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学習とは、経験によって行動が変容すること。
心理学において学習とは、経験によって行動が変容することをさす。
学習の定義はさまざまにあるのだろう。
学習とは…
① 学びならうこと。学校などで勉強すること。
② 教育学で、広くは精神、身体の後天的発達をいい、狭くは、過去の経験をもとに新しい知識や技術を習得することをいう。
③ 心理学で、経験によって、過去の心理的、行動的な経験をこえて新たな行動の仕方を習得すること。
好みの問題ではないけれど…
私にとっての学習とは、心理学の定義が最もしっくりくるし、最も大切にしたい視点だ。
「学び習うこと」も、「新しい知識や技術を習得すること」も、もちろん大切だとは思っているけれど…。
では、どうして、心理学の定義がしっくりくるのだろうか?
自分自身の実感で、「学んだ」と評価できることの大切さ。
「学び習うこと」や「新しい知識や技術を習得すること」は、それを確かめるために、知識試験や技術試験といった他者が作成した試験によって確かめることが主となる。自分で試験を作って「できた」と感じても、他者から「できている」と評価されないと納得できない。
「他者の評価」>「自己の評価」という関係性となる。
従って、評価が自己評価的なものではなく、外的な評価となりがちとなる。
しかし、「行動が変容すること」は、他者から「変わったね!」と言われることよりも「自分自身」で「あっ、自分は変わったな!」と実感できることの方が、より評価できる。
というか、他者からいくら「変わったね」と言われても、自身で変わったと実感できなければ、納得はできない。
「自己の評価」>「他者の評価」という関係性となる。
”個”を重視するのであれば…
”個”を重視するのであれば、”個”が自身で納得して成長できた=変容したと納得できることが重要となる。
他者と比較して「よりできている」ことを求める時代ではなくなってきているのであればなおのことだ。
とするならば、他者は、どうやって声を掛けることができるのだろうか?
sawarockさまから、とても嬉しいコメントをいただいた。
以前Twitter(現X!!)で見つけた、カナダの成績の文言に関する投稿を思い出しました!
https://x.com/zikatu1/status/1593377297649631232
カナダの成績は4段階らしいんだけど、その言葉がカッコいい。
— エイ (@zikatu1) November 17, 2022
・Beginning(はじまったばかり)
・Developing(発展中)
・Applying(応用中)
・Extending(その先へ)
これ全部、現在進行形(〜ing)
子どもはみんな成長の途中。評価の言葉にもエールを感じるカナダのセンスがカッコいい。
評価の言葉にもエールを!
評価者が、ここまで到達してね。という見方ではなく、「応援しているよ!」という見方。
とても素敵だな〜と感じた。
シェアすることをあえてしなかった自分から脱却
昨日で、100日連続投稿を終えた。
がんばったと自分で思えたから、SNSでシェアした。
これまでの投稿にいくつもコメントをしてくれた方がいた。
とてもありがたいことだ。
その中で、教えていただいた「カナダの成績」のつぶやき。
はっとした。知らないことってたくさんある。
「学習」した。
そして、気がついた。
noteという広い空間の中で、実は「閉じこもっていた自分」に。
シェアして読んでもらうことによって、”変容”することのきっかけをいただいた。
私のnote第2章が、今はじまった気がする。
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