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短編小説 : 姿の見えない同僚 - 不毛なコミュニケーション


あらすじ

旅行業界の黒子的な存在のランドオペレーター。
その本社の視察を手配する部門に新しいマネージャーと社員が入社してきた。
二人とも日本での就業経験があり、日本側の期待値は高かった。
しかし、彼らは一年間の日本滞在で、日本人に対する固定概念を強く持ち,
また社会人経験が少ないため、会社の仕事に打ち込めない様子。
自分がいいと思った事や自分たちが納得できない事をとことん突き詰めてくる彼らは
果たして企業人として機能するのか。
国をまたいでメールのみでやり取りする仕事の在り方と、
仕事に打ち込む姿勢の見られない社員との協働の難しさを描いた小説です。

「黒崎!これ、エージェントから!」

2006年の冬。いつも通り終業時間の18:00ギリギリになって、営業1課部長の高山さんが、顧客である旅行会社からのFAXを放ってよこした。それには海外での視察先の情報収集依頼が記載されていた。

依頼書にはいつもの通り、私達ランドオペレーターの競合他社の名前が連名で書いてある。

業界でトップのマキトラベル。その次がカオネイトラベル。三番目にやっと私たちの会社リリパットトラベルの名前が出て来る。その次は、これもいつものイースト・ウエスト社だ。

私達が働いているのはランドオペレーターと言う業種の会社だ。地上手配会社とも呼ばれる。

基本は旅行会社(トラベル・エージェント)から来た海外旅行の見積もりと手配を請け負う会社だが、ツアーの造成の際に目玉となる観光箇所の提案や、海外視察や海外での研修の場所の提案も求められる。

例えばフランスのモンサンミッシェル寺院。
例えばポーランドのヴィエリチカ洞窟。
例えばボルドーのワインセラー。
例えばオランダの花畑。
例えばニュージーランドのキャドバリー社のチョコレート工場。

私の働いているセクションは海外視察とMICEに特化しており、オーガナイザーと言う海外視察を企画している団体や企業,学校から来たリクエストに応じて、目的に沿った海外の視察先や研修先を探すのが業務の一つだ。

都市開発に特化して現場視察や担当者との質疑応答を検討しているオーガナイザーには、欧州の特徴のある都市開発の例を。

環境問題に積極的に取り組んでいる企業を訪問して、取り組みの現場視察と,関連部署からの説明を受けたいオーガナイザーには、プラスチックや紙類のリサイクルの熱心に取り組む欧州の企業の例を。

調理師学校で卒業旅行を計画しているオーガナイザーには、欧州でも特徴のある郷土料理がある国での調理実習体験ができる専門学校を。

私達がかき集めた視察先や研修先の資料を基に、今度は営業が日程表としてレストランや観光名所を加え、初めて日程表が完成する。

完成した日程表を旅行会社に送り、内容のすり合わせが出来たら今度は旅費の見積もりチームが作業に取り掛かる。三日間という期日の中で、本社や支店のある欧州のスタッフたちとメールを交わしながら見積もりを完成していく。

ここまでがまず私たちの会社が出来ることだ。

入札制なので、私たちの示したツアープランが旅行のオーガナイザーの目に留まって、料金も予算に合えばそこでやっと仕事の受注が決まる。

そこからがランドオペレーターの「手配」と言う本当の仕事が始まる。見積もり段階からホテルを仮抑え、手配チームに見積もりを渡すと,そこで初めてレストランや送迎バス、駐車場、アシスタント,ガイド、通訳の手配が始まる。日本を出発したお客様が、海外の空港に到着した時から、滞在を終えて空港に到着するまでの間、お客様達はランドオペレーターが手配したサービスを使って旅行をしていく。

ただし,ランドオペレーターはBtoB企業。日本にある旅行会社が顧客であり,あくまで黒子の存在だ。旅行に出かけたお客様は、旅先でパスポートを盗まれたり体調不良を起こしたり、最悪の場合は入院したり死亡したりしない限り私たちの会社を知ることは無い。

旅行にでる人たちに手渡される「旅行のしおり」の一番最後に出て来る「緊急連絡先」にローマ字で書いてある会社が私たちの会社。大半の旅行は何事もなく海外での旅行行程をスムーズにこなし、日本にご帰着される。

旅行中のお客様がパスポートを紛失すると、ヨーロッパにある支店のスタッフか斡旋員が走り回って警察に一緒に行き紛失届を作成、大使館にまで一緒に行ってパスポートの再発行を手伝う。

体調不良で病院にかからなければならなくなると、その場合は付き添いの斡旋員の他、病状によっては通訳を手配してお客様が一日も早く元気になって日本に帰国できる手はずを整える。

旅行中に亡くなる方もいる。本当に心の底から旅が好きな人の中には、「旅先で死にたい」と言って具合が悪いにもかかわらずツアーに参加する人も出て来る。通常家族が同行するのだが、数年前に一人旅先のベニスで亡くなった人がいた。同行していた奥様はその方の死期を知っていたそうで、静かな声で緊急連絡先に「主人がみまかりました」との連絡を入れてきた。ローマ支店の支店長がベニスに飛び、ご遺体を日本へ運ぶ手立てを整え、奥様とご主人の遺体をベニス・マルコポーロ空港から日本へ送り出した。

時差を伴う仕事をしているせいか、残業が当たり前になっている会社だった。通常、終業時刻の日本時間の午後六時には、ヨーロッパの支店が開き始め、「急ぎ」のメールが山の様にやってくる。急ぎのメールは大抵日本時間のその日に済ませなければならない緊急事態について。

「明日行く視察先から急に視察代の前払いを求められた」
「ホームステイで来ている生徒さんが体調不良で病院に行った」
「今日行った視察先の農家で火事があった。参加者は全員無事。状況を日本の家族に知らせて欲しい」
「視察先の家族が産気づいて、視察の受け入れを断られた。代替を調査中」

それをさばくのも私たちの仕事だった。一つ一つの急ぎの案件を,社内で処理できるものは社内で処理をし、旅行会社に連絡する必要があるものは英語から日本語に翻訳してメールを送っていく。

私の勤めるリリパット社は、顧客からの依頼は常に三番手をキープする会社だった。

リリパット社が何年たっても超えられない会社は二社あった。それがマキトラベルとカオネイトラベルだ。

マキトラベルは日本人の海外旅行に特化した会社で、日本で海外旅行が始まった年に出来た老舗の日本企業だ。海外での観光時にはどんな国に行っても必ず日本語ガイドを配置できたり、高品質な日本食が手配できるなど、日本人へのサービスが満点の会社だ。噂では一人のベテラン社員が海外視察をすべてになっており、かなりの調査能力を発揮していると聞く。

カオネイトラベルはスイスに本社を置く比較的小規模ではあるものの、業務視察の手配はすべて海外のオフィスにいるイベント・コンベンションを経験してきた社員が担当し、その情報収集の力は業界でも屈指の存在だ。

リリパット社は創立四十周年を迎えたばかりでまだ中堅どころの会社だが、ホテルの仕入れが良く、旅行本体の値段は低く抑えることが出来ていた。

浅草の浅草寺の裏手に自社ビルを抱えるリリパットは、東京だけで約100人が働く中小企業で、本社はイギリスにある。欧州各国に支店があり、そこと連携して仕事に当たっていた。公的機関の予算が限られたツアーや、量販の廉価ツアーを得意としており、仕事の受注率は悪くはなかった。

しかし、視察やMICEツアーになると話は別だった。

リリパットでは視察とMICEの専門部署を構えており、常時2名のスタッフが視察やMICEを担当していた。

日本の企業などで新しいプロジェクトを立ち上げる時、大概先行事例を探すのだが,その先行事例が海外にあると、旅行会社を経由してランドオペレーターに視察先の選定のための情報収集の依頼が入る。通常は三~四か所の先行事例を見繕って提案するのだが、その先行事例が企業様の関心に沿ったものかによってツアーが具体化するかどうかが決まる。

