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2024/5/9 暖かい毛布とたくさんのネジ

朝ドラのヒロインが生理に苦しんだ今朝、くしくも私も生理に苦しめられていた。
PMSもそれなりなのだが、始まっても腹が痛いし気持ちも何だかもんやりする。ついでに気圧にも振り回されている感じ。

こういう日はつい暗い考えばかりになる。あんまりすすまない仕事から、やりたくない手続きのこと、面倒な見積もりのこと、作っていない請求書のこと、救われない犬や猫のこと、景気が良くなさそうな未来とか、以前見かけたミソジニストたちの心無い悪口とか、どこかで響く銃声とか、子どもの泣き声とか。

ひと月ほど前、施設に入っている伯母を見舞った。小さく白くなって、ちょこんと車椅子に乗せられた伯母に、私たちは狭いが清潔で明るい施設のロビーで面会した。利用者に提供される今日の食事とおやつが展示され、解放された扉の奥の遊戯室で体操する一群の笑い声が聞こえ、吹き抜けには大きな絵が飾られていた。

容姿がものすごく美しく、15離れた妹である母に「あの人こそが災害よ」と言わしめるほど気性が荒く、周囲と喧嘩ばかりしていた伯母。亡くなった伯父が人生でたった一度だけ連れてきた婚約者を一喝して別れさせた伯母。きょうだいたちからの評判は微妙だったが、私には優しく、私の2人の息子たちのこともよく可愛がってくれた。

コロナ禍を経てようやく面会できたが、彼女はもうすっかり私たちのことなど忘れてしまっているようだった。母の家(かつて母と伯母は一緒に暮らしていたので、伯母の家とも言う)の近所にある施設なので、母はもっと頻繁に見舞っている。いつもはだいぶおしゃべりだそうだが、その日はあまり調子が良くないらしく、ちんまりとだまって車椅子に乗っかっていた。

子どもらと母と夫と、話しかけたり手をさすったりしながら短い面会時間を過ごした。終始ぼんやりだんまりだった伯母だったが、面会時間もたけなわという頃、ようやくぽつぽつ話し出した。

伯母は夫を「先生」と呼び、子どもたちに「学校から来たの」と言った。「工場でね」「戦況もあまり良くないでしょう」「飛行機が」「モンペの裾がね」「ネジがたくさん必要」「戦争」「戦争」「戦争」。

母の家族は戦中はずっと神田に住んでいた。真ん中の伯母は疎開して、伯父は視力だか聴力だかが悪く徴兵検査に落ちて、母は生まれたばかりでずっと祖母の背中にくくりつけられていたという。伯母は15で工場にいた。ネジを作って、竹槍で訓練して、おつかいの帰りに機銃掃射にあったと。

伯母は95歳になって、戦争ではない世界を生きた時間の方が圧倒的に長い。そのほとんどを忘れてしまった今、残っているのは15歳の、あの戦争のことなのだ。それほど強烈な体験だったのだろうということは想像にかたくない。可愛いパジャマを着て、優しく介護されながら心があの頃の東京にに戻ってしまった伯母は、今をどういう気持ちで過ごしているのだろうか。

Twitterに並ぶ、戦争に反対するハッシュタグを見ていて思ったこと。

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