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僕らは僕らでした vol.3 〜豪徳寺の夜のスタンドバイミー〜

「ここからボール蹴ったらあの階まで届くかな」

親友Tちゃんの意を決した愛の告白に、そいつはそう答えたらしい。


村上春樹ばりの遠回しな謎の回答は、それからしばらくの間Tちゃんを苦しめることになる。あまりに苦しみすぎたTちゃんを見かねたわたしはある日、Tちゃんをレコーディング現場に連れて行き、当時のプロデューサーさんに話を聞いてもらった。
Tちゃんの悩み相談に対してのプロデューサーNさんの回答が、

「君は今、むき出しの豆‼︎ 今はぬるいお湯をかけられただけでも痛いかもしれないけど、いつかなににも負けない強いさやを身につけるから大丈夫!」

だった。

Nさんもたいがい春樹。
詩的過ぎるのか描写が宇宙なのか、当時のわたし達の心にはとんでもなく大きな変化球として投げつけられたのだった。
はたして剥き出しの豆はお湯をかけられたら痛いのだろうか。

そういえば余談だけれど、また別のある日のレコーディングの待ち時間、なぜか地球滅亡の話になって。そしたらNさんがニヤリと笑いながら、

「もし地球に何か起きた時、最後まで生き残るのはTちゃんみたいなタイプだよ」
と言った。
「わたしはどうですか?」
と聞いたら、
「君みたいなタイプはね、(急に笑いながら)すぐ死ぬよ。あっはっははっは‼︎」
と言っていたのを思い出した。
神泉にある、サンシャインスタジオのロビーだった。

その時期わたしは、メジャーデビューに向けて最終調整の時期だった。
夏の終わりくらい。
毎朝起きるたびに地割れのような蝉の最後の歌を聞いて起きていた。

親友Tちゃんという人


わたしの青春時代を語る上で、絶対に外してはいけないのがこの親友Tちゃんだ。彼女とは中学校の頃から仲が良かった。
同じバスケ部に入り、高校は違ったけれどよく遊んだ。
高校を卒業して彼女は大学生、わたしは専門学校生になっても、その後成人しても変わらず途切れず関係が続いた唯一の人だったかもしれない。

考えてみたら親友と呼べる存在なんて人生の中で数人しかいない。
その時期その時期にできる親友達はしかし、一定の時期を過ごすと特に喧嘩などするわけでもなくいつか疎遠になった。
忙しくて連絡できない、を繰り返すと、連絡したくてもしづらい、に変わるものだ。そんなふうにいくつも時は過ぎ、気がついたら今のわたしには親友と呼べる人はほとんどいない。

それでも思い出すと、わたしの親友という人たちはみんな社交性があった。人当たりよく、誰とでも仲良くなれる、誰からも好かれる、そんな人たちだった。
当時のわたしはそんな親友達とは真逆で、けして社交性があるとは言えない人間だった。人を信用せず、壁の隙間からこっそり人を見て「この人は自分の敵じゃない」と感じられたならば全身見せる。そんな人間だった。
考えてみたら、わたしがどんなに壁からこっそり様子を伺っていても、そんなの気にしない風で接してくれた人がそののち親友になってくれたのかもしれない。
もう会えなくなってしまった人も含めて、その時期親友になってくれたみんなありがとう。


さて。
Tちゃんはまさにそんな人だった。
なんてったって、ある日わたしの母親と最寄駅でばったり会ったからって、そこから1時間ちょっとの距離をずっと母親のお喋りに付き合ってくれるくらい優しくて、しまいには、両親とわたしとTちゃんと彼氏(現旦那様)と旅行に行ったこともあるほど。両親もTちゃんが大好きで、家に遊びに来て欲しいとよく言っていた。

中学生時代も彼女の周りにはいつも人がいた。
ある日、3年4組の教室の前を通ると人だかりができていた。なんだろうと近づくと、TちゃんがTOKIOのLOVE YOU ONLYを踊りながら熱唱しているということがあった。
体育祭も副団長に任命されたり、いつもおちゃらけキャラでみんなを笑わせたり、賑やかな子、大人しめの子、どんなタイプの人とも一緒にいた。とにかく人気者だった。
彼女の中で、人を種類で分けるということがなかったんだと思う。
自分はこういうタイプだからこういう人といよう、とかそういう計算が全くなく、「そこにその子がいるから」という理由なき理由で人と接することができる人だったんだと思う。