情報が集まった所で旅行会社に送り、その視察先を訪問するための日程表が組まれる。

その次に待っているのがツアーを担当する旅行業者を選択するための入札だ。

通常複数の旅行会社が参加する入札では、予算や巡る国名、どのような視察の候補先があるかなどをプレゼンする。最終的にはツアーの値段が企業様の予算にあっているか、観光地や食事内容、視察候補先への興味によって、旅行会社が受注するかが決まる。

ツアーを造成するために必要な候補先である視察企業や団体の情報収集については、古参の社員である田中さんが「面倒な事には手を出さない」というポリシーを貫いており、何か新しい案件が出て来ると「めんどくさい」の一言で仕事を断ることが慢性化していた。

先ほど17:00頃に来た視察候補先の情報収集依頼も、始めは田中さんの手に渡っていた。

田中さんは営業である富永さんに向かって、「こんなめんどくさい事はできません」と早速断っていた。

「田中さん、なんでだい?」
「こういう案件は、海外支店からの提案はほとんど来ないんですよ。やるだけ無駄です」
「いや、せめてどのような学校があるだけでも調べられないのかい?」

私は話に割って入って、仕様書を見せてもらった。

日本の民間企業の主催のツアーで、欧州でITを導入している小学校と中学校を視察して回るツアーだという。そして特徴的なIT制度を導入している学校をいくつか身繕って欲しいという内容だった。

視察箇所はたったの三つ。しかもホテルはモリエット・バイ・コートヤール。四つ星の中でも比較的グレードが上のホテルだ。こんないいホテルに泊まってくれるお客さんなど逃すわけにはいかない。

私は仕様書を受け取ると、富永さんに言った。

「こちら、私が担当して良いでしょうか?」

富永さんは一瞬躊躇したように見えたが、「よし,やってみろ」とのお達しが出た。

「あなた、バカじゃないの?あんな本社や支店から情報が来そうにない案件なのに、なぜ断らないの?」

「そうは言っても、これまでに成立しなかったツアーでITを導入している学校の記録の蓄積が出来てきているんです。こんなチャンスを逃がせませんよね?学校ならばネットで調べればいくつか候補は上がってきそうですし。

それにホテルもコートヤールレベルのいいホテルに泊まるし、これで団長クラスがエグゼクティブクラスの部屋に泊まってくれれば、うちにとっても美味しいビジネスじゃありませんか。これを本当に断るんですか?」

「・・・やりたかったらどうぞご勝手に」

田中さんは踵を返すと、自分のデスクに戻っていった。

田中さんはいつもこの調子だ。一人で視察手配を行ってきた期間の長い彼女は、とにかく無駄が嫌いな合理主義者で、少しでも海外にある支店の居力が得られそうにもない案件はのべもなく断る方針で来ていたようだ。数年前に結婚された後は時短の契約社員となられて働いている。

三年前にリリパットで勤務し始めた私は、田中さんの帰った後に出て来る急ぎの案件を片付けつつ、就業後に出て来るこまごまとした作業に追われる毎日を送って来た。

私はどんな案件でもまずはチャレンジしたくなるのが悪い癖で、視察先との予約は約束できないものの、インターネットや過去に調べた資料を営業に提出して、何とかリリパットが競合に参加できる機会を作りたかった。

どんな案件も断らない。ツアーの日程を作るために重要な視察候補先の資料は、一件でも多く営業に渡していた。

私も自分のデスクに戻った。PCのキーボードの上には、先ほど営業部長の高山さんから受け取った別の情報収集依頼書が置いてある。

内容は自動車関連の企業の視察旅行。ヨーロッパにある車で有名な国で見れるものをいくつか出して欲しいという、基本的な内容のものだった。

ヨーロッパで車が有名な国は大体決まっている。

イギリスのアストンマーチン。ロールスロイス。ベントレー,ジャガー。
フランスのシトローエン、ルノー
ドイツのBMV,ワーゲン、アウディ
スウェーデンのボルボ、サーブ
イタリアのフェラーリ、マセラッティ、ランボルギーニ

こうしたメーカーの中から、外部からの見学や、企業の担当者から話を聞かせてもらえるスタッフを出してもらえ,日本からの車の専門家たちが満足できる質問に答えられるだけの人に出てきてもらう。

私は視察受け入れをしているメーカーを洗い出した。数ある自動車メーカーであっても、外部に自社の工場をおいそれと見せてくれるところなど限られている。

私は本社のあるイギリスや、支店のあるドイツ、フランス、イタリアにメールを送り、
オーガナイザーがツアーを企画してる時期に工場見学が出来るか、夏休みや工場の停止日に当たらないか、そして日本からの車の専門家に工場や自動車会社の説明をしてくれる担当者が出てきて話をしてくれるかどうかの確認メールを送った。

「おい黒崎、こんなの簡単だろう?さっさと資料作って旅行会社に出せ!」
高山マネージャーが妙に急いでいる。

これだけ候補が多いと、ツアーは二~三か国を回ることになるだろう。

私は欧州にある本社や支店から帰って来た情報を元に資料にまとめ、FAXを送信してきた旅行会社の担当にメールをした。

この資料を使って視察旅行を作ることが決まると、視察候補先を基にツアーの日程表が作成され、その日程表を元にツアー料金の見積もりが始まる。見積もりが完成したら、ホテルリストと共に旅行会社に提出する。

「見積もり課も真剣にやれよ。結構いい客の案件だ、間違いだけは決してしない事。サービスは出来るだけ安く。でもホテルだけは仕様書に書いてある通りファーシーズンズ、又は同等クラスで仮押さえをしてくれ。これが取れれば一千万の売り上げにつながるはずだ」

高山さんはいつになく息まいていた。ご本人が大の車ファンだという事もあり、気合が入っている様だ。

見積もりを担当しているのは長谷部さんというこの筋30年のベテラン社員だ。
どんな細かい所でも気が付く彼女に任せておけば見積もりのミスなど考えられないだろう。

「高山さん、今日はとみに熱心ですね!任せてくださいよ、視察の日程はそれほど難しくないからへまはしないですよ。納期までには間に合うと思います」

「長谷部さん、そうは言っても、以前ポーター代を入れ忘れて大損を食らったじゃないか。ああいう小さいミスが重なると、マークアップを食いつぶされるんだ。今回はそれだけはやらないで欲しい」

「ご心配なく!自動車関連視察の日程なら私、何度もやっているから。ポーター代はもう書くホテルの見積もりのシステムに入れましたよ!」

「そうか・・・それなら今日は安心して帰れるな」

「高山さん、今日は金曜日ですよ。早くお帰りになった方がよろしいのでは?確か今日は息子さんの誕生日ですよね?」

「あ,そうか!すっかり忘れてたよ」

それを聞きつけた見積もり課の人達がどっと笑った。

「高山さん、今走ればドンキが開いてますよ!せめておもちゃの一つでも買って帰らないと」

五歳になるお子さんのいる高山さんは、そっと鞄を手にしてPCの電源を切ると,

「それじゃお言葉に甘えて!」
そう言って浅草の町へと飛び出していった。

二週間後、高山さんから、競合に負けたとの連絡がメールで入った。

マキトラベルがイタリアのフェラーリと特別契約を交わしており、車の製造過程の見学から、企業の現状についてのレクチャーまでを見積もり段階で確約したという。私達リリパット社はマセラッティ社と同様の契約を結んでいたが、いかんせんマキトラベルが持ってきたのはフェラーリ社だ。ネームバリューだけでもお客様が飛びつく大企業。これは完敗だった。

一月から三月までは、専門学校の卒業旅行の他、自治体の予算消化のための研修ツアーが立て込む。予算消化のツアーは必ず視察を手配しなければならないものもあるが、いかんせん目的は予算消化だ。参加者の意識は観光に向けられていることが多く、視察中は上の空。写真を何枚か取り、話を通り一遍に聞き、終われば気もそぞろに夜の街に繰り出していく団体が多いと聞く。早春の視察旅行の手配は、いつもそこはかとなく気疲れするものだった。視察を手配しても参加する訪問団が気乗りしていないケースが多いからだ。

