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僕らは僕らでした Vol.2 〜OKコンピューターは好き?〜

当時、私たちはUKロックに夢中だった。
高校3年生の時、はじめてwhateverを聞いた瞬間に世界が変わったのを覚えている。

はじまりはスピルバーグとヒムロック


その頃わたしはカセットのMTRで宅録をする宅録少女だった。
音楽をはじめたのは小学校4年生の時。映画がとにかく大好きな小学生で、特にスピルバーグ作品の大ファンだった。
そんな映画少女はよく家の8ミリカメラを持ち出し映画を撮影していた。作曲はその映画の主題歌を作ろうと作り始めたのがきっかけ。
その後、BOYでいうとヒムロック派の兄が、ヒムロックや吉川晃司、B'Zに影響を受けたバンドをはじめた。バンド名は「HOPE」

よく覚えてるんだけれど、わたしが中学三年生〜高校一年生くらいの頃、大学生になった兄がバンドの音源を聴かせてくれた。友人だかバンドメンバーだかが録音機材を持っていて、オリジナル曲をレコーディングしていたのだった。
その曲を聞きながら兄は天才だと思ったし、自分もこうゆう曲を作りたいって思ったし、バンドってなんて素晴らしいんだ!と思ったことを覚えている。

ちなみに地元の音楽コンテストに応募した兄の後を追って、わたしもこっそり応募した。わたしはバンドなんて組んでなかったんだけれど、高校の友達の友達で、美容専門学校に行っている人(それだけでかっこいいと感じた高校時代)が音楽をやっていて、ボーカルを探しているから一度歌いにこないかと誘われたのだった。千葉の船橋にあるリハスタでセッションした。
演奏した曲は、当時大好きだったCHARAが出ている映画『スワロウテイルバタフライ』のYEN TOWN BANDの曲だった。
二曲ほどセッションし、その場で録音したテープでこっそりコンテストに応募した。

地元のケーブルテレビが主催しているコンテストだった。
ケーブルテレビのスタッフさんの中には、わたしの同級生のお母さんもいた。つまりコネクションがあったわけだ。だから受かるだろうと思っていた。小さい街だったし、リハもすごくかっこよくセッションできたし。

でも落ちた。
コネクションがあったのに落ちたってけっこうすごいことだと思うけれど、わたしは小さな街の小さなオーディションに落ちたのだった。

世の中、上には上がいた


兄のバンド「HOPE」は受かったので、コンテスト当日に親友を誘って見に行った。兄はかっこよく見えたし、バンドの演奏もうまかったように感じた。客席から素直に敗北を認めた瞬間だったと思う。

大会も終演に向かい、残すところ一バンド。
と、そのバンドが始まると、若い女の子たちが奇声を発しながら最前列に走った。地元のお父さんお母さん、なんならおじいちゃんおばあちゃんとかで埋まっているような会場だったのに。
親友とわたしは驚いて、「え?なに?有名な人が出るの?」とざわついた。
期待とは裏腹に、ステージに上がった男の子たちは知っている有名人ではなく、どこにでもいそうな感じの、同い年くらいの男の子達だった。

しかし彼らの演奏がはじまってすぐに親友が、

「あれ?藤原くんだ!」

と言った。
高校の同級生みたいだった。その偶然に親友は驚きながらも嬉しそうだった。わたしは隣でもう、一曲目からずっと彼らの演奏に心を掴まれていた。

なんてことだ。
めちゃくちゃにかっこいい!

