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「英語話せますか?」「Do you speak English?」になんと答えたらいいかわからない問題 英語勉強中


ハリウッド映画あるあるをひとつ発見しました(余談です)。

アメリカの男の人、ピザを乱暴に扱いすぎ。

宅配されたばかりの、平たい箱に入っているピザ。
あれ、向こうの人たち(とりわけガタイのいい男性)は、片手で持ちますよね。読み終えた文庫本でもつまんでいるように。
そして、乱暴にテーブルの上にズサン!と投げますよね。

あれは、ピザに失礼ではないだろうか。
ピザへの(そして作ってくれた人と宅配してくれた人への)感謝の気持ちが足りないと思う。

日本の標準的な感覚では、宅配ピザなんていう贅沢品がたまに届いた時には、卒業式でなにがしかの書状が入ったお盆を校長先生のところまで運ぶ人のように、箱をしっかり両手で支えて「はああ、嬉しい、スーパーのベーカリーコーナーで売ってるような安っぽいのじゃなくて、ちゃんとしたピザ屋さんが作った出来たてアツアツのピザが届いた………至福………決して傾けないように箱の中でずれないように、丁重に運搬しなければ……」と、水平を保ちながら玄関からリビングまでうやうやしく運んで行くのが普通だと思う。そして、テーブルの上で箱を開ける時の喜悦……。
家族も友達もいない私はいつも一人で注文するのだが、一人だからこそ「一人なのに宅配ピザを頼んでしまった」という背徳と贅沢のダブルパンチで余計に興奮するのだ。声出しちゃいけないシリーズのような興奮がある。I can't contain my excitement.

それが、そのようなありがたいピザを、そのピザが入った大きな箱をハリウッド映画のアメリカ人さんたちは片手でつまみ、水平など一切考慮せず角度のついた状態で無造作に運び、しまいにはテーブル上空・高度20センチはあろうかという空中で手を放してポーンと放るのである。
ああっ傾いてる!! それじゃあピザが片方の端に寄ってケースの内壁に押しつけられてくにゃーんとなっちゃう!! もっと丁寧に運んでっ、それでゆっくり置いてよ絶対乱暴にしないでよっ、置く時は慎重に置いてよギャーーーなんで投げるのっ!!! ただでさえ運搬中に傾いてたのにテーブルの上に放るってなんてことするのっっ!!!! 食べ物に対してどういう態度なのあなたはっ!!!!

と、私はいつも映画でのピザ処遇を見るたびに胸を痛めている。


そんなわけで私は、「英語話せますか?」「英語どれくらい喋れるんですか~?」「Do you speak English?」に対してどう答えれば良いかという件で、いつも困っている。
多分バックパッカーの旅を始めるようになってから今まで、足かけ20年くらい困っている。I have been having trouble answering the question for the past almost 20 years.  ←あってますか?

ただ、外国の人に英語で「Do you speak English?」と真面目に聞かれた時の対応はだいたい一貫していた。
そう、英語を喋れない日本人もこれだけは大抵知っているという王道文章、アイドンスピークイングリッシュ(またはアイキャントスピークイングリッシュ)である。
今まで100回以上は言っている気がする。

アイドンスピークイングリッシュについては、「いやいや、『I don't speak English』って英語で言ってるんだから喋れてるじゃんかww!!」みたいにサブいツッコミを入れられることがあるが、それは私には、サブいだけでなく的外れに感じる。
その言語で会話のやり取りはまったくできないが「話せません」「わかりません」のフレーズだけは覚えた、というシチュエーションはかなりありがちなのである。

例えば、私は英語以外で長くいた言語圏が中国語圏(中国)とスペイン語圏(中南米)だったが、中国語で「听不懂(わかりません)」「我不会説中国語(私は中国語話せません)」、スペイン語で「No entiendo(わかりません)」「No hablo español(私はスペイン語話せません)」だけは覚えた。
読み方は「ティンプトン」「ウォープーホエシュォチョンコーホァ」「ノーエンティエンド」「ノーアブロエスパニョール」である。
どれも毎日毎日繰り返していたフレーズなので、これらだけは今でもそらで言える。

