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【概説】愛すべきモンスター!(by分身主義)

農民芸術概論


1.あなたも「愛すべきモンスター!」

偉業を成し遂げた人などに対して、「怪物」などと形容して称(たた)えることがよくありますよね。

でも本当は、あなたも、あなたも、あなたも、あなたも、み~んな‥‥、他の誰も経験できないあなただけの《環境》で‥‥、世界中のみんなの代表となって生きてくださっているという意味で、それこそ我らの称えるべき「怪物」さんなんです。

それをジジイは「愛すべきモンスター!」と呼ばせていただいています。
だから、モンスターと言っても、貶(けな)してるんじゃなくて感謝して称えているんだよ。

ところで、今さらりと《環境》という言葉を使ったけど、本当は、あなたも、あなたも、あなたも、あなたも、み~んな‥‥、あなたを取り巻く《環境》に思考させられ行動させられていたんだ!

信じがたいかもしれないけど、そしてまだほとんどの人が気づいていないけど、これが科学が解明した僕たちの「行動のメカニズム」だったんだ。科学が自然界様から聴き取った真実だったんだ!

無意識で行為している瞬(まばた)きはもちろんのこと、手の上げ下げ一つにしても、スポーツにしても、おしゃべりにしても、テレビのコメントにしても、演説にしても、漫才にしても、ライブ演奏にしても、人間のどんな行為も、自分の意志という《自分発》で行っているものは一つとしてなくて、すべてが《環境》によってこの脳に浮かび上がらせ・られた「意志」にやらされていたということだ。

詳しくはこちら ⇩
(『人間に自由意志があると思い込むのは個人の自由ではない』)

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これは、ジジイが、科学が解明したものを整理・統合して突き止めた事実の一つだけど、それらを土台として世界を見る視点のことを「分身主義」と命名しました。(『📌分身主義とは』)

ちなみにジジイが言う《環境》とは、この宇宙が約140億年前にビッグバンという産声を上げてから、途切れることなく連綿と続いてきた全ての現象が作り上げている「今この、瞬間、瞬間」のことです。
だから、当然、先祖代々続く遺伝も含まれます。そして、もちろん、今この瞬間に飛び交っている様々な情報も含まれます。

要するに、見えないものや聞こえないものや感じ取れないものも含めて、この身体を取り巻く「何もかも」ということです。それがジジイの言う《環境》の意味で、僕たちはみんなその《環境》に動かされていた電気仕掛けのロボットだったのです。

詳しくはこちら ⇩
(『人間に自由意志があると思い込むのは個人の自由ではない』)


2.分身主義の視点

ジジイは、他の誰も経験できない自分だけのこの《環境》に、思考させられ行動させられていることをすでに知っています。今、キーボードで一字一字確かめながら、脳をフル回転させてこのnoteに日本語で入力していることも、この《環境》にやらされているということです。

「やらされている」と言っても、別に、嫌々ながらという意味じゃないよ。

それに、ジジイが「やらされている」って言うと、《環境》がある意図をもって我々を操っている、と言っているように受け取られてしまうかもしれないけど、そういう意味じゃ全然ないよ! 
誰かの言いなりになって「やらされている」、と言っているように受け取られて、反感を持たれてしまうとしたらそれは悲しい。

《環境》が何らかの意図を持って我々を支配しているわけではない。他に適切な言い方が見つからないから「やらされている」と言っているだけなんだ。

それに人間だって、誰かをある意図を持って支配することなんて、実は絶対にできなかったんだ。

《環境》にやらされているということを知るということは、むしろ、人は絶対に何者も支配できないし、誰からも支配されない、ということを知ることなんだ。
この「支配」という言葉を「イジメ」に置き換えるともっとわかりやすいと思う。

つまり、《環境》にやらされているということを知るということは、むしろ、人は絶対に誰もイジメることはできないし、誰からもイジメられることもない、ということを知るということなんだ。

例えば、A君がB君をイジメているように見えても、それはA君がB君をイジメるような《環境》にA君とB君が置かれることになったので、お互いにそのような関係になる行動を「取らされていた」ということなんだ。

ちょっとややこしいけど、A君が、A君を取り巻く《環境》に、B君をイジメるような「意志」を持たされて、それに従って行動したという意味だ。A君を取り巻く《環境》にはもちろんB君も含まれるよね。