そんな中,本社のあるイギリスに新しいマネージャーと新人のスタッフが入ったとの通知があった。

視察課の上司である金井さん曰く、新しいマネージャーはジョージさん。そしてスタッフはカルパンさんと言う名前で、二人とも日本の中学で英語教師をするプログラムに参加し、日本での就業経験があった。

日本から帰国したばかりであるなら日本語が出来るのではないかという期待感があり、こちらとしては大歓迎だった。

「まだ電話では話したことが無いけど、二人とも日本と働くのにとても熱意があるみたいよ。でもまずはどのような人たちなのか仕事を通して理解していきましょうね」

金井さんが言った。

しかし、蓋戸を開けてみると芳しくない事態が待ち受けていた。

カルパンさんもジョージさんも旅行業界は初めて。旅行を企画しているオーガナイザーの意向を無視し、「本社が売りたいものを売るのが営業の仕事と言うもの。それをしないのは営業の怠慢」という態度を崩さなかった。

音楽学校の学生には、本社の観光部門が一押ししているバードウォッチングツアー。
精密機械のメーカーにはやはり本社の観光部門が押しているワインミュージアムの見学と試飲。
廃棄物処理の専門家には自分たちが気に入っている捨て猫や捨て犬のシェルター。

オーガナイザーの海外研修の趣旨をまるで無視した提案をよこし、「これでは提案にならない」と訴えても、「それは営業の怠慢」と胡坐をかき、一向に提案を寄越さない。
それどころか「営業はこちらが売れと言っている物を売っていればいいんだ。それは俺たちの仕事のタスクの中に入っている」とタスク表を送ってくる。

それでは、本社のタスク表を開いてみると、誰が作ったのか分からないが、間違いだらけのタスクが満載の表が現れた。

「日本から来たリクエストがイギリスでは手配不可能な場合、代案を提示する」
というタスクは、「本社のスタッフが手配したいものを営業部である日本が鵜呑みにして販売する」という解釈に置き換わっており、ジョージさんもカルパンさんもそれを信じて疑わなかった。

何度か交わされた電話で明らかになったのは、日本の中学校で英語教師をしていた彼らのかすかな日本人への偏見だった。

「日本人なんて自分で何も決められない。こちらが言ったことをOK,OKと言って何でも受け入れる」

「日本人は団体行動しかできない。こちらが一言いえば全員何でも従う」

「日本人なんて,名前の後にsanを付けときゃ喜ぶんだよ。だからどうでもいい,とにかくメールの返信にはsanを付けて送って喜ばせてやれ!」

海を越えて漏れ聞こえてくる彼らの発言はあまりに人を馬鹿にした態度で、こちらは憤りを隠せなかった。

月日は流れ、四月がやって来た。四月は視察先選定の真っ盛りだ。半年後のツアーの企画のために毎日毎日遅くまでかかってもオーガナイザーの求める視察先を選定する。これにはヨーロッパの本社や支店にも協力してもらって視察の候補先を集める。

ドイツやイタリア、スペインなどの支店から送ってもらったインターネットのリンクと視察先名を使って,この視察先がどのような団体や会社で、実際に視察の価値があるのか、何かの実績を上げている団体や企業なのかを一つ一つ調べて行く。EUの自然保護やオーガニック栽培をして地元で高評価を受けている所なのか。EUの基準を守り、ユニークな取り組みをしている企業なのか。なにが受賞歴はあるのか。Bloomsburgでは紹介されているのか。The Economist や Financial Times、日経新聞などで紹介されている企業なのか。

とにかく調べて調べて、「見に行く価値のある所」と判断出来たら、その後は収集した情報を元にサマリー(要約)を作成していく。私たちの顧客である旅行会社の担当は忙しい事が多く、長い文章を読んでいる暇が無く、長い文章を送ると反って撥ね付けられることが多いからだ。

私達のサマリーはオーガナイザーに送られる。そこでオーガナイザーは何らかの調査機関を使ってダブルチェックを行う。しかしこうした調査会社はいくら「要約」と言っても話が通じず、「ホームページの翻訳になっていない」「ホームページに即した内容になっていない」という何とも歯がゆい調査結果を出してくる。最終的には「本件はドイツの有機栽培農業とEUの農業政策に精通している方がダブルチェックをすることをお勧めする」など予防線を張らなければならなかった。

そんな忙しい四月は新入社員の入社の時期だ。

田中さんがもうじき退職することになっていたので、この新入社員のうちの誰かが後釜に入ってくるのだろう。一人で出来るキャパシティーは十分に超えているので、誰か一人、英語の得意な人に入ってもらいたい。そんな一心だった。

簡単な社内システムの研修を受けて配属になったのは、前園さんという東北の大学を出て,オーストラリアに一年留学経験のある人だった。海外を体験して一年しっかり語学に向き合っていた人が来るのは何よりも嬉しかった。この人ならここで頑張れるかもしれない。私は期待に胸を膨らませて少しずつ業務を教えて行った。

田中さんが辞めるのを機に、田中さんがやっていた本社への毎月の送客率や本社や支店との話し合いなどがすべて私の所に来て、入社二か月の前園さんが仕事を振り分ける立場となった。

どんな仕事でもいい、良いツアーになるのであれば。手を抜くことが苦手な私はどんな案件でも正面から食らい付いて行った。

六月がやって来た。夏休みシーズンに欧州に出かける研修旅行の手配はピークを迎えつつあった。

ロンドン本社のカルパンさんの担当しているツアーでは、出発間際になっても視察が手配できていないという事態になっていた。

音楽学校の夏休みを利用した研修の出発日が目前に迫っているのに、必要なレコーディングスタジオとのアポイントメントが取れていない。当初はビートルズも使った有名なレコーディングスタジオの見学が出来るとカルパンさんから情報が来ていたのだが、当の本人はそんなことはどこ吹く風,といった風情。私はカルパンさんに電話をかけた。

「Do you realise it has been almost two month to go until we book recording studio for guided tour and hands-on experience ? And do you still suggest a bog tour to music students?
レコードィングスタジオとお約束を取り付けて内部見学と実習をさせてもらうまで二か月しかないってわかっていますか?それなのにまだバードウォッチングを音楽の専門学校の学生に提案し続けるのですか?」

「Than’s right. The major product of Lilliput. Why should we waste our time booking recording studio? そうだよ。バードウォッチングツアーはリリパット社のメインの商品だ。レコーディングスタジオを予約するなんて時間の無駄なのに?」

「We got this tour because you said that we can book Abbey Road Studio. You don’t realise how important your confirmation to book the studio, don’t you? If we don’t book Abbey Road Studio, we will sure to be breaching travel law in Japan. We might get sued for that.
私達がこのツアーを勝ち取ったのは,あなたがアビーロードスタジオを予約できると言ったからです。この予約が確実に出来るといったのがどれだけ重要か分かっていなようですね。これでアビーロードスタジオとの予約がとれなかったら、日本の旅行業法の違反で訴えられますよ」

「What about the bog tour ? Aren’t you selling it hard? バードウォッチングツアーは?ちゃんと一生懸命に売ってる?」
「Off course not. We have not informed our agents about the bog tour. It is out of question to sell the bog tour to the students of music そんなことするわけがありませんよね。旅行会社様にもこのバードウォッチングツアーの事は伝えていません。音楽の専門学生にバードウォッチングツアーを販売するなどとは問題外です」

「What ?? You haven’t sold it AT ALL ? 何?売ってもしないだって?」

「I repeat, off course not. Can you give me the reason why the music students go to a bog tour instead of their hands-on experience at Abbey Road Studio? もう一度言いますが,旅行会社にはバードウォッチングツアーなど販売していません。音楽専門の学生がアビーロードスタジオでの実施研修を差し置いてなぜバードウォッチングに行かなければいけないのか。理由を教えてくれませんか?」