一方でわたしは中学生の頃、目立つ子ではなかった。
バスケ部でバスケに燃えつつ、こっそり家で作曲をしてテープに録音するような、今で言ういわゆるオタクタイプだったと思う。
みんなで遊ぶのも好きだったけれど、一人で作曲する時間や映画を見る時間がけっこう好きだったから、中学生時代に友達と遊んだ記憶があまりない。
逆にいうと、遊んだのはたまーにだったから、その時の記憶はけっこうある。

誰とでも一緒にいられるマルチタレント並みのTちゃんとは、わたしのその「オタク」な部分で繋がっていたような気がする。なぜならば、Tちゃんもある意味でれっきとしたオタクだった。二人で学校帰り、いろいろ妄想したりして架空の世界の話をしたり、侍語でずっと話していたり(笑)ちょっとよくわからないような空気感を二人で出していたんだと思う。わたしはTちゃんと過ごすその時間がとても好きだったし、人気者のTちゃんと、他には出せないある種の特別な空気感を出せることに、ちょっとした優越感すら持っていた気がする。


Tちゃんとはそんな人。
「オタクである」という共通点を省いたとしたならば、わたしとは真逆のタイプの人。

成人式の日も、奥多摩のバンガローに行った日も、Weezerのライブを観に行った日も、どんな時も彼女と一緒だった。


思い出があり過ぎる街 豪徳寺


わたしの青春時代を語る上でもう一つ、外せないキーワードがある。
それは豪徳寺という街だ。

住んだのは二年弱。
なんと最後は泥棒に入られて引っ越すことになるのだが。
まぁその話は良いとして。

とにかくこの豪徳寺という街には思い出が詰まりすぎていて、今立ち寄っても胸がぎゅっと苦しくなることがある。
小さな街。
道幅も狭くて、建物もひしめき合っている。
古い家が多いのからなのか?
最近でこそ新しいおしゃれなお店が増えたけれど、わたしが住んでいた当時は、駅前に小さな商店街のみだった。
昔から住んでいる人が多く、のんびりとした昭和テイストな良き街だった。


駅から徒歩3分。
三階建ての三階。8畳の1K。
それがわたしの住処。

当時、19歳くらいの頃の貧乏時代を経て、事務所からのお給料で暮らせるくらいには成長していた。カビの生えたスニーカーや、穴の開いたジャンパーを着ていたわたしに事務所の社長が、
「ちゃんとしたものを買いなさい」
と給料を与えてくれるようになったのを思い出す。


阿佐ヶ谷のロータリーで語り合った(〜僕らは僕らでしたvol.1参照〜)バンドの友達と親友Tちゃんとである日、うちでお泊まりしようという計画を立てた。当時、T君はなぜかオールナイトのイベントには絶対に参加しなかった。仲間達の間で「Tは泊まりNG」という謎の噂が広まったりもした。その理由も馬鹿馬鹿しいくらいの笑いのネタにしていたあたり、若かったと思う。
しかしそんなT君が、豪徳寺お泊まり会には参加するとのこと。

我々3人はざわついた。
T君のバンドのメンバーであるNなんか、
「おい、Tが参加するってよ!どういうことだ⁉︎ 」
と騒いでいたほどだ。

わたしはT君の参加が嬉しかったけれど、あまりにも喜びすぎると不自然だし、あくまでも表面上では平然を装った。
でも心の中では、「どうしよう、夜中にいきなりT君が人間じゃないものに変身したら」「どうしよう、右目から目玉のオヤジ出てきたら」「どうしよう、どこでもドアとか出てきて別の世界に誘われたら」とか、本当にくだらないことを考えてはこっそりニヤついていた。


