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作り手目線に近づく楽しさ

※3000字以上の記事です。
 お時間のある時に
 お付き合いいただけると嬉しいです。

20代の頃に観た映像の話から
有料記事を書かせてもらいました。

この記事にも書きましたが、
作品の良し悪しを見抜くには、
いいものだけを観ていればいい
というものでもないんですよね。

映画は何百人もの
スタッフを動員して、
時には何億ものお金をかけ、

じっくり時間をかけて
作られるものなので、

上等なものになるのは、
当然と言えば当然のことなのです。

そっちの世界を
いくら知ったところで、
そのものの本当の良さは
わかりません。

例えば、今だったら、
YouTube などのメディアもあって、
映像で溢れかえっているわけです。

だったら、映画とは逆に、
素人が一人でやっているような
映像はどんな作りになっているか、

そんな視点も持ちつつ、
映像を観た方が楽しさが
広がります。

これは文学でも音楽でも、
同じことですが、
ある特定のものだけの良さが
わかっただけでは、

そのジャンルのことが
わかったことにならないんですね。

映画でも邦画しか観ない
という人は、

洋画のおもしろさを知らずに、
損をしているわけですし、

ハリウッドの大作しか観ない
という人は、

ミニシアター系の小規模な作品の
おもしろさを知らずに、
損をしているんですよね。

やはり、一つでも多くの
おもしろさを知っている方が
人生そのものが豊かになります。

そういうことを伝えたくて、
私はここで文章を書いているんです。

そういう意識で
いろんな作品に触れていると、

自然と自分の中に
「プロ」と同じような感性が
育ちます。

私は自分で映像を撮ったり、
編集したことはないんですが、
自然とそういう視点で、
作品を観てしまうのです。

プロの方の理論を聴いた時に
「自分も同じことを思ってた!」
というのがたまにあるですね。

例えば、以前読んだ本の中で、
スタジオジブリのスタッフが
映画を観に行った時の話が
書かれていました。


『コンテンツの秘密』川上量生
(2015)

この本はドワンゴで、
ニコニコ動画を作った著者が、
ジブリに入社して、

その時の体験から
「コンテンツ」のことを
書いたものです。

この本の中で、
著者がジブリの人たちと
映画館に映画を観に行った時の
話が書かれているんですね。

著者はその時に観た映画が
あまり楽しめなかったそうなんです。

おもにそこに描かれている
ストーリーが良くなかった
と思ったそうなんですね。

ところが映画館から出てくるなり、
ジブリのスタッフの人たちは、
口々に「映像が良かった」
と言っていたそうです。

スタッフ同士でそんな話で
盛り上がる中、
著者は彼らの言っていることが
全然わからなかったんですね。

これがプロの視点だと思います。

これもこの本に書かれていた
プロデューサーの鈴木敏夫氏の
話だったと思いますが、

鈴木氏いわく、

よく映画を批判する時に
「ストーリーがよくない」
とか言われることが多いですが、

実際にはその人は作品の
「映像」が好きでは
なかったのだと思う
とのことです。

私もこの本を読むまで
ここまで深くは
考えたことがありませんでしたが、

たしかに、そういう面が
あると思いました。

少なくとも私の場合はそうです。

いくらストーリーがいいと言われても、
映像がダメだったら、
私の中ではそんなに好きな作品では
ないんですよね。

単にストーリーを楽しむだけだったら、
本で読んだ方がいいです。

やはり映像で見せるならば、
映像ならではの楽しさが
入っていないと
私は退屈してしまいます。

本で読んで、自分で想像した方が
よっぽどいい映像が
頭に広がるからです。

たぶん、私の映画の見方は、
ジブリのスタッフ寄り
なのだと思います。

たくさんの作品を観ていると、
自然とプロの視点に
近づくことがあるんです。

先日読んだ大友啓史監督の
著書でも似たようなことが
ありました。

(大友啓史:
 『龍馬伝』『るろうに剣心』などを
 手掛けた監督)

『クリエイティブ喧嘩術』大友啓史
(2013)

