大島薫初の小説『不道徳』 #31/32

 元々が出向だったため、当初は次の出向先が見つかるまでは自宅待機という話だった。
 ほとんど毎日、人事部から新しい出向先の提案がくるが、その数日後毎回「向こうの担当者から、今回は見送るという返事がきました」と告げられる。
 ある日、人事部の担当がとうとうこんなことをいった。
「このまま自宅待機というわけにもいかないので、その……最悪、解雇という形になってしまいます。本社としてもそうはしたくなくて、つまり、その……」
 その先はいわずとも、拓海も理解できた。要するに自主退職をしてくれという話だろう。拓海は二つ返事で了承し、会社を去ることになった。特に込み入った手続きもなし、処理も向こうでやってくれるそうだ。
 それからはほとんど毎日、拓海はウリ専で待機をすることになった。ここでもフルタイムで出勤すれば、月二十数万近くにはなるので、とりあえず次の就職先が見つかるまでは専念しようと考えたからだ。
 出世の話から一転、一介のウリ専ボーイ。まさに拓海からすれば連日悪夢を見ているような出来事だった。
「カズヤくん、ご新規で一人お願い」
 一件仕事を終わらせて、ベランダでタバコを吸っていると、待機室にいる田沼店長から声がかかった。立て続けに仕事はありがたい。
 時刻はもうすぐ二十時になろうとしている。これで今日は二件確定だ。
「九十分コースなんだけど、ちょっと今日はびっくりする人が来てるよ」
「びっくりする人ですか?」
 準備を終えた拓海に、田沼が楽しそうに告げるので、拓海は怪訝な顔をした。
「うん、この店に昔いたボーイなんだけどね、前からカズヤくんのこと気になってたみたいで、今日は客として来たんだって」
「へえ……辞めた人が、お客さんとして来ることもあるんですね」
 田沼から接客道具一式を受け取りながら、拓海がいった。
「彼は若いし、イケメンなんだけどね。わざわざ買うなんて、よっぽどカズヤくんがタイプなんじゃないかな? しっかり接客してあげて」
 拓海が頷く。
「じゃ、いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
 田沼に見送られて、拓海はルームへと向かった。
 部屋の前に立ち、ひと呼吸置いて、ノックをする。
「失礼します」
 声をかけつつ扉を開けると、客はソファーに座っているようだ。後ろ姿の客が、ゆっくりと拓海を振り返った。
「久しぶり」
 振り返ったその顔は、紛れもない友人の陸だった。
「え……陸?」
 拓海が唖然となって固まる。
「どうして、お前がここに来るんだよ……」
 拓海はそのままの疑問を口にした。
「まあ、とりあえず入れよ」
 拓海の質問にこたえないまま、陸は片手を振り上げて促した。拓海は混乱したまま、ゆっくりと歩みを陸のほうへと進めた。
「立ってないで。座れって」
 棒立ちのまま立ちすくむ拓海を見て、陸は失笑しながらそう告げる。
 拓海は陸の顔を見たまま、疑り深くソファーの片隅に座った。
「どうして……」
 拓海は溢れる疑問を抑えられず、また言葉にしてつぶやいた。
「俺な、昔ここのボーイだったんだよ。ダイチって名前、顧客リストで見かけたことない?」
 陸はこともなげにそういった。
「ダイチ……」
「そうそう。ダイチ、な。本名が陸で源氏名が大地って、いま思っても単純だよな」
 拓海の黒目が左右に揺れる。陸の話す言葉の意味が、すんなりと頭に入ってこなかった。
「なんで、なんで、ここに……」
 拓海がパクパクと口を振るわせながら、また質問をする。疑問は沸いて止まない。
「んー、そうだな……」
 そこで陸は軽く顔を天井に向けて、すこし考えた。
「前に俺が、ウリ専で働いてたっていう大学の先輩の噂、聞かせただろ?」
 拓海が黙って陸を見つめる。当然覚えていた。あれは拓海がウリ専というものを知るきっかけになった話だ。
「アレな。田沼店長のことなんだよ」
「は?」
 拓海はポカンと口を開ける。しかし、すぐにそれは変だと思いなおした。
「いや、おかしいだろ。お前と店長が先輩と後輩? 年が合わないじゃん」
「店長は四年、大学を休学してるんだよ」
 拓海の疑問は、あっさりと陸によって明かされる。
