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日本語を正しく理解するだけで、あなたは「空気が読める人」になる

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 今回の記事は普段とタイトルを変えている。

 筆者は日ごろ「女性と仲良くなりたい、でも、どうしたらいいかわからない」という男性に向けたコラムを書いているのだが、同じマガジンシリーズではあるものの、今回はコミュニケーションに悩む全ての人に使える内容なので、一時タイトルを変更している。

 というのも、コミュニケーションについて義務教育等で教えてもらえないのは男性のみならず、女性たちも同じであるわけで、それなのに我々は子どものころからいきなり社交性を求められすぎだとは思わないだろうか。

 いまから班のみんなで話し合いましょうとか、二人組を作ってくださいとか、それが初めから簡単にできる子がいる一方で、できない子はただただ孤立していく。異性に限らず、同性のコミュニティーでも人間関係が上手くいかなかった経験のある人も多いだろう。

 それはその子の能力が低いからだろうか? はたまた頭が悪いから? それともなにかの病気? そういうこともあれば、そうでない場合もある。では、もう生まれつきそうだから、彼らは一生他人に嫌われて孤独に生きていくしかないのだろうか。

 できる限り、そういう子でもある程度は社会に出て1人で生きていけるところまで持っていくのが教育だ。学校は社会不適合者をふるいにかけるための場所ではない。少なくとも筆者自身は、学校がそういう場であって欲しくはない。

 以前から続けている「正しい女性の口説き方シリーズ」は不快感を煽るタイトルでありながら、当の女性からのご支持もいただいている。そんな中、記事を読んだ男性からはこういったお声をいただいた。

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  またこんな話もある。

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 ナンパ自体がどうこうという問題は一旦置いておいて、「相手が嫌がっていることがわからない」は、あえてわからないフリをしている人を除いたら、本当にいるのだろうなと思う。

 特に発達障害をお持ちの方は、ADHDやASDなど抱えている問題は違うが、会話の流れがわからない、相手の表情が読めない、距離感がおかしいと他人に思わせたりすることがある。

 また誰が見てもそうだとわかる重度の方より、軽度の方のほうがただただ「なんか話の噛み合わない人だな」と思われたりもすることもあるのではないだろうか。とはいえ、相手だって人間だ。あなたが距離感がわからず接することで、向こうは向こうで怖い思いをすることになる。

 逆にいえば軽度の人に関しては、ある程度仕組みさえ理解すればできるようになる可能性がある。このコラムシリーズは「まともな会話」ができる人にとっては「当たり前じゃん?」と思われることを、かなりマニュアルに近い形で体系化することを目的としているので、機械の操作を覚えるように普通の会話のやり方を覚えるのに用いて欲しい。

「なーんだ、発達障害向けなら自分には関係ないな」

 そう思った人もいるだろう。しかし、発達障害などではなくとも、このあと記載する内容を理解できている人は少ないと断言できる。

 例えば、あなたは冗談を言って猛烈にスベッたことはあるだろうか? また学校や職場など、新しい環境で浮いてしまったことは? 大好きだったはずの恋人なのに、いつの間にか心の距離が開いていった思い出はないだろうか。

 また相手の望む回答を先回りし過ぎたり、勝手な超解釈をしてしまうパターンに既視感は? いつもイジっていた相手に「やめろよー(笑)」といわれているのに、「きっとこの人はこうやってイジられて嬉しいはずだ」なんて思い込んでイジり続けていたら、ある日「本当にやめて!」と真剣に怒られてからハッと気付くような人が少なくない数存在する。

 言葉の裏にある意図を読み取ることができない人も、言葉の裏にある意図を曲解してしまう人も、どちらにしろコミュニケーション弱者だ。

 また「嫌がっていることに気付かない」は、相手が断り辛い立場の人間だった場合にうっかりやってしまうこともあるのではないだろうか。ナンパだと例えがあれなので、もっとよくありそうな会話を見てみよう。

