私は何者か、479
悲しい。
言葉が通じないのである。
ずっと前に書いた、異国の山奥のそのまた山奥の話、通訳が少なくとも二人以上は必要で。でも、その時、問われたことも、また、訳されて戻ってきた言葉も、限りなく美しく、人々が待っていたものだった。
それに対して、本日、感じたことは、誰もが望んでいない、そんな言葉。三本目の腕であったり、六番目の指であったり、三つ目の目なら、それは仏像の如く。五つ目のある仏像もあるのだから。けれど、少なくとも私と同じ生物ならば、私とだいたい同じでなければ、それは、馴染むまでには時間がかかるであろう。
そのうえ、わかってはいるが、知らない語法を使う。わたしは、混乱し、また、戸惑い、本心という、頼らなければならないものに、すべて荷重を預けてしまう。
問うたのは、たったひとつ。
含まれますか。含まれませんか。
それだけである。
保身ほど醜く、見苦しいものはない。己を信じよ。
なんのために自分を守るのか。
よりよく生きるために必要なのは、金か、地位か。つまらない。自分のために嘘をつく。自分のためにこそ、嘘をつかないことが、よりよい人生ではないのか。
子供のようだと、笑えば良い。
もうすぐ、子供の日。
なぜ、忘れる。
守られてきたからには、守るものがあるはず。
守るべきものを間違えれば、己も滅びる。
問うことさえ、なくなるんだ。
そんなの嫌だ。そのために生きる。
わたしは何者か。
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