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運命は誰が決めるのか(by 分身主義)


農民芸術概論


先日、YouTubeで漫才やコントを見まくってゲラゲラ笑い転げていたら、気になる広告が流れてきてつい最後まで見てしまった。上の見出し画像がそれだが、言わずと知れた、我らが *愛すべきモンスター「池江璃花子分身さん」の動画である。

彼女の競技復帰までの軌跡を描いた映像作品「The Center Lane(センターレーン)」。国際的な賞を数々受賞されている映画監督、是枝裕和(これえだ ひろかず)分身さん制作らしい。

*「愛すべきモンスター」の意味
人間の行動は《環境》にコントロールされていると知った分身主義では、誰もが、他の人には経験できないその人だけの《環境》を、全人類を代表して生きてくださっている分身さんであるという意味において、お互いを「愛すべきモンスター」として誇り合います。

(この記事は読むのに30分くらいです。コーヒーでも用意してゆったりとお読みください。【11.293文字】)


🔖① ジジイでも女性に貢献できたという話

ちなみに、この動画の最後に次のような文言が流れていた。

「SK-IIは、#ChangeDestiny 資金を準備し、本年の拠出額を50万ドルを上限として、SK-II STUDIO の映像1再生につき1ドルを、運命を変えようと踏み出す女性への様々な支援活動に拠出します。参加団体は後日発表します」


化粧品の会社ならではの、女性向けの素晴らしい企画である。
なかなか感動的な動画もたくさんあり、気づいたら、ジジイは10ドルくらい寄付させていただいていた。(これを寄付と言えるのか?)

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🔖② 世界を絶望から希望へ

2019年2月に「白血病」を公表し、世界中が驚きと悲しみと絶望のどん底に突き落とされたあの日から、わずか594日で競技会に出場し、50メートル自由形で26秒32(同組1着)をマークした、我らが *愛すべきモンスター、池江璃花子分身さん。

なんとすごいことだ!
奇跡が起こったぞ!

あのガリガリに痩せてしまった身体と頭を丸めた彼女の姿を知っている誰もが、心の中でそう叫んだことだろう!

一変して、世界中を歓喜と希望と感動で包んでくれた。


ところで、今回の記事は、この動画の冒頭に刺激的な真っ赤な画面が現れ、そこに浮かび上がる『運命は、誰が決めるのか。』という、この映像のテーマとも言える言葉に、こだわってみたいと思う。

この動画はもちろん「運命は、自分自身が決めている。自分が変われば運命も変えられる」「自分の強い意志こそが、自分の運命を切り開く」と言いたいのだ。

この動画の最後に流れる彼女の言葉だ。

過去のこととか気にしてても何も変わらないので、とにかく自分は何をすれば何か未来は変わるのかっていう‥‥
後ろを振り向く必要はないかなと思っています。
何か一つのちょっとだけ違った行動だったり考えで、運命とか未来って簡単に変わると思っているので、だからこの今のこの瞬間をどう生きるかどう大切にしていくかっていうのを、自分の人生においても誰の人生においても大切なことだなっていうふうに思っています。

「何か一つのちょっとだけ違った行動だったり考えで、運命とか未来って簡単に変わると思っている」
実際に困難を克服した彼女だけに、確かに説得力ある言葉に感じる。

ジジイはこの言葉に茶々を入れる気持ちはさらさらない。
それどころか、ある意味とても励まされる。

だけど、ポジティブに生きようとする人たちが大概、口にしそうな、
「運命は、自分自身が決めている。自分が変われば運命も変えられる」
「自分の強い意志こそが、自分の運命を切り開く」
は本当なのだろうか!?


🔖③ 運命を決めていたのは”自分”じゃない

SK-II さんは、運命を変えようと踏み出す女性を応援するためにこれらの動画を作ったのだから、それを見た多くの女性も励まされていることだろう。

だけどここで、少しだけみんなにも視点を変えてみて欲しいんだ!
今までの当たり前だった常識や固定観念、今までの当たり前のように浮かび上がっていた感覚を、一旦取り外してみて欲しい。

一旦、全てを疑ってみて欲しいんだ!