大友監督は20代の頃に
ハリウッドにわたり、
そこで映像について学んだ
経験のある人で、

この本の中で、
その時に学んだことも
書かれています。

ハリウッドで受けた授業の中でも、
特に印象に残っているのは、
USC の脚本家クラス、
マーティン・スコセッシ監督の
『ミーン・ストリート』の
共同脚本家である
マーディック・マーティンが
発した言葉でした。
ある日、彼はクラスで
僕たちに質問を投げかけました。
「理想的な脚本は
 どういう脚本だと思う?」。
答えに詰まる僕たちに
彼が言った答えは、意外なことに
「無声映画」という言葉でした。
音楽と画だけで、人間の感情は
最大限に喚起できる、
と彼は言ったのです。
「映画なんだからさ、
 映像と音で物語を語ろうよ」
―平易な言葉で言うと、
 彼が言いたかったことは
 その一言に尽きます。

『クリエイティブ喧嘩術』大友啓史(2013)p.58-59

日本のテレビドラマの現場では、
むしろその逆の方法論が
主流であっただけに、
「これが映画とテレビの違いなのか」
とシンプルに腑に落ちました。
日本のテレビドラマの脚本では、
「台詞ですべてをわからせる」
というスタンスが底流にあります。
(中略)
これに対して、マーティンは
「映像ですべて語るに
 こしたことはない、
 だって映画なんだから」という、
映画の作り手ならではの
矜持を見せてくれたわけです。

『クリエイティブ喧嘩術』大友啓史(2013)p.59

ここに出てくる講師の言葉、
著者の大友氏が書いている
テレビドラマの
脚本についての話、

いずれも普段から
私が note に
書いているようなことと
一緒なんですよね。

(『ナイト・オン・ザ・プラネット』に関する論考)
セリフや文字では表現できないものを
「映像」という形で表現し、
その受け止め方は鑑賞する人によって、
まったく異なるのです。
こういう表現ができるのも
映画のおもしろいところですね。
例えば、テレビドラマだと、
どうしても「わかりやすさ」が
求められてしまうので、
このような詩的な表現は
最小限にとどめられている気がします。

「紹介するのが難しい映画」いっき82(2023)

(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と
 『ラム/Lam』を比較した論考)
一方の『ラム/Lam』の方は、
「芸術性」が高いんですね。
初心者が観ると
「?」となるシーンが
多いと思います。
しかし、「映画」
というものの本質から言えば、
『ラム/Lam』の方が
芸術性が高い作品です。
それは文字や言葉によらず、
映像の力だけで、
物事を伝えているからです。
二つの作品を観比べれば、
一目瞭然だと思うんですが、
きっと『BTF』の方が、
登場人物のセリフ、文字(テロップ)が
多く表示されると思います。
『ラム/Lam』の方は、
セリフが極端に少ないですし、
テロップはほぼなかった気がします。
これは明らかに
「映像」を意識した作りです。
こういう作品は
鑑賞者に察することを
要求する作品なんですよね。

「〈芸術性〉と〈娯楽性〉の違いについて」いっき82(2023)

私は誰かから
教わったわけではないですが、
いろいろと観ていくうちに、

自然と作り手の意図を
掴んでいたんですね。

作り手の話を聴いていると、
時々、こういうことが
あるのがおもしろいんです。

この本の中には、
他にも大友監督の手掛けた
映像作品の話で

特にこだわって作った部分が
書かれていますが、

やはり、私が過去に書いた
『るろうに剣心』の映像を
解説した記事と重なる部分が
ありました。

もちろん、いくら本数を観ても、
漫然と観ているだけでは、
私もここまで作り手目線に
近づくことはなかったと思います。

たぶん、私の癖で、
何かいいものを見つけると、

「どうしてだろう?」と、
いろいろと理屈付けを
探す方なので、

その積み重ねがあって、
はじめて作り手に近い目線で
作品を観るように
なっていったのでしょうね。

こういう発見が
またおもしろいんです。

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