A「今日飲みに行こうよ」
B「今日はちょっと……」
A「じゃあ、明日ならいいの?」
B「明日もその……」

 しばしば他のコラムで書いているが、これが男女だと仮定した場合女性からすると「キツい言葉で否定して逆上されたらどうしよう……」と思って強く拒否できなかったり、同性同士でも上司と部下という関係で、相手にひっそり「パワハラだ……」と感じさせてしまっているかもしれない。

 このように自分は空気が読めると思っている人すらも、たまに間違えてしまうこともある。本当にここから先の内容を理解できた人は、感覚でやっている人よりも間違いを起こさなくなるので、1つ1つ一緒に学んでいこう。

 まず、「自分は好かれたいと思っているのに、なぜか他人に嫌われる」「友だちや恋人ができない」「会話が下手」な人の特徴を、3つに集約してみた。

・返答がズレている
・察しが悪い
・空気が読めない

 待って、待って、ブラウザバックをしないで欲しい。

 「そんなの聞き飽きた。できたら苦労しない!」

 そう思ったのではないだろうか。たしかに、筆者自身学校の勉強がわからないときに、相談した友人からやれやれ顔で「そんなの考えたらわかるじゃん?」なんて言われて、ガックリきた経験がある。それがわからないから困っているのだ。

 しかし、あなたたちが普段言われている「空気読んで」「察して」という曖昧な言葉は、相手の説明能力が低いだけで実は考えたらわかることが多い。あなたたちは「他人の考えていることなんてわかるかよ、エスパーじゃあるまいし」と思っているかもしれないが、では「空気の読める人たち」は果たしてみんなエスパーだろうか? もちろん違う。

 そもそも筆者自身、あなたたちと同じように「空気が読めない」といわれてきた身で、特に頭も良くない。小学低学年のころ、勝手に教室を飛び出して授業を中断させたり、脈絡のない言動で中学生まで変人扱いを受けてきた。

 とはいえ、現在32歳に至るまでに友人もいるし、恋人も何人かできたことがある。正直、コミュニケーション能力を磨く前の中学生くらいまでは「一生恋人なんかできないんだろうな」と思っていたくらいだ。ちなみに頭の中身は特に変わっていないので、一般人の平均が100とされているIQの値は86しかない。

「どれだけ言われたってやっぱり無理だ! 自分には察したり、空気を読むことなんてできない!」

 そう思っている人も安心して欲しい。またあえて「察する気がない」という人もいるだろう。しかし、空気が読めないと思っている人も、察する気がない人も実は普段からすでに《相手の意図を察して会話をしている》のだ。

 例えば、こんな会話があったとする。

A「今日なに食べる?」
B「鍋食べたい」

 これを見て、このBという人物は、食物を煮たきするのに使うあの「鍋」自体を食べたいのではなく、会話の流れから「鍋(料理)を食べたい」と言っているのだということが、ほとんどの人は理解できるだろう。鍋には鍋料理の意味も調理器具としての鍋の意味もあるのに、あなたは文脈からどちらの意味かを理解できる。またこんな会話はどうだろう?

【居酒屋にて】
店員「ご注文は?」
客「生ください」

 この「生」だって別に「生(ビール)」だけを指す言葉ではないが、あなたがもしこの店員だったら、「居酒屋で生っていったら、たぶん『生ビール』のことだよな」と《察する》ことだろう。

 全てがそうではないが、我々が漠然と「空気を読む」「察する」といっていることの多くは、このように会話文の中に相手の意図が隠されていることがほとんどだ。そして、それは日本語の仕組みを理解すればさほど難しくない。

「そういう簡単なレベルの話をしているんじゃない!」

 もちろんそうだ。また「それは言葉の使われ方をパターン化して理解しているだけで、察しているとは違う」と思う人もいるだろう。それだ。そのどちらとも取れる言葉をパターン化して理解できるのであれば、ここから先《日本語のシステム》を覚えればあなたは相手の言葉の意図を読み取れるようになる。