池江璃花子分身さんは、兄姉の影響で3歳の時に水泳を始め、5歳の時にはすでに、自由形・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの4泳法すべてで50mを泳げるようになっていた、という驚異的に身体能力の高い人だ。

そのような資質は、もちろん自分の「意志」で身に付けたわけではない。
間違いなく彼女を取り巻く《環境》が彼女に与えたものだ。
それに、彼女が生まれた《環境》に「水泳」というスポーツがなければもちろんやってもいなかった。

また、この社会に「泳ぐ速さを競い合う」という文化がなければ、彼女の中の闘争心に火が付くこともなかったし、勝ち抜いていく快感に酔うこともなかっただろう。この本能的な感情も、彼女の意志で身に付けたわけじゃないよね。

そう考えると、《環境》に彼女は背中を押されて水泳をやってきたんだ。
もちろん彼女だけでなく、世界中の人が一人残らずそうやって生きている。

どこかの企業の社長になることも、どこかの国の大統領になることも、どこかで乞食になることも、どこかで犯罪を犯してしまうことも‥‥世界中の人が一人残らずそうやって、《環境》の中で生かされている。

例えば肉体改造をする場合を考えてみよう。
それは、《環境》に浮かび上がらせ・られた、「肉体改造をするぞという”意志”」により、自分の行動が変えさせられ、その行動によって変化した自分の身体の周りの《環境》に、自分の肉体が改造させ・られた」というのが実際のところだ。

ちょっとややこしいけど、「肉体改造をするぞという”意志”」さえも、《環境》に作られていたということだ。


実は、彼女の言う「運命とか未来を変えてくれる、何か一つのちょっとだけ違った行動だったり考え」も、全部《環境》が与えてくれていたものだったよね。

つまり、「運命は、自分自身が決めている。自分が変われば運命も変えられる」のではなくて、
「自分の運命は、《環境》に浮かび上がらされた意志の力に従って、変えさせ・られていく」というのが実際のところだ。


そしてその《環境》を作っているのは世界中のみんなだったんだ。もちろん自分も、その《環境》を作っている一人ではあるけれど。

でも、大切なのは、その《環境》に目を向けることだったんだ。

🔖④ 運命は《環境》が決めていた

*分身主義*によると、つまり現代科学が解明したことによるとという意味だけど、「運命は、誰が決めるのか」の答えは、「運命は《環境》が決めていた」ということになる。自分じゃなかったんだ。下記の記事にその根拠を書いています。

*分身主義*とは、科学が解明してくれたものを拾い集めて行った先に、たどり着いた真実と言える。あるいは科学が語ってくれた真実のものがたり*****、と言ってもいいと思う。

科学が解明しているものを整理統合してわかった「自分とは何か」とか、「人間はどのようにして思考し、そして行動していたのか」ということによると、今まで人類が信じてきた「自分」という感覚は、まったくの錯覚だった。

科学が解明してくれたものを拾い集めていった先にたどり着いた真実は、次の2点に凝縮できる。

1、この身体が自分というのは、神経系の見ていた錯覚であった。科学が解明した「自分」は約140億年前に産声を上げたこの宇宙だった。

2、我々には今まで言われていたような「意志」などなかった。《環境》から浮かび上がらせ・られた「意志」に、思考や行動を取らされていただけだった。


つまり、先ほど、ちょっと考えただけでもわかるように、池江璃花子分身さんは、自分の意志で水泳というスポーツを作ったわけでもなく、競泳という種目を作ったわけでもなく、元々は自分の意志でスイミングスクールに通い始めたのでもなく、また自分の意志で辛い練習を続けてきたわけでもなく、全てが《環境》にやらされていたのだ。

もちろん、白血病も彼女の意志で罹(かか)ったわけではないよね。

同じように、病を乗り越えたのも「彼女の意志」のお陰ではなかった。

誰もが、「彼女は強い意志で病気に打ち勝った!」と賛美することを望むだろうけど、それは、まだ人類が、科学が解明しているものを知らなかった頃の、昔の発想とも言うべき、とんでもない勘違いだったんだ!