「大学内で噂が広がり過ぎてなー、居辛くなった田沼さんはほとぼり冷めるまで休学して、そんで三年から通いなおしたんだよ。元々ゲイだった俺は田沼さんのバイトに興味を持って話しかけて、それから卒業したあと田沼さんが立ち上げた店で働きだしたってわけ」
 拓海は頭を抱えた。陸は田沼の後輩で元からゲイ? そんな話いままで一度も聞いたことなんてなかった。
 田沼の店の募集広告を見せてきたのは、陸だ。拓海が偶然入ったウリ専が、たまたま陸が元々働いていた店だったのではない。あのとき陸は自分が過去に働いていた店を、拓海に見せたのだ。
「十一月ごろだったかな。お前、二丁目にいただろ?」
 脳内がまだ揺さぶられ続けている拓海に、突然陸がそんなことを訊いた。
「十一月――」
 拓海が混線する頭の中から記憶を辿る。やがて、一つの出来事を思い出した。ミズノとのデートコースの日だ。
「あんときさ、二丁目の裏路地に救急車来て大騒ぎになったの覚えてるか? 結構な人だかりできてさー……あそこに、俺もいたんだよ」
「え?」
 戸惑う拓海をよそに、陸は至極楽しそうだ。
「てか、あの救急車も僕のせいなんだけどね!」
 話の興に合わせて、一人称の変わった陸が大笑いをする。
「ハッテン場で待ち合わせした奴が、クスリに興味あるっていうから、手持ちのネタをいくつか仕込んでやったんだよ。最近禁止になってる昔のドラッグとかが、大量に手に入るようになったからさ。僕は自分ではやんないけど、キメた奴見るのは好きなんだよね。普段スカした奴も途端に『チンポ欲しい、チンポ欲しい』って泣いて頼むんだぜ」
 拓海は陸の言葉を聞きながら、自身のこめかみの辺りから、じんわりと汗が滲むのを感じていた。
「でも、あんときは調子に乗って、色々やらせ過ぎちゃって、オーバードーズっていうの? ヤバイと思ってすぐに逃げたんだけど、あとで近くを通ってみたら救急車来ちゃっててさ」
 本当に楽しかった出来事を話すかのような陸の表情に、拓海はもはや彼のことを友人ではない別の誰かのように感じていた。
「でも、そのとき、それより面白いもんが見えたんだよな。野次馬の中にいる、お前だよ」
 陸がそこで、拓海の顔を見た。やはりその目は、ついこの前まで同僚かつ、良き友人だった陸のものではなかった。
「おかしいじゃん? この前までウリ専も知らなかった奴が二丁目? そしたら隣に冴えないチビのオッサンがいて、ピーンときたよ。調べたら大正解! 笑っちゃったよね。まさかノンケのお前が、本当にウリ専で働いちゃうんだからさ」
 陸はまた一度大きく笑った。
「なにが面白いんだよ」
 黙って聞いていた拓海が、ようやく陸に言葉を投げかけた。
「お前だって同じ仕事してたんだろ。笑える立場じゃねーだろ」
「笑うに決まってんじゃん」
 拓海の怒声に、陸は吐き捨てるようにいった。その言葉は恐ろしいほど冷たく、拓海は背筋にシンとしたものが通るのを感じた。
「お前さ、ノンケなんだよ。多数派、一般人、まとも。普通にしてりゃ、なんの悩みもなく生きてけるのにさ、なに修羅の道選んじゃってるワケ?」
 拓海は陸の刺すような視線に、言葉を返せないでいる。しかし、陸が放った次の一言は、拓海をさらに黙らせるものだった。
「そんなんだから、僕に彼女も仕事も取られるんだよ」
「は?」
 拓海の震える視線から逃れるように、陸は立ち上がる。
「だから! そんなんだから、彼女も仕事も僕に取られるんだよっていってんの!」
「どういうことだよ……?」
 そんな拓海の問いは、陸の失笑を買うだけだった。
「ははは! さっきからなんで? どうして? ってお前、ちょっとは自分で考えろよ。これだからノンケはバカで単純でイヤなんだよ」
 寝室の鴨居に一瞬両手をかけて、拓海を見下ろすように嘲笑う陸。その語調には、言葉以上の侮蔑の色が含まれていると拓海は感じた。リビングとベッドルームで、二人の視線が交差する。
「お前がさー、よく彼女のノロケ話してただろ。『一番大事だ』とか『結婚するんだ』とかさ。ずっとなんてことない気持ちで聞いてたんだけど、あるときからだんだん腹が立ってきてさ。異性のカップルの愛情がどんなもんかって、僕が試してやろうと思ったんだ。あっさり寝取れちゃたけどね」
