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「なにかと困る 磯貝プリント株式会社」第8話

4 またネズミがいます

 結論から言うと、ハムスターのダイフクは見つかった。一時間に一回くらい聞こえる鳴き声をたよりに捜索したところ、配線の都合でわずかに空いたキャビネットとキャビネットの隙間に潜り込んでいたらしい。例の古めかしいフリップ時計が置いてあるキャビネットだ。真っ白い体は埃にまみれ、豆大福のようだったという。
 そして、ダイフクは今度こそ無事に今村家へと連行された。一件落着である。

 が。二件目が発生した。

 いや、発生したのは一件目と同じか、それ以前だったのかもしれない。ただ、発覚したというか、別件と認定されたというか、とにかくもう一つ別の問題があることがはっきりしたのがダイフク捕獲の後だったというだけだ。後というか、直後だ。翌日である。

 その知らせを受ける直前、僕は作業場にいた。今日中に納品予定だったセミナー資料の完成が間に合わないと言われ、作業場のリーダーである小田島さんに理由と作業の進捗を聞いていたのだった。

 小田島さんは三つ年上で、勤続年数も僕より長いがアルバイトを経て社員登用されているので、正社員としては五年目で僕と同じだ。同期も後輩もいない僕にとって、もっとも同期に近い存在だ。

 その小田島さんによると、なんでも印刷機の調子が悪いらしい。本来なら印刷、丁合から製本まで一気にできるはずなのだが、製本の工程でギギギと音がしてエラーが出てしまうそうだ。

 説明を受けているそばから印刷機が軋んだ。どこかが無理して動こうとしているのか、小刻みに揺れている。

「ほらな?」

 小田島さんが作業パネルを操作すると、少し遅れて印刷機が停止した。耳の緊張が解けていく。

「ひどい音ですね」
「中に凶暴な動物でもいそうだよな」

 たしかに歯軋りのようにも聞こえるが、僕には歯軋りをする動物が思いつかなかった。

「石井くん、悪い。やっぱ手製本になるわ」

 メンテナンスのサービスマンが来てくれることになっているが、夕方になるという。印刷と丁合はできるので、製本は一部ずつ電動ステープラで進めることにしたらしい。ただし、それだと完成は明日の正午の見込みとのことだった。

「わかりました。納期については客先に相談してみます」

 正常に運転していても騒がしい作業場を出て、廊下で電話をかけた。
 幸いセミナーの開催にはまだ余裕があったため、先方との納期交渉はスムーズに済んだ。

 報告のために再び作業場に足を踏み入れると紙折り機が動いていて、バッタンバッタンとまるで扉を強く開け閉めしているかのような音が響いていた。会話もままならない騒がしさに、僕は声を張り上げて小田島さんに納期延期を知らせた。

 それから作業台に置かれた作業指示書の納品日を書き換えていると、背中をバシバシ叩かれた。
 振り向けば、大塚さんが前歯を剥き出しにして、僕を叩いていない方の手を上下に揺らしている。人差し指を立てているので、上を意味しているのだろうとは思うが、天井を見上げても特に変わったものは見当たらない。折り機の音で会話がままならないからジェスチャーで伝えようとしていることはわかるのだが、肝心の内容が伝わってこない。
 大塚さんはもどかしそうに僕の袖を引っ張るので、慌てて作業指示書を元の場所に戻して、大人しく引き摺られていくことにした。

 途中、大塚さんは作業台に並ぶステープラをひとつずつ手に取っては耳に近づけてハンドルを動かしている。中から三つ選び出すと、僕に持たせた。それから近場にあった付箋紙に『ステープラ借ります 大塚』と書いて作業台に貼り付けた。
 断らなくても使っていないものだろう。すでに使い物にならなそうな古い型だ。しかも錆の浮いたステープラばかりで、握って動かすとヒンジ部が音を立てた。

 階段を上る大塚さんを追いつつ声をかける。

「いったいなんなんですか。こんなの使ったら紙に錆がついちゃいますよ。しかもなんかギシギシいってるし」
「だからよ」
「だからってなんですか」
「ネズミがいるのよ。社長室に。さっきジェスチャーで伝えたでしょ」

 前歯を剥き出し、人差し指を立てていた姿を思い出す。ネズミの真似だったのか。あれで理解しろという方が無理がある。ステープラのことがなぜネズミの話になるのかもわからない。しかし、それよりも気になることがあった。

「ダイフクはもう捕まえましたよね?」
「そうなんだけど、まだ声がするのよ」
「え? あの鳴き声はダイフクじゃなかったってことですか?」
「そういうことになるわよねぇ。ハムスターは、チューって……鳴かない、らしい、じゃな……い」

