情けは人のためならず。
子どもが生まれてから、ひとの手を借りることが一段と多くなりました。
スーパーで買い物をするとき。ぐずる子どもに優しく声をかけ、なだめてくれた方がいて。泣き始めた子どもを見て、セルフレジから有人レジに案内して、袋詰めまでしてくれた店員さんがいて。
街に出れば、エレベーターで開ボタンを押してくれた方や、お店の手動ドアを開けて待ってくれていた方がいて。
あちこちから手を差し伸べてもらえて、本当にありがたいなぁと思っています。ものすごく助けられているのです。
それと同時に、心苦しさや、情けなさのようなものを感じている自分もいます。
うるさくして、申し訳ない。
もたもたして、迷惑かけたかな。
わざわざ〇〇させてしまった…
ひとの手を借りることが苦手なせいかもしれません。「迷惑をかけないように」と思って生きてきたので、誰かの手を借りることに対して素直に甘えられないのだと思います。
自分ひとりでできるはずもないのに、自分だけで完結させたくなってしまう。
それを別のことばで表すなら、
「他人の手を煩わせてはいけないから、なにがなんでも自分でやる」
といったところでしょうか。
文字に起こして、びっくりしました。どれだけ寂しい世界に生きたいんだろうと。
決してそんな世の中を望んでいるわけではありません。もっと優しい社会がいいなぁと思っています。
もしも、こんなことを思っている人がいたら、全力で否定します。「それくらい大丈夫だよ」って声をかけてあげたくなります。
あれ?他人には許せるけど、自分には許せないのでしょうか?
それってあんまり健全じゃない。いつか「あの人って迷惑!わたしはこんなに頑張っているのに!」なんて思いかねません。
それなら、わたしが借りた名も知らぬ手も、優しい社会のありがたい親切なのだから、素直に受け取ったらいいんじゃない?
そう思えてきました。
そして、わたしの手が空いているときは、名も知らぬ手として、もらった恩を社会に返していけばいいんだ。
情けは人のためならず。
わたしの場合、先にもらっちゃってますが。
優しい社会を目指して、手を借りることも貸すことも、気軽にできたらいいなと思った今日この頃です。
なんだか気恥ずかしいので、この辺で。
それでは、よい一日を。
ごきげんよう
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