「どうして……だって、お前、ゲイなんだろ」
「……そこはどうだっていいだろ。アレだよ、オンナでもいいなら、それに越したことないじゃん。晴れてノンケの仲間入り」
 拓海は呆れと混乱で息を吐いた。陸がもう一度笑みを浮かべる。
「僕は一応セックスだけは、オンナともできるみたいなんだ。でも、『できる』ってことと、『やりたい』ってことは別なんだよな。だから、美香ちゃんとはお前と別れるまでの間しか、結局ヤッてなかったなあ」
 拓海は次第に複雑に入り乱れた思考が、一本一本と解れていくのを感じていた。それと同時に怒りが沸いてくる。結局のところ、拓海が美香と別れる原因を作ったのも陸、ウリ専で働こうと思ったきっかけを作ったのも陸。すべて陸が生み出したことだったのだ。
「会社の――」
 とすれば、もはやこれだけが別件とは考えられない。
「――会社のあの張り紙も、お前がやったのか」
 睨みつける拓海の目線に、陸は嘲笑で返した。
「さっきの話の続きを聞かせてやるよ」
陸はベッドにどっしりと腰かけてから、再び話し始める。拓海は怒りを抑えながら、陸の言葉を待った。
「大学で田沼さんに声をかけてウリ専で働き始めて一年くらい経ったころ、僕も田沼さんと同じように、ウリ専勤めがバレて噂になり始めた。あのときは辛かったな。男はやれ『俺のケツは狙うなよ』とか、女はやれ『私はゲイの気持ちがわかるから』とか、みんな好き勝手ネタにしてさ。いままでうまく生きられるように、うまくバレないようにって立ち回ってきたのに」
 陸は吐き捨てるように笑う。今度は自嘲的な笑みだった。
「結局大学は辞めたよ。うちは親が心配症でさ、田沼さんみたいに何年も休学ってことは考えられなかった。だから、退学したことをずっと両親に黙ってたんだ。就職のときも親には新卒で入社したフリをして、いまの会社に入った。そういえば、お前にも実は中退だってこといってなかったな」
 陸が拓海を見る。たしかに、拓海はそのことを知らなかった。
「曲がりなりにも就職をして、心機一転がんばろうと思ったよ。うちは業績を上げれば上げた分だけ評価してくれるって信じて、な。だから、毎月のノルマもちゃんと達成してきた」
 そのとき、陸は一度拳を強く握りしめた。
「だけど、評価されたのはノンケのお前だった!」
 突然の陸の怒声に、拓海は動揺する。
「なんでだ……? 数字を上げれば評価されるんじゃなかったのか? 結局高卒をまともに育てる会社なんてないんだ。しょせん僕らは、一部の出世コースに乗った人間のために、数字を持ってくる使い捨ての兵隊なんだよ」
 怒りを通り越したのか、陸はヘラヘラと拓海に笑いかける。
「そんなの……ただの八つ当たりだろうが」
 拓海は陸の気迫を押し返すように、なんとかそういった。
「八つ当たり? くくく、そうか、八つ当たりね……お前、あのクソ女課長に一件、大口の契約まわしてもらっただろ?」
 拓海は突然出てきた課長の言葉に、意味が分からず戸惑った。
「それがなんの関係があるんだよ」
「あれ、僕の温めてた案件なんだ」
 拓海が絶句する。あれは間島課長が持っていた商談だと聞いていた。
「見込める契約数も多いから慎重に話を進めてたら、急に課長から『大口の契約は君にはまだ早いから、営業は変わりに私がやる。成功したら、ちゃんと君の業績にも反映するから』っていわれて渋々渡したよ。そしたら、アラ、不思議。僕の案件は、いつの間にか拓海ちゃんの案件になってましたとさ。なんで自分が大事に育てた商談の数字、半分お前にやらなくちゃいけねぇんだよ」
 拓海は返す言葉がなかった。そんなことはまったく聞いていなかったのだ。
「お、俺、そんなこと知らなくて……」
 狼狽する拓海に、陸はなんともないように微笑んで再び立ち上がった。
「でも、もうそれはいいんだよ」
 クルリと背中を向け、ベッドルームの窓にかかっている遮光カーテンを開く。窓の外に遠く、都会の夜景が見えた。
「お前が知らなかったのはわかってる。間島課長からはなんの事情も聞かされてなかったんだろ。お前も僕も結局大きな社会の渦に巻き込まれて、流されちゃっただけだよ」
 拓海は意外な陸の態度に、すこしばかり安堵をした。陸は振り返る。