 だから、まずはこの言語にありがちな「意味が明らかな言葉は省略される」という基本ルールを押さえていただいて、ここからさらに《察する》ということを深掘りしていこう。

 以前他の記事で書いた「実際にあった、とある女性がした彼氏への相談の会話」という例を覚えているだろうか? それがこちら。

彼女「最近、仕事がシンドイ……」
彼氏「俺もシンドイよ!」
彼女「え……? いまそれ言うこと?」
彼氏「ん? あ、いや、『女性は共感して欲しい』んだと思って……」

 さて、以前はこれを英語と日本語の違いを用いて解説した。英語では基本的に主語を省略せず話すが、日本語はそれができると。日本語では「愛している」で伝わるが、英語は"I love you"と誰が誰にを付け加えないと成立しない。だから、「(私は)仕事がシンドイ」という《I》の言葉に「(俺も)シンドイ」なんて《I》の言葉を返してしまう。そんな話だった。

 しかし、これは厳密にいうと違う。なぜならば「仕事がシンドイ」という言葉には主語があるからだ。そう「仕事」である。他の記事では、この「(私は)仕事がシンドイ」の「私は」を《隠された主語》と表現したが、これではまだ感覚的だ。

 そこで「象は鼻が長い」の著者である、三上彰氏の「『は』は題目」という文法論を使って説明していこうと思う。今回これを書くにあたって、参考にした資料等は末尾に掲載するので、興味がある方は見たり読んだりして欲しい。

 まず「英語には主語がある」のに対して、「日本語には主題がある」ということを軽く説明しておこう。そもそも「象は鼻が長い」という文章について、主語を選ぶとするなら「象」なのだろうか、「鼻」なのだろうか? これを三上氏は「象は」が「題目」であると解説した。

 これはつまり「~は」が付いているものは、その文章のトークテーマだということだ。主語をキッチリ定義するのは西洋文化に無理やり日本語を当てはめているだけで、日本語は題目さえ最初に決まればあとは主語がなくとも成立する言語なのだ。

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 また、これはたとえ句点を挟もうとも、次のトークテーマが出るまで継続する。例えば、こんな文章があったとしよう。

「象は鼻が長い。初めて見たら驚くことだろう。それだけじゃなく、身体も大きいし、迫力がある」

 最初に「象は」と始めたからには、それ以降の「初めて見たら驚くことだろう」も「象を見たら」ということをいっているし、「身体も大きいし、迫力がある」は「象はさらに」ということを語っていることが読み取れる。

 英語だとこうはいかない。いくらか文章は続けられるが必ずどこかに"that"とか"which"とか、「何について話しているか」を説明しなければいけない。

 これは地味にすごいことだ。例えば、さっきの居酒屋の会話が以下のようになっても成立するのだから。

店員「ご注文《は》?」
客「(注文《は》)生(を)ください。あと、鳥の唐揚げに、出し巻き、つくね、もも塩、砂肝もお願いします」

 後半はほとんど料理名の羅列だが、それでも全て「私の注文は」という意味だとわかる。当然のことながら、客も店員もエスパーなどではない。

 ここまではいいだろうか? さて、問題はこの先だ。上記の内容は言語化こそしていなくとも、義務教育で習う現代文がある程度わかる人なら「当たり前だろう」と感じる話だと思う。

 それがどうして急に会話になると「相手のいっている主題」がわからなくなるかというと、この「題目」にあたる「~は」すら日本語は省略できるからだ。

 先ほどのカップルの会話を、もう一度見てみよう。

彼女「最近、仕事がシンドイ……」
彼氏「俺もシンドイよ!」
彼女「え……? いまそれ言うこと?」
彼氏「ん? あ、いや、『女性は共感して欲しい』んだと思って……」

 この「仕事がシンドイ」という冒頭の彼女の文には「私は」がない。だから、彼氏は「あ、彼女はいま仕事の大変さについて語っているんだな。俺も仕事って辛いなって感じるわー」と思って「俺もシンドイ」と返したのかもしれない。事実、この彼女が振ったトークテーマが「仕事」だったとしたら、それも間違いではないだろう。