だから科学的に言えば、B君も、A君がB君をイジメる行動に加担していたということだ。そしてその二人の行動を制御していたのが、彼らを取り巻く《環境》だということになる。

でも、これは「イジメの原因はイジメられる側にもある」などという短絡的なことを言っているんじゃないよ。それを超越したことを言ってるのをわかって欲しい。

科学の各分野の壁を取り払って、それらを整理・統合して、人間の行動のメカニズムを調べて行ったらこの真実にたどり着いた。

これがわかると《環境》さえ変われば、A君はB君をイジメるような行動を取らなくなるし、B君もA君にイジメられることもなくなる、ということがわかってくる。

結論めいたことを言ってしまえば、今の人類が作っている《個人主義的な環境》が、イジメを作っていた、ということだ。

もっと視野を大きくして、植民地と被植民地の関係や独裁者と民衆の関係にしても同じだ。誰もが、その時代の《環境》に、たまたま植民地側の人間や被植民地側の人間や独裁者や民衆を、やらされているだけだったんだ。140億歳の宇宙と世界中のみんなが作っていた《環境》にね。


例えば、どこかの国の大統領や大企業の社長など、社会を動かしているような人たちを思い浮かべてみてください。

でも、彼らが社会を動かしていたわけではなくて、彼らは《環境》に大統領や大企業の社長にさせられ、《環境》に思考させられ、《環境》に行動させられているに過ぎなかった。そういうことだ。

つまり、その《環境》を作っている140億歳の宇宙や、現在の人間たちの思考形態や、周囲の人たちや、絶え間なくやってくる情報などに、彼は動かされていたということだ。

この言葉が間違いないということは、彼のことを、彼が生まれる前から、そして生まれてからの足跡をずーっと見て来れば、彼の「意志」で何かを行っていたことなど何一つなかったということをわかっていただけると思う。「意志」というのは今まで考えられていたような「自分由来」のものではなくて、彼の《環境》が彼の脳に浮かび上がらせていたものだったんだ。

だから彼は《環境》にやらされていた、とジジイは言っているんだ。

詳しくはこちら ⇩
(『人間に自由意志があると思い込むのは個人の自由ではない』)


同じように、世界中のみんなだって、一人残らず、その人を取り巻く《環境》に動かされていたんだよ。

でも、まだまだ人類はこの事実に気づいていないから、まるで自分の力で何かを成し遂げたと思って得意になっていたり、自分の力不足で何かを成し得なかったと思って落ち込んでいたりしているというわけなんだ。
(『人間に自由意志があると思い込むのは個人の自由ではない』)



ジジイは、30歳代後半になって、現代科学を猛烈に勉強し始めた。「平和や幸福を願う気持ち」で自分探しをしていたら、それまで疎遠だった科学がどうしても必要になったからだ。

別に科学者ではないから、分野にこだわらず、「平和や幸福を願う気持ち」を忘れずに勉強しまくった。そして、ついに、今話したような「人間の行動のメカニズム」などを知ることになる。

ジジイは自分が知ったこの自然界の真理に、取り敢えず「分身主義」と名前を付けた。名前なんてどうでもいいんだけど、名前を付けなければ誰にも説明できないからね。そして、もっとわかりやすくするために、下のように、分身主義の【第1定理】と【第2定理】と名前を付けてみた。

僕たちは、科学的に見れば、この宇宙という劇場の中で「人間という配役を任された役者」だったんだ。そして僕たち一人一人のことを、そしてこの宇宙万物の一つ一つを「分身」と呼ぶことにしたんだけど、では「僕たちの全身」は何かと言えば、ビッグバンという産声から始まったこの宇宙だったんだ。

つまり、上の図で言えば、一番右端に当たる「現在の宇宙」というのが僕たちの「全身」の姿だったんだ。

本当は、あなたも、あなたも、あなたも、あなたも、この宇宙の「分身」で、そして、あなたの本当の「全身」はこの宇宙だったんだよ。

分身主義とは


これがジジイが科学を勉強しまくってたどりついた真理だ。

この短い、分身主義の【第1定理】と【第2定理】だけど、実は、これにはこの宇宙の全てが含まれていて、そして人類のあらゆる営みがもれなく書き込まれている。すべてを俯瞰(ふかん)して見通しているという意味だ。

これこそが、ジジイが、科学を通して「自分探し」をして行った先に辿り着いたものだったんだ。

この世界の成り立ちのすべてを理解して、様々な謎も矛盾もすべて解決して、「ああ、これがこの世界だったのか」と、それを手のひらに乗せた水晶玉のように眺めて安心したかった。(『自己紹介』)

水晶玉




そして、この分身主義の【第1定理】と【第2定理】を世界中の人の心と潜在意識にストンと落とすことができれば、世界からあらゆる悪行が消え、人々のあらゆる悩みが消え、人間のどんな行動もみんなのためになる行動に変わる。

それほどの力を持ったものなんだ!

