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特別感を出さないようにしたはずの年末年始にチェキを向ける。

チェキ納め、チェキ始め。


『エッセイにチェキ』
全てチェキで撮影した写真と共に綴る日常的なフォトエッセイ。


去年の年末は、チェキのシャッターを切りながら一年を締め括ることになった。

友人との忘年会や、一年を通してお世話になった人と最後に会った際など、その場で撮影とチェキプリントする流れを繰り返した。
その結果、チェキフィルムは1パックと数枚が灰燼に帰し、残りわずかだ。

写真をモノとして渡すなら鮮明なモノをプリントしたりデータでの受け渡しでプレゼントしたほうが喜ばれるような気もしたけど、86mm×54mmの白紙にパッと撮影してプリントしたものを渡しても充分喜ばれる。嬉しい。

何より、友人達との忘年会の写真を撮る時にチェキを出した際、「スマホで良くね」と口にした一人の友人がいた。
その友人へ、いざプリントしたチェキを手渡しすると「これはこれで結構良いやん」と言ってポケットにしまっていた。

ぼくからするとそういう反応を垣間見れただけで結構良くて、またプリントしたくなる。

この記事よりも前に投稿したチェキの購入・使用記録を書いたりしながら思っていたけど、このカメラは撮っていて足取りが軽い。プリントという行為も軽い。

身近な人も〝そのオモチャで撮るなら別に気にしない〟って感じで軽く撮らせてくれる。なんというか、クオリティへの敷居が低過ぎるところからスタートしてる感覚だ。

それらがプラスチックのような材質からくるものか分からないけれど、とにかく軽すぎて画面を見ずにシャッターを切ることもあった。
多分それはメインのカメラを使っていて、なんだかんだ意識して出来ていなかったことだと思う。ぼくはまだカメラを現実の異物だと思っているから。

案外、とりあえず撮れれば良いと思う人間はチェキを買ってみても良いのかもしれない。少なくとも、それに当てはまるぼくはこれぐらいで充分な時もあると知れた。

そんな感情などを乗せながら迎えた12月31日。
宮城に住む友人から送られてきためっちゃ美味い魚介パスタソースをいただいた後、食材の買い出しへ繰り出した。
大晦日にやることは翌年三が日辺りまでの買い出しとコインランドリーへ行くこと。そこでもチェキを向けてみる。

食品売り場の通路には人が波のように流れていたので、その荒波へと僕も飛び込む。
安く売り出された食品の棚からモノが消えていた光景を見ると戦場感がある。
高くもなく安くもない値段のものへ手を伸ばし、買いたいものはとりあえず全て買えた。
スナック菓子や乾き物、お酒は在庫が潤沢で尽きそうにない。流石。

荒波から生還した果てに、コインランドリーへ訪れる理由なんてのは洗濯以外に無いけれど、ここでも写真を撮る楽しみがある。大海を渡った苦労も洗われる気がした。

コインランドリーというと、今でも現役で点々と存在し残っている現代の空間なのに、どちらかというとレトロ寄りに思う。
自販機に売られた商品を見ると、今でも生産されているものながら時が止まっているような気がした。
洗濯機が回る音だけが響くだけだし、なんだか空間が丸ごとエモい。

久々に訪れてみて、まだ点々と残ってるうちにコインランドリーに絞って撮影するのも面白いかもしれない。
この空間が無くなることは無いだろうけど。


年が明ける30分ほど前まで、普段買わないスナック菓子を頬張り、普段買わないお酒を開けたり、Maincraftというゲームで地下を掘り進めてはモンスターに倒されまくる夜を友人達と楽しんだ。

その余波で年始は久々に昼を過ぎてから起きた。
時計を見た時のなんとも怠惰な思考の鈍さと、それを許してくれるような正月という免罪符は浸り過ぎると戻れなくなりそうな気がする。

年始というと去年、一昨年と初詣は著名な場所へ出向き、どこか特別感があった。その反動で、今年から特別感を出さない年始にしたかった。
仰々しく表現したけど、要は静かに過ごしたいと思っただけだ。
それでも回る寿司へ行き、人が少なめの神社へ初詣に出向く。今年初のお賽銭は贅沢に50円。5円玉の10倍はパワーを込めて賽銭箱へ飛ばした。
その帰りに商業施設とファミレスに身を任せていき、なんだかんだ騒々しい空間へアクティブに動いてしまった。
思いの外、ありふれた特別感は出てしまう。それでもチェーン店のご飯は落ち着く。

世間の方は三日も経たずに地震など色々とあり過ぎて、遠い地域では今も何かを失っている。
分かったようなことは言えないので、お水何本分かの足しになればと寄付させていただいた。

〝寄付をした〟と言うと恩着せがましく聴こえる人が居るかもしれないけど、ぼくは元々お金という淀みがあるものを寄付することに躊躇いがある。
本当は物資とかを送りたかったけど、現地の人が必要なモノになるかは分からないからお金にした。

寄付をしたとわざわざ書き残してしまうのは、お金という不透明なものをせめて水や食料など生きる為に得なければいけない実体のあるモノヘ換えてほしいという個人の意思表示だ。

というわけで、年末年始は個人的に3日の夕方過ぎぐらいで終わった気になれたけど、今年はまだ始まったばかりだ。

〇筆者 / iris_7f(あいりす)
普段は千葉県を中心に、色んな活動にこっそり関わっています。
メインは神社仏閣、そのほか自然や街の日常風景などいろいろ撮ります。
noteは基本的に週1回更新中。

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