つまりは楽しみだった。


その当時、同世代の音楽好きな友達と語り合うことがわたしの唯一の場所である気がしていたからだ。何日も前からその日のことを想像しては、目の前の日々をやっとの思いでこなしていたのだった。


そんなお泊まり会前日の夜。Tちゃんからメールが来た。


「どうしよう。Kに呼ばれたから明日行けないかも」

Tちゃんの大恋愛


KとはTちゃんの元彼だった。
もう別れていたのだけれど、Tちゃんはその時点では忘れられていなかった。

Kは二年間ぐらいずっとTちゃんを口説いていた。全然ふりむかないTちゃんにアプローチし続け、ついにある日Tちゃんは落ちた。
付き合いたてはすごくラブラブで、ラブラブ話を聞きながら嬉しい気持ちになっていたのを覚えている。

ある夏の暑い日、TちゃんとKは二人でカラオケに行った。
KはTちゃんに、三木道三の『♪一生一緒にいてくれや〜』のフレーズで超ブレイクした「Lifetime Respect」を歌った。すごく嬉しかったとTちゃんは目を輝かせながら話してくれた。
さらにKはその歌のCDをTちゃんに渡し、

「これ俺の気持ちだから」

と言った。
そしてその二日後、海外行ってくるという理由でTちゃんは突然フラれた。


人の気持ちはわからない。
その瞬間にのみ正直な人は、もしかしたら一番信用してはならない人なのかもしれないとか、そんなことを思ったりした。
わたしも、そのまさかの結末を信じられなかったのだ。


TちゃんとKの恋愛はあっけなくも不本意なまま突然終わってしまったのだけれど、その後もなんとKはたまにTちゃんを呼び出した。Kをなかなか忘れられなかったTちゃんは、誘われる度に気持ちを止められず会いに行った。そこに気持ちがないKの温度に触れるたび、十分過ぎるほど心を痛めながらも。



そしてあの日、豪徳寺お泊まり会の前日にもKから呼び出しがかかったのだ。


わたしははっきりとTちゃんに伝えた。

「絶対行っちゃダメだよ。それ都合の良い人じゃん」

そうは言っても恋は盲目だ。
Tちゃんだってそんなのは承知の上だったわけで。わかった上で、自分の抑え切れない気持ちに抗えず、奇跡の、T君参加の、今後一生あるかないかのお泊まり会だと重々わかった上で、「行けないかも」と連絡してきたのだ。
いや、「行けないかも」ではなく、その時点では「行けない」ということだったんだよなきっと。


恋っていうはそういうところがあるよな全く。
「ここから先には進んではいけない、危険信号点滅‼︎」
そのことを分かっているし、見えているのに、「止まる」という選択肢をはなから除外しているっていう。
「深夜に食べるポテチは太るからやめとけ!」という信号に気づいていながらも食べちゃうっていう、あれと似ているな。

それに加えて若い時の恋愛って不安定で不確か。
熱しかない。
時間軸だって狂う。
1時間が1分に感じたり、下手したら繋いだ手の温もりはここから先きっと自分にはこんな温もりを感じることができないんじゃないかって錯覚してしまったりもする。

好きな人からの「おはよう」からはじまり「おやすみ」で終わる1日。

自分が誰かの所有物であることに安堵して、絶対的な安心感にくるまる毎日。
誰といてもどこにいても、好きな人の苗字の名札がついている感じに浸りながら過ごす。
そんな感じだ。



とにかく。
お泊まり会の前日、わたしはTちゃんと電話で話し合ったんだった。
わたしはしつこいくらい行くのを止めて、Tちゃんは「そうだよね、そうだよね」と言いながら、苦しそうだった。




Nという人について


Tちゃんは結局お泊まり会にきた。
あまり覚えていないんだけれど、夜ごはんはたしかTちゃんと二人で作った気がする。
めちゃくちゃに褒めてくれるT君と、ボロボロにけなすNと。
それについて「なんなのまじで」とツッコミながら、わたしたち4人はいつもそんな感じだった。

