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なんで男にはおちんちんなんてものがあるんだろう?(真の科学とは)


(この記事はマガジンの『科学が教えてくれていたこと』の中の第一話として執筆しました)

なんで男にはおちんちんなんて面倒なものがあるんだろう?
諸悪の根源? それとも愛の象徴?

20歳代のころ、まだ付き合って間もない彼女(現在の妻)と動物園でデートした時のこと。
そこで象の巨大に垂れ下がったおちんちんを見た。
まるで五つ目の足が生えているかのように長く太かった。

初めはその塊が何なのか理解できなかったがしばらくして勃起したおちんちんだとわかった。
それがわかった僕は恥ずかしくて体が固まってしまったが、彼(象)は少しも恥ずかしがったりしていなかった。

アダムとイヴが蛇にそそのかされてリンゴを食べた時に自我に目覚め、自分たちの裸が恥ずかしくなり局部をイチジクの葉で隠したと言われている。

アダムとイヴ


僕はやたらと、「科学、科学」と言うけど、科学とは裸の心になって始めることなんだ。
恥ずかしいなどの人間の感情とか、こうであってほしいとかいう人間の願望や欲望をはぎ取り、はだかのこころで始めるもの。


先ほど「人類は自我に目覚めた」と言ったけど、本当は、人類は自我に目覚めたのではなく「自我という眠りに落ちて自然界に背を向けてしまったのだ」と、僕はいつも言っている。(←ここ特に重要)

その逆に、自我のない動物たちのことや人間がまだ自我がなかった頃のことを、僕は「自然界と地続き」と表現することにしている。


裸が恥ずかしいというのは人間だけの感情。
他の動物には見られない特質。
「自我」というものだって人間だけが持つもの。
動物には自我はないよ。


京都大学霊長類研究所の正高信男教授は「サルには自意識はありません。自意識は人間だけにしかない」と言っている。
ムツゴロウ動物王国の畑正憲さんも「動物には自我という概念はない。本能としての自我があるだけ」と言っている。

それなのに‥‥そんな人間だけの特質である感情や、欲望に支配される自我を基準にして科学をやって良いのだろうか?

絶対に良いはずはない!


そんなことでは、自然界に背を向けてしまった人間が自然界様から謙虚に何かを学べるはずがない。

科学とは、感情や欲望をはぎ取り、はだかのこころで自然界様から教えを乞うもの。
実験や検証を何千回も繰り返し結論を出す。
しかし、そこから得られた結論に不備があったことがわかったなら、何度でも最初に戻ってやり直すとても謙虚な学問。

だから科学が作りだしたモノは、この自然界でうまく機能することができているじゃない!?

飛行機がちゃんと空気という物質を利用して空を飛んでくれるのも、電子レンジが食べ物を瞬時にちゃんと温めてくれるのも、携帯がちゃんと情報をやり取りしてくれるのも、科学がこの自然界を正しく理解した物的証拠として、それらはそこにある。


自然界に背を向けてしまった今の僕たちは、人間界という大海に放り出されて、そこで溺れまいと手足をバタバタさせているようなものなんだ。
水面からもっと顔を出そうと、手足をさらにバタつかせれば、余計に水をたらふく飲んで溺れてしまう人も出てくる。
でも、ほとんどの人が経験していると思うけど、水の上に体中の力を抜いて仰向けに寝転べばひとりでに身体は浮くようにできている。


人間は間違いなく自然物。
元々、自然界に抗わずに体をゆだねた時に気持ちよく浮くようにできていたはずだ。


だけど僕たちが自我という眠りに落ちて自然界に背を向けて、人間界という大海に飛び込んでしまって以来、人類はとても傲慢になってしまった。
人類が自然界に抗うことになってしまったから、人間同士の争いが生まれてしまっている。
現在もこの社会に、本来なら不要な軋轢や摩擦やひずみが生まれてしまっているんだ。


それらもみんな、もし僕たちが自然界に体をゆだねることができたなら、嘘のように消えると思わないかい!?

今からでも全然遅くない。

はだかのこころで自然界に向き合う謙虚な気持ちを持って、もう一度、『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか(ゴーギャンより)』を検証するところから始めてみるべきじゃないのか!?


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★★★   未来モデル小説   ★★★
ブンシニズム・ドット・ネット
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。