。
その二十四節季も全部知ってるわけではないけれど、ぼくはこくんと頷いた。

「夏はなんだか文豪っぽいよね」

そう?

「芥川龍之介が、そうだよ」

へえ、他には?

「知らない」

……

「冬はいろんな生物が死ぬ季節、面白くないね。春は一番多い季節だ、面白くない」

じゃあ、秋?

「消去法だとそうなるね。あはは、決まった決まった」

今日一番の笑みで彼女は笑う。
一緒に考えようと言っておいて一人で決めてしまった。それに二十四節季も結局一度も関係なかった。
変な女の子だと思う。

「というわけで君、今は夏だよ。こっちおいで」

傍らに立つ彼女が振り返って踵を返す。三歩離れた先で、彼女は手招きをしていた。
ぼくは少しだけ彼女を振り向いてから、真下の景色に視線を落とす。
視線のずっとずっと先で、波が白く弾けていた。

ぼくはやれやれと首を振って視線を彼女に戻す。
恐怖という感情が、ぼくに芽生えた。
微笑む彼女に、ぼくも微笑みかけながら、ぼくにはどうやら君の方が死にたがっているように見えるよと言った。

「そう? わたしは君に声をかけただけだよ」

といって不思議がった。

「わたしのこんな可愛い顔と、ナーイスな身体が、君には死にたがってるように見えたのかな」

彼女はふふんと胸を張ってみせる。
どうだか、その表面の奥にある心までは、ぼくには見えるわけではないからと彼女に言った。

「なるほど、君は面白いことを言う。なら確かめてみる?」

どうやって?

「簡単簡単。君が今からわたしを襲えばいい。わたしに死ぬ気があるなら、どうせ死ぬんだしで一切抵抗はしないよ。生きるなら、全力で君を殴るだろうね。わたしは遠慮はしない女の子だよ」

笑みが怖い。やめておくよ、とぼくは首を横に振った。

「素直なのは君の素晴らしいところだね」

と彼女は笑った。
ぼくは本来歩き出すはずだった方向から真逆へ足を向け、一歩二歩と歩き出す。すぐ先にいる彼女のもとまでは容易に辿り着いた。

「お? 襲う?」

まさか、とぼくは笑う。
あっという間に彼女を追いぬいて、足音が一つなのに気づいてぼくは足をとめた。
君は帰らないのかと聞くと、

「ここ、わたしが一人になるところ。お気に入り」

そういって手を後ろに組んで空を見上げる。
なるほどそれは邪魔をした。そういうと彼女は「ほんとだよ」とからかうように笑ってみせた。
それじゃ、とぼくは彼女に声をかける。

「うん、ばいばい」

と、戻した視線の端っこで彼女は手をひらひらと振っていた。
また秋になったらここへきてみよう。そのときのぼくの心は分からないけれど。でも、その時にまた彼女に会えることができたならいいと思う。

彩度の高い潮風が光る。
鮮やかで温かい感触をぼくはどこかで握っていた。

一度後ろを振り返ると、そこに――彼女はいなかった。

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