見出し画像

<地政学>フィンランドは「ロシアの香港」だった?雪中の奇跡を起こした小国の謎に迫る

 今回はフォロワーの方のリクエストに応じてフィンランドの地政学を考察したいと思う。

 フィンランドは北欧に存在する小さな国で、人口は500万人ほど、代表的な企業は情報機器を作っているノキアである。湖の国と言われるように氷河の侵食によって作られた無数の湖によってこの国は彩られている。

 そんなフィンランドだが、世界史の文脈では異彩を放つ。この国はベトナムやアフガニスタンと並ぶ「強い小国」として名高い。第二次世界大戦でソ連の侵略を跳ね返し、独立を守り通したからだ。この国は長らく中立を守ってきたが、2023年にNATOに加盟したことは話題となった。

 今回はフィンランドの独特の地政学について振り返ってみようと思う。

近代以前のフィンランド

 フィンランドにはユニークな特徴がある。ヨーロッパの民族は基本的に印欧語族を話す人々だ。しかし、フィンランドはウラル語族という他のヨーロッパ言語とは全く違う言語体系を持っている。このウラル語族、先祖を辿ると満州にまで遡るらしい。シベリア付近にいた遊牧民族が西に移動するにつれてコーカソイド化し、ヨーロッパ的な民族になったというものだ。ヨーロッパにおいて印欧語以外を話しているのはフィンランドの他にはウラル語族のハンガリーと系統不明のバスクだけである。この辺りは以前の記事にも書いた。

 なぜフィンランドだけが飛び地状にウラル語を話しているのか。どうにも数千年前は現在のロシアの平原地帯には多くのウラル系民族が残っていたが、モスクワ大公国の拡大とともにロシア化していき、もともとの言語を忘れてしまったというのが実情のようだ。ロシアという帝国の同化能力の高さは中国に匹敵するものがある。

 フィンランドは僻地なので、文明化もキリスト教の伝来も遅かった。独自の国民国家を形成したことはない。近世に入るとフィンランドは当時強大だったスウェーデンの支配下に入ることになった。

 1809年にスウェーデンはロシアとの戦争に敗北し、ロシアを譲り渡す。ロシアはナポレオン戦争のドサクサにまぐれて北欧に拡大しようとした形だ。スウェーデンは当時大国としての威信に陰りがあり、取り返そうという意欲は無かったようだ。スウェーデンは数年後の対仏大同盟で旗振り役をするが、これ以降現在に至るまで中立政策の下で戦争を一度もしていない。

 一方、19世紀のフィンランドはロマノフ朝ロシア帝国の支配下に入ることになった。ロシアの支配はあちこちで嫌われているが、フィンランドも例外ではない。ナショナリズムの伝播によってシベリウスの「フィンランディア」という交響曲が作られたりもした。

 しかし、フィンランドは実はフィンランド大公国という自治領になっており、ロシアの専制体制が適応されていなかった。軍事的にロシアに従属しているが、内政に関しては自由となっていた。フィンランドはロシア帝国の中では極めて異質な地域で、あえて類似の地域を挙げるなら香港だろう。フィンランドは独自の議会と法律を持ち、高度な自治を享受していたのだ。経済水準もロシアより高かった。

 一応名目上はポーランドも自治領のハズだったのだが、ロマノフ朝は完全に無視している。ポーランド人は19世紀を通して何度も反乱を起こし、その度に鎮圧されている。革命のエチュードはこうした蜂起を記念して作曲されたものである。ポーランドとフィンランドの命運の違いは後に遥かに残酷な形で再現されることになる。

近代のフィンランド

 第一次世界大戦の結果、ロシア帝国は崩壊する。フィンランドはもともと高度な自治を享受していたので、第一次世界大戦にはほとんど兵士を派遣していなかったようだ。どうにもフィンランドでは徴兵制はあまり行われなかったようである。革命家のレーニンがロシア当局の逮捕を恐れて一時亡命したのもフィンランドだった。この時点で既にフィンランドは完全にロシアから心が離れていた。ボリシェビキが政権を奪取し、ロシア内戦が開始すると、フィンランドは迷わず独立した。

