見出し画像

新渡戸稲造「武士道」を通じて見る日本と武士の名誉と最期の儀式:切腹

今回は、武士道に関する記事となります。

新渡戸稲造が『武士道』を英語で書き、外国に広めた理由は、日本の精神と道徳観の核心を世界に紹介し、西洋との文化的な橋渡しをすることにありました。
彼は、日本人の道徳が宗教教育に依存しない独自の形で存在すること、そしてその道徳観が「武士道」という形で具現化されていることを、外国人に理解してもらいたいと願っていました。

1899年にアメリカで出版された『武士道』は、新渡戸自身の代表作となり、明治時代に日本人が英語で書いた重要な著作の一つとされています。彼はカリフォルニア州モントレーで執筆を行い、日本では1900年に裳華房により翻刻され、15,000部が売れたと言われています。

【切腹はどのようにして行われたのか?】
切腹、それは武士の最期の儀式、名誉の証とされた行為です。江戸時代に確立されたこの作法は、武士の矜持(きょうじ)と覚悟を象徴するものでした。切腹は、ただの自害ではなく、失敗や義務の果たし方において最高の名誉をもたらすものとされていました。

武士が切腹を行う際には、まず沐浴し清められた身体に礼装姿の麻の裃をまといました。髷は介錯人が容易に首を切れるように高く結い上げられ、切腹の場所へと案内されます。
また、金糸の刺繍のついた『陣羽織』を着用した三人の役人も付き添います。

西を向いて座り、後ろには屏風が置かれ、目の前には三宝にのった短刀が置かれました。そして、上半身裸になり、短刀を手にした武士は、大きく息を吸い、腹に力を入れ、刀を突き立て左から右へと一文字に引き裂きます。終始見守っていた介錯人が立ち上がり、一瞬、白刃が空を舞うかのように一気に首を斬り落とし、武士の苦痛を終わらせます。
※介錯人は立派な身分のある者が務める。たいていの場合は切腹を命じられたら一族か友人によって行われる。

新渡戸は、武士道の精神が日本人の行動や思考の基盤であり、西洋の哲学と対比しながら、日本人の心のよりどころを世界に向けて解説しました。彼のこの試みは、日本の文化と価値観を国際的な視野で共有し、理解を深めるためのものでした。

しかし、新渡戸の『武士道』が誤った日本像を海外に広め、あるべき概念を混乱させているという批判も存在しました。それにもかかわらず、新渡戸の努力は、日本と世界との間の文化的な交流と相互理解の促進に大きく貢献しました。

新渡戸稲造の『武士道』は、日本の美学と精神論を世界に伝えるための、彼の情熱とビジョンの表れであり、今日でも多くの人々に読まれ、影響を与え続けています。

P.S.
いかがでしたでしょうか。

江戸時代から今の時代を遡ってもそんなに昔でも無いんですよね😅

たかだか数百年前に起こっている出来事ですが、今の価値観や精神性なるものは大きく変化したのではないでしょうか。

今後も現在において価値があるとされているものも、変化するかもしれませんね。

参考になれば幸いです!

サポーター様✨

メンバーシップ運営中|ヌル禁女王|運用開始4ヶ月目で単月6桁突破|ライター向けお役立ち情報|9ヶ月でフォロワー9,000人|増加トップ10常連入り|誰でもKindle作家|IT定期業務の経営|猫さんとシュークリーム大好き|羽生九段推し|大事な気付きを発信中|Xで交流しましょう

元高校球児 | TOEIC 890 | 中日ドラゴンズ推し | サウナー | YOASOBIファン | [漫画・アニメ・朝ドラ]好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?