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「なにかと困る 磯貝プリント株式会社」第6話

2 ネズミがいます

 十七時半。事務所を見渡し、誰も残っていないことを確認して電気を消した。廊下に出ると、階段を下りてくる磯貝社長と行き合った。

「お。石井ちゃん、いま帰りか」
「はい。お疲れ様でした」
「おう。お疲れさん」

 おのずと並んで階下に向かうこととなる。わずかに先を行く磯貝社長のごま塩頭を眺めながら声をかける。

「あのー、磯貝社長。今村課長って休暇じゃなくてよかったんですかね?」

 今村課長もだけど、こはるちゃんも大塚さんも社長も子連れ出勤より休暇の方が都合がよかったんじゃないだろうか。

「ああ、つかっちゃんから事情は聞いたか?」
「はい。あ、いえ。開校記念日だけど預け先がないとだけですけど」
「なんかよ、今村ちゃんはさ、事前に休暇申請しているときは前日に作業指示書の入力を済ませてくれているんだけど、今回は急だったろ? それで今日の分を出してないからって来てくれたんだわ」

 営業が取ってきたり、ウェブで受け付けた注文は、受注書と作業指示書を作成し、それぞれ依頼者と現場に渡すことになっている。その受注管理システムを現在一手に引き受けているのが今村課長ってわけだ。
 そもそも庶務課長が受注管理をするものなのか疑問だが、磯貝プリントはその辺の業務分担があいまいだ。限られた人数で仕事を回すには所属なんてあってないようなものなのだ。営業のはずの僕だってついこの間は大塚さんについて給湯室の管理や郵便物の仕分けなどをしていた。
 今村課長の部下である大塚さんは、送付状の雛形を打ち変えるくらいしかパソコンが使えない。今村課長が事前申請していない休暇を取ることがなかったからうやむやになっていたが、実はたった一人休んだだけで現場が止まってしまう体制だったってことだ。

「ああ。なんか申し訳ないですね」
「そうなんだよなあ。前は今村ちゃんのほかにも受注管理システム使うやついたんだけど、今は今村ちゃんに任せっきりだったしな。そのうち使える人を増やすって言ってのに先延ばしにしてたのはまずかったよな」
「今度からは僕やりますよ」
「すまんな。来週どこかで時間を設定するから、営業のやつらにも仕込んでもらうかな。一人しかできない業務があっちゃいかんな」

 一階の作業場が既に明かりが落ちているを確認して、磯貝社長は無言で二、三度首肯した。僕は原付での通勤で、社長はバス通勤だ。話を切り上げるタイミングを掴めず、社長がビルの入口を施錠するのを待って、原付を押しつつ並んで歩き出した。

「そういえばよー、石井ちゃん。社長室にネズミがいるみたいなんだよ」
「ネズミ、ですか」
「そうなんだよ。チューチュー鳴いてるんだよなあ」
「チューチュー、ですか」

 社長がネズミの鳴き真似するとかかわいいな、とか思いつつ、そんなことを言えるわけもないので真顔で復唱する。

「あ、いや。チュウ?かな」
「まあ鳴き方はどうでもいいですが」

 もう勘弁してくれと笑いをこらえたら無愛想な受け答えをしてしまった。けれど社長は少しも気にした様子はない。

「よくねぇよ。鳴き方でさ、なにか意味があるんだと思うんだよ。あれがもし仲間を呼ぶ鳴き方だったらどうするよ?」
「それは困りますね」
「だろ? 困るんだよ。紙を齧られでもしたら商売上がったりだよ」
「ネズミって紙食べるんですか?」
「食べねぇか?」
「さあ? 紙を食べるのはヤギじゃないですかね」
「インクの味が好きとかねぇかな?」
「聞いたことないですね。あ、いえ、ネズミに詳しいわけじゃないんで、もしかしたら好きかもしれませんけど」

 大通りに出るとすぐにバス停がある。
 話はどこへ行き着くでもないまま挨拶を交わし、磯貝社長はバス停で人の列に並び、僕は原付で車道に出た。
 それきり僕はネズミのことはすっかり忘れていた。単なる雑談のつもりだったのだ。おそらく社長も。そのときはまだ。


 ネズミを捜索する必要が生じたのは翌朝のことだった。さっそくだ。
 出社すると、あちこちに盛り塩のようにひまわりの種が盛られていた。事務所の入口、給湯室の隅、廊下の突き当たり、階段の踊り場。
 わけがわからないなりに宝探しめいた楽しさが湧いてきて、足元ばかり見ながら社内をうろうろしていると、大塚さんとぶつかりそうになった。

「うわっ、すみません!」
「あっ、石井くん、おはよう。ごめん、下見てて気づかなかったわ」
「もしかして、大塚さんもひまわりの種を?」
「もしかして、石井くんも?」
「はい。なんなんですかね、これ。昨日帰るの最後でしたけど、そのときはこんなのありませんでしたよ」
「私も今朝来たの早い方だったんだけど、そのときにはもうあったのよね」

 なんだろう、なにかしら、と呟きつつ、二人で次々と現れるひまわりの種を辿っていくと、社長室の前まで来てしまった。その社長室の入口にもひまわりの種がこんもりと盛られている。

 まさかこの中にも……と、開け放たれているドアの向こうを覗くと、今村親子が磯貝社長と難しい顔をしていた。今日もこはるちゃんは休校なんだろうかと思っていると、視線を感じたのかこはるちゃんがくるりとこっちを向いた。

「あ。石井さん! 大塚さん! おはようございます!」

 磯貝社長と今村課長もこちらに顔を向けた。
 大塚さんは素早く一歩下り、あろうことか僕の背中を押し出した。

「おはようございます。えっと、なんか、ひまわりの種がいっぱいあったんで気になって……」

 覗き見していた後ろめたさから、聞かれもしないことを弁明してしまう。
 始業五分前の予鈴が鳴ったが、大塚さんがグイグイ押すのでどんどん社長室に入っていく。

「それなんだけどな」

 社長の視線はお城の模型に向けられた。つられてそちらを見ると、城門と思しき空洞の前に、ひまわりの種が入った餌の容器らしきものが置かれていた。らしきもの、ではなく、餌なのか?
 大塚さんはひまわりの種を摘んでは目をすがめて顔に近づけたり遠ざけたりしている。
 ちらりと置き時計に目をやると、始業の九時まで数分しかない。そろそろ行かなくてはと口を開こうとしたそのとき。

チューイッ!

「出た!」
「ネズミ!」
「ネズミ?」
「ダイフク!」

 突如聞こえた鳴き声に各自声を上げた。ちなみに順に磯貝社長、僕、大塚さん、今村親子である。
 昨日の帰り道で聞いた社長の鳴き真似とは似ていなかった。チューチューでもチュウでもなく、チューイッ?と語尾が上がる感じだった。明らかになにかを伝えようとしている鳴き方だ。

 ……って、大福? 大福ってなんだ?

「大福ぅ?」

 気持ちいいほどに大塚さんと声がそろった。

「この子の名前です」

 そう言って、今村課長がスマホの画面を見せてきた。僕は覗き込み、大塚さんは焦点を合わせるように少し身を引く。そこには真っ白でまんまるなハムスターが写っていた。


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