 独立直後のフィンランドは困難に襲われることになる。ロシア内戦と同時並行でフィンランド国内でも赤軍と白軍が内戦を始めることになった。この内戦はかなり激しかった。赤軍は一時国土の主要部分を支配するも、白軍のマンネルヘイムが反攻し、フィンランドは共産化を回避した。ボリシェビキは内戦の混乱で手一杯で、フィンランドへの侵攻を考えられる状況には無かった。こうして戦間期のフィンランドは完全な独立国として独り立ちすることになる。

 フィンランドの独立はロシアにも実は影響を与えている。フィンランドはロシアの旧首都だったペテルブルクと目と鼻の先であり、ソ連はここに首都を構えるのは危険だと判断した。フィンランド国境から砲弾を発射すれば何とか届いてしまう距離である。革命が起きたのはペテルブルクだったが、レーニンはすぐさま内陸のモスクワに遷都し、ピョートル以来200年ぶりに首都がモスクワに帰ることになった。

 戦間期のフィンランドはそれなりに平和な国だったと言える。しかし、宿敵のソ連は第一次五カ年計画で国力を飛躍的に増大させ、目と鼻の先まで迫っていた。

第二次世界大戦と雪中の奇跡

  1939年、ナチス・ドイツはソ連と独ソ不可侵条約を結び、欧州征服に取り掛かった。ソ連はドイツと組んで同時にポーランドを挟撃し、ポーランドを二分割した。ソ連はドイツと英仏が争っている間に火事場泥棒を行うことにした。次なるターゲットはフィンランドだった。ソ連はフィンランドに最後通牒を突きつけると全面攻撃を開始した。冬戦争の勃発である。この件でソ連は国際連盟を除名されてしまったが、この時は既にドイツも日本も脱退していたので、そこまで目立たなかった。

 フィンランドの人口はソ連よりも圧倒的に少なく、抵抗は絶望的に見えた。しかし、フィンランドはこの戦争に勝ってしまう。理由はソ連軍が大粛清の影響で機能不全になっていたこと、フィンランドが極北の地であり、交通に難があったこと、フィンランド側の士気が高かった一方でソ連側は兵士の戦意が低かったことが挙げられる。シモヘイヘを始めとする冬戦争の英雄は日本でも知名度が高い。

 ドイツは欧州征服をあらかた終えると1941年にソ連攻撃を始める。悪名高き独ソ戦だ。この戦争にフィンランドも参戦する。冬戦争の講和の際にフィンランドは領土の一部を割譲しており、これを奪還するための参戦だった。この戦いを継続戦争という。フィンランドはドイツの東方生存圏計画には興味が無かったので、自国周辺のみに攻め込んでいる。ただし、フィンランドの戦線はレニングラード攻略の上では重要だったので、ドイツ軍にとっては貴重な戦力でもあった。

 独ソ戦がソ連側に有利になってくると、フィンランドは講和を意識し始める。1944年にフィンランドはソ連と単独講和し、工業都市ウィーポリの割譲をはじめ、いくつかの条件を飲んだ上で第二次世界大戦から離脱する。お陰でフィンランドは他の枢軸国の辿ったような破滅的な敗戦を経験することはなかった。戦争末期にドイツ軍の侵入によりハンガリーやイタリアではホロコーストが発生したが、フィンランドは終始自律性を維持しており、ホロコーストが起きることはなかった。この戦争の率いた人物は内戦の英雄であるマンネルヘイムであり、彼は現在に至るまでフィンランド史上最大の英雄として称えられている。


フィンランドが失った領土

 第二次世界大戦に参戦したヨーロッパの国で首都が陥落しなかったのはイギリスとフィンランドだけだ。残りの国は全てナチス・ドイツに征服されているか、ソ連に征服されているか、英米に征服されている。特に独ソの征服の被害は凄まじく、人類史に残る歴史的な惨劇に繋がった。これを避けられたフィンランドはひょっとしたら第二次世界大戦に参戦したヨーロッパの国では最も勝ち組なのかもしれない。