「じゃあ、彼女のほうが会話能力が低いじゃん! 男がかわいそう!」

 そう思うだろうか。しかし、考えてみて欲しい「~は」が付いたものが、「題目」になるのだ。彼女の言葉は「仕事《が》シンドイ」だ。つまり、この文章の中の題目は別にあるとわかる。これが彼女の第一声が「仕事《は》シンドイ」だったなら、トークテーマが変わるのがわかるだろう。だが、そんな「仕事とは総じて辛いものである」なんて哲学的な話題を振っているわけでないことは、文の作りからして明らかだ。

 だからこそ、彼氏の回答は「彼女(You)」を主題にして、「そうだね、(君は)辛いよね」と答えなければ会話が成立しない。もっといえば「彼女(You)の仕事について」という述部まであるのだから、仮にそれが看護師だったとしたら、「看護師って大変そうだもんね」など、話している相手の仕事にフォーカスを当てるのが筋だろう。

 言語は「意味が明らかな言葉は省略される」という傾向がある。彼女側は「私が話してんだから、私についての話に決まっているでしょ」と思っているから、彼氏の返答に「なんであなたの話をいま始めたの?」と感じる。どうしてそのようなことが起こるのだろうか?

 次の図を見て欲しい。

正しい

 これは日本語と英語の考え方を図にしたものだが、まさしくこれが日本語が主語を省略して――もとい、「自分が見ている景色」という主題を省略して話すことのできる理由だ。さっきの"I love you"と「愛している」の違いも、道端で虚空に向かって「愛している!」と誰かが叫んでいたら、日本語だって誰が誰を愛しているのかは伝わらない。相手の目の前で「愛している」というから、「ああ、この人は、私に対して自分の気持ちをいっているんだな」と理解できるのである。

 日本語は「自分が言っていることは、自分が思っていることだから主題が自分目線なのは当たり前だろう」という前提がある。「私はあなたを愛している。私はあなたに恋をした。私はあなたと結婚したい」なんて言葉づかいをしたら、逆にめんどくさい。

 また「自分(は)」など以外でも「意味が明らかな言葉は省略される」という、他の例を挙げてみよう。

【信号待ちにて】
A「ちょっと、まだ赤だよ」
B「あ、気付かなかったよ」

 これも「~は」が省略されているが、状況や目の前に信号があることから「(信号《は》)まだ赤だよ」という題目がわかるし、Bの人物も「(信号の変化に)気付かなかったよ」と答えて会話が成立する。これを「そんなの信号について言っているなんて、察するのは俺には無理だ!」という人のほうが少ないだろう。

 さらに主題を残して「~は」が省略されるケースもある。ここで冒頭の「嫌がっているかわからない」という、『NOのサイン』を読み解くケースとして、以下の文を見てみよう。

A「明日遊べる?」
B「週末テストなんだよね」
A「じゃあ、明日遊べるんだ!」
B「いや、だから週末テストなんだって」

 意地悪で揚げ足をとっているわけではない、察することが苦手な人はおそらくAの解釈を「普通にそう思うのでは?」と思うことだろう。また「明日のこと聞いてるのに、なんで週末の話しているんだ?」と疑問を感じるかもしれない。

 これも「~は」が省略されていることでよりわかりづらくなっているが、Aの「明日遊べる?」に来る助詞はなんだろうか? 「明日が」ではおかしいし、「明日に」も変だし、「明日の」でも違和感がある。これは「明日は」しかないのだから、この会話のトークテーマは「明日について」で始まっている。

 次にBの「週末テストなんだよね」は「明日について」話していることを受けての会話なので、「週末(に)テストだから(明日は遊べない)」という意味なわけだが、この会話のややこしい点として「週末(は)」でも文としては成立することにある。

 しかし、もし仮にこのBという人物が「明日について」尋ねられたときに「週末(は)」で返したのだとしたら、「だけど、明日《は》遊べるよ」とトークテーマを戻さなければ話が成立しない。