「・・・・・」

「You can’t tell me the reason, can’t you? So it is a lie when you said it is feasible to arrange hands-on experience at Abbey Road studio? If that is the case, we should start looking for another studio which can take our group, and I mean it now.
理由を言えないんですね?では最初にあなたがアビーロードで研修を出来ると言ったのはうそだったのですね?それならば今から有名なレコーディングスタジオを探して予約を取りましょう。

「I can do it if you speak American English アメリカ英語を喋るならやりますよ」
「Excuse me? どういうことですか?」
「Japanese speak American English 日本人はアメリカ英語を喋るものです」
「What dose that has to do with our work ? 仕事とそれに何の関係が?」
「I know Japanese well, and they all speak American 日本人の事は良く知っているし,皆アメリカ英語を喋るんです」
「But I can’t speak American でも私はアメリカ英語は話せません」
「Why? どうして」
「Because I am a Japanese. Now can you start looking for a recording studio? 私が日本人だからです。さあ,レコーディングスタジオを探し始めてください」
「I can only start looking for the studio once you said the honest truth 本当の事を言うならレコーディングスタ時を探してもいいですよ」
「I may be speaking in different accent because I lived in England 周りの日本人と違うかもしれませんが、それは私がイングランドに住んでいたからです」
「How old were you when you when you came to England?イングランドに来たのは何歳の時?」
「14 years old, spent about there years. Then I came back and spend a year in a town in North.14歳。三年ほどいました。その後日本に戻って,その後イングランド北部に1年滞在しました」
「Hump! Fake! ふーん,出来るふりをしてるだけの偽物だね!」
「Fake or not fake, we have to make booking at a recording studio, you know. You said you can make booking at Abbey Road studio. What is their reason not accepting our group? 
偽物だろうがどうだろうが,レコーディングスタジオとアポイントを取らなきゃいけないんですよ。あなた,アビーロードスタジオとお約束が取れるって言ってましたよね。断られた理由は?」
「They said they are already booked by an artist アーティストがレコーディングで使うと言ってて」
「You could have check this when you first contacted them, couldn’t you? 
そんなこと最初に連絡とった時に確認できたのでは?」
「・・・」
「Anyway, we must find other recording studio. I will help you finding studios
まあ,いいとして,他のレコーディングスタジオを探さなきゃ。手伝いますよ」

「Only if you speak Japanese. I speak in Japanese accent. I am more used to Japanese accent 
日本語アクセントの英語で喋ってくれるならやるよ。俺、日本語アクセントの英語なら慣れてるから」

「Oh, you do? ソー ユー ウィル メイク アポイントメント ウィズ レコーディングスタジオ、 ウォント ユー? ユー ハフ トー ドゥー イット ライト アウェー, ユノー? ジス イズ ワット ウィー マスト トー ドー。 ウィー ハフ トー ファインド フェイマス スタジオ。ウィズ ヒストリー オブ ベリー フェイマス ミュージシャンズ レコーディング ゼアール。 Are you with me ? 付いて来てますか?」

「No!!!!無理!!!」

「No? Why not ? 無理?なんで?」

「Please speak in Japanese, may be I can understand it better日本語で喋ってください。多分そっちの方が良く理解できるかも」

「だから,レコーディングスタジオとアポイントメントを取って欲しいんですよ。できれば有名なところで。アビーロードが本当に駄目ならば他の所で。有名なところじゃなきゃダメですよ。どんなアーティストがコーディングをして,どんな作品が産まれたスタジオなのか教えてください。話が付いたらスタジオ名と住所,話をした担当者の名前も教えてくださいね。
・・・ Hello? Are you with me? もしもし,話について来てますか?」

「NO!!!! 無理!」

「Whatever that is, could you please make an appointment with famous recording studio? どうでもいいから有名なレコーディングスタジオとアポイント取ってもらえませんか?」

現場のスタッフがこの調子。入ったばかりのマネージャーも同じ質問をくりかえした。

やれアメリカンイングリッシュを喋らないのはなぜか。イングランドにいたのは何年間か。ある程度年齢が行ってなのなら胡散臭いな。日本語訛りの英語は理解できる,日本語も理解できる。なぜ日本人らしい英語を喋らないのか,なぜ日本語を喋らないのか。俺は日本で一年間日本人に囲まれて生活してきたんだ・・・

結局、カルバンさんと同様に、本社のマネージャーにも日本語訛りの英語も日本語も通じなかったので,たった一件の仕事を進めてもらうのに英語と日本語と日本語訛りの英語で三回同じことを繰り返して話さねばならなかった。国際電話なのに二時間以上も無駄な時間を使わされた。

一年間か半年、日本の中学校のサブ英語の先生を勤めた人は、果たしてビジネスレベルの日本語を習得できるのだろうか。話しをした限りでは眉唾と言うものだった。各一時間の電話での説得の後、彼らは日本語英語やアメリカ英語のアクセントを強要するのを辞めてくれた。

幸いなことに専門学校生を受け入れてくれるレコーディングスタジオは見つかった。

旅行会社に見つかったレコーディングスタジオの名前を連絡すると、すぐにオーガナイザーである専門学校の先生に連絡してくれた。その筋のプロである先生のお眼鏡にもかかり、そのスタジオでの研修にゴーサインが出た。

その研修旅行ではもう一つ,ロンドンでライブを見に行きたいという要望が出ていた。

通常そのような要望は、手慣れている手配課に指示が行くのだが,営業の西川さんはなぜか視察課が手配するべきだといって譲らなかった。

「現地の窓口は一つに絞った方がいいからね。このくらいの事出来るでしょう?」

「いや,視察課はライブのチケットの手配方法なんて知りませんよ」

「どうでもいいから時間が無いんだよ。とっととライブを見つけてチケットを取って」

私はしぶしぶカルパンさんにメールを打った。

専門学校の学生のロンドン滞在の4日目、ロンドンでライブに行かせたい。ライブのスケジュールとチケット料金を調べて欲しいと。チケットの枚数は20枚 

その日は昼ご飯をピカデリーサーカス周辺で自由食にし、学生さん達が好きなところでお昼ご飯を買って食べる。せっかくロンドンに来たのだから、好きなものを食べて、少しでも地元の人と買い物を通じて英語を使って交流するという教育的な目的もあった。

しかしカルパンさんから上がって来た情報は、20ポンドのチケットに加えて、25ポンドの昼食をライブ会場で食べるというものだった。

「It’s logical for the Japanese students to eat at the concert venue. They don’t waste time, and I think it is good idea to let all of them eat at the venue. They can experience lunch at concert house, which is quite rare.
日本人学生たちがコンサート会場で食事したほうが理にかなっているんだよ。時間の無駄も省けるし、コンサート会場で全員が昼食を取った方が良いと思うんだ。コンサート会場での昼食なんて滅多に経験できない事だし」

そうは言ってもこれは学生ツアーだ。25ポンドもの高いお金をだして学生に販売するようなことはできない。そもそもツアー費用が高くついてしまうのでこの日の昼食はそれぞれの学生が自分たちでお金を出して昼食を食べることになっている。それに、うちの会社が手配するとなると手配料を頂かなくてはならないので25ポンドの昼食よりも高く請求しなければならなくなる。仕入れ値だけでお客様に提示するとなると、これはもうボランティアの領域だ。

私はカルパンさんに電話をした。

「Kalpan, we are not asked to arrange lunch at concert venue. The students are supposed to be eating around Piccadilly circus, choosing the restaurant or take away shop by themselves. The school is encouraging the students to be more independent and buy the food on their own. 
カルパンさん。私たちはコンサート会場での昼食手配は頼まれていません。学生さん達はピカデリー広場周辺で昼食を取ることになっていて、自分たちでレストランや持ち帰りの店を選ぶことになっています。学校側も学生が自主性を発揮する様に勧めていますし」