科学的に言うなら、「彼女は《環境》に浮かび上がらせ・られた”意志”によって、病気に打ち勝た・された」というのが正しい。

そもそも、今まで「自分の意志」と言われていたものは、(錯覚の)自分の脳に、《環境》から浮かび上がらせ・られていた「意志」のことだったんだ。


🔖⑤ みんなが一緒になって池江璃花子分身さんを優勝者にしていた

強いて言えば、《環境》によって彼女の脳に浮かび上がらせ・られた「意志」に、彼女は頑張ら・されていたと言える。

そう考えると、別に、彼女が特別、偉かったわけじゃなかったんだ!

もし彼女の優勝がことさら「偉い」ことだと言うのなら、彼女の《環境》を作っている世界中のみんなが彼女を勝利させていたのだから、「みんなが偉い」と言うことになる。


彼女と逆の人を考えてみよう。

同じように辛い練習を続けても、優勝できない人はたくさんいるはずだ。そんな彼らは、自分の努力不足だとか才能不足だと落ち込んだりするだろう。
場合によっては、池江璃花子分身さんを妬んだり、激しく憎んだりする人もいるだろう。

だけど、誰もが《環境》に背中を押されて生きてきたと知れば、別に、彼らが特別、出来が悪いわけではなかったんだ!

むしろ、優勝できない分身さんたちがいてくれなければ、池江璃花子分身さんの勝利もあり得なかったんだ。

そうだろう!?

競争というものはそういうものだ。

誰かが優勝するためには、その他の人がすべて敗者になってくれる必要がある。勝利者(優勝者)はみんなで作っているという意味がわかるだろう!?

つまり、優勝者や敗退者や泳がない人たちや、世界中のみんなが一緒になってこの人間界の中に「競泳」というゲームを作っていて、そこでスイマーを競わせることで、みんなが一緒になって池江璃花子分身さんを優勝者にしていたんだよ。

だから、もし彼女の勝利がことさら「偉い」ことだと言うのなら、「世界中のみんなが偉い」と言ったんだ。

それなのに何かを成し遂げた場合、それは自分「個人の」能力だとばかりに得意になったり、その人「個人」だけが世界中の人の称賛を浴びたり、その逆に、何かを成し得なかったのは自分「個人の」の力不足だと思って落ち込んだり、慰められたり憐れまれたりしていたのが、今の《環境》で生きている我々の現状ではないだろうか!?

とんでもない勘違いだったんだよ!


🔖⑥ 科学が解明していることを知らされていなかっただけ

人類に、このような勘違いをさせてきた今までの《環境》を、ジジイは「個人主義的環境」と呼んでいる。

「自分とは何か?」「人間はどのように思考し行動していたのか?」ということを科学が解明したのは、ごく最近になってのことだ。それはほとんどの人がまだ知らない。科学者でも知らない人がたくさんいる。

それをまだ知らない我々が作ってしまっていた、今までの《環境》のことを「個人主義的環境」とジジイは呼んでいるんだ。

もう一度、ごく最近になって科学が解明した事実を繰り返しておこう。

1、この身体が自分というのは、神経系の見ていた錯覚であった。科学が解明した「自分」は約140億年前に産声を上げたこの宇宙だった。

2、我々には今まで言われていたような「意志」などなかった。《環境》から浮かび上がらせ・られた「意志」に、思考や行動を取らされていただけだった。


「個人主義」としてすぐに思い浮かぶあの大国。どこの国とは言わないけど、「〇〇リ〇〇ドリーム」という言葉があるように、個人主義的環境は競争が大好きだ。なにしろ、全ては「個人」の能力で成し遂げると考えているから、その能力とやらを競いたがり、誇示したがるんだ。

そして、特別な能力がある「個人」を、やんやと褒めそやし崇めたてる。それは、その人の中に自分を投影して見ているか、いつかはその人のように褒めそやされている自分を夢見ているからだ。それが「個人主義」的環境の中を生かされている我々分身の行動パターンだとも言える。