 もちろんこのように一般的な解釈はNOの理由を述べていると文脈でわかったとしても、BはBでどれほどの会話能力を持っているかを確認しなければいけない。特にあなたがNoのサインが見抜けないなら、確信が持てないことだろう。

 もしかしたら本当に「明日遊べるのに、なぜだか週末の話をし始めただけ」という文脈がおかしい人物かもしれない。だから、「NOのサイン」が見抜けない人は、基本的にこう考えればいい。

 Yes以外の反応が来たら、一旦Noだという前提で確認をする。

A「明日遊べる?」
B「週末テストなんだよね」
A「じゃあ、明日も難しいよね」

 これでいい。そもそも空いてるのであれば、始めから余計なことをいわずに「遊べるよ」「空いてるよ!」というはずなので、Yes以外の返しをする必要がない。もしあえて空いているのに週末テストだという情報を伝えたのなら、Bのほうが「週末テストだけど、明日特別に遊んでやるよ」という恩着せがましい人になる。

 本当に恩着せがましい人なら、借りを作らないためにも「じゃあ、やめとこう」と、こちらから提案したほうが無難だろう。これは同時にあなた自身がBの立場のとき「明日遊べるのに、なんの脈略もなく週末のテストの話を始める人」になってはいけないということでもある。

 たまにいるだろう。誰かが「昨日私大変なことがあってー」と話し始めても「大変なこと? あ、そういえば俺もこの前大変なことがあったんだよ!」みたいに、無理やりにでも自分の話に持って行ってしまう人。いま提示されているトークテーマに、別のトークテーマをぶつけるのは会話が成立しているとはいえない。

 またそれこそ読んでいる人に揚げ足を取られないために「明確なYesの言葉が入っていないYesパターン」でも、この題目を捉えることで遡ってYesかNoか判断可能だという場合を紹介しよう。例えばこんな返し。

A「明日遊べる?」
B「カラオケ行きたい!」

 これも「行けるよ」というYesの回答は明白にはされていないが、題目を遡れば「明日《は》」があるため、「(明日は)カラオケ(に)行きたい」といっていることがわかる。もちろんこんなこと日本人のほとんどがイチイチ頭で考えて話しているわけではないのだが、実は大体の人が文法のルール通りに会話していることが見てとれる。

 またハッキリとしたYes以外の返しをするときの心理として、「迷っているとき」がある。例えば、こういう会話なんかがそうだ。

A「明日遊べる?」
B「あー、週末テストなんだよなー、うーん」
A「じゃあ、明日は空いてるんだよね」
B「そうなんだけど、この前のテストの結果もあるしー……」

 この場合も「いいじゃん、いいじゃん! 遊びに行こうよ!」とYesに話を傾けないほうがいい。なぜならば、相手の判断をあなたが操作したことになるからだ。相手が明確にYesを伝えていない段階で、あなたが相手をコントロールしてYesといわせるのは極力避けたほうがいい。

 友人関係の場合「ずっと嫌だったけど、断れなかった……」といわれることもあるし、他のコラム記事にあるようにこれが男女の場合「嫌だったのに強引にホテルに連れこまれた」とか「やんわり断っていたら、ストーカーになっていた」とかいう状況になったら目も当てられない。

 また例えば、相手のその迷う素振りの隠れた意思が「うーん、もうちょっと強く誘ってくれたら『熱心に誘ってくれたし、仕方ないな』って感じでOKできるのにな」なんていう考えだったとしても、その相手はあなたに選択の責任を押し付けてくる人物なので、やはり今の段階でノらないほうが無難だ。

 NoはNoだし、Yes以外も基本的にNo寄りだと考えるのが1番あなたにとっても事故が少ない。それで結ばれない縁はあるが、大体の人がNoの意思表示で言っていることを、あなたが世間とあえて逆の解釈をすると、あなたのほうが変人扱いになるし、捻くれた嫌な奴だと思わせる。

 相手のいっている意味を、正しく理解してあげようと考えるのは優しさだ。もしあなたが日本語の仕組みを正しく理解した上で、冒頭の会話でこんなことをいったとしたらどうだろう?