3.みんな《環境》に産み落とされ、思考させられ、行動を取らされていた

この分身主義の視点の特徴の一つは、お互いを「愛すべきモンスター!」として誇り合うものなんだ!

これはたとえ犯罪者だって、みんなの代わりにその《環境》の被害者となって犯罪を犯してしまった人という意味で「愛すべきモンスター!」なんだ。

犯罪者に対して「愛すべき」などという言葉を使うのは、違和感があるかい?

もしジジイがその犯罪者の《環境》で生まれ、その人の《環境》で育ち、その後もその人の《環境》で生きていたら、残念なことにジジイがその犯罪をやってしまっていたわけだ。他人事のような顔をして、彼を批判している場合じゃないんだ。

誰もが「分身主義」の視点を持てれば、彼を責めるのではなくて、むしろその《環境》の犠牲となって犯罪を犯してしまった彼を救う気持ちを持てるようになる。自分の「全身」を救うためにね。

もっとも、世界中の人が分身主義的な視点を持てたその時には、その《環境》からは、もはや大それた犯罪は発生し得ないけどね。

なぜ自分の「全身」がこの宇宙かと言うと、科学的に見たらこの宇宙の万物は全部つながっているからなんだ。人間が勝手に名前をつけて分割してしまっているだけだったんだ。

だから、どこかに不調が起これば必ずそれは全体に伝播する。人間は恐ろしく鈍感なので、自分にも起こっているその変化に誰も気づいていないだけなんだ。その逆に、自分の変化が周囲に伝播していることにも気づかないでいる。


君が、もし、ジジイの環境(さっきも言ったように環境には先祖代々伝わる遺伝も含まれるよ)で生まれ育って、その後もジジイの《環境》で生きていたら、顔も身体も性格も知能も行動も、ぜ~んぶ‥‥、つまり、このジジイそのものになっていたんだよ。「そんなの嫌だ」なんて言ってもダメ。そういうことなんだ。

そして今のジジイの代わりに、君がnoteにこの記事を投稿していたはずなんだ。この視点、感じてもらえるかなあ!?

僕たちはみんな《環境》に産み落とされ、生かされ、思考させられ、行動を取らされていた、というのはそういう意味なんです!

だから、みんなに代わって、この《環境》で、このジジイという分身が生きてあげているんだからね。「みんなの誇るべき分身」なんだ。「愛すべきモンスター!」って呼んで、まるで自分のことのようにジジイを誇りに思ってくれなきゃだめだよ!😃


えっ!?
「ムリムリ、それは生理的にムリです~」だって!?
「犯罪者や格好悪いジジイを誇りに思えなどと言われても、受け入れられるわけないですよ~」ですって!? 言ってくれるねえ。
「ついにジジイは頭がおかしくなっちゃったよ」ですって!? おいっ!


う~ん。でも君がそう思うのも無理はないんですけどね。
だって、僕たちは科学時代に生きてはいるものの、実際は、まだ「神話」の中で生きているからなんだ。つまり、人間の想像力や感性に頼って自然界を解釈していた頃のままという意味なんだ。

人類が「神話」を必要としたのは、ある意味当然のこととも言える。

自我のない動物たちは「自然界と地続き」と言えるけど、人類は、他の動物たちと違って言葉を持ってしまったことで「自我」が作られ、この自然界から迷い出てしまったからなんだ。
だから人類は、「ものがたり」がなければ生きられなくなったしまったとも言える。

では、現代の人類が思考させられ行動を取らされているこの《環境》とは、つまり、人類が作り上げた「ものがたり」は一体どんな様相をして立っているものなんだろう。

4.「ものがたり」が必要だった人類

迷子の人には地図と羅針盤が必要なように、言葉を持ってしまったことで迷子になってしまった人類には、「ものがたり」という地図が必要で、そして進むべき方向を指し示してくれる羅針盤が必要になったんだ。