「だから、もっと流されて、僕と同じとこまで落ちてもらおうと思ったんだ」
 拓海はようやく、陸がなにをいわんとしてるのかを察した。
「だから、あんなやり方で会社にバラしたっていうのか?」
 拓海は怒鳴った。
「ふふふ、元ボーイだと写真を入手する方法なんていくらでもあるからね」
 拓海は両手で顔を拭った。いま目の前で話されている出来事が、現実のものとは思えなかった。陸にここまで深い憎悪を抱かせるものは、一体なんなのか。それは果たして自分一人に対するものなのか。
「どうしてこんなことするんだよ……お前だって秘密をバラされて苦しめられてきたんだろ……どうして同じことが人にできるんだ」
 拓海の声には、怒りと呆れと悲しみが混在していた。
「うーん……楽しいからかな」
 陸がそれにあっけらかんとこたえ、拓海はまたも頭の中でなにかがパーンと弾けるような感覚を覚えた。
「いまになって大学の奴らがなんで、誰がゲイだのなんだので盛り上がってたのかわかったよ。自分より劣る他人を見るのは楽しいからさ。『ああ、こいつは見下していい変態なんだ』、『きっと辛い人生が待ってるんだろうな』、『かわいそう』。そんな風に見下すと、自分が上位に立ったような錯覚をする。だから、こんな底辺の僕も、もっと下がいるんだーって思うと、嬉しくなっちゃうんだよ」
 陸の言葉は冗談でも嘘でもない、素直なものに見えた。
「クスリもさ、やってる相手を見るのが好きなのは、やっぱ『ああ、こいつ、いま堕ちてんなー』って思えるからだしね」
 陸が付け加える。拓海は釈明をされても、その感情を理解できなかった。
「この前もツカサをイジメたときは興奮したなぁー!」
 ツカサの名に拓海がピクリと反応した。
「ツカサ……? ツカサってこの店にいたツカサさんか? お前、最近ツカサさんに会ったのか?」
 拓海が問いかける。
「うん? ああ、たしか四ヵ月前くらい? 久しぶりに会おうっていうから、二丁目のゲイバーでさ」
 拓海は、最後にツカサと口論になった光景を思い返す。混乱はしつつも、ツカサの現状が気になった。
「ツカサさん、いまどうしてるんだ?」
「え? 飛び降りて死んだよ」
 陸の回答に拓海は言葉を失う。
「とび……おり……?」
「うん。あの子、病気だったんだって? 久しぶりに会ったら、店辞めたって聞いてさ。『お金貸して欲しい』とか『泊まらせて欲しい』とか頼まれて、断ったんだよ」
 病気? 病気とはなんのことだろうか、拓海はやはり、陸の話がすぐに入ってこない。
「それで、『ああ、こいつ終わってんなー』って思ったから、正直にそのままいったのね。だって、三十手前のモテもしないかわいい系ホモで、病気持ちだし、住むとこも金もないって、どう考えたって終わってるでしょ」
 ツカサを嘲笑う言葉に、拓海は「まさか」という想いで、陸を見た。
「俺そうやって他人のこと言葉で責めてると、興奮してきちゃって止まらなくなるんだよね。それで、突然店飛び出したと思ったら、そのあと近くのビルの最上階から飛び降りたんだって。飲み代くらい払ってから死んで欲しいよな」
 悪びれることもなく、話す陸を拓海は睨みつけた。
「お前、それ、本気でいってんのか?」
 拓海の言葉に、陸はめんどくさそうに頭をかいた。
「いいじゃんか。ホモが一人死んだくらいでさ。子ども作って社会貢献するわけでもなし、気持ちいいこといっぱいした結果だよ。それか、なに? 『命は大切にしましょう』ってやつ? そうやって他人をかばったり、守ったりするのって、結局自分よりも弱い奴を見て安心したいだけでしょ? 僕は自分より下の人間をイジメて安心する、お前は自分より下の人間を憐れんで安心する。どちらも見下してるのに変わりはないじゃん。そこになんの違いがあるの?」
 拓海は言葉が出ず、目線を逸らした。たぶん、陸にはなにをいっても通じないのだと思った。
「でも、安心してよ。拓海もちゃんと、僕の愛すべき『自分より下の人間』リストに入ってるからさ」
 陸の言葉の意味がわからず、拓海は目線を戻す。
「だって、そうだろ? 会社で男に身体売ってるのがバレてクビになって、ノンケなのにいまはウリ専ボーイ。どこまで落ちるか、楽しみでしょうがないよ」