今や世界中が「個人主義的環境」に毒されているとも言える。

いたる所で「競争、競争」だよね。そして、どこの国とは言わないが「〇メ〇〇〇ドリーム」のように、最終的には大金持ちになることを目標とする。何故って彼らの言う「成功」とは金持ちになることだから。

そのために学校では成績を競い合い、社会に出ても仕事の能力を競い合い、それに勝った人、つまりたくさんの収入を得ることができた人が価値のある人間のように見なされる。今はまだ、お金が価値を決める未熟な世界だからね。

だから、たまたま、その《環境》にうまく乗れない「環境」にいた人間を、負け組などと呼ぶ。

だけど、世界で最も裕福な8人の人たちの資産を作るためには、世界人口のうち下位50%(約36億人)の人たちがどうしても必要だったわけだ。

世界で最も裕福な8人の人たちの資産 の合計は、 世界人口のうち下位50%(約36億人)の資産の合計と同じ。
(国際非政府組織(NGO)オックスファムの2017年のデーターより)

勝ち組の人たちだけでなく、負け組の人たちも加わって、みんなで資産家を作っていたんだよ。何故なら市場にばらまかれる紙幣は無尽蔵に刷るわけにもいかず、その限りある紙幣を人類は奪い合っているだけだったからだ。


🔖⑦ 競争ってそんなに必要なの?

人類にとって「競争」ってそんなに必要だったんだろうか?
100メートルを10秒切るか切らないかって、ある人たちにとっては生きるか死ぬかの問題だけど、人類にとってもっと大事なことを見落としてないだろうか?

「競争が世界を発展させた」って君は言うかい?
じゃあ、発展って何?

科学的には、つまりこの自然界にはと言うことだけど、「発展」などという言葉はないんだよ。あるのは、「変化」だけなんだ。それをある人間の感情や価値観を通して見た場合に「発展」と呼んでいるだけだったんだ。

でもそれは、違う人間の感情や価値観を通して見た場合に「衰退」「退化」にもなる。

ちなみに「進化」という言葉には「進歩」とか「より良くなる」というようなニュアンスがあるけど、これも科学の言葉ではない。
ダーウィンの「生物進化論」という言葉は、間違えて付けてしまった言葉なんだ。本当は「生物変化論」と付けるべきだったとジジイは主張している。

自然界を基準にして眺めると、あらゆるものが「変化」しているだけで、「進歩」という言葉も間違いなんだ。さっき言ったように、進歩していると見るのは、人間の感情や価値観を通して見た場合だよね。

科学とは、人間の感情や価値観を極力排除して、自然界様に教えを乞うものだ。人間の感情や価値観を差し挟んでしまったものは、それは‥‥、それはあくまでも「非科学」なんだ。


ちなみに、大辞林で「進化」という言葉を調べてみると、次のように説明している。

「生物は不変のものではなく、長大な年月の間に次第に変化して現生(げんせい)の複雑で多様な生物が生じた、という考えに基づく歴史的変化の過程
種類の多様化と、環境への適応による形態・機能・行動などの変化がみられる。この変化は、必ずしも進歩とは限らない。また、生物だけを対象とするにとどまらず、社会進歩観を背景に社会進化論が生まれ、さらに全宇宙・全物質を歴史的変化の中でとらえる概念にまで拡大される」

このように、大辞林には「変化」という言葉が使われていて、「必ずしも進歩とは限らない」と念まで押されている。

だったら紛らわしいから、最初から「生物進化論」は「生物変化論」と名付けて欲しかったよ、ほんとに。

それに、この中に書いてある「社会進化論」というものが、*優生学に応用され、あの忌まわしいナチスの優生学的政策(ユダヤ人や障害者や病人の殺りく)に利用された。

*優生学
優秀な人間の血統のみを次世代に継承し、劣った者たちの血筋は断絶させるか、有益な人間に改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動。

これは科学を装ってはいるけど、根っ子にあるのは人間の感情や価値観や思い込みや欲望だから、そんなもの科学でもなんでもない。完全に「非科学」だ。

だけどこれは、真の科学を知らないで、上っ面だけの科学の方法論を利用した人間たちが悪かっただけで、科学には一切罪はないんだからね!