言葉を持ってしまったことで、他の動物たちと違い、自然界と対峙たいじするようになってしまった人類には、他の動物にはない、強烈な「自我(これが自分であると信じているところのもの)」が生まれることになる。

「自我」は、本当は、我々の身体に張り巡らされている「神経系」が見ている錯覚に過ぎないんだけどね。

迷子になった自分を自覚するようになって、不安でいっぱいの《環境》に置かれた人類には、想像力でこの自然界を理解・解釈する必要が生まれた。そうして最初に作られた「ものがたり」という地図が神話であり宗教だった。羅針盤というのはさながら神や教祖たちの言葉だ。

それによって、ホッとして、安らかな気持ちでその道を信じて歩いていけるようになる。

あるいは、現在では、お金が作った「世界経済」という地図(=ものがたり)が幅を利かせているのかもしれない。そして羅針盤は、お金を持っている人の方向ばかり指し示し、その場所に世界中のお金は集まるようなとても不公平な羅針盤だったんだ。


つまり、すべての不幸の大元の原因は、人類が、さっき言った「自我」という錯覚を持ったことだった。「自我」は神経系が見ている錯覚だと言ったよね。でもそれ以来、その錯覚に人類はがんじがらめに縛られることになる。

そして、それは必然的に、ひたすらに、「個人主義」的な《環境》を目指すことになるんだ。


見回してごらんよ。
この人間界の日常を。

人間界の日常


今までの人類が作った「ものがたり」は、どんなものでも人間中心だった。宗教やスピリチュアルにしてもそうだ。神様や自然界中心のようでいて、実は人間中心の傲慢なものなんだ。自分たちの想像力や感性でこの自然界を理解・解釈しようとしたものだったという意味だ。

今では自然界に完全に背を向けて、人類はまるで自分の力で生まれてきたとでも言わんばかりに威張っているように、ジジイには見える。「自立、自立!」などと急き立てて、人間はまるで自分ひとりの力で生きて行ける強い存在だと言わんばかりだ。

今では、人間は自然界の上に君臨し、自分たちが自然界を管理しているかのように勘違いしている。でもジジイに言わせれば、そうではなくて、自然界に、自然界を管理するかのように動かされていただけの、相変わらず弱い存在なんだ。

お釈迦様の手のひらから一歩も出ることができなかった孫悟空のように、人間はどんなことをしても「自然界の手のひら」から逃れることはできないんだ。

孫悟空

孫悟空が、我こそは世界で一番なりと威張り散らして乱暴狼藉(らんぼう₌ろうぜき)を繰り返していた頃のことです。ある日お釈迦様は、彼を自分の手のひらに乗せて言います。
「悟空よ。わたしの右の手から飛び出してみなさい」
彼は、「お安い御用だ」と言って、自分の觔斗雲(きんとうん)に乗って宇宙の果てだと思われる場所までどこまでもどこまでも飛んで行きます。

そして、そろそろ宇宙の果てかと思われる場所に柱が5本立っていたので、柱に「孫悟空」と自分の名前を書いて、ついでにその根元におしっこを引っ掛けて意気揚々と帰ってきます。

でも、戻ったところでお釈迦様の指を見て、びっくり。
そこには、孫悟空が書いた文字がありました。
どんなに飛んでも、彼はお釈迦様の手の中からは一歩も飛び出していなかった、というお話です。

孫悟空は、その後、見違えるように謙虚になります。
そして、三蔵法師という偉いお坊さんと出会い、民衆を救うために天竺(てんじく)までお経を取りに行く彼の旅のお伴をしたのです。



この傲慢になってしまった人類の行きつく先が「個人主義」だったんだ。

だから今僕たちはそのど真ん中にいる。


このように、人類は言葉を持った時から、「自分」という神経系の錯覚にガチガチに縛られてしまうことになり、それゆえに、「個人主義」的な《環境》を作ってしまうことは、言わば必然的な流れだったわけだ。

ほら、思い出してみて。さっきの君の言葉。

「え~、それはムリです~。生理的に絶対ムリ、ムリ」
「犯罪者や格好悪いジジイを誇りに思えなどと言われても、受け入れられるわけないですよ~」
「ついにジジイは頭がおかしくなっちゃったよ。こy、こy」

これが、今の僕たちが「個人主義」的な《環境》から浮かび上がらせ・られる感覚であり、発想であり、そこから出てくる言葉だったんだよ!