当然、Tちゃんの恋愛についての話にもなった。
その時にNが、
「恋愛なんてくだらねえ、そんなひまがあるなら経済を学べ‼︎」
なんて説教していた。

このNというのが、じつは地元の仲間達の中心人物だったりする。
T君を紹介してくれたのもこの人だし、わたしの曲について一番聞いてくれているのも(今だに)この人だったりする。

だがしかし、このNというのは性格で言うと全くもって雑。
よく言うと大らか。
でも雑(笑)
「いいじゃんいいじゃん、細かいことは!」
というタイプの代表選手権があれば優勝してると思う。


奥多摩のバンガローの日(〜僕らは僕らでしたvol.2参照〜)も、本当は最初、幹事はNだった。10数名の大所帯。中には初めましての人も数人いた。
そんな中、彼の計画は彼自身と数名の男子を満たすものでしかなく、とてもじゃないけれど誰もが楽しめるものではなかったし、計画も緻密さはかけらもなかった。
そこで急遽、Tちゃんとわたしで奥多摩旅行に計画変更したぐらいだ。

その時だってそう、さんざんわたしたちを振り回しといてこのNというやつは、そんなこと1%も気にしてない風でどんな状況でも楽しんでいた。そして決まってみんなの輪の中心にいる。


色々と揉めた(私たちとNとで)バンガローだったけれど、なんとかうまくまとまったという初日の夜、盛り上がるみんなを横目に、Tちゃんとわたしは気疲れで早々に寝室に入った。

布団に入りながら、二人で旅の初日を振り返り「なんとかうまくいってよかったよね〜」なんて話していた。
するとしばらくして酔っぱらったNが部屋に入ってきた。
そして、

「この成功は俺のおかげだ」

と言うようなわけのわからな過ぎる暴言を吐いた。
しばらく言い合いになったが、あまりにも頭に来すぎたTちゃんが、

「ちょっとぶっとばしてくる」

と布団から立ち上がりNの元へ向かった。
その時わたしは向かってゆくTちゃんの背中を見ていたのだが、Tちゃんの背中からは確実にラオウ並みの覇気が出ていた。怒り、だった。

ゆっくりと、しかし力強い歩調でNに近づいてゆく…

と、その時。


ごん!!


Tちゃんは天井のでっぱりに頭を強打し、倒れた。


すごい音が鳴った。
それを見たNがケラケラと笑い、Tちゃんは痛さと悔しさに蹲りながら少し泣いていた。


Nとはそんなやつだった。
だがしかし、憎めないキャラクターであることも、そのいい加減さも含めてNであるということも、結局はみんなから一番に愛されるキャラクターだったことも全部、わたしたちはわかっていた。

そう。
そんなNが、Kから離れられないTちゃんにした説教が、
「恋愛なんてくだらねえ、そんなひまがあるなら経済を学べ‼︎」
だったのだ。

しかしその数年後、仲間の中で一番初めに結婚したのはこのNだった。


深夜の土俵入り


豪徳寺の夜は更けていった。
夜中になって、なぜか散歩しようと言う流れになった。
近くにある世田谷八幡宮へみんなで行った。

しばらくは4人で座りながら語っていたのだが、どんな流れからか、TちゃんとNが相撲をとることになった。世田谷八幡宮には相撲の土俵があったのだ。
T君とわたしはおもしろがって応援席についた。
おちゃらけキャラのTちゃんだ。
この時も大いにおどけてわたしたちを笑わせてくれた。

夏の終わり。
気がつけば、夜になると少しひんやりとした風に変わっていた。


「はっけよ〜〜〜い!のこった!」


わたしたちの掛け声で、TちゃんとNはしばらく押し合いになった。
Tちゃんも簡単には負けない。はたして積年の恨みが込められているようだった。


無音。
真剣に押し合う二人。


どうしようもなくおかしくてわたしは笑った。


そしてその時。
一気に前に出たのはNだった。

そのままTちゃんを倒した。


ドン!!