「Oh, but the Japanese students don’t speak English, do they? They can’t buy anything by themselves. This is where British comes in. I can take them to the concert venue and take order for each of them. I speak Japanese and I can help these poor students who can’t speak English
ああ、でも日本人学生は英語が喋れないでしょう?自分たちで買い物何てできっこないよ。だからこそここでイギリス人が出てくるんだ。コンサート会場には俺がみんな連れて行って、食事のオーダーも取る。俺は日本語が喋れるし、英語が喋れない可哀そうな学生を助けられるし」

「That’s where the school’s educational purpose comes in. The teachers want students to choose and order food by themselves, so that they can be more independent, It will be good experience for them, too. 
学校の教育的目的がそこにあるんですよ。先生は学生が自分たちで食事を選んでオーダーすることを望んでいます。そうすれば学生さん達が自主的に行動できるし、学生さん達にとってもいい経験にもなるはずです。」

「You are wrong. The Japanese like to move around in groups, and they like to be led by someone who knows the local area. The students can’t possibly be independent since they are Japanese and they need help from the locals. それは間違ってるね。日本人は団体行動をとりたがるし、地元の事を知っている人に連れて行ってもらいたがる。学生は日本人なんだから自主的な行動何てとれっこないし、イギリス人の助けが必要なんだよ」

議論は平行線をたどった。これが四日間続き、ついに営業の西川さんがキレた。

「黒崎さん、コンサートチケットを20枚ただ買うだけなのに四日もかかるってどういうことですか?それに昼食ってなんなんです?そんなこと頼んでませんよね?!」

「視察担当に頼むとこうなるみたいですね。それより、普段通り手配課にこの件は任せられないんですか?最初から手配課にお願いしていればこんなことにはならなかったはずですよ」

西川さんは不満げな顔をして手配課の担当である本村さんの元へ行った。
本村さんは即刻音楽チケットや観光地の入場料を調べる部署に連絡をし、チケット代とコンサートスケジュールを確認した。

「Looks like this concert is the only one taking place in London on that day. Would you like to book the tickets?その日にロンドンで開催されるコンサートはこれだけの様です。チケット,予約しますか?」

そのメールを読んで、私はカルパンさんにメールを打った。

「Thank you for all the hard work on this, but please stop all your action on the concert ticket arrangement. A relevant section is now in charge of this. 今までの作業、ありがとうございました。チケット手配についてはこれ以上動かないでください。本来担当すべき部署が責任をもって担当します」

すると速攻でカルパンさんから電話がかかって来た。

「Are you going to take this away from me? I found the concert and made deal with the concert venue to arrange the lunch! Are you going to waste this unforgettable experience for the students? この仕事、取り上げるって言うの?このコンサートを見つけたのは俺だし、昼食を手配するようにコンサート会場と取引したのも俺なんだよ?学生さん達にとって忘れられない体験を無駄にしようって言うの?」

「I’m sorry but you went too far. We have never been asked to arrange lunch. Besides, you and I have wasted four days to book the concert tickets. We can not wait anymore otherwise the tickets will be sold out 悪いけどカルパンさんはやりすぎなんですよ。昼食を手配してくれなど一度も言っていません。その上、私たちはチケットを予約するのにもう四日も無駄にしています。もうこれ以上待っていたらチケットが売り切れてしまいます。」

「But this is my work! You can’t take it away from me! でもこれは俺の仕事だ!取り上げるつもりか?」

「Sorry, but time is up. We can’t wait anymore. You can stop all your work now 悪いけどもう時間が無いんです。もうこれ以上待てません。チケットに関しては手を止めてください。」

「Just let me book the tickets. I know who to talk with チケットは予約させてくれ。誰に話を付ければいいかわかってるから」

「I can only let you book if you give up lunch arrangement completely, and tickets must be 20 pounds. OR, have you made any discount deal by combining the ticket and lunch? 昼食手配をきっぱり諦めるなら、チケット手配をやって頂いて良いですよ。チケットの価格は20ポンド。まさか昼食手配と組み合わせてチケット代を安くする取引なんてやってないですよね?」

「Well… we are team, aren’t we? Why can’t you work as a team? We are supposed to help each other. うん・・・でも俺達チームだろ?なんであんたはチームとして動けないんだよ?お互いを助けるべきなのに」

「But you are they one who is not working as a team. Operation teams are looking at you and our sales representative as well. They are all looking at you, saying “Go, Kalpan, book the tickets! You can do it! でもチームの一員として動いていないのはそちらですよ?手配チームもあなたの事を見守っているし、営業担当も見守っている。皆あなたの事を見ながら、「カルパンさん,チケット予約して!あなたなら出来る」って言ってますよ」

「Have you asked our operation team?!手配課に頼んだだと?」

「Yes, I added them on our correspondence.We must book concert tickets. If you are going to insist, I will give you 10 minutes to confirm tickets only. No lunch. IF I don’t receive e-mail from you in 10 minutes, I will contact operation team and ask them to arrange tickets. Good luck はい,メールのやりとりに彼らも入れています。私たちはコンサートチケットを手配しなければいけないし。もしカルパンさんがどうしても手配したいのなら、10分間上げますのでチケットだけを取って下さい。昼食はいりません。もし10分経ってもそちらからのメールが来ない場合は、手配課に依頼してチケットを手配してもらいます。それでは。」

そう言って私は電話を切った。

こういう時の10分は長い。

他の仕事をしようと思ってもなかなか身が入らない。その内5分、6分と経っていき、やがて10分が経った。私はこれまでのメールのやりとりに返信をする形でオペレーション課の担当へのメールを打ち始めた。

するとOutlookのメールが「重要」のステータスで送られてきた。

「25 tickets are confirmed at 20pounds each. チケット25枚、一枚20ポンドで予約済」

5日間の格闘の末、コンサートチケットは無事に予約された。

私達はレコーディングスタジオでの最後のリコンファームを行い、音楽専門学校の生徒たちと先生たちをイギリスに送り出した。

そんな日々を過ごしていた時,外線が鳴った。

「リリパットトラベル,黒崎が承ります」

電話に出てみると、今まで話したことの無いニッポントラベルという旅行会社の城崎という営業の方だった。

開口一番、城崎氏はこう言った。

「今,ある自治体がEUの農業の現状について調査しているんですよ。昨今SDGSが叫ばれている中、環境に配慮した持続的な運営を出来る農家を探しているんです。

ご存じかもしれませんがEUが今力を入れているSDGSの項目は日本政府も注目しており、いずれ数年、いや十年以内には日本でも力を入れなければならない項目が沢山あり、今回視察に行く自治体は、県を挙げてSDGSに将来的には取り組んでいくつもりだそうです。

そのプロジェクトの先行事例を海外で探したいそうなのですが,いかんせんEUは広くて・・・

しかもその県が得意としている農作物を育てている農家も視察して質疑応答をしたいと言っているんです。

それも大規模ではなく小規模な農家を探している様で・・・

そもそもEUでSDGSに取り組んでいる国なんてどこがあるのか見当もつかないし、そんなことを言われても無理ですよ。即答できるわけが無い・」

半ば愚痴のこもった話を聞いていて,私はぴんと来るものがあった。

SDGSに積極的に取り組んでいる国は北欧やドイツだ。そこで農業国といえばドイツだろう。追加するならば日本に輸入される豚肉の大半を扱っているデンマークだろうか。

私は城崎さんにこう言った。

「結論から申し上げますと、オーガナイザー様の探しているような国はあります。
「どこですか!?」
「ドイツと北欧です」
「ドイツと北欧??」

「ドイツや北欧では伝統的な薬品を大量に使わない有機栽培を行う中小の農家が増えてきており、農作物の他家畜の飼育もおこなっている農家があります。そこで採れた作物は農家の直販所で販売しており、また家畜の糞尿を利用してコンポストなどを利用して肥料にしている農家もあります。小麦などの作物を収穫して出た藁は、家畜の餌や家畜小屋に敷く藁として利用されている様です」

