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ついにインスタをやめた

そろそろインスタはいいかな〜と思いはじめてはや数年。
なかなかやめる踏ん切りがついていなかったけど、GW最終日、ついにアカウントを削除した。
※5,000字超えの長文です


私のインスタ史

本題に入る前に私がインスタと過ごした約10年を振り返ってみたい。
初めてアカウントを作成したのは高校生時代。海外トレンドやエンタメ好きの友達がやっていたのでなんとなく入れてみたが、その頃自分はTwitterとNAVERまとめに夢中だったのと、友人たちの投稿もTwitterが主流だったので、特にインスタを見たいという欲求もなく放置していた。当時のTwitterは「〜なう」「ww」みたいなインターネット文化で平和だったなぁ。

大学生になり、新しい友達ともインスタを交換し始める。
その頃は自分のブランディング思考?があったのか、ひたすら読書記録ばかりをアップしていた。
なので大学1~2年ごろの投稿には全然遊びやご飯の記録がない!けれど、だからと言って別に困ったこともない。
フォロワーが少なかったのでいいねも少なかったけど、「この本面白いよね!」「貸してほしい!」などのポジティブなコメントが多くて平和だった。

大学3,4回生ごろからはストーリー機能もできて、より日常的な投稿をし始める。
一方で、単なる「飲み会ウェーイ」みたいなストーリーはちょっとな〜と斜に構えている自分もいたので、景色系やエンタメ、ネタ系に寄せていた...はず。
大所帯のサークルだったのでとりあえず先輩後輩同期とフォローしあっていたが、正直そこまで仲良いわけではない人も多々含まれていたので、フォロワーが増えることによる窮屈さも感じていた。
この頃から「この会、誘われてないな」や「この人ストーリーの頻度多いな」や「これを上げたらどう思われるかな」などのネガティブ感情が付きまとうようになる。
旅行やライブなどの大イベントの投稿をするようになり、そちらの方が明らかにいいねが多いので読書記録はやめてしまった。

コロナ禍の最中に社会人になった。あの頃は緊急事態宣言などもあり、人と会うことに対する価値観が人によって異なるセンシティブな時期だった。
そのため飲み会ストーリーなどは私にとってはもってのほかで、できるだけ社会の指針に沿って3密を避けたまじめな投稿をしていた。
電車を見たり駅を散歩したりするのが好きだったのでその写真をアップしたりしていたけど、今思うとこれも「東京楽しんでまっせ」的なブランディングかも笑
社会人2,3年目からは旅行やご飯の予定も増えてきたので、そういった記録をアップしていた。この頃のテーマは「無難さ」。
徐々にライフイベント系の投稿が増えてきて、単体ではもちろん喜ばしいとは思う一方で、だんだん(今後これが増えていくのか...)という若干のしんどさを感じ始めるようになる。
...と思いながらも、自分もちゃっかり節目の投稿をした。
なんだかんだで自分の写真を見てもらいたい!というシンプルな欲求があったのだと思う。

それでもやはり純粋なご飯やカフェ巡り的な投稿を自分がすることに対して斜に構えてしまうたちがあったので(人が上げてる分に対しては全く気にしてません!悪しからず)、人と違ってちょっと面白く、自分らしさを演出できるような投稿を意識していた。なんか毒されてるよなぁ。

そんな中、「おもしろ自販機」というテーマに半分意図的にハマり、街で見かけるユニークな自販機をアップし始めた。
すると疎遠がちだった人からも反応があったり、友人からおもしろ自販機情報をもらったりとポジティブなコミュニケーションが増えてきた。
でもネタ切れになってきて、そもそも自分は本当に自販機を投稿したいのか??などと迷走してくる。

それ以外だと、普通に遊びの記録やnoteの告知(このnoteはリア友も知っている笑)、エンタメ記録などに使っていた。
ただエンタメ記録も若干ブランディング意識があったな...

