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[0円小説] 蜜蜂の幸、あるいはヒマラヤのそぞろ神に呼ばれて

しばらく曇天の日々が続いたあとに、夜半の雷雨が大気中の夾雑物を洗い流した。

ポカラの空は今朝、見事なまでに晴れ上がって、ヒマラヤの山々を優しく抱いている。

ネパールの中部に位置するポカラは、8,000メートル級の最高峰が聳え立つアンナプルナ連峰を間近に臨む、風光明媚な街である。

夢見探偵を名乗るアナタ・ジロウと妻のムーコは、年越しにも二週間ポカラに滞在したが、一旦インドのハリドワルに戻って用事を済ませたのち、二月に入って再びこの地を訪れていた。

朝の七時すぎ、三面に窓のある安宿の角部屋は、すでに明るく、どこまでも爽やかだった。

ムーコは平和な朝に穏やかに身支度をしていたのだが、粗忽なジロウの些細な行動がムーコの神経を刺激した。

ネット中毒のジロウが、寝床から出ることもなく、そしてカーテンや窓を開けるでもなく、携帯を相手にだらだらと朝の時間を過ごしているのが、ムーコには気に入らないのである。

「カーテンと窓くらい開けてよ」

その口から発せられた苛立ちの言葉は、微細な手裏剣となってジロウの体をかすめて飛び、ムーコのいらいらがジロウに伝染した。

とはいえジロウも、そこでいきなり腹を立てるほどに感情の抑制が効かないわけではない。ちっ、まったくうるせーなと心では思っても、表面は素知らぬ顔で、

「はーい、今開けまーす」

と素直な小学生のような言葉を発して、言われた通りにカーテンも窓も開けたのだ。

そして、そのあともジロウは携帯をもて遊び続けた。そのあと……。何が妻の機嫌を損ねたのだったか。ジロウはもうそのことがうまく思い出せなかった。

とにかく収まらないままだったに違いないムーコの苛立ちはさらに発火して、またしても手裏剣が飛んだ。

妻の発したその手裏剣が、そのままジロウに刺さったわけではなかった。

しかし、空気を切り裂く強烈なその波動によって、ジロウの心の過敏なひだはびりびりと波立つことになり、今度は抑えようのない怒りがどうっと湧き上がった。

外に出る支度を荒々しくすませると、

「せっかくのいい天気だから散歩に行ってきます。髪の毛も切ってくるから帰るのは昼頃になりますから」

と捨て台詞を残し、部屋をあとにしたのだった。

  *  *  *

そこまで書いてジロウは、(これで原稿用紙二枚ほどか)と考えた。

手裏剣が飛んだ日から一週間近く経っていた。

今日も天気はいい。

朝から冴え冴えと見えていたアンナプルナ連峰は、熱帯の暑い陽射しに照らされて雲を生み、昼には白々とした雲で覆われて姿を隠していた。

全部で十枚くらいは書いてまとまりをつけたいような気がしたが、それにこだわるつもりもなかった。

とにかくふた月に一度の指令をこなして、物書き仲間との交流が楽しめればいい。

現実のジロウはろくに働きもしないぐうたらの、妻にも呆れられる只の最低人である。

その自分の姿を、言葉によって組み立てた写像装置を通して別の次元に投影し、夢見探偵という無価値だが有意味な存在として描き出そうという考えが、冒頭を書いてみたところ頭に思い浮かんだのだ。

そんな作者の思いつきとは関係なく、作中人物のジロウは勝手に行動するに違いないし、何にせよ、読みやすい物語としてまとめようという気持ちは作者にもなかったので、合わせ鏡の作り出す無間の俗世が、奇妙によじれて紡がれていくのを、ジロウは眺めていればよいのだった。

  *  *  *

外に出たジロウは近所のスーパーでビールの小瓶を二本買い、さらに通りの向かいの小さな食堂でサモサを二個買うと、湖のほとりの公園まで歩いた。

その小さな公園は表通りからは一区画裏側に入ったところにあり、場所は知っていたが来るのは初めてのことだった。

まだ朝早いので人も少なく静かだった。

湖に面するコンクリートを打った段がちょうど腰掛けるのにいい高さに作ってある。

ジロウはそこにシートを敷きあぐらをかく。そして、サモサ腹を満たし、ビールで心の渇きを癒やした。

いらついた気持ちはとうに収まっていた。

普段から気がつくと瞑想の練習をしているので、感情の嵐に振り回される時間はずいぶん短くなっていた。

やがて酔いが回ると、意識は静まって冴え渡った。

湖と、左手に緑を湛えて見える向こう岸の山と、正面の遥か彼方に聳え立つアンナプルナ連峰とその手前に勇姿を見せる独立峰マチャプチャレが、ジロウの意識の中で一つの完全な世界を作り上げた。