そんなふうに思った。
兄のバンドもすごいと思ったけれど、それとはまた違った感動がその時湧き上がった。
どんな場所でも、知らない人しかいなくても、彼らは高校生の時から一瞬で人の心を掴んでいたのだった。

その頃から、彼らがこの街を代表するビッグアーティストになるであろうことは誰にでもかんたんに想像できたし、その予想を裏切ることなく、のちに彼らは国民的バンドになったのだった。

大会の結果は言わずもがな、彼らの圧倒的な優勝。
兄は審査員特別賞をもらっていた。

自分の兄のバンドが賞に選ばれたことが誇らしく、
そして、同い年の天才に出会えたことが嬉しく、
自分のデモテープが最初の段階であっさり対象外になったことなど忘れてしまっていたし、一緒に歩く親友は、高校の同級生のいきなりのスーパーヒーロー化に脳味噌がついていっていないようだったし、とにかく帰り道のことはほとんど覚えていない。

世界は広くて上には上がいる。
その世界に自分も早く追いつきたい。

そんな思いに支配されていたんだと思う。
あれは高校二年生の夏だった。


その後すぐだったと思う。洋楽が流行り出していた。
「洋楽を聴いていたらかっこいい」
というのも何となくあったけれど、言葉がわからないのになぜかサウンドやメロディラインが心地よい「かっこいいと思える」というところが良かった。

高校三年生の時にはじめてoasisに出会って衝撃を受けた。
whateverは神曲だった。

一軒家の二階の自分の部屋の窓。
そこに腰掛けて(あぶない)何百回もリピートして聞いた。

来年には東京の音楽専門学校へ行く。
やっと自分の人生を歩ける。

今思うと希望しかなかったあの日。
夕陽は赤く、前の家の屋根を照らしていた。

Radioheadではどのアルバムが好き?


「Radioheadではどのアルバムが好き?」

この質問はマストだった。
そして回答はマストでOKコンピューター。

奥多摩川の夜の肝試し


奥多摩川のバンガローだった。
20歳くらいの時期、ユーカリが丘の地元の友達中心に集まったメンバー総勢10数名でキャンプをしに行った夜だった。
バンガローは、有名映画「リング」のロケ地にもなった場所だったから、当然肝試しは盛り上がった。貞子が井戸から這いあがってくるシーン。あの場所だった。
肝試しは3チームに別れて、それぞれ仕掛けをして脅かし合うというものだったから、わたしたちのチームは、「部屋を暗くしてテレビの砂嵐の映像を流す」というシチュエーションで、他のチームの登場を待った。友達の一人は、張り切って宇宙人だか怪物だかなにかのお面も買っていて、それを被って他のチームの登場を隠れて待った。
暗い部屋に数名で待つ時間、ワクワクしてドキドキした。
どんな顔で入ってくるのかな?「わ!」と背後から現れたら驚くかな?
いろんな期待があった。


しばらくして、ドアの向こうが騒がしくなった。
いよいよだ!
最高に胸が高なった。


真っ暗な部屋。
砂嵐の画面だけが部屋に浮き出る。
ザーッと言う音以外何も聞こえない。

みんな一斉に息を止め、脅かすタイミングを待っていた。

その時。
いきなり部屋の明かりがついた。

「え?なに?なんで?」

あまりにも突然のことに動けなかった。
ドアが開き、外にいた別のチームが一斉に部屋に入ってきた。
そして、私たちなんて眼中に入っていないかの如く、ドタドタと慌しそうに二階に駆け上がっていく。二階から布巾を持ってきたようだった。
階段を駆け下りながら一人の子が振り返ってわたしたちに向かって叫んだ。


「〇〇ちゃんが吐いちゃったの‼︎」

それからが大変だった。
わたしと、そして同じチームだった親友も、お化け屋敷の仕掛け人からいつの間にか汚物処理班に加わった。

若気のいたりというかなんというか。
楽しいからって飲み慣れていないお酒を飲むとこういうこと起きるよねラインキング上位に入る出来事だと思う。


飲んだお酒をぶちまける。


彼女、今は飲めるようになっているだろうか。
そんなことは知る由もなく。
背中ではテレビの砂嵐がただただ聞こえていたんだった。
そう言えば、お面をかぶってキッチンに隠れているはずの友達の顔は見れなかった。

