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『ミナト植物園』

「別れよう」

突然、告げられた。
長く育む関係ではないと、最初からわかっていた。それでも二年、続いた。

シーツに染み込んだ、外国製のタバコの香り。何度洗っても消えない。甘ったるい洗剤の匂い、太陽の日差し。それよりわたしが求めるのは、あの人のタバコの香りだった。

水曜の夜がぽっかり空いた。木曜日、寝不足の顔で電車に乗り、会社へ出るのが楽しかった。誰も知らない、あの人との関係。二人きりの秘密。

仕事を休んで、反対方向の電車に乗った。あの人が綺麗だと褒めてくれた、真っ白のワンピース。遠い駅で降り、船に乗った。一時間、波に揺られて、島に着く。小さな島だった。人影はほとんどない。

「植物園があるんだ。島の奥に。あんな海風の当たるところで、よく育つもんだよ。めずらしい昆虫がたくさんいるそうだ。そのうち一緒に行こう」

植物園なんて、興味はなかった。ただあの人と、二人で往来を歩ける。デートを思い描いては楽しんだ。本当に行くつもりだった。少なくとも、わたしは。


『ミナト植物園』

大きな看板が見えた。意外にも真新しい。こんな小島の植物園なんて、どうせ朽ち果て、誰からも忘れられた場所だと思っていた。いまのわたしに似つかわしい、そう思って訪れたのに。

森の小道のようなところを、いつのまにか歩いていた。左手に小川が流れている。見たことのない小さな花々。赤や黄に染まった葉。ほっそりと伸びた木。小鳥が鳴いている。さわさわと揺れる葉の隙間から、日差しが丸くこぼれ落ちる。小道を照らす太陽に案内され、やがて目の前に門が現れた。華奢な作りの黒い鉄門は、人がやっと通れるほど、わずかに開いている。

入ってすぐ、金木犀の香りがした。途端にあの人の顔が浮かんだ。好きな花だと言っていた。色も、香りも。

「君にはこの花が似合う」

秋生まれのわたしに、金木犀をかたどったピアスをくれた。今日、つけてくればよかった。首へ伸ばした指が、裸の耳たぶに触れる。
なにをいまさら。虚しいだけだ。咲き誇る金木犀の強い香りを振り切るように、わたしは中へと歩を進めた。

大きなガラスのドアを押し開けると、そこはもう植物園だった。誰の姿も見えない。チケット売り場を行き過ぎてしまったのか。それとも無料で開放している?

「やあ、いらっしゃい」

突然声がして、わたしは飛び上がるほど驚いた。あたりを見まわす。誰もいない。

「ここだよ。大きな葉っぱの下」

言われて、すぐ目の前にある大ぶりなバナナの葉を見た。




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「ギャア!」

思わず叫んだ。巨大な葉の影で、見たこともない生物がペロリと舌を出している。すぐそばに咲いている、季節外れのチューリップよりもよほど大きな・・・虫?

「よく来たね。誰も来なくて退屈だったんだ。仲間を紹介するよ」

腹の下にびっしりと生えた繊毛をうねらせながら、謎の生物がわたしを先導し始めた。早い。誰かに背中を押されるように、わたしはその後を追った。

「やあ、エディがいた!ボクの親友なんだ」

鋭く伸びたパイナップルの長い葉を掻き分けて、得体の知れないものがのっそりと顔を出した。




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「ギャアアア!」

わたしは先ほどよりもさらに大きな声を上げ、衝撃のあまり尻餅をついた。ちょうどわたしの目の高さに、二匹の体高が合った。

「ビリー、三日ぶりじゃないか」

わたしを先導していた虫が、ビリーと呼ばれて嬉しそうに体を起こした。

「エディ!元気だったかい」

二匹はひしと抱き合うと、互いの繊毛をうごめかし、絡め合った。二匹とも眉を寄せ、恍惚と目を閉じている。球根を引きずってついてきていたチューリップが、恥ずかしげに俯いた。

わたしはあの人の言葉を思い出していた。

『めずらしい昆虫がたくさんいるそうだ』

つまり彼らは、昆虫。


その後、エディ(てんとう虫だそうだ)は、親友のビリー(こちらは玉蟲)と、たまに繊毛の先をくっつけたり離したりしながら、わたしに彼らの「仲間」を紹介した。



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マリリン。ミナト植物園きってのセクシー美女。長い足が自慢。近々6度めの出産を控えている(カマキリ)。



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クリスティーヌ。マリリンから譲ってもらった、お古のハイヒールが宝物。マリリンのようになりたい15歳(ワニ)。



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ナターシャ。マリリンが唯一悩みを打ち明ける相手。もうすぐ飛魚に変化(へんげ)するのではないかと噂されている。本名は源二郎(バッタ)。



マリリン、クリスティーヌ、ナターシャの3匹は、わたしの履いていた淡いピンクのハイヒールを大層褒めてくれた。不気味な容姿に身じろいでいたわたしも、彼らの陽気な声につられてつい笑顔になった。楽しい語らいに時が過ぎる。あっという間に日が傾き、最終の船が出る時刻が迫った。

植物園のガラスドアの手前で、エディとビリー、それにチューリップのミキが、揃ってわたしを見送ってくれた。

「また来てね」
「元気でね」

船のデッキで、土産にもらったバナナを食べた。夕日が沈んだ空を見上げる。

「あ、一番星!」

少女のように歓声を上げた。

『男なんて、星の数ほどいるわよ』
マリリンの言葉が耳に蘇る。

今夜はきっと、潮の香りに包まれて眠るだろう。
もう一度見上げた空には、数えきれないほどたくさんの星が瞬いていた。



はるさんのイラストを元に作ったお話です。

シリアスなものに笑いを含ませたいとき、楽しい話題に花を添えたいとき、ホラー小説の恐怖を和らげたいとき。様々なシュチュエーションで使用してもらえたらいいなと思っている。

なぬ!ホラー小説とな。私も使いたい!と声を上げたところ、はるさんからどうぞとお返事をいただきました。

そこから、このようなやりとりに。

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山ごもり3晩が待てず、起きてすぐ書いちゃった。

ホラーより恋愛ものになってしまったけど、はるさん、怖いの苦手って言ってたから、こっちのほうがよかったよね?

とても楽しかったです。はるさん、ありがとう。
みんなも、noteをほっこりさせたいときは、みんフォト「はるがはく」でレッツ検索!

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。