A「今日なに食べる?」
B「鍋食べたい」
A「鍋? 鍋は食べられませんけどー(笑)」

 こんな返しをするときは始めから相手が嫌いか、あなたが相当嫌な人物の場合だけだろう。会話というのは、相手を理解しようとする気がなくなった時点で破綻するものだ。

 ここまで読んで「これって日本語が不完全なだけでは?」と思った人はいるだろうか? しかし、英語でも料理は"dish(皿)"だし、フランス語だって"plat(皿)"だが、文脈から料理のことをいっているか、皿のことをいっているか判断しなければならないのは、日本の「鍋(料理)」と同じだ。

 また英語圏だと契約書などの内容の確認で「これでよろしいですか?」に対して"I'm fine"をYesの意味で使うが、カフェ等で「~はいかがですか?」に対しては"I'm fine"がNoの意味になる。どこの国でも相手の言っている言葉を、状況や文脈で解釈することからは避けられない。

 日本語の特徴を理解し、その仕組みから相手の意図を汲み取る。これはなにも道端にいる人を指して、「あの人の考えていることを当ててください」という話ではない。それができたら本当にエスパーだ。

 さあ、では、ここまでで一旦まとめてみよう。

・会話文の中の「~は」という題目に注目する

・「~は」の部分は省略されることがある

・それ以降「~は」が出ていない場合は、その前の題目を引き継いだ会話だと考える。

 これで会話下手の「返答がズレている」「察しが悪い」の2つは概ね解決だ。例えばこれが正しく理解できていると、突き詰めれば「明日暇だなー(遊びに誘って欲しい)」なども会話を繰り返すうちに見抜くことができる。

 しかし、そこに踏み込む際は相手を選んだほうがいい。「察する」という能力は、「察した気にならない」という考え方とセットだ。相手から見ても自分から見ても会話の必然性が感じられないと、冒頭に書いたような良かれと思って失敗する可能性が高い。

 個人的には好きな相手以外にはそこまで自分も踏み込まないが、近い能力を身に付けたい人は以前書いた「初対面の相手が望むものをピタリと当てる会話術」を読んでもらいたい。

 さらにちょっと例外になるが、この仕組みを上手く使いこなすと相手を不快にさせずに否定するセリフ回しや、誤解なく自分の考えを伝えることにも応用できるので、その方法を紹介しておこう。

・否定や自分の考えを話すときは【相手の考えの肯定+自分主題+自分の考え】で伝える

 これを使ったら、毎回相手を否定したり自分の意見をいっても大丈夫というわけではないが、相手に話を合わせるばかりでなく、どうしても言いたいことがあるときも当然想定されるだろう。

 恋人の悪癖を直してもらいたいとか、言いにくいけど友だちだからこそ注意したいとか、そんな場合もある。それを伝えて関係が壊れる可能性を覚悟する必要はあるが、できる限り誤解なく伝える技術は必要だ。

 むしろこういうときに、英語的な第三者視点の言葉づかいを活用するといい。要は「これはあくまで私の意見ですよ」と、あえて強調するのだ。例えば以下の会話はどうだろう。

A「勉強したくなーい」
B「いやいや、勉強するべきだよ」

 これは先ほどまでの日本語感覚だと、当然Bは「(自分は)勉強するべきだと思うよ」という自分目線の話をしているつもりなのだが、なんとなくAは「(私は)勉強したくない」という隠された題目に「(あなたは)勉強すべきだよ」と注意されたような気になってしまう。

 ましてやBがハッキリと「《あなたのために》勉強するべきだよ」なんていったら、自分の考えがさも正義かのように押し付けてきている印象になる。どれだけその言葉が相手のためを思っていたとしても、言い方で拒絶反応が起こって伝わらない。