マチャプチャレは七千メートルにわずかに届かない高さだが、距離が近いので、ポカラから見るとアンナプルナの連山を両脇に従えて、綺麗な三角形の頂きが実に見事に映えた。

今自分が見ている世界を、そして体に感じる空気の心地よい冷たさを、また人の声も聞こえない自然の静かさを、ジロウは言葉によって緻密に書き表せしたいものだと思った。

けれどもそう思うや否や、いや、そんなものを書き表すために、無理にこの経験を言語化する必要はないのだ、今は余計な考えは捨てて、ただこのすべてを淡々と味わえばいいのだという考えが浮かんだ。

素晴らしい景色を前にして、座を組んで静かに座る自分の姿すらが、一つの完全な世界の構成物であることをジロウは意識した。それは実に不思議でありながらまったく当たり前のことであるのと同時に、とても喜ばしいことであるとも感じられた。

  *  *  *

ジロウは宿の寝台に寝っ転がり、壁に立てかけた枕に頭をもたれさせた格好で、携帯を腿の上に両手で構えて文章を書いていた。

妻のムーコが話しかけてきたので、ジロウは手を止めてその言葉に耳を傾けた。

日本では蜂蜜の名前のもとに、純粋な蜂蜜から水飴で水増ししたものまで何種類もの製品がごっちゃに売られているというような話だった。

携帯をいじったりはせずにきちんと言葉を聞いてはいたのだが、頭の中は上の空なのが外見に現われていたようで、

「もういいよ、さっさと携帯で遊んだら」

とムーコに言われた。

ジロウはまいったなと思いつつ、携帯を使っての作文は中断したままで、寝台の上寝転がった。

もう夜の八時を過ぎている。

そのうちムーコは布団をかぶって寝てしまったので、ジロウは灯りを消すと、自分も布団をかぶって作文に戻った。

  *  *  *

湖畔で静まり返った意識を楽しんでいたジロウは、左手から虫が飛んできて、座っているコンクリートの段の右手に留まったのに気づいた。

一匹の蜜蜂だった。農薬にやられたのか、飛ぶことができずにぐるぐる回っていたが、しばらくするとまた飛び立ち、右手の方に飛び去っていった。

蜜蜂を見てジロウは、初めてポカラを訪れたときの忘れられない記憶の一つを思い出していた。

そう、あれは三十四年前、まだ二十六のときのことだった……。


初めて日本を離れてネパールに来たジロウは、ポカラからアンナプルナ方面へと一週間ほどの山歩きをしたのだった。

ポカラの街外れからジープに乗って山道の入口まで行ってみて、その道のあまりに急斜面なのに驚いた。

斜面というよりは壁と言いたくなるほどにそそり立つ山肌に、道は細くうねうねと続き、地元の人たちは重い荷物を担ぎながら、ひょいひょいと登ってゆく。

慣れない山道をジロウはとにかくゆっくりと歩き始めた。


その日は四、五時間は歩いたのだったろうか。

山の斜面にへばりつくように位置するランドルンという小さな村にようやく辿り着くと、素朴な山小屋に宿を決め、ほっと一息つくことができた。

ランドルンはモディ・コラーという川に沿う山道にある村なのだが、川は遥か何百メートルも下方にあり、その四十五度に近いのではないかと思われる斜面はすべて棚田になっている。

一体どれだけの時間と労力をかけて、この田を切り開いたのだろうか。

ジロウは宿の主人に棚田はいつ頃造られたものなのかと聞いてみたが、こちらも慣れない英語の上、向こうも流暢な英語を話すわけでもなく、結局そのことは分からないままだった。


忘れられない思い出の一つは、その翌朝の朝食のときのことだった。

山小屋は元々白人の観光客相手の商売だったものなので、メニューも洋風のものが多く、朝食のセットにはチャイとトーストに蜂蜜がついてきた。

その蜂蜜が、日本で知っていたものとは見かけからして違うのだ。

白っぽく固まっているところは、普通の蜂蜜が低温で固まったようすにも似ているが、もっとほろほろと崩れやすい感じで、自然な結晶という感じがする。

そしてそれをトーストに乗せて食べてみると実にうまい。ジロウは普通の蜂蜜はくどすぎてあまり好きでないのだが、その蜂蜜はほどよい自然な甘さで、しつこさがまったくないのだった。

そのときには、どうしてその蜂蜜かそんなにうまいのか分からなかったのだが、理由はそれが採り立てで熱処理していないものだったからに違いない。

あとになって知ったことだが、ネパールは山深い国だけに山の幸が重要な産物であり、野生のものも含めて蜂蜜もその一つなのだった。

一週間あまりの長い期間を、二輪車も走れず、電気も通らない山道を歩いた経験はジロウのその後の人生に大きな影響を与えることになるのだが、その道中での蜂蜜との出会いも、それまであまり食べ物に関心を持たなかったジロウにとって、深く印象を刻まれる得がたい経験となったことの一つなのである。

