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世界平和って遠くの話なんかじゃない!


「自分の頭の上のハエも追えないで世界平和って、ちょっと違うと思うの」

「世界平和もいいけど自分のことを第一に考えて欲しいと思います」


僕は三人きょうだいで、二つ年上の姉と三つ年下の妹がいる。

姉は、長年、保険業界で働いてきてそれなりの地位についた後、今は定年退職している。
バツイチだけど、老後の自分の人生には経済的な不安はないようだ。

妹は、長年、訪問介護の仕事をしていてそこで何かの資格を取ったようだ。その仕事が好きなので定年まで頑張ると言っている。
堅実な公務員だった夫の退職金も入ったし、老後は心配ないだろう。

二人とも子供が一人いる。


僕は子供はいないし、仕事は転々としてきた。

若いころは小説を書いて生活をしていきたいと考えていたから、仕事に身が入らなくて、五年続けばいい方だった。
だけど、子供のころから抱き続けていた社会への不満が大きくて、書いているものがいつしか世界を平和にしたいという気持ちのものに変化していった。


世界を平和にするために、どうしても書きたい気持ちが先行して、最後の方は、社員にならないかと言われても断ってまで気楽に自分の時間が取れるアルバイトをしていた。
それに、この仕事なら定年まで働きたいと思う仕事に出会うと、不思議なことにそういう会社に限って潰れてしまったりした。
まったく仕事運がないんだな。


「僕は会社を三つ潰した」
などと友達には冗談で自慢したこともあったが、冗談では済まされない。

気づいたら、妻と二人で7万円の年金暮らしで、貯蓄を切り崩しながら老後を過ごさなければいけなくなっていた。
妻には申し訳ないが、彼女は元々、お金が無くなれば死ねばいいくらいの考え方の人だったので、許してくれるだろう。

僕はお金が嫌いで、というか世界に争いをもたらすお金を憎んでさえいたので、そんな自分がお金を稼ぐということに罪悪感を持っていたし、経済のことや投資に関することを勉強することが大の苦手だったから、自業自得だ。

どう見ても、世間から見れば、きょうだいの中で僕が一番最低の人生だ。


40歳くらいの時から、僕は『世界平和への扉(分身主義へのいざない)』というホームページを作って執筆をしていたんだけど、その頃、それを見た姉に言われた一言。
「自分の頭の上のハエも追えないで世界平和って、ちょっと違うと思うの」
なんか悔しかったけどうまく反論できずにいた。


そしてこの年になって、妹が僕の経済的な窮状を心配して、
「世界平和もいいけど、自分のことを第一に考えてください」
とメールをしてきた。


二人の気持ちはわかるけど、だからと言って僕にはこの生き方しかできなかった。
僕は「自分の頭の上のハエを追わなければ生きれなかった」から世界を平和にする必要があったんだし、「自分のことを第一に考える」からこそ世界を平和にしなければならなかったんだ。


あなたは「世界平和について一言言ってください!?」と意見を求められたら何と答えますか?

もしかしたら、「今は日々の生活が目一杯でそんなこと考えている余裕なんてないんです」と答えますか?


世界平和ってそんなに遠い遠い、自分とは関係のない話ですか?

世界が平和かどうかはさておいて、あなたは自分が幸福になることにはとても関心があるはずですよね。
最優先と言ってもいいくらいに。

人間関係においても誰かを妬んだり恨んだり憎んだりせずにみんな仲良く暮らせて、この社会に対しても不満もなく、不公平感もない、、、、、そのような幸福な人生は大歓迎ですよね!?


さすがに、「私は誰かを妬んだり恨んだり憎んだりすることが大好きなんです。それにこの社会は不公平で不満がある方が生きている気がして楽しいです」などという人は一人もいないと思うんだけど、、、、、。

さらに言えば、誰にでも必ず訪れる「死」というものに向き合っても、悪あがきなどせずに、安らかな気持ちで、みんなに笑顔で祝福されるような気持ちで死んでいけたらいいと思いますよね!?

「いいえ、私は死は絶対に受け入れられません。最後の最後まで闘い抜きます」そういう人は中にはいそうだけど、でもどんなに闘っても勝てる相手ではないのだったら、受け入れた方が気持ちは楽になれると思わない!?


人間はどうせ死ぬんだ。早いか遅いかの違いだけだ。
そう考えれば、何だか気持ちが楽になる。
僕の友達だって早くに何人も亡くなっているんだから、僕はもう十分だっていう気持ちを持てば気持ちは楽になる。


僕が「世界平和」ということを言うのはそれと同じことなんだ。


つまり、あなたが自分の幸福には最大の関心があるということに関しては異論はないとして、それこそが、僕が考える「世界平和」の意味なんだ。

平和というと、戦争のない状態、戦争をうまく回避したり抑止している状態、だと思っている人がいるけど、それは大間違いだ!
心の中ではお互いに激しく憎み合っているけど、戦争を回避したり抑止したりできているから心は安らかだ、などと思う人は一人もいないはず。

心が安心でないのに幸福な人は一人もいないはず。


僕は、平和とは「戦争を回避したり抑止したりしている状態ではなく、世界中の人の心の中から不公平感や不満や恨みなどがなくなり、世界中の武器が不要になり、お金なんかなくなって、みんなが助け合って生きて、安心感に包まれて死んでいける社会」だと考えている。

それはあなたが、幸福になりたいと考えていたこととそれほど違う内容じゃないでしょう!?


でも、今見てきたように、あなたが望む本当の幸福は、世界が平和にならなければ絶対に得られないものですよね。
なぜかと言えば、あなただけがみんなと仲良くしようと思っても、周りがそのように思ってくれなかったら仲良くできない、、、、、したがって幸福じゃない。

同じように、僕は自分が幸福に生きるためには、どうしてもこの世界が平和にならなければいけなかったというだけの話なんだ。




世界平和ってちっとも遠くの話なんかじゃない!

あなたや僕が、この日々の日常を幸福に生きるための話なんだ。


そしてそれは決して夢物語なんかじゃない。
僕たちはもうそれを手にするすぐ近くまで来ている。
後は人類がそれに気づいてくれるかどうかだけなんだ。
2009年制作の小説『ブンシニズム・ドット・ネット』の中にその秘密があります。



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★★★   未来モデル小説   ★★★
ブンシニズム・ドット・ネット
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。