何となくわかるでしょう!?
これが「個人主義」的な感覚だということが。とても排他的で、イジメの社会を作ってしまいやすく、SNSなどの誹謗中傷のように他人を批判したり、そして敵を作り過度に警戒したりする行動を取らせてしまうんだ。

「分身主義」的な《環境》に変化しない限り、互いを誇りに思い合う気持ちは湧いてこないんだ。

「分身主義」の視点は、迷子になってしまっていた人類が、自分の真の姿を知り、本来の居場所を見つけ、自然界の万物(=全ての分身)と手をつないでいるので、先ほどの赤い字で書いたものは全部自然消滅する。

今までは、有識者と言われる人たちが集まってどんなに議論しても社会は良くならなかったし(逆にどんどん悪くなったし)、罰則を強化するしか対策が見つからなかったけど、そんなことしなくても一瞬でなくなるんだ。

これは、科学的に人間の行動のメカニズムを知ったから、確信を持って言えるんだ。つまり、《環境》に思考させられ行動させ・られていたので、《環境》が変わりさえすればいいということだったんだ。

「分身主義」の視点が作る《環境》は、お金に頼らなくてもよくなるので、と言うか、お金は役に立たなくなるので不要になり、お金が作っている今の世界の代名詞だった「詐欺的文化」も一斉に浄化され消失する。

科学時代を生きる僕たちは、世界が平和になってみんなが幸福に生きるために、これからは「科学が作った”ものがたり”」を持たなければいけない!

「科学が作った"ものがたり"」、それが分身主義だ。


5.科学が作った”ものがたり"‥‥分身主義

ここに辿り着いたのが、実験や観察を何度も繰り返して自然界を理解しようとする「科学」であって、人間の想像力や感性で自然界を解釈しようとする「宗教」でも「スピリチュアル」でも「哲学」でもない点が大事なところなんだ。

宗教やスピリチュアルなどは、それを信じる個人を救ってくれて、個人的にはとても良い生き方をもたらしてくれるものかもしれない。でも、それらは世界を一つにしてくれるものではないし、世界中の人を幸福にしてくれるものではないとジジイは考えている。

むしろ違う宗派の人や、違うスピリチュアル系の人や、違う思想の人同士は対立して、争いに発展してしまう可能性もあるし‥‥ね。それが人間の想像力や感性で自然界を解釈しようとするものの弱点であり宿命だと思う。

だけど、科学は違う。

例えばこの世界に100の宗教があったとして、全部の宗教の信者を足すと100億人だとする。その信者がそれぞれ自分の宗教が絶対だと信じて譲らないとしても、現代では、その100億人は、科学が発明した、携帯、パソコン、電子レンジ、車、飛行機‥‥などを例外なく使いこなして互いに連絡を取り合い、互いの国に旅をしたりしているはずだよね。

科学だけは誰もが信じて一つになれる可能性があるということだ。

どんな宗教の人でも、どんな民族でも、どんな思想を持っている人でも、電気が供給されているところであれば、人差し指でポンとスイッチを押しさえすれば、電気炊飯器で必ず美味しいご飯が炊けるよね。

ヒンズー教の人がスイッチを入れれば中からパンが飛び出してきたり、菜食主義の人がスイッチを入れればホカホカの焼き芋が出てくるなんてことは、万に一つも起こり得ない。必ず同じ一つの結論に至るじゃない。

科学が解明した電気というものは目には見えないけど、美味しいご飯を食べさせられたら、それはもう、この世界には電気は確かに存在する、と有無も言わずに信じるしかないじゃない!

もし、「科学なんて私は信頼できません!」と言うなら、その人は、恐くて車にも飛行機にも乗れないだろうし、携帯もパソコンも使わないだろうし、ご飯も火で炊くことだろう。そんな人、世界に一人もいないよね。

それが科学のすごいところです!