あとは情報収集の目的でファッションブランドのアカウントや、推しの芸能人・インフルエンサーもフォローしていた。(一時は情報収集用とリアル友人用でアカウントを分けていたが、それもめんどくさくなってリア垢に集約した)

そんなこんなで漫然とインスタを眺め、本当に興味があるか?と言われるとそこまででもない買い物情報やエンタメ情報、たまに上がる友人の近況を見て、人よりもやや多めに投稿する日々を続けていた。(周りの友人のインスタ投稿率は結構低い)

やめようと思った理由

ここまでインスタとの歴史を振り返ってきて、果たしてインスタの存在は私を幸せにしたのか?とやはり疑問に思った。
「インスタによる幸せを特に感じなくなった」これだけで十分やめる理由になると思うけれど、せっかくなのでもう少し具体化してみる。

薄い繋がりに必要性を感じられない

フォロー/フォロワーには卒業以来一度も会っていない・連絡もとっていないような人がたくさん含まれている。そして、私から連絡しない限り今後もその人たちとは会わないのだろうな〜とも思う。
確かに人生のどこかで同じ時間を過ごした仲間ではあるが、今いる環境も趣味も違う。
冷たいかもしれないけど、そんな人たちの近況を見て一喜一憂(というほどでもないけど)することにあまり意味を見出せなかったし、自分の投稿に対してどう思われているかも全くわからなかったので怖いと思ってしまった。
たまにストーリー起点でDMをやりとりする人もいるけど、それによって友情ポイントの加点(ポイントという表現は薄情だけどしっくりきてしまう)はあまりないなと感じた。やっぱりリアルで会わないと友情関係って維持しづらいし、本当に会いたかったらLINEするし。

「人にどう思われるか」を考える煩わしさ

インスタ開設当初より、私はセルフブランディング/キャラ付けをわりと意識して投稿をしていた。でもそれって本当に意味あったのかな?よくわからない。
エンタメに触れる際も、内容以上に「どうやってインスタ向けの感想をまとめるか」に心を砕いてしまい、純粋に楽しめなくなっていたように感じる。
今後も人にどう思われるかを前提に自分の日常や感情をコーティングしてアップし続けることにあまり意味を見出せないと思った。
リアルで会ったら結局私は私以上でも以下でもないのに。

人間関係がこじれるリスク

自分でも幼稚だなぁと思うけど、「私は誘われていない」「いいねが少ない」「私があまり盛れてない写真が載ってる」などといった小さなことを結構気にしてしまうタイプだ。
自分がそうされて大なり小なりモヤっとするということは、別の場面では相手にも同じようなことを感じさせてしまっているかもしれない。
インスタがなければ不要に人間関係を気にして拗らせることもなかったのかなぁと思うともったいないなと思う。

環境が違う人の日常を見ることへの疲れ

20代後半になると、つながっている人たちの居住地や仕事はもちろん、ライフステージだってどんどん変化してくる。
結婚や出産などの投稿を目にする機会も増えた。もちろん基本は素直に喜べるが、自分のコンディション次第ではなんともいえないズシっと感を覚えるときもある。(自分もライフイベント系投稿をちゃっかりしたので、ブーメランだなと思いつつ...笑)
逆に、趣味や仕事などに熱量を持って取り組んでいる人の様子を見てズシっとくることもある。

そもそもSNSは日常のキラキラしたところだけ切り取った世界なのに、ついその前提を忘れてしまってみんな充実してそうだなぁと感じてしまうのがよくない。
今後各々の状況がどんどん変わってくると、そういったモヤモヤももっと増幅されそうだ。
もちろんみんながみんな承認欲求で投稿しているわけではないと思うけど...早めにこの不毛なフィールドから撤退してもいいかなと思う。

インスタで繋がっていなくても友情は成り立つ

最近仲良くしている人たち(会社の人、ネット友達、友達のパートナーなど)とは、意外とインスタで繋がっていない。
それでも全く支障はないし、むしろ余計な先入観なしに目の前の相手と向き合えるのでいいなと思っている。
インスタで投稿している人同士だと「どこどこ行ってたね」などの確認ベースで話が進むことが多く、それもそれで話のとっかかりになるので全然いいと思うけどどこか予定調和感もあり。

