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レモンケーキ 著:伊藤 浅

母も、叔母も、私よりずいぶん年上であった。あんまり年上だったので、むしろあまり気にならなかった。

私の叔母は変わった人であったので、私が小学五年生の夏に何度も会って、ああ、こんな人なんだと思って、それで私が中学二年生のときに叔母は死んでしまった。昼に素麺を食べていて、ワイドショーを見ていたら、電話が鳴って、母が電話に出て、ああ、はい、と言って、電話が切れて、こちらを向いて――死んじゃったって、と言った。私は、――ウン、と言って、それでその後どうしたのか、覚えていない。

叔母はとても船が好きな人で、あの夏、病院から一日外に出られるとなった時に、どこへ行きたいかと聞かれて、その夏出会ったばかりの私と、横浜へ行きたいと言ったらしくて、それで横浜の海に停まっている船に乗って、

――ああ、大きいねえ、

と私に向かって言った声の、誠実そうな、真面目そうな、思慮深そうな、深い、やさしさ。その時の私は、世界中の人間を軽蔑して、自分一人が、この世界で生きているのだと真剣に思いこまずにはいられず、そう思わなくては生きていけないという気持ちで居たのだけど、ついその真面目さに打たれて、実に素直に、

うん、大きい。

と答えてしまった、自分を裏切った恥ずかしさに、私はその後船内を歩き回っている間にずうっと、むすっと、ふて腐れて、夏の日差しを浴びてきらきら輝く舵を握って、船長帽をかぶって、叔母が持ってきた古いカメラに映る頃には怒りと悲しみでほとんど泣き出しそうになって、船を降りるタラップを踏みながら、叔母に、「船、好きなんだね。」と言われて頭を撫でられ、雑貨店でカモメのハンカチを買ってもらい、食堂でスパゲティを食べて、山の手の丘の方へ、白んだ午後の日差しのなかを、二人で歩いて行く妙な心が詰まるような切なさに、明日叔母は死んでしまうんじゃないかと、ほとんどそれを願うみたいに寂しい気持ちで、てくてく歩いた。

外国人墓地のそばを歩きながら、叔母が、歌った。


わたしの手からとつた

一つのレモンを

あなたのきれいな

歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの

香気が立つ


それは古い歌らしいけれど、それを叔母が、私に聞かせようとして歌った悲しいあざとさに、私は打たれた。

その後山の手の公園で、叔母と椅子に座って、港を行き来する船を見ていた。私は白いワンピースを着ていて、汗がイヤで、「あつい、」と言うので、叔母は、さっき買ったハンカチを広げて、わたしの脇から背中にかけてグイとハンカチを入れて、わたしの肌に小さな鼻を近づけて、お花の匂いがするねと言って笑って、私の脇腹の骨がきしむように、ハンカチでごし、ごしと拭いて、私のために買ってくれた、私の汗で濡れた青いカモメのハンカチを自分のカバンにしまって、食べる? と言って、包装紙に包まれたレモンケーキを取り出して、私の膝に置いた。

ちょうど汽笛が鳴って、私たちの眼下を大きな船が通り過ぎて行った。私は今が夏で、この夏はもう戻って来ないので、あとになって将来の私は今の自分のやるせなさを、懐かしく羨ましいと感じてしまう、そんなどうしようもなくつまらない大人になるに違いないのだと、はっきり確信して、包装紙を開けてしっとり湿ったレモンケーキを齧った。

おいしいね。

おいしい?

うん、おいしい。

また買わないとね。

病院で時々もらうらしいレモンケーキを、叔母は小さなポリ袋に集めている。それを自分がスーパーマーケットで、誰かのために買っているのだと、信じている。私はレモンケーキを食べて、ぬるい潮風を頬に感じた。小さなレモンの皮のかけらが、ぎゅっと詰まった生地のなかに入っていて、ツルハシで鉱脈を当てるみたいに、私の歯に、カリッとあたるので、もう帰ろう? と私が言って、叔母は、お好み焼き、食べていかなくてもいいの? と、私を昔の誰かと勘違いしていて、私はもう涙がほとんどこぼれそうなので、困って、ううん、食べない、と言って立ち上がって、てくてく二人で歩いて、電車に乗って帰った。


さて、私は私が軽蔑していた大人になり、困ったことに叔母が当時日記を残していて、その中に、私の写真が差し挟まれていることを母が見つけて、私に連絡をして来たので、私は写真の挟まった叔母の日記帳を受け取った。

それはあの、小学五年生の私がしかめっ面をして、船長帽に白いワンピースで、金の舵を握っている悲しいくらい美しい写真に違いなかった。私は横浜の山の手の海が見える公園の椅子に座って(こういう感傷的な儀式を、確かに小学五年生の頃の私は嫌っていたはずだった。)、日記帳を開いた。

叔母の字は大きい。葡萄茶色のノートに縦の罫線が入っている。

日付と曜日が丁寧に書き込まれていて、句読点は明確に打たれている。


7月29日(木)

レモンケーキを買えと、海那美がうるさいので、仕方なく夕方に買いに行った。四つ売っていたので、全て買って帰った。


7月31日(土)

海那美が学校に行かないので困った。しかし、よく考えたら行かずとも構わないではないか。私は私が偏狭な性格に生まれついていることに、いつも悲しくなる。


8月1日(月)

お墓参り。


8月2日(火)

昼に素麺を食べているときに、海那美が船に乗りたいと言うので、明日連れて行く約束をした。私は素麺を食べる海那美の姿と仕草に、驚き、時間の流れを感じた。私は、老いていくのかもしれない。


8月3日(水)

海那美を横浜に連れて行った。船に乗せると喜んで、写真を撮れとしつこいので、舵を握らせて、写真を撮った。

海那美は公園で、レモンケーキを美味しくなさそうに食べていた。もしかしたら大人になってしまったので、もうレモンケーキは好きでないのかもしれない。

(このページに写真が差し挟まれている。)


……


私は椅子に座って日記を読んでいた。冬枯れの柔らかな日差しが、私の手を冷ややかに染めた。

しかし、汽笛は鳴らなかった。私はいつまで待っても汽笛がならないので、そのうちノートを閉じて、マフラーに顔を埋めて、暗くなる前に帰ろうと思って歩き出した。



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