  *  *  *

その朝、まだムーコが寝ているうちにジロウは部屋を抜け出してまた湖畔の公園へ行った。

前にその公園へ行ったときのことを「人の声も聞こえない自然の静かさ」と書いたが、実際にどんな音がしていたかを思い出せなかったので、そのことを確かめたかったのだ。

六時半を少し回った白明の公園には、運動をしているおじさんが一人と、腰を下ろしてヒマラヤを見ている老夫婦がいるだけだった。

確かに人の声はしない。四十雀(しじゅうから)の仲間のさえずりと鴉のだみ声が遠くから聞こえてくる。

右手の先で湖畔は表の車道に接しているので、そちらからは時折りエンジン音も響いてきた。

公園の左はしはダムの堰の部分で少し高くなっており、アンナプルナ連峰を正面に臨むことができた。

夜明け前の薄明るさの中、雪をまとった山々がこちらを見下ろしている。

やがて朱色に朝焼けした陽光が山を照らした。下界はまだ白明のままである。

昼になれば南国の陽射しが暑く照らすが、日の出前はまだまだ冷え込む。

寒さに体を震わせて、じきジロウは部屋に戻った。

  *  *  *

その晩ジロウは夢を見た。

誰かがくれた巣蜜をジロウは食べようとしている。とろりと蜜に包まれた蜂の巣を、指でつまんで口に入れて噛む。さくり。さくり。よく焼かれた最中(もなか)の皮のように軽やかな歯ごたえと、蜂蜜の爽やかな味わい。辺りに蜜柑の香りが漂う。

さくり、さくりと巣蜜を噛んで味わううちに、ジロウはふと思う。おかしいな、前に食べた蜜蝋は見た目とは違いちっともさくさくしてなくて、歯にこびりつくような嫌な食感じゃなかったっけ……?

そうか、夢を見てるんだ、とジロウは気がつく。

夢から醒めないように、心を落ち着けながら、ジロウは巣蜜を食べ続ける。さくり、さくり、とひと噛みするごとに、口中が蜜柑の香りと蜜の甘さで満たされる。それは昔、南伊豆の知り合いのところで食べた夏蜜柑の蜂蜜の味だ。

夢の醒めかけの意識の中で、ジロウは考えていた。


あの歯にこびりつく巣蜜は、母が高い健康食品を売りつけられたものだったんじゃないかな。

一時期そんなものが実家にいろいろあったよな。

そうそう、そのときに買ってきてた丸大豆醤油は甘くてうまかったな、ずいぶん高いこと言ってた気がするけど……。

それから南伊豆で出してもらった夏蜜柑の蜂蜜。

最初に食べたときは蜜柑の香りがしてとてもうまかったのに、しばらくしてもう一度食べさせてもらったときはもう香りがしなくなって普通の蜂蜜になってた。蜂蜜は鮮度が命なんだ……。

農薬にやられて蜜蜂も可哀想だけど、それでもあいつらは健気に働き続けるんだな。蜜を集める代わりに花粉を運び、世界を豊かにしてくれるんだから、本当にありがたいじゃないか。

インドには蜜蜂の行者と呼ばれる伝説上の人物もいたっけ。あちこちを彷徨い歩いては、真実という名の蜜を集め、周りの人々にその恩恵をひっそりと施してくれるってわけだ。

おれはそんな立派な人間にはなれないが、その行者の爪の垢でも煎じて飲ませていただいて、もう少しは修行を積みたいもんじゃないか。

しかしな、そんな格好のいいことばかり、すぐに考えるくせに、実際はもう旅に飽きて、そろそろ日本で落ち着きたいとか考えてるわけだろ? まったく矛盾の塊ってもんじゃないか。まあ、その矛盾の塊がこうして旅を続けるてるのも、蜜蜂の行者がそぞろ神となっておれを誘い出した結果ってことか。

それならそれでいいさ。旅の果てに野垂れ死のうがどうしようが、それはそれで運命ってことだ。世間に合わせて生きることはできないおれでも、運命というやつには合わせざるを得ないからなあ。


夢意識の中で繰り広げられる、そんな想念の波紋の様子を、もう一人のジロウが静かに観察していた。

夢見ることでこの世界の謎を解き明かす。

それが夢見探偵としての自分に与えられた使命なのだなと、ジロウは納得した。

神の座の麓を彷徨う、蜜蜂の行者の呼び声に耳を澄まそう。

遠くからかすかに聞こえてくる行者の声を頼りにして、これからも無用の人間として生きていけばいいのだと、ジロウは確信した。

寂しげな想いがうっすらと全身に広がったが、ジロウは幸せだった。

一つ一つは無用で無意味な命であったとしても、それらが織り成して出来上がる世界の曼荼羅模様には、味わうに値する何ものかが秘められているのだと、ジロウには分かっていたのである。


[2024-02-27 ネパール・ポカラにて]


#ネムキリスペクト #蜜蝋 #白山羊派 #小説 #エッセイ


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