情報流出などのトラブルの懸念

芸能人ではないしリアル知り合いのみの鍵垢なので、特定されたところで...という気もしなくはないが、普通に投稿をしていると大体の生活範囲や生活水準がわかってしまうのは若干気になる。(最近はあまり位置情報はつけていないし、家もうつさないようにしているけど。気にしすぎ?)
あとは一応大企業の会社員なので、酔った勢いなどでモラル的にまずいことをうっかり上げてしまって処分を受ける、といったリスクも0ではない点が怖い。
このままだと将来的には自分やよその子どもの写真なども上げるようになるかもしれないけど、自分の性格上承認欲求が個人情報保護を上回ってしまう可能性が全然ありそうなのも怖い。

すぐにやめられなかった理由

ここまでやめる理由は明らかなのに、なぜすぐにやめられなかったのだろうか。大きくは2点だ。

友人との繋がりを手放すのが惜しい

確かに300近くつながってきたご縁を一気に手放すのは惜しい気もする。
ただ仲良い友人たちはそもそもインスタ投稿率が低めなので、友人の投稿を見ていいねしたりDMすることも案外少なく、LINEやリアルの会話で十分コミュニケーションは取れている。
疎遠気味な人とはストーリーの反応起点で連絡を取ることもあるが、前述の通り友情ポイント(出た薄情)には影響しないし、結局リアルで会わないとあまり意味はないかなと思ったので、別に手放してもいいやと思った。
本当にご縁がある人とはまたどこかで繋がると思うから。

自分の思い出を削除するのがもったいない

かれこれ10年近くアカウントに蓄積してきた記録を消してしまうのは純粋にもったいないと思った。
けれど、ちゃんと調べたら画像データを全てバックアップできたのでこの問題は即解決した。笑
これからもカメラロールで見ればいいかなと思う。

それ以外だと...
・遊んだ人の投稿で自分がどう写っている/言及されているか気になる←気にすんな
・自分の興味を発信することでいい機会が舞い込むことがある←稀だしセルフブランディングへの抵抗と矛盾してしまう。でも確かに惜しいといえば惜しい
・noteやpodcastの告知の場が減る←ネットの海で見つけてもらえばいい
・お店やインテリアなどの情報収集がしづらい←情報収集用にアカウントを作りなおすのはアリだと思う。これは追々考えたらいい。

やめるための行動

そんなこんなでなかなか踏ん切りがつかないままに数年間過ごしていたが、ついにここ1ヶ月ほどでやっとやめる意思を固めた。
きっかけは、友人の友人のギャルの方がSNSのアカウントを全部消した、という話を聞いたことだった。
純粋にかっこいい!私もそうやって周りを気にせず生きたい!と思ったし、同じくSNSを辞めたいという友人と話す中で自分の考えが上記のように整理されてきた。
ただいきなりアカウント削除するのはハードルが高いので、以下のステップを踏んだ。

アンインストール週間

アプリをアンインストールして、ブラウザでも見ない一週間を過ごした。
結果、全く支障がなかった!
むしろインスタを見ない時間で新聞を読めたりnoteを書けたりして、充実してるなと感じられた。
一週間後に再びインストールしてみると、以前より依存性が軽減された感覚があった。
このままアンインストールでもいいかなとも思いつつ、結局GWに実家でのんびりしているとまた漫然とインスタに時間を溶かしてしまうようになったので、ちょっとやそっとのアンインストールは自分にとってはあまり意味がないなと思った。
さらに、どうせ使わないなら個人情報の塊であるアカウントは消してしまいたいとも思った。(数多の投稿を一つずつアーカイブするのも面倒だし)

データバックアップ

以下の手順で画像データをGoogle Driveにバックアップした。

お気持ちnote

このnoteを書いた。存分に考えを整理できたので、かなり自分の中で折り合いがついた!

最後は勢い

結局勢いだ。GW中も楽しい思い出を普通にストーリーズにアップしていたが、GW最終日の今日に消してしまうことで、GW明けから心機一転スッキリできるのではないかと期待している。
(実はここまで書いた時点ではまだ消してない)

やめた感想

はい!ようやく消しました。
30日間は復元できるらしいので、実はまだ引き返せる状態。
ただここまで長文の決意表明をしたので精神的には引き返せない...笑

また時間が経ってからアカウント削除後の変化をレポしようと思います。

追記

以下の記事でアカウント削除1ヶ月後のレポを書きました!


読んでくれてありがとー