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タマゴ炒飯を食べながら根っこと足あとを想う #まいにち土鍋

コッチョリーノのうつわに「根っこ」と「足あと」が描かれていることは、ことあるごとに説明してきたかもしれないけど、きょうもまた書くことを許してね。

タマゴ炒飯を食べながら、もういちど書くことにした。

足だけで大地をふみしめていても、吹き飛ばされそうになる。水を求めてまいにち歩きつづけても、枯渇してしまう。だから根っこを生やす。90年代、多くの時間をイタリアの生活に費やした。いつも吹き飛ばされていたから根っこを生やさねばと心は急ぎ焦った。足元をみると、生やしてきたはずの根っこは極端に短く、容易に引っこ抜けてしまった。ああ、もう生きていけないのかなぁと落胆して後方をふりかえると、不器用な足あとが、小さな歩幅の足あとが残っていた。

帰国してからの作品に「根っこ」と「足あと」を描いてきたのは、コッチョリーノの短くて長い人生の証。


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人に会うのも商売なくせに、文を書くのも好きなくせに、仲間と寄稿しあったり、イベントに参加するのが不得意で、主催なさる寄稿にも手を挙げる勇気がなかった。それを少し理解してくださるように、ときおりコメントにまじめにお返事をくださった。展覧会にご夫婦でいらしてくださったらいいなぁと切に願いを込めていた。そんな矢先にコッチョリーノは休業した。

おもに「根っこ」と「土」と、近ごろは「道」のはなしをした。つい先日は、今年の秋に「りんご」の交換ができたらなぁという話をした。こちらも夫婦で渡しにいこうと思った。コッチョリーノは、りんごの里に向かうのに、とても残念だ。

ふみぐらさんの根っこは大切なバトンとなり、そして足あとは土の上やその下にもたくさん残っている。ありがとうございました。


7月17日(日)
盛る「スープ皿コッチョリーノ」


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