 階段を上りながら話しているせいで、大塚さんは息切れして言葉が途切れ途切れになってくる。

「ええー。そんなの知りませんよ。だって、あのとき、今村課長もこはるちゃんもダイフクの声だって反応していたじゃないですか」

 大塚さんの返事はない。二階を過ぎた辺りから息が上がって足も重そうだ。苦しいくせに「よいしょ、よいしょ」とわざわざ声に出して自らを鼓舞しながら上っていく。

 三階まで上りきると、社長が廊下に出て僕たちを待っていた。

「つかっちゃん、石井ちゃん、早く早く。時間になっちゃうよ。あ、ステープラ、ありがとさん」
「え? 時間ってなんのことですか? ステープラは急ぎなんですか?」

 急かされて社長室に辿り着くと、社長と大塚さんがそろって時計を見た。僕もつられてフリップ時計に目をやる。『11:57』と表示されていた。

「よし、間に合ったな。みんな一つずつ持って」

 社長は僕の手からステープラを二つ取り上げると、一つを大塚さんに渡した。

「え? え? なんですか? なんなんですか、これ?」
「シッ!」

 大塚さんに睨まれ、口をつぐむ。
 状況がさっぱりわからないままにステープラを握りしめ、時計を注視する二人に僕もならった。

「いいか、五十八分だからな」

 真剣な社長の声に、大塚さんが深く頷く。
 わからないなりに僕も息をひそめた。

 と、そのとき。

 チューイッ!

 例の鳴き声が聞こえた。と同時に、フリップ時計がパタリとめくれた。時刻は『11:58』だった。

「いまだ」

 社長の掛け声で、大塚さんと社長はステープラを握って軋ませた。古いステープラは中のスプリングが動くたびにキーキーと音が鳴る。それは少しだけネズミの鳴き声に似ていた。

「出てきますかねぇ?」
「仲間がいると思ってくれねぇかな?」
「ほら、石井くんも。ぼーっとしてないで」
「あ、はい。すみません」

 僕らはステープラをキーキーチューチュー鳴らしながら社長室をうろうろした。特にダイフクが隠れていたキャビネットの隙間や部屋の隅を念入りに。

「おーい。ネズ公。返事しろや」
「仲間が鳴いてるよー。出ておいでー」

 磯貝社長や大塚さんが呼びかけてもネズミの返事はない。

「人間の気配がしたら出てこないんじゃないですかね? 業者に任せた方がよくないですか?」
「そうなんだけどよー。時間のわかるネズミは自分で捕まえたくねぇか?」
「ああ、それ、なんですか? さっきも時間がどうとか言ってましたよね?」
「なんだよ、つかっちゃん、説明してないのか」
「だって急いでいたんですよ。五十八分に遅れたらいけないと思って」
「それですよ。五十八分がどうしたんです?」

 僕の問いに、社長と大塚さんが視線を交わして頷き合う。そして、社長は声をひそめて言った。まるでネズミに聞かれたら困るかのように。

「このネズミな、毎時五十八分に鳴くんだよ」
「はあ?」

 思わず疑いたっぷりの表情と声が出た。

「ちょっと、石井くん、返事の仕方!」

 すかさず大塚さんに小突かれる。

「あ。すみません。びっくりして……けど、決まった時間に鳴くって、そんなことあります? ネズミですよ?」
「だろ? そう思うよな。でも本当なんだよ。だいたい同じくらいの間隔で鳴くなと思って、なんとはなしに時間をチェックしてたんだよ。そしたらよ、ぴったり一時間間隔なんだな。すごくねぇか?」

 そういえば、とダイフクを探していた朝のことを思い出した。あのときダイフクの声だと思っていた鳴き声は、始業の予鈴と本鈴の間に聞こえた。鳴き声がしてすぐに今村課長が仕事のために出ていったからたしかだ。時刻を確認したわけではないけれど、あのときも五十八分だったのだろう。

 ネズミの体内時計はそんなに正確なのだろうか。たとえ正確だとしても、きっちり一時間ごとに鳴き、それ以外は黙っているとはどういうことなのだろう。実は僕が知らないだけで、ものすごい知能を持った生き物なのだろうか。
 ネズミの姿を探すでもなく、改めてぐるりと見回してみる。と、社長のデスクの下にボロボロの紙の切れ端が散らばっているのが見えた。どこから出たゴミだろうと視線を上げていくと、デスクのレタートレーからはみ出た部分の書類がギザギザになっていた。

「書類、齧られているじゃないですか!」

 社長は気づいていなかったらしく、齧られた書類を手に取った。

「ほら、石井ちゃん、やっぱりネズミは紙を齧るんだよ!」

 そういえばそんな話もしたなあ、と遠い昔のことのように思い出す。

「被害が広がらないうちに業者に連絡した方がいいですって。時間がわかるような賢いネズミなら、こんな鳴き真似じゃ通用しませんって」

 そんなネズミがいるとは思えないけど。僕は握ったままのステープラを緩急つけて鳴らした。キュー、チューイッ。
 社長は「石井ちゃん、うまいな」と笑い、降伏したように両手を上げた。

「つかっちゃん、明日でいいからよ、ネズミを駆除してくれるとこ調べてみてくれや」
「……はい。わかりました」

 大塚さんは自力でネズミを捕獲できなかったことが悔しいらしく、不服そうに了解の意を示した。


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