「それ、良いじゃないですか!」
城崎さんはさっきと打って変わって明るい声を出した。

「ただし,EUの条例を守っているかどうかについては,州の公的機関に問い合わせをすることになるのですが、視察のお約束が必ずしも取れるわけではありません。ご存じかもしれませんが、ドイツでは公務員の残業や労働時間が厳しく制限されていて、断られることが非常に多いのです。弊社としてもオーガナイザー様の希望する視察場所とのお約束を取り付けるよう最善の努力はしますが、代案の提示になってしまう事だけはご了承いただければと思います」

電話口の向こうの城崎さんは少し呆けたような間をあけてやっと口を開いた。

「分かりました。お約束を取り付けるのが難しいのですね。これはオーガナイザーと共有します。まずはたたき台になりそうな資料を頂けますか?」

電話が終わってから,私はドイツの有機栽培とEUの決めたSDGSの努力目標を守っている農家や、州の農業を管轄している部署を、社内に蓄積のある情報の他、いくつものネットの情報を短くまとめたものを城崎さんに送った。

このツアーは公的機関からの要請のため、入札になっていた。

その日は城崎さんだけではなく、鉄道と旅行業を主軸にしたカツカトラベルや全球トラベル,引っ越しやカーゴなども扱うジャパン通運トラベル、日本最古の旅行会社であるジパングトラベル、そしてリリパットのお得意様のCIT社など、数社から全く同じ問い合わせを受けた。電話が鳴るたびに同じ答えを繰り返し、同じ資料を出した。

その日話しをした旅行会社からはすべて見積もり依頼が来たようで、リリパットは競合に参入することが出来た。

数社のランドオペレーターの競合だったこの案件は、旅行会社間での競合でもあり、最終的には十社以上が競合に参加したと聞いた。

結果的には情報を出すのが早かったという理由でニッポントラベルがこの案件を受注し、リリパットが地上手配を手掛けることになった。

ドイツ支店の担当者は勤続20年のベテランたちが行っており、いつ何時こちらから要望を伝えても,すぐにこちらの意図を理解し、過不足ない情報を送ってくれる。

マネージャーのアチェビさんはリリパットのかなり初期からドイツ支店で働いており、様々な部署を経験しているせいか、出て来る視察先候補は、大型バスでも問題なくお客様を連れて行けるような所ばかりだ。

今回の件を担当してくれたのはケンジさんというドイツと日本人の血を引く人で、細やかな仕事が大変得意な人だ。日本語が得意ではないものの英語は堪能、さらに勤続20年以上の人とあって、安心して調査を任せられる人だ。

ケンジさんは、州の農業担当者からのSDGSについての取り組みや、EUのSDGSの達成目標とドイツ国内での現状、SDGSの州内の農家への啓蒙などについて講義を出来る人を探してくれた。

またこちらで調べることのできたEUのSDGSを推進している農家のリストから、日本からの訪問団を受け入れてくれる農家も探し出してきてくれた。日本の中でも比較的寒冷な地域にあり、甜菜やジャガイモ,小麦などを育てる農家に対して行うプロジェクトの前例を探すため、実地見学ではやはりジャガイモ農家や小麦農家で、同時に家畜を育てている農家が選ばれた。

この案件は無事に視察の手配も出来、比較的安い価格で旅行を提供できるリリパットは省庁の予算とも合っていたようで、無事に仕事を受注し、旅行を手配することが出来た。

月はあっという間に流れ、年も師走が近づき、旅行手配のその年最後のピークが近づいていた。年末年始の旅行シーズンはもう目の前だ。

いつものように夜九時のカフェイン注入のためにコーヒーを買いに一回の共有スペースにある自動販売機に行った私は、電気が落とされた暗い部屋の片隅に光る自動販売機の前でコーヒーを喉に流し込み、間際に迫っている繁忙期に備えて気合を入れた。

視察課の携わる仕事は順調に入ってきていた。

一月から三月までは、専門学校の卒業旅行の他、自治体の予算消化のための研修ツアーが立て込む。

予算消化のツアーは必ず視察を手配しなければならないものもあるが、いかんせん目的は予算消化だ。参加者の意識は観光に向けられていることが多く、視察中は上の空。写真を何枚か取り、話を通り一遍に聞き、終われば気もそぞろに夜の街に繰り出していく団体が多いと聞く。早春の視察旅行の手配は、いつもそこはかとなく気疲れするものだった。視察を手配しても参加する訪問団が気乗りしていないケースが多いからだ。

しかし、専門学校の研修手配は別だ。オーガナイザーである学校の先生や校長の熱意や、参加者の学生さん達からは熱心な要望が寄せられ、それを実現させるために働くのは喜びの一つでもあった。

春休みを利用した美容学校の卒業旅行で、さる有名な理容美容学校での実習体験。
もう一つも春休みを利用した語学学校とホームステイの手配。

どちらも手配の際に目を通さなければならない手配条件書が本社から送られてきており、私はそうした法律関係の文章に慣れていない前園さんと一緒に条件書を読み込んだ。法律関連の文章に関して最低限の解説しかできなかったけれども、何とか二通とも読み込んで、必要個所をお客様にお伝えする様に前園さんに伝えた。

こうした条件書と言うのは法律に則って書かれた契約書であり、例えホテルの会議室での会議でも,その後のアフター・パーティーの手配であっても、必ず欧州の支店ないし本社から送られてくるものだ。ここ数年読み込んで法律関連の文章に慣れてきていた私は、前園さんと少しずつ書類を読み込み、間違えそうな表現について確認した。

月日は流れ、来年度の見積もりのピークを迎えていた。

見積もりチームは毎日深夜まで残って料金の見積もりをし、海外の支店とも盛んに電話をして入念に料金の確認や、レストランや観光地の休館日や閉店日、営業時間、予約条件などを調べていた。

私達視察チームも少し前から来年度の見積もりとツアー造成のピークを迎えていた。自分たちが提案したツアーが少しでも見積もりとしてリリパットに戻ってきていればそれで満足だった。

新年があっという間に過ぎ、以前から辞めると言っていた田中さんが退社する日が来た。

昨年結婚されて、お腹には赤ちゃんもいるという。

「残ってもいいんだけれど,今まで自分がやっていた業務の流れや、仕事の範疇が違くなりすぎたのについていけなくなって」と言うのが理由だった。

確かに私や前園さんが来てから視察課の仕事の仕方が変わった。

これまでは視察の下調べや情報収集依頼、手配が少しでもめんどくさいと思った件はすべてお断り。

それが、私や前園さんが来てからは、会社の益なりそうなものは視察のアポイントメントも何としてでも取りに行く。

ここまで考えが違ってしまえば、退職者を出してしまうのも最もかもしれない。

ただし,私たちは会社の利益に繋がるような案件に対してNoは言わなかった。

視察の入ったツアーは多少なりとも実入りが良い。ある程度お金を持った人がいる可能性がいる人達によるツアー。

その人たちが最先端のごみ処理場や海洋のマグロ養殖場や学校視察、建築現場や空港の旅客機整備の現場などを見に行くのにどんなに手間がかかろうと、私と前園さんは仕事にNoは言って来なかった。いや,私がNoと言うのを止めていたのかもしれない。

田中さんが退社されてからも私達は粛々と業務をこなしていた。

昨年日本語や日本人の英語のアクセントにこだわっていた本社のスタッフも、心を入れ替えたのか、最近ではカルパンさんなど立派な予約確定書を送ってくるようにった。

そんなある日、私はそのロンドン本社のスタッフのカルパンさんから妙なメールを受け取った。

まだ成立していないツアーの下調べの要請だったはずなのだが、いかにも予約が入り、先方の担当者も受け入れを了承したかの様なメールを寄越した。どのような視察になるのか、担当者の名前入りでアジェンダまで作成されている。

