『ともに共に』論語普及会

論語普及会は、安岡正篤先生の高弟である伊與田覺学監が、東洋古典の淵源である論語の普及に…

『ともに共に』論語普及会

論語普及会は、安岡正篤先生の高弟である伊與田覺学監が、東洋古典の淵源である論語の普及によって日本人の道義の昂揚と、素読を楽しむことを目指し、昭和62年に設立。論語は人生の折々にそっと背中をおしてくれる言葉の宝庫です。共に学び、まごころ溢れるおもいやり豊かな日本を創りませんか。

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共に論語を学ぶ…論語普及会とは

論語普及会は、安岡正篤先生の高弟である伊與田覺学監が、東洋古典の淵源である論語の普及によって日本人の道義の昂揚を図ろうと、家毎に論語を備え、家族が和やかに素読を楽しむことを目指し、昭和六十二年に設立されました。 爾来三十年、村下好伴前会長を先達に、全国各地の寺子屋・論語教室の方々と共に普及活動を行っております。 論語は、人生の折々にそっと背中をおしてくれる言葉の宝庫です。 『仮名論語』は、伊與田覺学監が香を焚き、一字一字に祈りを込めて墨書されました。 全文を読み下し、全漢字

    • 不教民戦...「充分に教育もしてない民を戦わせるのは、それこそ民をすてるというものだ」

      子曰(のたま)わく、敎(おし)えざるの民を以(もっ)て戰う、是(こ)れ之(これ)を棄(す)つと謂(い)う。 (子路第十三、仮名論語一九九・二〇〇頁) 先師(孔子)が言われた。 「充分に教育もしてない民を戦わせるのは、それこそ民をすてるというものだ」 気に入った一枚の写真がある。 漆黒の闇に青と白が斑(まだら)なす小さな地球と微かな月が浮かんでいる。 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」が、小惑星「リュウグウ」に向かう途中、三〇〇万㎞の彼方から地球をふり返

      • 百物生焉...「天は何を言うだろうか」

        子曰(のたま)わく、天何をか言うや、四時行われ百物生ず、天何をか言うや。 (陽貨第十七、仮名論語二七三頁) 先師(孔子)が言われた。 「天は何を言うだろうか。春夏秋冬の四季はめぐっているし、万物は自ら生長しているではないか。天は何を言うだろうか。」 歳を重ねると、天の運行の律動(リズム)に近くなるように感じる。 太陽が昇ろうとすると目が覚め 沈もうとするとお腹が空き 満ちると眠くなる。 若き日の、朝はいつまでも眠く 夜は何時までも起きていたかった。 あれは何であったので

        • 絵事後素...「共感覚」とは

          子曰(のたま)わく、繪(え)の事は素(しろ)きを後にす。 (八佾第三、仮名論語二六頁) 先師(孔子)が言われた。 「絵を描く時は、最後に白い胡粉で仕上げをする」 音を聞いて色を感じ、色を見て音を感じるという特殊な知覚を持った人がいる。 音に色を観る、色に音を聴く という表現の方が正しいかもしれないが、 二つ以上の感覚が結びつく知覚現象を「共感覚」という。 今年平成三十年の二月、 新潟大学の伊藤浩介助教授(認知神経科学)のチームは、「共感覚」の持ち主の感じる「ド・レ・ミ・フ

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        記事

          臭悪不食...食に関する心得とにおい

          色の惡(あ)しきは食わず。臭(におい)の惡(あ)しきは食わず。飪(じん)を失えるは食わず。時ならざるは食わず。 (郷黨第十、仮名論語一三二・一三三頁) (孔子は)色や臭いの悪いのは食べられなかった。煮加減のよくない物や季節外れの物は口にされなかった。 孔子は、色や臭いの悪いもの、煮加減のよくない物や季節外れの物は食べられなかった。 『論語』郷党篇には、冒頭章句の前後に孔子の食に関する心得が記されている。 ご飯がすえて味の変わったのと、魚がくさり肉のくずれたのは食べない。