 悔しくはあるが、いまは陸のいう通りの状況だった。
「だから、もっともっと僕に怒って、恨んでいいんだよ」
「どういう意味だ?」
 陸の言葉に拓海が首を傾げる。
「忘れたの? 僕はいま拓海を買ってるんだよ? なにをしにここに来たと思ってんのさ」
 拓海の顔がさっと青ざめた。陸は両手を広げる。
「ねぇ、まずはフェラしてよ。さっき話してあげたでしょ? ぜーんぶ、僕のせい。イラッとしたよね? 心の底から嫌悪したよね? でも、拓海くんはウリ専だ。さあ、自分をこんな状況に追い込んだ憎い僕の足元に跪いて、ペニスを愛おしそうにしゃぶってごらんよ」
 拓海の唇が震える。
「ふざけてんのか……」
 拓海の覇気のない声に、陸は尚も言葉を続けた。
「ふざけてないよ。お前はいまそれが仕事で、僕は客だ。いままで通り、あるままを受け入れて流されてよ」
 拓海はしばらく考え、そして、ゆっくりと立ち上がった。
たしかに、考えてもみれば、自分は流されて生きてきたように思えた。自分は、ごく当たり前の選択を繰り返してきたと感じていた。その中でウリ専で働くことは、イレギュラーな出来事だったといえる。普通という線路をはみ出してみたのだ。
 しかし、蓋を開けてみれば、それも陸が作った別のレールに乗せられただけだった。自分で選んだと思ったことも、結局他人に選ばされたものだった。
 そんなことを考えながら、フラフラと拓海は陸に歩み寄る。
「ちょっとは立場ってものが、考えられるようになってきたんだね。フェラのあとはそうだな。お前まだウケできないんだっけ? 大嫌いな僕に掘られるお前を見るのは楽しそうだな」
 陸はそんな風に妄想を語ってみせる。その目には恍惚とした、狂気の色が宿っていた。
「でも、最初は痛いからな。もしお前が望むんなら、クスリも奢ってあげるよ。憎む相手のチンポで始めからイキまくるお前が見られたら、最高に興奮すると思うんだ」
 拓海は陸の前までやってきた。
「さあ、早く――」
 刹那、拓海の右ストレートが陸の頬を打ち抜いた。
「ぶほっ!」
 ゴキッという音が鳴り、陸がそのまま窓の方角に飛んで行った。窓ガラスにぶつかった陸は、打った頭を押さえ、痛みにのたうち回っている。
「な、なにす――」
「甘ったれんな!」
 文句をいいかけた陸に、拓海が怒鳴る。
「ゲイがバレてどん底だの、人生終わってるだの、上だの下だの……お前の自傷行為に他人巻き込んでんじゃねぇ!」
 拓海は屈みこみ、床に倒れている陸の首根っこを掴んだ。
「終わったんなら、いまから始めりゃいいだろ! 生まれたときから決まってることや、どうしようもないことを言い訳にして、ずっとそのせいにして生きんのか! あ?」
 陸はまくしたてる拓海の剣幕を、黙って見つめている。鼻からは血が垂れていた。
「俺がこうなったのは俺の責任だ! だから、俺はお前のせいにはしない。お前ごときが人一人の人生変えられるなんて思うなよ!」
 拓海はそう言い放つと、掴んでいた陸の襟首を離した。再び、床に倒れた陸はゴホゴホとせき込でいる。
「俺は、自分で選ぶ。お前にも社会にも流されてなんてやるもんか」
 立ち上がった拓海は吐き捨てるように告げ、そのままルームを出て行った。そして、その足で待機室に戻り、店長に頭を下げた。
「すみません。お客さんを殴ってしまいました。辞めて、お詫びします」
 突然の謝罪に田沼は狼狽えたが、とりあえず拓海をその場に残し、ルームの様子を見にいくことにした。とりあえず状況を確認しないことには、判断がつかないと思ったのだろう。ボーイたちも店長を待つ間、話が見えずに戸惑っている様子だった。騒然とする待機室で、拓海だけが覚悟を決めたような顔で座っているだけだ。
 しばらくして、バタバタと慌てて戻ってくる田沼の足音が鳴り響く。
「カズヤくん!」
 焦った顔で戻ってきた田沼は、拓海を見つめ、こういうのだった。
「ダイチくん、いないんだけど……」

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#不道徳

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