まだ出発も確定していなければ、日程表すら出来ていないツアー。
それに対して約束が確定しているようなメールに私は違和感を抱いた。

慎重を期して、私は誰が何日にどのようなお約束を取り付けたのか知らせてくれるよう,カルパンさんにメールを返した。

二日,三日待っても返事は来ない。

三日目に私は督促のメールをカルパンさんに送った。本当にこの視察先を旅行会社さんに提案していいか不安があったからだ。

その後も返信は無い。期日が迫っていたので私はカルパンさんに電話をした。

一度目の電話は,こちらが名乗った途端にガチャリと切られた。

二度目の電話も同じだった。

三度目の電話はカルパンさんの同僚が出たものの、「電話を回します」と言われて10コールほどなった所でガチャっと切られた。

本社と連絡が取れない。

資料提出の期限が迫っている。

私は視察先候補になりそうな団体をネットで探し、お客様である旅行会社に提出した。もちろん受け入れは確定していないとの説明を添えて。

その数日後、営業から思いもよらないような事件が起きていることを知らされた。

曰く,リリパット社の視察担当である前園と営業担当の菅原が出した視察の確定書面を元にツアーを造成し,そのツアーを受注した後になって、視察の受け入れを断られた件が計三件発生しているという。三件とも旅行業規約の旅程保証に抵触していた。そのうち一件はオーガナイザーが損害賠償を求めて動き始めているという。

ツアーが競合の段階から視察の受け入れは確定していたために視察先の企業名が日程表に記載されており、旅行業者としては旅行記約に準じてその内容を必ず手配しなければならない。

しかし、受け入れが確定していたはずの視察が断られ、確定していたはずの日程表記載の内容が変更になっため、旅程保証に準じて旅費の20%を旅行会社とランドオペレーターが支払わなければならなくなった。そして残りの一件は旅程保証どころか、確定していた視察先への訪問こそがツアーの目的だったため、オーガナイザーが旅行業者の過失として損害賠償を検討しているという。

旅程保証も損害賠償も本来ならあってはならない事態だった。ツアーオペレーターは海外旅行先にそれぞれ支店を持っており、旅行がまだ企画段階や見積もり段階の頃から日程表に記載された内容が手配可能なのかを逐一確認していく。万が一日程表に記載のあるもので手配できないことがあってはならないからだ。この確認ができないのはツアーオペレーターとしては致命的な事態だった。

人気の美術館やお城の休館日。レストランの閉店時間や休みの日。
人気の観光スポットで予約が取れにくく、代案を日程表に明記しなければならないもの。

そうした入場観光や食事処は、支店の見積もり担当者が事前に開館時間を事前に調べ、入場できない場合は代替の日にちを提案する事になっている。

観光箇所が一つでも入場できなかった場合は旅程保証の対象になる。それを防ぐ為にも事前の確認は念には念をいれても足りない程だった。下手に旅程保証などになったりしたらそれこそ旅行会社からは信用の置けないオペレーターとみなされ、仕事が干上がってしまうかもしれない。

視察の場合も同じで、日程表に明記された視察先を訪問できなくなった場合は、やはり旅程保証の対象となる。そうした事態を避けるために、通常であれば日程表に(仮)や(案)など視察の受け入れが確定していない旨を記載するのだが、今回はリリパット社がすでに視察先からは受け入れ可能との回答が出ているという情報があり、それを信じて視察先企業を明記したとのことだった。

最後の損害倍書については,リリパット社の日本のトップであるジェネラルマネージャーが動いてくれており、何とか裁判にならないように交渉してくれているという。前園さんは旅程保証や損害賠償についての事前知識は無く、視察が断られたのはさも「当然」と言わんばかりのメールを旅行会社に送ってしまっていた。そのメールの内用を読んだオーガナイザーが「旅行業者の過失だ」と腹を立てたのも事態を悪くしている原因の一つだった。

私はこれまでのメールのやりとりをじっくり見て、問題になっている三つの案件を見つけた。いずれも本社のカルパンさんからのメールで,一見して視察先からの受け入れが確定したかのようなメールが届いている案件だった。

一見して内容も何もかも視察先ときちんと確認を取って間違いが全く無いようかの様に見える確定を知らせるメール。

これを見て、案件が確定していないなどと誰が思うだろうか。

事態は急を要する。

私は即上長の金井さんに報告をした。

「金井さん、お忙しい所すみません。ロンドンから来たメールを三点転送しますので目を通していただけますか。これ、全部企画段階からこのようなメールが来ていたそうです」

金井さんは即座に三件のメールに目を通した。

「これ,予約確定書じゃないの?担当者名もアジェンダも入っているじゃない」

「それが、これは企画段階で日程も決まっていない時に来たメールだそうです。前園さんは企画段階で視察先に予約が入ったことを疑わず、営業担当も不振に思わずに旅行会社様に提出してしまったようです。」

「これはロンドンに確認が必要ね。黒崎さん、まず原因調査の依頼をメールしてもらえる?あて先はロンドンのジョージさんで」

内容は,本社スタッフからのメールで、一見予約が構ったかのように見えた案件が、実は絵にかいた餅であった事。ツアーを受注した後に予約確認の依頼を東京から送った所、実は何も決まっていなかったどころか、視察先には連絡を入れた事すらなく、予約など入ってもいなかった。日本の旅行業法では、日程表に書かれた内容通りに手配できない場合は旅程保証として20%の旅行代金を旅行会社が負担し、また旅行会社が故意に日程表の内容を反故にした場合は損害賠償で訴えられる可能性があり、三件のうち一件が損害賠償になりかけていること。

ツアーは競合で入札せねばならない。うちの会社なら視察だけは確定していると信じて競合に参加した旅行会社は、ツアーの受注が決まり、誰もが視察は予約が取れている物だと信じ切っていた。しかし最後の最後に蓋を開けてみれば実は何も決まっておらず、予約再確認の依頼をして初めて視察先に連絡が行き、その連絡で視察の受け入れを断られてしまった。

日本の旅行業法に照らし合わせなくても、本社からのメールが虚偽のメールだったことは明白だろう。真実でない事を述べていたのは火を見るよりも明らかだったからだ。

旅行業法の旅程保証に照らし合わせて「なぜこんなことが起きたか」。
担当のスタッフに確認をして、原因究明に当たってほしいとの連絡を入れた。
また、該当するスタッフがあからさまにこちらからの連絡に一切答えない態度を示しているので、何らかの意図があってわざと誤った情報を送って来たのではないかと言う心象を与えている。会社を貶めるためにやったのであれば問題なので、こちらからの連絡に一切答えない理由も明らかにしてほしい、と。

しかし、この原因究明は思いのほか時間がかかった。

まず、ジョージさんの日本に短期滞在していたプライドがまた顔をもたげ始めた様だった。

曰く、日本人が英語で法律の説明を出来るはずがない。こんな難しい事を黒崎が一人でやれるはずがない。誰かが代筆して、いかにも黒崎が自分で書いたかのように取り繕っているのではないか。そんな嘘つきからの問い合わせに答える気は毛頭無いとのことだった。

メールで連絡が取れるものの、相手は飛行機で十三時間はかかる遙かかなたの異国にいる。メールを自分が書いたという証拠は提示のしようがない。

さらに責任者であるジョージさんは旅程保証など聞いたことも無いという。責任者レベルで日本の旅行業法の知識が無いため、東京側とロンドン側での問題に対する温度差は気が遠くなるほどあった。

問題を問題として認識せず、言葉尻だけを捉えて旅程保証の原因となったメール作成について調査をのらりくらりと交わしているジョージさんのメールを読み,金井さんは言った。

「ジョージさんの上長にエスカレートさせるしかないわね」

「上長というとどなたになるのでしょう?」

「マキコさん。あの人が視察課の上長になるのよ」

マキコさんと言えば本社のNo.2にあたるトップの人だ。

そんなところまでエスカレートさせていいのか、正直不安と驚きが入り混じり、メールを書く手が震えた。

私は金井さんからの助言に従って、ジョージさんの上長であるマキコさんと日本のリリパットの代表である早苗さんをメールに加え、「語学や法律用語については本件が片付いてから話します。まずは原因の究明に当たってください。このメールはそちらの上長と、日本の代表にも送られています。語学以外の質問は受け付けますが、英語や語学についての質問は本件が終わってからにしてください」とメールを書き、送った。