とんでもなく大きな音とともに、Tちゃんは土俵に手をついた。


まさに一瞬の出来事だった。

その時、不覚にもわたしはあのバンガローの夜を思い出した。
「ちょっとぶっとばしてくる」
そう言って天井のでっぱりに頭を強打したTちゃん。


あの時とまるで一緒だった。


またNにやられた。



「だ、だ、だいじょうぶ⁉︎」
急いで駆け寄ったT君とわたし。
冗談のつもりだったNが笑いながら謝った。

たしかに。
そこまで遠くに投げつけられたわけではなかった。
ただNは、相撲をとり合いながら間合いを作ってTちゃんを倒れる格好にしただけだった。しかし、Tちゃんが手をついたその音は明らかに大きく。


誰もいない神社に間違いなく響き渡った。
いや、なんならその音は、豪徳寺中に響き渡ったように感じた。


はっきり言ってその時、わたしもT君もちょっと笑っていた。
実はわたしに関して言うと、奥多摩の夜、バンガローで天井のでっぱりに頭を強打した時も笑っていた。その時は堪えようがなくて涙を流しながら笑った。それにつられてTちゃんも笑って、なんだかわからないけれど、まるでNと3人で笑ってる画になっていたのだった。


だからこそ、豪徳寺のその夜のその光景も、面白い光景だと判断することを許されてるような気がしていた。
だって倒される前のTちゃんはおちゃらけていたし、横綱さながらの土俵入りもして見せていた。

なんというかフランクな空気だった。

しかしその夜、土俵に手をついたTちゃんはなかなか顔をあげなかった。

しばらくその場に蹲っていた。
わたしたちはその空気に一瞬凍った。
どこか怪我したのかもしれない。もしかしたら大怪我かも?そんな空気が漂った。おそらく数秒。でもその時は何時間にも感じた。


「痛い、痛いよもお…」


そのうちTちゃんが弱々しい声で言った。



Tちゃんは、泣いていた。





「なに泣いてんだよお〜大丈夫かよぉ〜」
おちゃらけながら言うNに対して、
「うっさいまじむかつくなんなのN!!」
そう悪態をついたNちゃんはもういつものNちゃんだった。


ハーゲンダッツは未来の味がした


その後、泣いたり怒ったりしていたTちゃんを宥めながら、わたしもNに罵声を浴びせながら、4人で近くのセブンイレブンに行った。

「俺がみんなにアイス奢りたい!みんな好きなの選んで」

そういったのはT君だった。


「なんで〜?なんで買ってくれるのよT君」

みんな驚いて聞いた。

「いや〜、今日は俺にとって特別な日なんだよ!みんなと一緒にいれて最高に幸せなんだよ、今俺」

そんなことを言いながらT君は4人分のお会計を済ませたのだ(わたしはちゃっかりハーゲンダッツ当時の新作クリスピーキャラメルを選んだ)

セブンイレブンの目の前が世田谷線の宮の坂の駅だったので、そのホームに4人並んで座ってアイスを食べた。

それはあの名画、スタンドバイミーさながらのシーンだった。


友情、線路、夜。



夜って特別な時間なんだよな。
みんな眠っていて、世界にはたった4人だけ。
この夜は永遠に続くし、この夜のことは誰にも知られない。

その時、どんなに苦しい日々があったとしても、夜だけはその傷を全ての人から隠してくれる。なかったことにしてくれるし、なにより好きな自分でいられる。そんな気がしていた。


あの夏の終わりの夜。
4人で足をバタつかせながら、もう電車の来ない世田谷線のホームに座ってハーゲンダッツを食べた。

どんな話をしたのか覚えていない。
でも、線路の先はずっとずっと向こうまで続いていたのは覚えている。


翌朝、始発でTちゃんはKのもとに向かった。


一生一緒にいてくれや


世田谷八幡宮の土俵であの夜Tちゃんは泣いた。
わたしたちはあの時、なんというかなにも言えなかった。

それから家に帰ってみんなで寝る準備をしたけれど、土俵でのこともKのことも誰も口にしなかった。



その3ヶ月後、TちゃんとKは完全に終わった。


「カラオケで彼女のための歌を歌う男は信用ならない」

そういう教訓がわたしたちの間で確立された。

夏の終わり。
一つの、美しくもはかない青春の恋が終わった年だった。






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