好きなものを好きってちゃんと言えなかった時代


キャンプファイヤー、バーベキュー、ドッジボール、川で泳いだり、酔っ払って涙を流すまで笑ったり、とにかく最高の数日だった。

そして最終日。
蝋燭を立てながら、質問ゲームみたいなのをやった。
誰かが質問して、その答えを一人づつ言っていくみたいなやつだったと思う。


「Radioheadのアルバムでいうとどのアルバムが好き?」


という質問を出したのは、宇宙人だか怪物だかのお面を買ってきた友達だった。みんなの答えはOKコンピューター。
あの頃、RadioheadファンはみんなOKコンピューターの出現に震えていた。もちろんわたしもその中の一人だったのだけれど。擦り切れるほど聞いたし。アレンジに影響を受けたバンドもたくさん出てきた。
もう絶対。OKコンピューターは絶対。

でもわたしは、ザ・ベンズが好きだった。
そんなに売れてないアルバムだったみたいだけれど、High And Dryが好きすぎた。メロディが美しくて切なくて、何年経ってもちょっとウルッときてしまうくらい好き。


だけど、なぜかあの時は言えなかったんだよな。




自分の好きなものを人に伝えることが怖かった時期がある。

中学校の時、鞄が自由になって好きな鞄で登校して良くなった時、友達と原宿は竹下通りまで鞄を選びにいった。
そこで一目惚れしたコカコーラとロゴの入ったスポーツバッグを、翌日とある女の子に、「未歩ださ〜い!」と笑われた。
その後もその子は、わたしが友達と買ったお気に入りのミッキーのTシャツを「ださい」と笑った。

専門学校の友達は、メロコア、スカコアが好きな子が多かった。
そこでスカダンスを知らないと言うと、「え?スカダンスも知らねーの。だせーな」と笑われた。


メロコア、スカコア、ハードコア、R&B、ヒップホップ。
兄の影響でヒムロックの元で育ち、CHARAに憧れ、oasisが好きだったわたしは、その辺りを全然聞いてこなかった。
(学校にはoasis推しのギターロックバンドの一派もいたが、その子たちは上記音楽好きな子たちとはあまり仲良くしていなかった)

わたしはどのジャンルにも一組か二組は好きなアーティストがいたし、曲で言うともっとたくさん、いろんなジャンルが好きだったと思う。
それに、カラースキニーを履いたかわいい女子にも、ボディーピアスあけまくりで全身ビョウが刺さった服を着ていつも文句ばかり言っている男子にも、全身無印の大人しめ男子にも、全身ミルクボーイだった原宿好きな男子にも、bulle de savonを着た不思議系女子にも興味があった。

自分と全く違うファッションの人が、どんな考えを持ってどんな音楽を聴いているのか。将来はどんな生活をしたいと思っているのか。


まぁとにかく。
そんな感じで雑種的な考えがあったわたしは「自分の好きなもの」を聞かれると、同時に心のどこかで

「ださいって思われたくない」
「みんなが好きって言ってるものを好きって言うのが正解」

と思っていた節があったのだ。
だからあの夜も、

「OKコンピューターがかっこいい!」

と言う友達に、

「わたしはザ・ベンズが好き‼︎」

と言えなかった。



どうしたら自分の好きなものをちゃんと好きって言えるんだろう。
なんでみんなはそんなにかんたんに好きなものを好きって言えるんだろう。



永遠の謎に思えたそのことも、しかし翌日朝日が昇るとどうでもいいことに思えて考えなくなる。それを繰り返し、そしてある日、またどこかのタイミングで自分の「好き」を聞かれて尻込む。
そしてなぜかと謎に思う。


あの頃。
なにかにつけ、迷ったし悩んだことは多かったと思うんだけど、
今思うと、答えはなんでも良かったのかもしれない。
答えを見つけたくなかったのかも。

大切なのは、
「自分には誰にも知られてない謎がある」
と言うことだったのかも。

自分がちょっと得体のしれない感じであることが、良かったのかも。


答えを見つけそうになるたびに、逃げてたのかもな。




つづく









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