フィンランド化

 戦後のフィンランドは「フィンランド化」と呼ばれる独特の地政学的環境にあった。小国の生き残り方としては結構レアなパターンだ。フィンランドはソ連と講和したので国土が占領されることはなかった。しかし、かといってソ連の影響を逃れられるわけではなかった。フィンランドはソ連に敵意を持たれることを何が何でも避ける必要があった。フィンランドはソ連に気を遣って西側陣営に入ることはなく、兵器もソ連製を使っていた。内政に置いてもソ連批判はある種のタブーだったようだ。

 それでもフィンランドは内政において自由だったので、資本主義国として経済を発展させることができた。その結果としてフィンランドは一人当たりGDPがヨーロッパの中でもかなり高い。北欧の富裕国だ。この成果は大きい。ソ連によって支配されたバルト三国やポーランドは経済低迷に苦しめられた。フィンランドは冷戦体制においても非常に幸運な存在だった。

共産主義体制を逃れることができたフィンランドの一人当たりGDPは
ロシアやバルト三国よりも明確に高い。

 フィンランド化とは何か明確な定義があるわけではない。フィンランドの状態を形容するなら、「条件付きの降参」と言えるかもしれない。強大な敵国の軍事的な覇権を認めた上で独立国としての主権を認めてもらうのだ。これは意外にありそうでないケースである。例えばベラルーシはロシアに進んで協力しているのでフィンランド化ではない。ユーゴスラビアは冷戦下で中立政策を取っていたが、ソ連に対して強気の姿勢だったのでフィンランド化には当たらない。ポーランドはソ連に追従していたが、傀儡政権の色が濃いのでやはりフィンランド化ではない。韓国や台湾の政治で対中追従を批判する文脈でフィンランド化が使われるが、これらの国は堂々とアメリカと同盟を結んでいるので、やはりフィンランド化には当たらない。

 こうなると、フィンランドの独特の立ち位置はまたもや香港に近いのではないかと思われる。「ソ連ブロック」の中の自由の島だ。生活水準も遥かに高い。どうにも冷戦下フィンランドはロマノフ朝時代のフィンランド大公国と良く似た立場にあったのである。これは地政学的な要因の存在を裏付ける。

 ソ連崩壊後のフィンランドにはこれといって脅威は無かった。しかし、中立政策は続いていた。特に意味はない。ほぼ惰性だろう。しかし、2022年ウクライナ戦争を経て再び地域の安全保障意識が高まり、フィンランドはNATOに加盟することになった。これにてフィンランド化の時代は完全に終焉を迎えた。

フィンランドの地政学

 こうしたフィンランドの独特の国際関係は地政学的要因が大きく関係している。ボスニア湾で陸地から隔てられている隣国スウェーデンと比べると、フィンランドは水の障壁が無いため、ロシアから攻められやすい。それでもフィンランドは東欧の国々のような運命を辿ることはなかった。

 フィンランドは北欧の小国であり、言ってしまえば極寒の僻地だ。フィンランドは凍土の国であり、自然環境はベトナムのジャングルやアフガニスタンの山岳と同様に侵略者を押しのける役割を果たしている。ソ連軍が冬戦争に敗北した要因の一つが寒さだった。ロシア人だったら大丈夫にも思えるが、やはり寒いものは寒いらしい。

 第二次世界大戦の時もフィンランド国境ではバルト三国以南のような大規模な戦争は起こらなかった(あくまで独ソ戦基準の話だが)。フィンランド方面の北欧戦線はロシアの国家安全保障にとって副次的な戦線でしかなかった。戦時中、ドイツ軍は北欧方面から回り込んでロシアのムルマンスクを攻略しようとしたが、あまりにも僻地で軍事行動が難しいので断念している。

 ソ連を防衛する上でフィンランドの重要度は相対的に低かった。フィンランドはバルト海の奥まったとことにあり、地上から接近することは難しい。フィンランドの地勢を考えるとソ連の中心部に攻撃をかける上での基地にはなりくいだろう。唯一の脅威はレニングラードに近接していることだが、こちらは第二次世界大戦の講和条約で国境地帯を奪い、一応は安全を確保していた。