科学は、誰がどんな宗教や思想や固定観念を持っていようと、世界を一つにして世界中の人を幸福にしてくれる可能性を秘めているんだ。


問題は、現代の人たちの大半が科学がどんなにすごいことを解明していたのかを、知らされていないことなんだ。学校じゃ教えてくれないし、大学で教えてくれても専門分野に限ったことで、科学者だって自分の分野以外には疎(うと)い人たちもたくさんいる。それに、むしろ科学者ほど職業柄、近視眼的なんだ。

つまり、ジジイのように「平和と幸福を願う気持ち」で各分野の垣根を越えて整理統合する人が、今までいなかったんだ。

その整理統合したものを、わかりやすく一言で言うために、「分身主義」などと名前を付けたけど、本当は「現代科学が解明しているものの単なる開示」だ。みんなが知らされていなかった科学が解明した事実を、整理統合したものに「分身主義」と名前を付けただけなんだ。

ただし、分身主義とは、99%が「現代科学が解明しているものの単なる開示」だとしても、その科学を必要としたものは、1%の「平和と幸福を願う気持ち」と言ってもいい。
ジジイのこの1%が科学を必要としたという点で、科学を専門に勉強する人たちと出発点からして違うと思う。

「平和と幸福を願う気持ち」で「現代科学が解明しているもの」を調べまくった成果を作品にした初期のものだけど、もしよかったら読んでみてください。

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本当は、これはジジイがやることではなくて、世界中の学校で九九を教えるように、学校で教えるべきことなんだ。世界を平和にするためにみんなが習い、みんなが持たなければいけない視点だからだ。

科学時代を生きている僕たちが、神話の時代を卒業して、科学が教えてくれている「視点」を持つのは当たり前の話だよね。

世界中の人がこの「分身主義」の視点を持ち、それをしっかりした土台にして始めれば、後はすべてがうまく行く。この人間界で迷子になって溺れそうになっている僕たちを一人残らず救い出してくれる!


世界中の人たちが「自分の全身」はこの宇宙だったと知り、宇宙万物と手をつなげるようになり、また人間には自由意志などなかった(『人間に自由意志があると思い込むのは個人の自由ではない』)と知った「分身主義」的な視点を持つことを、ジジイは「科学的覚醒を果たす」と言っている。

人類が「科学的覚醒を果たし」た暁には、この《環境》は「個人主義」的な《環境》から「分身主義」的な《環境》に自然に移行する。

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「個人主義」的な《環境》の中にいて、いくら「イジメをなくしましょう! 誹謗中傷はやめましょう! 罰則を強化しますよ!」などと標語、スローガンを作って押し付けたり脅したりしても無理なんだ。

でも《環境》さえ「分身主義」的なものに変化すれば、先ほどの赤い字で書いた嫌なことは瞬時に消滅する。なぜかと言うと、やっぱり僕たちは《環境》に思考させられ、《環境》に行動させられていたからなんだよ。


6.「愛すべきモンスター!」シリーズ

そんなわけで、科学が作ったものがたり「分身主義」だけど、その視点で世界を見回すと、不思議なことに、「すべての人を自分たちの分身として誇り合う」気持ちが湧いて来る。

他の誰も経験できない、その人だけの《環境》の中で、我々の代表として生きてくださっている「愛すべきモンスター!」だったと、互いに誇り合うことができるんだ。

たとえ惨めで格好悪い生き方をさせられる《環境》にいる人であっても、その人しか経験できない《環境》の中で、世界中の人の代わりに惨めで格好悪い「生」を生きてくださっている「愛すべきモンスター!」なんだ。

だけどこれも不思議なことに、そう思うと、ジジイは惨めで格好悪い自分に、なんだか誇りが湧いて来るんだよ!


★  ☆  ★  ☆  ★


そこで、ジジイは、「愛すべきモンスター!」シリーズとして、一人の人に焦点を当てて紹介するという形で、これから不定期で執筆していこうと考えている。

まず初めにご紹介する分身さんは、絶対にこの人に決めている!

阿部謹也(あべ きんや)分身さんです。(1935年 - 2006年)

知らない人が多いかもしれないけど、ドイツ中世史の第一人者の歴史学者で、一橋大学の学長でもあった分身さんなんだ。

タイトルは個人主義の幕切れは近いにしようと考えています。
遅筆なジジイだけど頑張って書きます。絶対面白いから投稿したら読んでくださいね。




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★★★   関連記事(保存版) ★★★
📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)
📌個人主義から分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

★★★   未来モデル小説   ★★★
ブンシニズム・ドット・ネット
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。