          臭悪不食...食に関する心得とにおい

          温厲威恭...「おだやかでいて厳しく、おごそかであっても猛々しいところはなく...」

          子、温(おん)にして厲(はげ)し。威にして猛(たけ)からず。恭にして安し。 (述而第七、仮名論語九七頁) 先師は、おだやかでいて厳しく、おごそかであっても猛々しいところはなく、うやうやしくて、しかも安らかな方であった。 待ち遠しい春の到来である。 何となく嬉しくなる。目をつむる。 雪が解け水温(ぬる)み、流氷は去る。 大地の黒、草木の緑とオホーツクの青が蘇る。 幼い頃のそんな春が一番嬉しかった。 入学や入社時分には多少の不安をおぼえた年もあったが、 総じて春は嬉しい。

          温厲威恭...「おだやかでいて厳しく、おごそかであっても猛々しいところはなく...」

          四海困窮...「もし四海を困窮させることがあれば、天の恵みは永久に断続するであろう」

          允(まこと)に其(そ)の中(ちゅう)を執(と)れ。 四海困窮せば、天祿(てんろく)永く終えん。 (堯曰第二十、仮名論語三〇七頁) (堯帝が天子の位を舜帝に禅(ゆず)られたときに言われた) 「まことに過不及なき中庸の道を執って政を行え。 もし四海を困窮させることがあれば、 天の恵みは永久に断続するであろう」 十六歳のグレタ・トゥーンベリさんが 涙を浮かべて各国首脳に訴えたのは、 二〇一九年九月二十三日、国連本部の気候行動サミットである。 COP27(二〇二二年十一月、第27

          四海困窮...「もし四海を困窮させることがあれば、天の恵みは永久に断続するであろう」

          未知生死...「まだ生もわからないのに、どうして死がわかろう」

          曰わく、敢(あえ)て死を問う。曰(のたま)わく、未だ生を知らず、焉(いずく)んぞ死を知らん。 (先進第十一、仮名論語一四六・一四七頁) 子路(孔子の弟子)が「死とはなんでしょうか」と問うた。 先師は言われた。「まだ生もわからないのに、どうして死がわかろう」 孔子の弟子、子路に限らず、死について問いたいと思うのは、古今東西誰も皆同じである。 人はどこから来てどこへ行くのか。 聖人賢人のみならず、生あるものは必ず死ぬという理(ことわり)を知っている。 諸行無常を知るが故に、

          未知生死...「まだ生もわからないのに、どうして死がわかろう」

          教民即戎...「君子とまではいかない善人でも、民に七年間教えたら、民を戦争に行かせることができる」

          子曰わく、善人、民を敎(おし)うること七年、亦(また)以(もっ)て戎(じゅう)に即(つ)かしむべし。 (子路第十三、仮名論語一九九頁) 先師は言われた。 「君子とまではいかない善人でも、民に七年間教えたら、 民を戦争に行かせることができる」 「己の欲せざる所、人に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ」(顔淵篇、衛霊公篇)と言われた孔子であっても、民を教え、祖国のため、同胞のため、家族のために死ぬことをいとわない覚悟を持たせて戦争に赴かせる。 物理学者アルバート・アインシュタイン

          教民即戎...「君子とまではいかない善人でも、民に七年間教えたら、民を戦争に行かせることができる」

          楽水楽山...知者は変化を楽しみ、仁者は永遠の中に安住する

          子曰わく、知者(ちしゃ)は水を樂しみ、仁者(じんしゃ)は山を樂しむ。知者は動き、仁者は靜かなり。知者hは樂しみ、仁者は壽(いのちなが)し。 (雍也第六、仮名論語七六頁) 先師が言われた。 「知者は水を好み、仁者は山を好む。 知者は活動的であり、仁者は静寂である。 知者は変化を楽しみ、仁者は永遠の中に安住する」 登山や山歩きを好きな人にとって答えられない章句が『論語』にある。 雍也篇の「知者は水を樂しみ、仁者は山を樂しむ。知者は動き、仁者は靜かなり。知者は樂しみ、仁者は壽(

          楽水楽山...知者は変化を楽しみ、仁者は永遠の中に安住する

          老戒在得...「老年には血気が衰えてくるので、戒めるべきは欲得である」

          其(そ)の老ゆるに及んでは血氣既に衰う、之を戒むること得るに在り。 (季氏第十六、仮名論語二五三・二五四頁) 「老年には血気が衰えてくるので、戒めるべきは欲得である」 孔子は「道に志して努力する人に、三つの戒めがある」(季氏篇)と言われる。 血気が不安定な青年時代は男女の付き合い、 血気が盛んな壮年時代は争いや闘い、 そして血気が衰える老年時代は欲得をつつしまなければならない、と。 確かに、年を取るにつれて貪欲になるきらいがある。 仏教で謂うところの、人間がもつ五つの

