見出し画像

語学学習にゴールは存在するのか

先日何気なしにnoteめぐりをしていたら、興味深い記事を見つけました。

筆者は中国語学習に「ゴールがある人もいるし、ない人もいる」という主張をしています。

実は私も、この「語学学習にゴールがあるのかないのか」というテーマについて以前noteで自分の考えをまとめています。

この記事で私が主張したように、「語学」の最大の難しい点は「現時点の語学のレベルをこれからもずっと維持すること」でしょう。「そんなこと分かっているよ」という人もいるかもしれません。

確かに、ある言語やその言語を使っている国に興味を持ち、「攻めの姿勢」でその言語を勉強しているうちはそんなことは全く考えないですし、考えなくても語学のレベルは上がっていきます。

でもじきに「飽き」(あえてこう書きます)が来ます。その時に全ての人はその言語の学習をやめてしまうのか、それとも歯を食いしばって続けるのかの重大な決断を迫られるのです。

仮にその言語の学習をやめてしまえばどうなるのか。

◇◇

私の娘の例をとりましょう。私の娘は幼稚園、小学校とピアノ教室に通っていました。それなりにうまくなり、小学校の合唱コンクールでピアノ演奏を担当したこともあります。

でも6年生の時、ピアノを習うのをきっぱりと辞めました。惜しいとは思ったのですが、それもこれも中学受験のため。中学になってピアノを続けても未来が見えてこないと私たちが判断したこともその理由です。

それからピアノを触ることはほとんどなくなり、娘は今では全く弾けなくなりました。ただ今も時々「ピアノ続けていればよかったな」と話すときもあります。

同じような経験をしたという人もたくさんいるでしょう。小学生の時にピアノを習っていた人はその時のことを思い出してみるといいと思います。

◇◇

語学も同じです。勉強している時はそのようなことを考えないのですが、私たちは年を重ねるにつれてさまざまなライフステージに直面します。「語学なんてやってられない」と思う時も来るかもしれません。

その時になってもなお、「今までの苦労を無駄にしたくない」「せっかく●●語を勉強したのだから」「これまでの努力を無駄にしたくない」という思いでいるならば、歯を食いしばって続けるしかありません。その点でいうならば、私自身は今も、「語学学習自体に終わりはない」という考えをゆるぎなく持っています。

ただ、「終わりのないもの」をいつまでも続けられるほど人間と言うのは強くありません。

場面場面で目標を設定する必要があります。さらに言うと、人それぞれでライフステージがあるならなおさらでしょう。

だからこそ、「あのレベルに到達するためにいつ何時までにこれくらいがんばる」「あれをやれるようにするためにがんばる」といったように、目標や到達時期を常に設定することが重要だと私は強く思っています。

このような目標設定を常に心がければ、モチベーションを維持することも出来ますし、結果気がついて見たら自分の語学レベルは想像以上のものになっているでしょう。

◇◇

ただ逆の考えの人もいます。「いついつまでにこれくらいのレベルになりたいから中国語をがんばる」というケースの人です。ピアノに例えるならば「娘の結婚式にカノンを弾きたいから、それまでにそのレベルになるようピアノを一から頑張って習得したい」というタイプですね。

「数か月後に中国から視察チームが来るのでそれまでにある程度交流できるくらいの中国語レベルになりたい」

「来月中国に留学するのでそれまでに最高レベルのクラスに入れるぐらいの中国語レベルになりたい」

こういう場合は、そのレベルに到達した時点で「ゴールに到達した」と言えるでしょう。

◇◇

ともあれ、「語学をあきらめないで続ける」ということほど難しいことはありません。仮にあなたが中国語を10年続けられているならば、10年続けた自分をほめてあげてください。

「ブランクがあったけどもう一度中国語を勉強したい」という人もいるかもしれません。語学は何歳から始めても大丈夫な学問です。チャレンジ精神でやってみてはいかがでしょうか。

サポートしていただければ、よりやる気が出ます。よろしくお願いします。