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文章の書き方を変える

ふと、文章の書き方を変えてみようと思い立った。

noteで誰かが書いた文章を眺めながら、今までずっと自分らしいと思って書いていた文章は自分らしくもなんともないのかもしれないとぼんやり考えることがあった。

思い返してみると、「だ」「である」「です」「ます」という語尾をつけることは決定的で100%を表しているような感覚がして、意識しないまま「思う」「かもしれない」と含みを持たせたような言葉を使っている自分がいた。

どんなことでも考えすぎる性質の人間である僕は自分自身の心のために綴っていた文章でもまた、誰かに嫌われないように誰にも棘が刺さらないように「100%そう思ってるわけじゃないから」とリスクヘッジをしながら文章を綴っていたのだ。

LINEでメッセージを送る時も語尾に「かも」と入力していたし、自分で送信した文章に確信が持てなくて「送信取り消し」をしまくっていた。だから友人とのトークをスクロールすると傷跡のように「送信を取消しました」の文字が散乱している。

大学で人にあってもうまく話せる確率は低い。オフラインの会話には送信取り消し機能が無いから可能な限り上手く話せるようにと考えているうちに時間が経過して僕は聞かれた質問に対して首を縦と横に振るだけの首振り人形に変容する。

昨日は話しかけることができた人にも時間と場所が変わっただけで話しかけられなくなる。話せない代わりにずっと音楽を聴いて心を満たす。話したいと思っているほど上手く話せなくてそうしているうちに全てが終わってしまいそうだ。嫌だな。

考えすぎる性格のせいで機会を逃すことも多くある。気になるアルバイトにはなかなか応募できないし、遅刻した授業の教室に入れずに出席点を逃す。そのうち僕はこの性格は病気だと思うようになった。直した方がいいとよく言われてきたけど直すこともできない、たちの悪い病気だと。

一年前からSNS上でHSPという言葉を目にすることが増えた。HSPはHighly Sensitive Personのことで非常に感受性が強く敏感な気質もった人のことを指す言葉だ。しばらくよくわからない単語だとなんとも思っていなかったけど、詳しく調べてみると自分の感覚と近いことに気がついて、それから自分のことをHSPだと思うようにしはじめた。話せなくても仕方ない、そういう性質だからと多くのことを諦めるようになった。

今までよくわからない厄介なものだと思っていたものに分類ができたことで心がすっきりして生きやすくなったけど、状況は何も変わらない。

相変わらず話したい人と話せないしやりたいことも一人ではできない。でも、誰かと話しているわけでもない文章でも考えすぎているのはちょっと残念だ。自分の言葉を文章にすることでしか上手く言えない人間が文章でも書けなくなったら本当の本当に終わりだ。

今まで「だ」「である」「です」「ます」という語尾をつけることに怯えていた自分がどこかにいたけど、そんなこと誰も気にしていない。せめてこの場所では心に正直に生きられるようにしよう。

もうリスクヘッジの「思う」「かもしれない」には背を向けてお別れをする。

こんなことで自分らしくなれるのかはわからないけど。


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