ただしこれらは、「あなたは中国語(スペイン語)話せますか?」と現地で聞かれた時に言うというよりは、なんか現地語で話しかけられてるけど全然わからん、という時に「許して、ほっといてっ(涙)!」という意味合いで使うことの方が多い台詞である。
レストランでなんとか料理名を伝えるところまではこぎつけたが、「つけあわせはどうしますか?」とか「ソースの種類はどうしますか?」とか「お得なセットはどうですか?」みたいなことを多分追加で聞かれているのだろうが1ミリたりとも理解できない、という時に、泣きそうな顔で「ウォープーホエシュォチョンコーホァ!!」「ノーエンティエンドッ(泣)!!!」と叫ぶのだ。
そうすると「ハァやれやれ、しょうがねえ適当にこっちでやるよ」と引き下がってもらえたりする。

でも中には、それでも表現を変えたりゆっくり喋ったりしながら丁寧に説明を試みてくれる親切な店員さんもいて、そういう懇切丁寧な対応というのは、現地語を1ミリも理解できないこちらとしては単なるありがた迷惑である(泣)。申し訳ない。こっちの無学のせいで。
最終的に私はスペイン語では「cualquier(クアルキエラ→なんでもいい)」という単語に辿り着き、「わからない」「喋れない」「なんでもいい」を使い分けることによって、「なんか話しかけられてるけどまったくわからなくてパニック」状態からは割と容易に脱出できるようになった。
そんなふうに脱出することが人として良いことなのか悪いことなのかは別で議論していただくとして。

「I can't speak English」も似たような使い方をされるのではないだろうか。それだけ覚えることでその言語を使ったそれ以外のやり取りを拒否するという意味合いで使われるフレーズではないかと思う。うわ英語で話しかけられてるムリムリ勘弁して、っていう時に人は I can't speak English. を言うだろう。

さて、それはそれとして、「本当に喋れない」のならば、逆に答えには困らないのだ。
喋れないという事実(自分の無能さ)に対しては大いに困るが、でも「英語喋れますか?」に対してなんて答えるのがいいのだろう……という困り方をすることはない。答えは「私は喋れません」一択だからである。一切の逡巡なく、胸を張って堂々と「喋れません」と言える。

私もこれまでの人生の大半はその姿勢を貫いて来たわけだが、問題は、英語をそこそこ勉強するようになった今の立場で「英語喋れますか」にどう答えればよいのかということである。

さすがに、I don't speak English. の水準からは去年か一昨年あたりに脱している気がするのだ。
苦戦しながらではあるがなんとかオンライン英会話の授業を成り立たせられる(生徒として)くらいには、私は現在英語を喋っている。
※「I don't understand」「Come again please?」ばかり連発して先生がため息しかつかなくなるのが授業を成り立たせられないレベル

だから私はもう「I don't speak English」の人ではないと思うのだが、かと言って「Yes! I speak English!」と返すのも無理な人である。えっ、キミ十分喋れてるじゃない! それだけ話せれば上等だって! 話せてる話せてる、もっと自分に自信を持って!!と英会話の先生に言われたとしても「I can speak English!」と答えるのは無理である。(「自分に自信を持って!」はDMM英会話で言われがちな台詞ランキング第3位)

だって、私は日本人だから。
日本人は、謙虚なのである。そして、自分に自信がないのである。常にビクビクしていて、それでいて完璧主義者なのである。風邪みたいな感染症にビクビクして、完璧に撲滅しようとして国をまるごと破壊してしまっているレベルの常軌を逸した怖がりの完璧主義者なのである。

