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障害者領域におけるはたらく、の「これまで」と「今」をいろんな人に知ってほしい。そんな自分を作ったこれまでのわたし

こんにちは、パーソルダイバースのいなとみです。

青春時代がmixi全盛期だったこともあり、上手下手を横に置いておけば、ことばを画面に綴るのは大好きです。noteではどんな巡り合わせがあるのかとっても楽しみです。何をするにもまずは挨拶からと思うので本日は自己紹介をば。えい!

ざっくりと今のわたし

30うん回目の春を迎えています。横には6歳の息子が座っております。普段は彼は幼稚園。私は都内の自宅か田町のオフィスでせっせと仕事に励んでおります。

これまでのわたし

18歳で上京するまでは群馬の片田舎で育ちました。今は廃校になってしまいましたが、1学年50人程度の学校で幼稚園〜小学校〜中学校まで一切メンバーが変わらない、非常にクローズドな環境で日常を過ごしていました。

そんな小さなコミュニティの中でもキャラクターは様々で。勉強ができる子、運動が得意な子、いつもタバコをポッケに入れてる子、45分の授業を受けきったことのない子、なんだか知らないけれど学校には頑なに来ない子…人間って色々だなあと子供ながらに感じていたのを覚えています。

どこで誰が何をしているかはむこう2軒くらいに聞けば大体わかるような狭い町だったこと、道ですれ違えば誰であろうと必ず挨拶するのがマナーでおせっかいするのが当たり前な風土だっとこともあり、学校に来ないAくんを休み時間に呼びにいく…みたいな行為を当たり前のようにしていたことは振り返ると環境に感謝だなあ、と思っています。

小さな違和感

そんなのどかな環境から上京してみたら驚くことだらけ。まず人が多い。すれ違う人全員に挨拶するのは不可能だし、そもそもまっすぐ歩けない。なんて不自由な世界なんだ!無理!わたしには無理!初日にホームシックになりました。

「電車に乗ってる人が気持ち悪そうだよ、助けよう!」「酔っぱらいが喧嘩してるよ、止めなきゃ!」と、それでも目に留まる範囲でできることを探しておせっかいをしていた私は、当時付き合っていた彼氏に大層叱られました。

「危ないよ。どこの誰だか分からない人やコトに首を突っ込んではいけない。ひとはひと。自分は自分。」

正論中の正論なのですが、ひどく違和感でした。目の前で困っている人やことを解決しないで通り過ぎていいの?それが正なの?と。けれど、彼のことがとても好きだったこと、従順な彼女でいたかったこと、そして東京に早く馴染みたかったこともあり、この言葉を受け入れて暫く見てみぬふりをする人で居続けました。

結果的にこの違和感が今の私をつくっています。

やっぱりおかしいことはおかしいと言いたい。目の前の困ったは手助けしたい

従順な彼女キャンペーンは就活時に終焉を迎えます。

ふと目にとまって受けた派遣会社のインターンシップで、派遣スタッフの就業フォローに同行する機会がありました。ちょっとしたトラブル対応だったのですが、気持ちが高ぶられた様子の派遣スタッフの方から、こんなお言葉をいただきました。

「あなたに見られることも心底腹が立つ。4大出て、新卒で大企業に入って将来イージーモードでしょう。社員になれない人間を高みの見物してるんじゃないわよ」

…びっくりしました。何にびっくりしたって、その瞬間高みの見物していた自分に対して、です。目の前にいる人のことを1ミリも考えていなかった「わたしはわたし」な自分が心底恥ずかしかった。その人が今困っていることはどんなことで、どうしてこんな言葉が出るほど困るまでに至っちゃったのだろう。急いで必死で考えてももちろん解決策も適切なことばも出てきません。

打ちひしがれて帰宅後に彼や友人に相談してみたら、そんなもんじゃん?と軽くスルー。社会の歪みが問題だからもっと大きな括りで事態を解決していけたらいいよねと優しく諭されたりもしました。

どうやらこの羞恥心は当たり前ではないらしい。じゃあ、これは私ならではの価値観なのね。と当時流行っていた自己分析に落とし、再度ありたい姿を再考しはじめました。

社会を変えるための大きな仕組みづくりも大事だけれど、それが作られるまでに目の前に見える誰かが我慢をしいられるのはやっぱり嫌だ。目の前の困ったを拾い集めて居心地のいい場所に戻すような動きが出来ないとストレスだ。おせっかいが性分で理不尽を見過ごせない自分を再自覚した瞬間でした。
以降の自分のキャリアは如何におせっかいができるか、という非常に押し付けがましく利己的な判断基準を基に形成されています。

もう1回、今のわたし

趣味は転職です!と言える程度にはフラフラしているのですが、
今はパーソルダイバースのインサイドセールス部門で、障害者採用における今ここにない出会いを日々探しております。気づけば今年で3年目。(仕事の詳細はまたいつか)

現在に至るまで派遣会社や学習支援のNPO団体などに所属をしてきましたが、縁あってどの場所でも、働くことに困難を抱えている人たちを見てきました。彼らの一部には障害特性があり、必要な配慮さえ受ければ十分に働けるのに(何ならハイパフォーマーになり得るのに)、社会の仕組みが追い付いておらず働けない…といった背景のものも多々ありました。この理不尽さはなんとかならないものなのかと思い、当社へ入社したのですが、上述した理不尽さは今の仕事をしているとより一層強く体感します。少しずつ、でも前向きなものになっている感覚は間違いなくあります。お付き合いしている企業様の数を見るだけでも確実に障害者雇用の進みは感じますし、求職者のキャリア形成を考えてくださる素敵な会社ばかりです。でも、それ以上に(働く準備は整っているのに)今この瞬間に労働の義務を果たしたくても果たせない方たちが存在しているのです。足りない、全然足りない、と焦燥感でいっぱいです。
いつになったらこの目の前の困ったは消えるんだろうと、ずっとうんうん唸り、時に投げやりになりかけたりもしていました。

そんな折に届いた法定雇用率改正の報は個人的に転換期でした。
国が本気だ、この法律で10万人の障害者採用がされる。お付き合い中の担当者の皆さんたちの本気度も増してきている。じゃあ、わたしにできることはなんだろう。気づけば自然に前を向いていました。そんなこんなで今、このnoteを書いています。

noteを通じて

それらしいことを言うと、noteを通じて障害者領域に関心を寄せてほしい、結果として当社へのエンゲージメントを高めて欲しい気持ちがあります。それはもちろんそうなのですが、もう少し個人的なことばに落としてみると、障害者領域における働く、の「これまで」と「今」を色んな人に知ってほしい。そして「この先」を一緒につくっていく心強いパートナーを見つけたいし、パートナーとして選ばれる自分たちになりたいと願っています。
障害者領域ってやっぱりまだまだ少しわかりずらくて、ややもすると偏見・差別なんて強い言葉を引き出しがちだったりするので触りずらかったりする話題だと思うんです。そんな現状や感覚を自分からも社会からも無くしてしまって、10万人の障害のある人の雇用が健全な形で生み出され、それが企業の社会の貢献に繋がる未来をつくるため、noteを通じて言葉を尽くしていきたいと思います。これからよろしくお願いいたします。

#わたしのキャリア #多様性を考える #転職体験記  #オープン社内報

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