          老戒在得...「老年には血気が衰えてくるので、戒めるべきは欲得である」

          與立與権...「心を同じくして 物事に応じて 正しく判断して 進むことは難しい」

          與(とも)に立つべし、未だ與(とも)に權(はか)るべからず。 (子罕第九、仮名論語一二五頁) 先師が言われた。「一緒に立つことはできても、心を同じくして物事に応じて正しく判断して進むことは難しい」 昨年、知人からある方に「論語は生活に役立ちますか」と質問してもらいたいと言われた。 答えが正しいかどうか確認して欲しいと言うのである。 その方は、ほんの一、二秒の間をおいて、 「論語は中国の哲学者である孔子やその弟子たちの言行録である」 と前置きして語りだした。 「己所不欲、

          與立與権...「心を同じくして 物事に応じて 正しく判断して 進むことは難しい」

          飽食無心...「腹いっぱい食べて一日中ぼんやりしているようでは困ったことだ」

          子曰(のたま)わく、飽くまでも食(くら)いて日を終え、心を用うる所無きは、難いかな。博奕(はくえき)なる者有らずや。之(これ)を爲(な)すは、猶(なお)已(や)むに賢(まさ)れり。 (陽貨第十七、仮名論語二七六頁) 先師が言われた。「腹いっぱい食べて一日中ぼんやりしているようでは困ったことだ。双六や囲碁などの賭け事があるではないか。まあそれでもする方が、何もしないよりマシだ」 少し前の時代は、学生時代も社会人になってからも、娯楽の中心は麻雀であった。 下宿や寮でもできたし、

          飽食無心...「腹いっぱい食べて一日中ぼんやりしているようでは困ったことだ」

          善人百年…「善良な人物が国を治めて百年にもなれば、残忍な人をおさえ死刑のような極刑をなくすことができる」

          子(し)曰(のたま)わく、善人(ぜんにん)、邦(くに)を爲(おさ)むること百年、亦(また)以(もっ)て殘(ざん)に勝(か)ちて殺を去るべしと。誠(まこと)なるかな、是(こ)の言(げん)や。 (子路第十三、仮名論語一八七頁) 先師が言われた。「古の諺に『善良な人物が国を治めて百年にもなれば、残忍な人をおさえ死刑のような極刑をなくすことができる』とあるが、この言葉は本当だ」 死の商人はいざ知らず、地球上の誰もが戦争のない未来を願っているにもかかわらず、二十一世紀になっても未だ戦

          善人百年…「善良な人物が国を治めて百年にもなれば、残忍な人をおさえ死刑のような極刑をなくすことができる」

          夫子木鐸…「天下に道の行われないのが久しいので、天が先生を木鐸として、道を知らせようとされているのです」

          -天下の道無きや久し。天將に夫子を以て木鐸と爲さんとす。 (八佾第三、仮名論語三五頁) 今年の元日、まどろんだ午後四時八分、能登半島地震が発生。 テレビを観ると、崩壊した家屋とゆがんだ道路の映像。 「逃げてください!津波が来ます!すぐに逃げてください」のアナウンサーの声。 しだいに増える死者と行方不明者。 二十九年前に体験した阪神淡路大震災の記憶が蘇り、胸が締めつけられた。 先の見えない不安を増幅させるが、被災された皆様には何とか頑張って、この苦難をしのいでいただきたい。

          夫子木鐸…「天下に道の行われないのが久しいので、天が先生を木鐸として、道を知らせようとされているのです」

          修己安人...「自分の身を修め、人を安んずること」

          己(おのれ)を脩(おさ)めて以(もっ)て人(ひと)を安(やす)んず。 (憲問第十四、仮名論語二二四頁) 孔子に弟子である子路が、君子の条件について尋ねたところ、「自分の身を修め、人を安んずることだ」と答えられた。 孔子は弟子の子路から指導者の条件を問われ、 「自分の身を修め、人を敬うことだ」と答えた。 子路が更にそれだけでしょうかと問うので、 「自分の身を修め、人を安んずることだ(修己安人)」と答えられた。 子路がなおも、それだけでしょうかと問うと、孔子は 「己を修めて

          修己安人...「自分の身を修め、人を安んずること」