なので、私も「わからない単語ゼロ」になるまでは、「I can speak English!」なんて到底言えないのだ。戸田奈津子さんや鳥飼玖美子先生やデーブスペクターくらいの水準にならないととても「英語喋れますよ」なんて恥ずかしくて言えない。
仮に「イエス、英語喋れるよ!」と言っておきながらその後に相手の言った言葉を理解できなかった場合、「あれ、You、さっき英語喋れるって言ってたのに、こんなのもわからないの? ウソついたYou? え、どういうこと、自分を大きく見せたいがために虚言を吐いてたってこと?」とか呆れられるかもしれないじゃないか。それがイヤなんだっ!!! 喋れるって言っておいて喋れなかったらがっかりされるんだから!!! 言動不一致で印象がマイナスになるだろ!!! だったら最初から喋れないことにしておいた方がいいんだ!! 逆に「全然喋れません」って言っておいていくらか喋ったら「あ、意外と喋れるじゃんこいつ?」ってマイナスプラスの法則で評価が上がるんだよ!! 断然そっちの方がいいだろっ!!!

なお、英単語の数は全部で約100万語らしいので、わからない単語ゼロにするにはあと99万8000語くらい覚えなければいけない。
復習を十分にやって記憶を定着させながら1日に覚えられる単語は3語くらいな気がするので、私が「I can speak English!」と胸を張って言えるようになるまでは、あと33万2666日と16時間、年で計算すると911年と5ヶ月ほどかかりそうだ。


I don't speak English でもないし、かといって I can speak English! でもない。
だったら、「日常会話くらいなら喋れます」という答えはどうだろうか?
日本語で誰かに「英語喋れるんですか?」と聞かれて、「まあ日常会話くらいなら」という返答はありがちな気がする。ペラペラではもちろんないけど、喋れないってわけでもないんだよね。という少々の自負心を表す答えだ。
私も「全然喋れないです」から「日常会話くらいなら」にそろそろランクアップしようかなとも思ったのだが、ちゃんと考えてみると、それもまだ早い気がしている。

というのは、「日常会話とはなにか」を考えてみた時に、我々は日常の会話でわりと込み入ったことを話すではないか。
私は、飲み会などの日常的な日本語の会話では電力不足と原発再稼働問題や、坂本龍馬なくしては薩長同盟も大政奉還も成らなかったのか、あるいは即身仏となった高僧の生い立ちや木食修行から入定に至るまでの経緯、などなど結構ややこしいことを話す。
これは本当である。中年あるあるである。
人間、中年も深い年齢になって来ると、飲み会の会話が込み入ってくるものである。なぜか人は壮年や老年に近付くにつれ政治や歴史や宗教に興味を覚えてしまうものなのだ。
若くなくなると、娯楽の選択肢が減ってくるのである。体力や行動力や自由が減って来るから(涙)。

くそ~、私がもっと若かったら、「日常会話くらいならできますよ」と言えたのに。
若い時なら日常の会話と言えばドラクエの話かエロいグラビアアイドルの話くらいだったので、それなら「まあ日常会話くらいならいけるよ」と調子こけたのだ。アイライク、ビッグバスト! アイライク、クマダヨーコ! バット、イソヤマサヤカ、ビッグバスト、トゥー!! イェーーーモミモミ(両手で空を揉む動作)!!!が日常会話だったあの頃なら日常会話は英語で喋れたのである。

悔しい。もっと早く英語を勉強し始めていれば……。
40代も半ばになって多少は大人びた日常になってしまったために、日常会話レベルの英語が喋れなくなってしまった。
これは中年を過ぎてから英語を始めることのディスアドバンテージだと思う。中年以上は英語力が日常会話レベルに達するまでえらい時間がかかる。
赤ちゃんの頃なら、バブバブ言ってるだけで日常会話だったのに。赤ちゃんが1番「日常会話くらいなら英語喋れる」になるまでが早かろう。生まれた瞬間にすでにそうなっている。

このテーマはまた回をあらためて書くのである。


That's it.



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