 なので、まず一旦主題である相手の考えを受け入れて、そこで「これは私の考えだけど……」と主題を自分に変えてその考えを述べる。

A「勉強したくなーい」
B「いつも(君は)勉強がんばってるもんね。でも、僕《は》テストを終えて君と遊びたいから、いま一緒にやっときたいな」

 もちろんこういったところで相手に嫌われるときは嫌われるのだが、それでも上記の言葉足らずよりいくらかマシだ。このように自分目線が当たり前の日本語で、あえて誰目線でいま話しているのかを強調するのは、これもまた思いやりだ。

 相手がそれで「あなたの意見なんて聞いてませんけど?」という反応になったら、それは相手にとってあなたが意見を聞くに値しない人物だったというだけのこと。親だって親友だって恋人だって、相手のいっていることを否定するのには「嫌われてもいい覚悟」が必要だ。

 さて、最後に「空気が読めない」の例外について触れておきたい。もちろん、あなたが上記の内容をほとんど理解していれば「いま話している話題にあった話ができる」ということなのだから、大体の場合はそれで問題ない。

 ここまで実践できる人は、相手が話していることを無視していきなり自分の話を始めたり、みんなが同じ話で盛り上がっているのに全然違う話を始めたりもしないはずだ。

 では、そうではなく「空気が読めない」パターンとは、どういうことが考えられるだろうか。それは1つだけ。

・笑いのセンスがない

 あなたが会話中、他人が話している文脈を理解した上で、あえてズレたことをいうときはどんなときか。「冗談をいうとき」だ。あなたが面白いと思っていったことが、世間的に全然面白くなかったり、表現がエグ過ぎると受け取られて「変な人だな」と思われることがある。

 まず第一に「笑いをとる」とは、相当高度な技術であることを認識していただきたい。プロのお笑い芸人ですらスベることがある。そんな難しいテクニックのわりに、会話上手な人たちは普通に冗談をいったりして笑い合っているだろう。その人たちはプロのお笑い芸人かなにかだろうか? 当然違う。

「緊張の緩和」という落語家の2代目「桂枝雀」氏が提唱した、笑いの基礎原理がある。人間が笑うという非常に感覚的な現象を体系化したものだが、要約すると「人が笑うという現象には、まず軽い緊張があり、それがホッと弛むから笑いに繋がるのだ」という話だ。

 例はなんでもいいのだが、1つサンドウィッチマンのお二人のコントを基に考えてみよう。

【ファーストフード店のコント】
A「ご注文は以上でよろしいですか?」
B「おう」
A「それでは、厨房のほう振り返ります」
B「注文を繰り返せよ!」

 この「厨房のほうを振り返ります」は店員役であるAが明らかに変なことをいっているのだが、ここで一旦客に「ん?」という『緊張』を与える。そして、それに対して「注文を繰り返せよ」とツッコみが入ることで「ああ、よかった。おかしい点をツッコんでくれた」という安心感から『緩和』することで、笑いに繋がるというのが「緊張の緩和」の基本的な考え方だ。

 その他、桂枝雀氏が提唱したサゲ(落語のオチ)の4タイプなど、色々細かい話はあるが、大前提「緊張があって、それが緩むからこそ人は笑う」というこの理屈が大部分を占めている。

 なので、最初はまずこう考えよう。

・無理に笑いを取りに行かなくていい

 他人に好かれたいと思ったとき、面白いことをいおうとがんばってみたり、みんなが冗談をいっているんだから自分も冗談をいってみたり、そう気負うことがあるだろう。みんなの笑いをとれる、職場や学校の人気者に憧れたりする気持ちもあるかもしれない。

 しかし、考えてもみて欲しい。さっきの理屈でいうと、笑いをとるには「変なことをいって、緊張させる」という過程がいるのだ。つまり、さっきまでの「文脈を読んで空気に合った会話をする」ということから、あえて外れた言動をするということ。これって笑いをとれれば結果オーライだが、ともすればただの変人扱いをされないだろうか?