 ソ連・ロシアにとってより重要なのは中央部だ。ロシアに隣接するウクライナ・ベラルーシ・バルト三国と、その奥に控えるポーランドである。この地域は平原が広がっており、自然の障壁に乏しい。ナポレオンもヒトラーもここを通過してロシアの中枢部に侵攻した。フィンランドよりも遥かに重要なのは明らかだ。ソ連はポーランドやバルト三国が自立することは一切認めなかっただろう。地政学的な重要度が高すぎて、ソ連自ら確保する必要があるからだ。

 一方で、中央部から外れた国にはソ連は寛大な態度を示している。ユーゴスラビアは当初からソ連に敵対的で、対ソ戦に備えて軍拡を行っていた。しかし、ソ連にとってユーゴは大きな問題にならなかった。この国がソ連の正面からやや外れた山岳地帯であることと、西側と同盟を組むような仕草を見せなかったからだ。むしろソ連としては重要度の低い地域に緩衝地帯として中立国があるのはありがたかった。アルバニアや冷戦末期のルーマニアも独自路線を展開したが、ソ連はこれらの国に強く圧力を掛けることはなかった。害のない限りは好きにさせておけば良いという感じだった。ハンガリーやチェコスロバキアにはこのような選択肢は与えられず、即座に軍事弾圧を受けている。

 地政学的な重要度と国家の繁栄にはあまり関係がない。地政学的に重要な国は外国からの介入を絶えず受けるため、むしろ悲惨な運命を辿ることの方が多い。フィンランドは地政学的な重要度が低かったため、幸運を得ることができた。ロシアもフィンランドが西側に付かないのなら、放っておいても大丈夫だろうと多めに見たため、フィンランドは広範な自治を享受することができ、今日の繁栄に繋がったのだ。

 ソ連はフィンランドに敗北したが、ナチス・ドイツに勝利している。これは奇妙である。ドイツに勝てる国がフィンランドに負けるなんてことはあるだろうか?その答えはこの国の地政学的な重要度の低さにあるのである。ソ連はフィンランドにそれほど多くの資源を割きたくなかったし、国民もフィンランドとの戦いの意義が良く分からなかった。独ソ戦の場合はドイツの脅威が明白だった。何しろ敵のリーダーはスラブ人抹殺を公言していたのだ。ドイツを倒さなければ全員殺される、この脅威を皆が認識していたため、ソ連国民は一丸となって史上最大の戦争を戦い抜くことができた。要するに、人間は理論上は能力的に可能なことでも、必要性が感じられないことには意欲が上がらないということである。

まとめ

 フィンランドは地政学的に重要度の低い土地である。欧州の中心から外れた極北の地にあり、材木くらいしか天然資源はない。国土は過疎地だらけの凍土であり、大規模な軍事作戦の基地としては使いにくい。バルト海とロシアに挟まれているため、フィンランドが近隣諸国を脅かすような大国になるシナリオも考えにくい。

 皮肉なことに地政学的な重要性が低かったことが幸いした。ロシアやその他の国も本気でフィンランドを取り合ったことはない。あくまで「あれば良いかなあ」程度の感覚である。フィンランドはロマノフ朝時代と冷戦時代の二度、高度な自治領のような存在だった。それはロシアがフィンランドを無理に支配する理由が無いからでもあった。1944年にソ連がフィンランドと講和したのも、余計な地域にエネルギーを割かずに独ソ戦に集中したいという理由からだった。もちろんそれにはフィンランド国民の奮闘が不可欠だったが、フィンランドがいくら強大な防衛力を持っていたところで、ソ連の存在を揺るがすほどの強さではないという事実も影響していた。

 小国の生き残りは難しいが、フィンランドは独特の方法で成功を果たした小国であると言える。しばしば「フィンランド化」は大国に媚びへつらう小国の悲惨な実情という意味で使われることがあるが、これは独立を守り通した小国の覚悟に失礼だろう。フィンランドは第二次世界大戦で国土を守り抜いた数少ない国の一つである。超大国に対して孤立無援で戦い、退けたのだから、大したものだ。戦後の経済発展も自力で成し遂げたものである。北欧の小国は規模こそ小さいが、勇敢さにおいては全ての大国を上回ると言えるだろう。

 小国の生き残り方については論じてみたいが、長くなるのでまたの機会にする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?