【Netflix】「ネアンデルタール人の秘密」ポリコレ人類学
<概略>
ネアンデルタール人の秘密 Secrets of the Nanderthals
2024 | 年齢制限:13+ | 1時間 20分 |ドキュメンタリー
ネアンデルタール人をめぐる謎と、その化石記録が浮き彫りにする彼らの生活と絶滅の理由に迫るドキュメンタリー。
出演:パトリック・スチュワート
<評価>
イギリス製のドキュメンタリー。(5月2日公開)
「スタートレック」艦長のパトリック・スチュアートがナレーションを務める。
真面目に作っているとは思うが、新しい発見はそれほどない。
むしろ、ネアンデルタール人を「思いやりのある、よい人たち」に描こうとするポリコレ臭、ヒューマニズムの過剰が気になった。
10点満点で5・5点。
日本人にはあまりピンとこないが、かつてヨーロッパ人は、ネアンデルタール人を「差別」していた。
19世紀半ばに、ドイツのネアンデル谷でその化石が発見されたとき、ヨーロッパは、世界中に植民地をもつ、世界史的な絶頂期にあった。
当時のヨーロッパ人の価値観では、ネアンデルタール人は「ホモサピエンスになりきれなかった失敗作」であり、まるで「アフリカの植民地の住民」のようであった。
古生物学者のイ・サンヒは、著書『人類との遭遇』のなかで、当時のヨーロッパの学者の視線には、植民地の原住民を見る視線がしみ込んでいると指摘している。
ある生物学者は、ネアンデルタール人に「愚かな人間 Homo Stupidus」という学名をつけた。
ネアンデルタール人を「再評価」することは、ヨーロッパ人にとって、植民地時代の「罪滅ぼし」でもあるのでしょうね。
「ネアンデルタール人を差別してはいけません」と同和授業で説教されてるようなドキュメンタリーです。おれたちは最初から差別してないよ。
われわれにとって、ネアンデルタール人に再注目するきっかきになったのは、例の「花の埋葬」のエピソードだと思う。
1957年に、フランスの考古学者ラルフ・ソレッキは、イラクのシャニダール洞窟で、ネアンデルタール人の墓の中の「花の種子」を発見する。
そこから、ネアンデルタール人は、花を撒いて死者をとむらった、という話が生まれ、
ネアンデルタール人は思いやりのあるいいやつ
というイメージができた。
しかし、近年、この説は否定されている。
ネアンデルタール人の墓の花、実は動物が運んだ? 副葬品説に疑問符(フォーブスJAPAN 2023/9/3)
このNetflixのドキュメンタリーは、そのシャンドール洞窟を再訪するところから始まります。
「花の埋葬」説が否定されていることには触れるのだが、「でも、ほかのさまざまな理由から、ネアンデルタール人はやっぱりいいやつ」と力説する。
たとえば、ネアンデルタール人は、共食い、カニバリズムをしていた跡がある。
このドキュメンタリーでは、それを「亡くなった仲間の魂を体内に取り込むため」ではないか、などと言う。
いや、腹減ったから、となりのやつを食ったんじゃないの?
ネアンデルタール人の「精神世界」を、無理やりこじつけることはないのではないか、と思うのだ。
ネアンデルタール人の絶滅についても、「気候変動」が理由である、と説明する。
これも、なんかポリコレ臭い。
ホモサピエンスは、絶滅に決して関与していない、と言いたげなのだ。
ネアンデルタール人に関して、近年では最大の発見である、ネアンデルタール人のDNAがホモサピエンスに残っている点についても、深くは掘り下げていない。
このあたりも、ヨーロッパ人の植民地支配の罪障感に触れるからではなかろうか。植民地でたくさん混血をつくってるからね。
こういうふうに、「平和に」進化を語るのは、最近の人類学のトレンドのようだ。
更科功の『絶滅の人類史』などを読んでも、そう感じた。
人類には、かなり早い段階から「シンパシー」「思いやり」があり、「精神世界」や「文明」のようなものがあるように語るのだ。
そういうの、わたしには、なんでも「対話」で解決できる、という共産党の9条護憲論を聞いてる感じがするんだな。偽善臭。
野生の人類って、もっとワイルドなものだったと思うんだけどね。
平和なときは平和だろうが、何度も絶滅の危機をくぐってきたはずです。
そういうときは、そこにエサがあれば食う、メスがいればヤル、みたいな感じだったでしょう。
そのおかげでわれわれがいる、というのを、忘れちゃいかんと思うのですよ。
田中英道が、「土偶は近親相姦でできた異形の子」と言っている動画を、最近見たんですが。
【田中英道】「南米の出土品をみればわかるのです」世界的美術史家が語る土偶の不可解な形状の意味(田中英道のNEW HISTORY 2024/4/6)
田中英道は右翼だ、くらいにしか、みな思わないだろうし、田中の「土偶の正体」説が正しいとは言わないけど。
でも、ここで彼が言っているように、同種人類の世界人口が数万とか数十万くらいの時代には、同種どうしが出会うことが稀だったでしょう。
だから、短い生涯のなかで、相手がいなければ、近親相姦するしかない。
野生というのは、そういう感じの時代だから。キレイゴトで語れない。
そういう見方のほうが正しいと思う。
あと、この手のドキュメンタリーでは、最近よく白人が先史人類を演じるけど、それもある種のホワイトウォッシュと感じる。
話がそれたけど、そんなふうに感じました。
<参考>
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