今となっては、人間中心の、感情や価値観で事を成そうとすると、人間はいかに愚かな過ちを犯してしまうかわかるでしょう!?

そんな間違いを二度と繰り返さないためにも、人類は、感情や価値観や思い込みによらない「真の科学」が必要なんだ。


もう一度君に質問するよ!

個人主義的環境の中にいる僕たちは、子どもの時から「競争、競争」で生きてきた。
でも「競争」って本当に、そんなに我々に必要なものだったんだろうか!?


🔖⑧ 競い合って勝利するから感動が生まれるだけじゃない

現在の我々の「個人主義的環境」の中では、競い合って勝利することは感動を生む。でもその陰で多くの人間が涙を流したり、妬んだり、恨んだりしてもいるんだけどね。

自分という「個人」が評価され尊重されることは、個人主義的環境に置かれている脳にとって、最大の喜びを感じるようにできているからだ。

あなたは他の人より頭がいいです。
あなたは他の人より金持ちです。
あなたは他の人より美しいです。
あなたは他の人より速く走れます。
あなたは他の人より力持ちです。
あなたは他の人より影響力があります

そのように評価されると、個人主義的環境に置かれている脳はうっとりするようにできているからなんだ。

でも、もし我々の《環境》が、*分身主義的環境*になったら、我々の脳はむしろ、そのような評価を受けた時、今のジジイのように不快な気持ちになるはずだ。《環境》が変われば、この脳に浮かび上がる感覚も変化すると言ったよね。

だから、*分身主義的環境* になったなら、思考や行動も、世界を平和にするものに変わる!

今が個人主義的な環境だから、争いや競争を生んでいただけなんだ。紛争、戦争、犯罪‥‥ほとんどの悪は、個人をたっとぶ「個人主義的環境」が生んでいたんだ。

現代人には「個人を尊ぶ」というのは、良いことだという感覚があるはずだ。
だけどそれは、実は、とても「傲慢」な感覚だったんだ!
僕たちが「個人主義的環境」にどっぷり浸かって、ある意味、この社会に洗脳させられているから、そのことに気づかないだけなんだ。

ジジイはフィギアスケートは大好きだけど、本当は試合よりも最後に自由に滑るエキシビションの方が好きだ。

別に、競い合って勝利するから感動が生まれるだけじゃない。

サーカスだってジャグリングだってダンスだってマジックだって音楽だって、競わなくてもそれそのものだけで感動することはできるよね!?

我らが誇るべき羽生結弦分身さんの、先日の感動的なエキシビションを見たかい!? 「花は咲く♪」に乗せて滑っていたよね。彼自身も2011年の東日本大震災の時、仙台市にいて、4日間の避難所生活を経験したらしい。被災された人たちや、悲しい思いをしたみんなを励ますために滑ったのだろう。実に感動的だった。

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彼だって、みんなが作っている「愛すべきモンスター」だったんだよ。みんなというのはもちろん、彼も体験した自然界の現象である地震や津波も含めている。ジジイがいつも使う言葉で言うと、この140億歳の宇宙の全てが彼を動かしていたんだ。

そうだろう!?

我々、宇宙のみんなが彼の滑りを作っていたんだ!
本当だよ。君も彼の滑りに関与していたんだ!

それに、君だって彼と同じ、世界中のみんなの「誇るべき(みんなに愛されるべき)モンスター」なんだ!
たとえ君が今、どんな生き方をしていようと、羽生結弦分身さんや池江璃花子分身さんや、他のどの分身さんにもできない君の《環境》で、みんなの代表として生きてくださっている「愛すべきモンスター」だったんだ!

