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自己紹介

子供の頃は、他人の土俵に連れ出されて嫌々ながら相撲すもうを取らされているような違和感の中で、フワフワ生きていたような気がする。

少し大きくなった頃から、この世界に争いをもたらす「お金」がなくなったらいいなと思うようになった。

そして、嘘つきで汚い大人たちの社会に対して、嫌悪感を持って眺めていた自分がいた。


そんな風だったから生きづらくもあり、そんな気持ちになってしまう原因を早く究明し、自分自身をこの汚い世界が好きになるように改造(改悪)するか、それとも自分が好きになれる「美しい世界」に世界の方を改造するかしかないと思っていた。


子供の頃は、「人生論」とか「幸福論」とか「芸術論」といったタイトルの本や、忍法とか魔法とか禅とか神秘的なものとかに目が奪われた。
そういうものに救いを求めていたのだろう。

子供の頃からずっと詩や音楽や美術などの芸術に興味を持ってきたが、14歳くらいの頃「なぜ人間は芸術を行為するのか」を考察し、それさえ解き明かせれば、「人間とは何か」も理解でき、これから先に自分が取るべき行動もわかってくるように思っていた。

そして、いつの日にかこの世界の成り立ちのすべてを理解して、様々な謎も矛盾もすべて解決して、「ああ、これがこの世界だったのか」と、それを手のひらに乗せた水晶玉のように眺めて安心できる日が来ると信じていた。

水晶4

自分自身をこの世界が好きになるように改造(改悪)するか、それとも自分が好きになれる「美しい世界」に世界の方を改造するかしかないと思って始めた自分探しだったが、この世界が好きになるように自分を改造することは22歳の時にあっけなく成功した。

心の底から信頼できる年上の彼女ができたからだ。
その日から、自分が嫌悪していた人間の世界がバラ色に変わった。

大人たちの自己中心的で利己的な振る舞いを嫌っていた僕は、もちろん自分だけの利益や幸福を求めることにも罪悪感を持っていたが、彼女との出会いは、その罪悪感を蹴散らすほどの力があったのだろう。

それと同時に自己中心的で利己的な振る舞いをする人たちのことが理解でき、共感し、許せる気持ちが起きたのだろう。

仕事も楽しくなったし、次に出かけるデートや旅行のことを考えると毎日がワクワクした。罪悪感を持たずに、個人的な喜び、楽しみ、幸せに浸ることができた。

自分の日常生活はそれで少しは改造(改悪)されたが、しかし、いざ世界に目を向けると、まだあらゆる場所で人間同士が、そして国同士がいがみ合いをしているニュースは毎日のように入ってきてしまう。


だから、「自分が好きになれる『美しい世界』に世界の方を改造する」気持ちはなくならなかったし、むしろ、それをしない限りは自分の心は永遠に満たされることはないということに改めて気づかされた。
そしてこの気持ちが、その後自分が生きていく上で、たった一つの目標となった。

30歳後半くらいになった頃、それまで興味がなかった「科学」を、独学で学び始めていた。
今までの方法論で人間や世界を理解することに限界を感じてしまったからだ。
興味がなかったというのは言い過ぎかもしれない。
大学受験のシステムが、早くから文系か理系かを選択することになっていたせいで無理やり引き離されてしまったようなものだ。

自分の専攻は芸術(美術)だった。世界平和には芸術が必要だと考えていたからだ。それまで科学は平和とは逆行するようなイメージを抱いていた。

だけど芸術では世界を根本から変えることはできないと限界を感じ、世界平和にはむしろ科学が必要だと気が付いた。

そのことに気づいた後、物理学、化学、生物学、哲学、心理学‥‥など、図書館に何度も通ったりして広く浅く、時に狭く深く勉強していた。ついでに、自分の苦手な経済学や政治学や法学に関することにも挑戦してみたが、それらは途中で興味が失せて何度挑戦しても挫折で終わった。

今、この文章を書きながら考えてみて、どうして「経済学や政治学や法学」などは勉強する気になれなかったのかがわかった。

科学とはそもそも、この自然界様を師と仰ぎ、そこからこの宇宙の成り立ちや仕組みを学ばせていただこうとする謙虚けんきょな学問なのだが、「経済学や政治学や法学」などは、人間の基準で作った仕組みにのっとって、人間に役立たせるために作り上げた傲慢ごうまんな学問だったからだ。


筋肉の動く仕組みを知りたくて図書館に通い詰めているうちに、ある素晴らしい本と出会うことができた。
それは、日本のある学者が、筋肉の動く仕組みを調べるために何度も実験に失敗しながらも、ついには正しい結論にたどり着いたという研究の過程を記述したものだった。

それを読んだ時には驚愕だった。

これほどまでに科学者は、緻密で綿密な実験と観察を粘り強く繰り返し、筋肉の動く仕組みを調べ上げていたのかと思うと、その努力と熱意に畏敬の念が湧いた。

そのようにして科学が解明していたこの「筋肉が動く仕組み」を是非あなたにも知ってほしい。あの頃と違って、今ではインターネットで検索すれば、たくさん出てくるはずだ。
きっとぶっ飛ぶような経験をされることだろう。

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それはジグソーパズルのバラバラだったピースの組み立てが、一気に加速したかのように爽快だった。
ゴールが近いことを予感した瞬間だった。


脳の仕組みや、遺伝子や、免疫系や、電磁気や宇宙科学や量子論などはワクワクしどうしだった。
心が鬱状態の時でも、それらを録画したビデオを見ると気持ちが明るくなるほどだった。
放送大学やNHK人間講座は無料だったのでむさぼるように貪欲に受講しまくった。


それまでほとんど知らなかったジャンルだったから尚更、現代科学が解明しているものの凄さを知って、身震いするほどだった。
科学者はその事実を公表したら都合が悪いので庶民には隠しているのだ、と思えるくらいに衝撃的に‥‥

そう、実に衝撃的に‥‥すでに科学は人間や宇宙を解明していたのだった!

その勢いのままいくつかのメルマガを発行し、自分が知った「現代科学が解明しているもの」を、ホームページを作って発表し、Yahoo!の掲示板で多くの人と語り合ったりもした。以下がメルマガで発表していたものだ。

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その頃働いていた会社がつぶれ失業保険をもらい、保険が終わったらまた仕事を見つけ、また会社がつぶれては失業保険をもらい、ということを何度か繰り返していた。

しかしそれは自分にとっては好都合で、その失業中に集中して勉強し、その勉強の成果を文章にしていた。
それまで発信してきたメルマガも編集してPDFファイルの作品にした。


こんな自分に不満も言わず着いてきてくれた妻に、できあがったそれらの作品を見せると「いつこんなに勉強してたの?」と驚いた。
内心、仕事に縁がない残念な人間だとしか思われていなかったのかもしれない。

46歳になった時、ついにその日がやってきた。
この世界、いやこの宇宙と言ってもいい、そのすべてを映し出す水晶玉を手のひらの上に乗せることに成功したのだ。

水晶玉と少女3


こんなことを言うと、「あり得ない。そんなのはお前の単なる妄想だ。勘違いだ。いったい何様だ。お前は神か」などと突っ込みを入れられてしまうかもしれない。

だけどそうではない。

それは自分が完膚かんぷなきまでに打ちのめされた日だった。


そして、もし人類が、科学が解明しているものを映し出しているその水晶玉を覗き見たとして、その絶望感からもう一度立ち上がることができたなら、自分が子供の頃から願っていた「美しい世界」の扉が開くかもしれない、と希望を持った日でもあった。


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★★★   未来モデル小説   ★★★
ブンシニズム・ドット・ネット
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。