 他人から嫌われる人には、そういう空気の読めなさもよくある。桂枝雀氏はこれを「緊張が強すぎてもダメだ」と説いた。そういったものの中に「社会的な笑い」と定義されたものがあるのだが、これは簡単にいうと「え? そんなことこんなとこでいっていいの?」みたいな社会的な規範をある種破った笑いだ。

 例えばみんなが思っているけど、公には言えないようなブラックなジョークをいったり、ズバッと切り捨てる毒舌を吐いたり、そういったもので笑うことがある。しかし、それが行き過ぎると笑えなくなる。ブラックジョークも度が過ぎれば「不謹慎」になるし、毒舌だって毎回いっていればただの「嫌な奴」だ。

 そういう「どこまでの冗談なら笑えるか」という感覚は人によって違う。例えば、男同士でなら笑える下ネタも、女性にいったらドン引きされるみたいな、そういうこともあるだろう。笑いをとりたいのなら、まずは相手がどの範囲の冗談にまで許容があるかを見極めてからにしなければならない。

「でも、そしたら冗談もいえない、つまんない奴って思われるんじゃ……」

 そう思った人も安心して欲しい。上記までの内容を実践すれば、あなたは「話の通じる人物」になるわけだ。話が通じる。枝雀氏はこれもまた「変」だといっている。

 人はそれぞれ生まれ育った環境も違うし、同じ物でもそれら全てが同じということはあり得ない。話がかみ合わないのも変だが、話がピッタリ合いすぎるのも変なのだ。

 あるあるネタという言葉があるだろう。みんな違う人間で違う環境にいるのに、同じような体験をしている。そして、それを説明してなぜかわかってしまう自分におかしさを感じて笑う。そういう経験は誰にでもあると思う。

 そもそも大してまだお互いのことをよく知らない相手との会話というのは、意識的・無意識的に関わらず多少の緊張があるものだ。「この人はどんな人かな?」「自分のいっている内容が通じているかな?」という緊張を持った相手に、あなたが話を理解していることがわかる会話ができればそこに緩和が生まれる。それになんといっても、社会的な笑いに分類されるブラックジョークや毒舌よりもリスクが少ない。

 そして、それは上記までの「相手の話を理解する能力」さえあればできるので、わざと変なことをいって笑いをとるより断然簡単だ。そうやって相手の「ちょうどいい緊張の範囲」がわかってきたら、たまに冗談や《ボケ》を挟んでもいいだろう。それまでは、まず相手とのスムーズな会話を心掛ける。これを徹底してみよう。

 さて、話が多岐にわたり長くなったが、日常的に使われる「空気を読む」という言葉は「言葉にない部分を読む」とも言い換えられる。そして、それは多くの場合「日本語の仕組みを理解すれば読み解ける」ということが多い。

 学校の勉強はできるのに、他人との会話はヘタだという人がたくさんいる。コミュニケーションをロジカルに考えることは可能だ。しかし、それを教えてくれるものは少ない。

 大体の人は義務教育課程で国語の現代文を習ったと思う。小説などの引用があって、「このときの『私』の気持ちを答えなさい」みたいな問題を解いたことがあるはずだ。それに当たる部分に縦線を引いて「~だと思ったから」とか答えるのとほとんど同じで、実際その部分にはなくとも前後の文に答えがあったりする。

 もちろんこれが人間関係になると「3日前に肉が嫌いと伝えたのに、肉料理の店を予約するなんてありえない」みたいな、日を跨いだり、その人個人との過去の会話から文脈が決まることもある。そこまでちゃんと汲み取るのは正直コミュニケーション上級者なので、達せられるかどうかは個人の資質も入ってくる。

 まともな会話から、好かれる会話へのレベルアップについては、このマガジンシリーズの別の記事を参照してもらいたい。フローチャートや、図解によって「なんとなくでみんながやっているコミュニケーション」について、できるだけ誰でもわかるように解説している。

 相手の話を理解できるだけで、他人から好かれる。あなたが「エスパーでもないんだからわかるわけない」と思っている、「察する」はあなたが思っているほどそんなに難しいものではないかもしれない。

 言語を正しく使いこなすことから、会話の基礎を始めよう。


参考資料
ゆる言語学ラジオ
三上彰「象は鼻が長い」くろしお出版
・桂枝雀「緊張の緩和」

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