*「愛すべきモンスター」の意味
人間の行動は《環境》にコントロールされていると知った分身主義では、誰もが、他の人には経験できないその人だけの《環境》を、全人類を代表して生きてくださっている分身さんであるという意味において、お互いを「愛すべきモンスター」として誇り合います。


🔖⑨ 本当に大切な一つのもの

ジジイは前回の note に投稿させていただいた『宇宙に一つだけの目的(科学が解明した‥本当の自分)』(2011年制作)で、次のように書いていた。

およそ、宇宙を漂っている私たち人類が、仲良く生きることを犠牲にしてまでも決定しなければならない重大事項なんて、ただの一つだってありはしません!


あんなに可愛くてみんなに愛されるキャラの池江璃花子分身さんだから、きっと闘病中にもたくさんの人に励ましの言葉をもらったことだろう。

その、みんなが作る《環境》が、彼女の脳に「生きようとする強い意志」を浮かび上がらせたんだ。自分の力で「意志」を作ったわけじゃない!

もし彼女に届けられたのが励ましの言葉でなく、誹謗中傷だったら、どうだっただろう。

若くして死んでしまった女子プロレスラー「木村花分身さん」を思い出してください。彼女だってあんなに可愛いのに、厳しい女子プロレスという《環境》で生きなきゃならなかったため、嫌われキャラを演じさせ・られることになり、悲しい結果になってしまった‥‥。

ちなみに、科学的に言えば、自殺というのは絶対にあり得ない。
我々は「自分の意志」で行動をしていたわけではなく、《環境》に浮かび上がらせ・られた「意志」に従って行動を取らされていたわけなので、自殺は「自分の意志」で行ったのではなく《環境》にやらされたのだ。
だから、本来の意味の「自分で自分自身をあやめる」という「自殺」は絶対に不可能なんだ。すべてが《環境》に殺されたという意味で、どこまでいっても「他殺」以外にあり得ないんだ。
もっとも、科学的に言えば、この身体が「自分」ではない以上、「自殺」という言葉自体ナンセンスだったんだ。


《環境》が、彼女の脳に浮かび上がらせたものは、それは、池江璃花子分身さんとは正反対のものだったようだ‥‥。

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‥‥‥‥。

今の君にはまだ受け入れ難いかもしれないけど、《環境》が我々の脳に意志を生み、その意志に行動は取らされている。これが科学が教えてくれた真実だったんだ。

この、科学が教えてくれた真実を知って、それを受け入れれば、「”自分”の強い意志で、”自分”の運命を切り開いて”自分”の人生を生きる」などと気を張って生きるより、ずっとみんなが仲良く手をつないで生きられる世界になる。

それに、「自分で決めた自分の人生なのだから、何が起きても自己責任だ」などと言われて突き放されるより、ずっと優しい世界になる。

その方が「競争」の中を生きるより、僕たちにはずっといい!

およそ、宇宙を漂っている私たち人類が、仲良く生きることを犠牲にしてまでも決定しなければならない重大事項なんて、ただの一つだってありはしません!

「競争」は、仲良く生きることを犠牲にしてまでもやらなければいけないことなんかじゃ、まったくなかったんだ!




■□━━━━━━━━━・・・・・‥‥‥

以前、オリンピックでメダルを獲得した人がインタビューを受けて「自分の力と言うか、何か見えない力に背中を押されて頑張ってきたような気がします」と答えていたのを見て、ジジイは心の中で「そのとおり!」と大声で叫んでいた。

これが「謙虚」というものなんだ。

それに対して、成功したら「個人」の功績と褒めそやされ、失敗したら「個人」の自己責任と突き放すような「個人主義」は、実は、「傲慢」そのものだったんだ。

見回してみると、現在、流行っているアニメも映画もドラマもみんな、強い人間や人間の強い意志の力を賛美するような物語ばかりだ。それは「傲慢」さを賛美しているのと同じことだったんだよ。

それに、やたら敵を作って闘うようなゲームやアニメばかりだけど、本当は自然界には敵などどこにもいないことを、科学は教えてくれている。

敵をやっつけて「正義が勝った」「愛が勝った」などと歓喜しているけど、そもそも「正義」って何? 「愛」って何?

個人的な感情や価値観が評価する「正義」や「愛」に過ぎない。それらは、個人主義という排他的な感覚から生まれた感情であり言葉だ。

*分身主義*には「正義」も「愛」もない。
そんな偽りの言葉は必要ない!

いかに今の人類が、個人主義に毒されているかわかるだろう!? いかに傲慢だったかわかるだろう!?


僕たちが自然界から「謙虚」に学ぶ「科学」の言葉に静かに耳を澄ませたら、世界中の人がもっとずっと良い生き方ができるんだよ!

お互いを「我らが愛すべきモンスター」と称え合い、この《環境》を作っている宇宙万物を大切に思い、そして自分たちを誇りに思う気持ちが湧いて来るんだ!
だって本当の自分は、この宇宙だったんだからね!

その時、今まで世界中の誰もが願っても一度として叶えられなかった「世界の平和」と「全人類の幸福」が叶えられるというのに、いつまで君は、この古臭い「個人主義的」環境から飛び出すことを躊躇しているつもりなんだい!?

いつまで、この古臭い「個人主義的」環境から得られるちっぽけな報酬を当てにして、我慢して生きていくつもりなんだい!?


最後に

個人主義の悪口を一杯言ってしまったけど、*分身主義* は個人主義の全否定ではないよ。「深く根を下ろしている個人主義の”自我”を滅却しなければいけない」などと無理なこと言っているんじゃない。

そんなこと、偉いお坊さんたちが厳しい修行をしたって無理だったじゃない。一瞬なら消すことできるかもしれないけどね。

*分身主義* は、個人主義の根強い「自我」の滅却ではなくて、むしろその「自我」を拡大させることで、「それまでの自我」を消してしまう。

今まで、偉いお坊さんたちがどんなに厳しい修行をしたって無理だった「自我の滅却」だったのに、一瞬にしてそれを可能にしてしまうから不思議だ。


ところで、SK-IIさんは、お金で女性を支援しようとしてくださっているけど、人類が「科学的覚醒」を果たして、この《環境》が、個人主義的環境から分身主義的環境に変化したら、お金に頼らない(お金のない)世界になる。

お金なんて何の役にも立たなくなるからだ。その時はむしろ害になる。

その時、SK-II さんが女性の支援活動をする時は、どのような形で支援が行われるかと想像するとワクワクしてくる。だってそれは「個人」を支援する行為ではなくて、そのまま世界中の人を幸福にしてくれる行為なのだから。

「競争が世界を発展させた」と考えるのは勘違いだったと言ったけど、「お金が世界を発展させてきた」というのもそれと同じ勘違いだよ。

世界がまだ個人主義的社会だから、お金がないとみんなが動かないだけなんだ。逆に言えば、お金に行動が制約されちゃっているんだ。

お金に行動が制約されちゃっている
せいで、むしろ互いに助け合って生きていくことができにくくさせられちゃっているんだ。助け合うとしてもお金を介在させることくらいしか思いつかない。

まだ個人主義的社会だから、お金に頼らなければ世界の秩序を保っていけないんだ。でも、実際は、お金が秩序を乱している方がずっと多いけどね。


人間は、本来、人のために役に立つことをしたいという欲求をみんな持っている。だからお金なんかなくても、みんなのために働くことに喜びを感じるようにできている。お金が邪魔をしていたくらいだ。

このジジイが、裏の顔で30年以上も一銭にもならないこんな平和活動(?)を続けていられるのが、その証拠だ。

お金が世界を発展‥‥というか人類をより幸福にしてきたわけじゃない、ってことわかってもらえたかなあ!?

ジジイが死んだら、互いに助け合って生きることだけに喜びを感じる《環境》をみんなで作ってくださいね。

それだけがジジイの願いなんだ。本当の意味で世界が平和になって欲しい。
それがジジイの遺言だよ。

いいかい!? キーワードは「科学的覚醒」だよ。
「個人」的に褒められた時や、優越感を感じた時にうっとりするような脳を卒業することだ。

そうすれば必ず、世界中の人が一人残らず幸福になれる。



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★★★   関連記事(保存版) ★★★
📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)
📌個人主義から分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

★★★   未来モデル小説   ★★★
ブンシニズム・ドット・ネット
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。