マキコさんからは「了解。ロンドンのチームには私からも旅程保証が何であるかを説明します」とのメールが入った。

しばらくすると、リリパットの総合旅行部門の部長たちが私の席の周りに集まって来た。

総合旅行には視察は絡まないものの、十年に一度あるか無いかの損害賠償と言う失態を視察課が演じている。それが旅行会社のネットワークで広まっており、リリパットが損害賠償を出した事実が顧客の間でも広まっているとのことだった。

総合旅行3課の池上さんが言った。

「何が起きているのか知りたいので、今原因究明をしているメールは俺達にも送ってほしい。顧客対応で必要になる」

「承知しました」

私はメールを再度開け、東京の各課の部長のメールアドレスを付け加えると、ジョージさんに再度送りなおした。

その内、旅程保証や損害賠償について問い合わせを受けているという係長たちも集まって来た。

「現場がわやくちゃになっている。電話で現状を説明しなければならないので、私たちにもメールが欲しい」

オーダーメード旅行手配4課の笹沼係長が言った。

これで、東京のかかるすべての課に現状が共有されることになった。

そのメールを書いているうちに、今度は各地にある支店から電話がかかって来た。

出てみると、仙台支店長の山上さんからだった。

「ご存じかと思いますが、リリパットでは損害賠償など数十年程前に一度出したきりなんですよ。それを旅程保証も含めて三件も続けて出すなどもってのほかです。・・・え,あなたの担当のツアーではない?それならあなたの指導が悪かったという事ですね。

良いですか、企業活動はあなた方のお遊びの場ではありません。こちらにも顧客から現状を報告する様に何件もの会社から問い合わせの連絡が来ています。その対応だけで仙台支店のスタッフ善意が仕事をそっちのけにして対応に当たっているんですよ。ツアーの手配もままならない。それだけの損害を出していることをきちんと理解していますか?リアルタイムでのやり取りを知りたいので、原因究明のメールは私のアドレスも加えてください」

山上さんは淡々と仙台支店の状況を説明すると、静かに電話を切った。

間髪入れずに次の電話が鳴った。出てみると怒りに任せた怒号が耳に鳴り響いた。

「長崎支店長の福山だけどね。あんたたち何やってんの?こっちは東京がやらかしたことで社員全員が対応に当たってるんだよ。

どれだけ深刻な事かわかってんの?取引が停止になることだってあるんだよ。これまでうちの営業がどれだけ苦労して顧客を獲得してきたか本当に理解している?たった一か月で三本も旅程保証、そのうちの一つは損害賠償だなんてありえない事だよ。全く素人はこれだから・・・

え,あんたの案件じゃないの?いずれにせよ周囲の指導がなっていない。うちのスタッフにも情報を共有しないといけないから、本社とメールのやりとりしてるのなら俺も加えて」

そう言うと、福山さんは電話を叩き切った。

私が二人からの電話対応をしている間、大阪支店と札幌支店からも問い合わせが入り、金井さんが対応してくれていた。

電話が終わると、上長の金井さんの助言で私は日本国内のオフィスのすべての部長と係長たちのメールアドレスを加え、「今日中に事実調査が行われないのであれば、本件をロンドン本社のCEOまでエスカレートさせます」と一言付け加えてメールをジョージさんに送った。

程なくしてまた電話が鳴った。

「リリパットトラベル、黒崎が承ります」

「Are you going to escalate this case to the CEO?! Why ?! 
CEOにまでエスカレートさせるのか?何でそんなことを!」

電話の主はジョージさんだった。

「Yes, we need to, since you seems not have started the investigation even I sent you the e-mail three hours ago. Your boss is Makiko san, and her boss is the CEO. Dose it make any sense?
その必要ありますね。メールを送って三時間たってもまだ調査を開始した気配が無いからです。あなた方の上長はマキコさんですね?エスカレートさせるのは彼女のボスがCEOだからです。意味通じますか?」

「It’s because you are lying. You could not possibly explain Japanese law in English. You must have someone to help you out. 
それはそっちが嘘をついているからだ。日本の法律について英語であんたが説明できるわけがないだろう?絶対誰かに助けを借りているはずだ」

「No one helped me to write the e-mail. I asked for a double check by my boss,  that was all. Also, there is only one person who is a native speaker of English here in Tokyo. But he works on computer system, and I don’t think he is familiar with Ryotei Hoshou 
メールを書くのには誰の手助けも借りていません。上長に二重チェックを頼んだだけです。英語が母国語のスタッフは東京に一名いますが、コンピューターシステムの担当者なので旅程保証には明るくは無いと思いますが」

「What’s his name ? そいつの名前は?」

「Leo O'Sullivan, of IT department. Do you want to speak to him? IT課のレオ・オサリバンです。お話されますか?」

私は返事を待つことなく電話を保留にし、レオさんに内線をかけた。

「Hello. Sorry to disturb, are you familiar with Japanese travel law? もしもし。お忙しいところすみません。日本の旅行業法について知っていますか」

「I have no clue whatsoever 全く分かりませんが」

「In that case, cold you pick up this phone call from London? There is a guy who doubt I nicked your e-mail explaining Japanese travel law それなら、いまロンドンからかかってきている外線を取っていただけますか?あなたの書いた日本の旅行業法についてのメールを私が盗んだと疑っている人がいるんです」

「I didn't write such e-mail! そんなメール書いていませんよ!!」

「Well, there is someone who is casting a doubt on. Could you quickly tell him that you have never helped me out? ですよね、今疑いを駆けられているんです。その人に、私の手助けなどしていないとだけ言っていただけますか?」

親切なレオさんは、業務と関係ない電話に出ることを承諾してくれた。

最初にメールを送ってから五時間後、ジョージさんから「調査を始める」という連絡がやっと来た。問題になっている案件についてのメールはすでに添付として送ってあり、誰が担当しているかもすぐに分かるようにしてある。

一週間後、ジョージさんから短いメールが届いた。

「Kalpan is sorry for what he has done. He did not do it intentionally
 カルパンはやったことに申し訳ないと思っている。わざとやったわけではない」

しかし、その後面倒な事が持ち上がった。ロンドンでは黒崎に英文メールで日本の旅行業法が説明できるわけがない、きっと嘘をついているに違いないという意見が根強くあり、私の上長の金井さんはそちらの解決に一か月近く時間を取らされた。

まずはなぜ法律についての英語が書けたのか。

これは、今まで英文の予約条件書を読み込んでいるので、法律関連用語にはある程度熟知している事。

また日頃から会社で取っているFinancial Timesなどの英字新聞やThe Economistなどの雑誌も読んでおり、法律関連のニュースにも触れている事。

そして旅行業法は個人的に勉強をしており、ツアーオペレーターで働くのに基本的な知識は身に着けていることも話した。

私は英字新聞と英字雑誌を自分の前に掲げた写真を撮られ、その写真は本社に送られた様だった。まるで自分が監禁されている人か犯罪者にされた気分だった。

ロンドンのスタッフとはメールで繋がっていても、日々の業務を目の当たりしながら仕事をしている訳ではない。

目の前にいない東京のスタッフが日頃何を読み、どのように仕事をしているかなど、物理的に一緒に働いていなければ分からないことだらけだ。私達東京のスタッフが法律用語の載っている条件書を読み込んでいるとは、ロンドン側からすると信用置けない様だった。

東京とロンドンの間で何度もメールが交わされ、旅行や視察と関係の無い話にどんどん流れて行くのを感じた金井さんは、本件をケースクローズにすることにしたそうだ。

「あの人たちは日本人は英語が出来ないという事で頭が一杯なのよ。そういう可哀そうな日本人を相手に仕事をしたいと考えているみたいね。自分たちだけが手柄を取るということも。

そのように他の国の社員とチームになって働けない社員が雇われていることはこちらとしても遺憾です。旅行や視察に興味が無く、日本人と仕事をしている自分に酔っているだけのナルシストと仕事をさせるのは、東京としても認められません」

あれから五年の歳月が流れた。

カルパンさんは旅程保証事件の数か月後にリリパットを辞め、今は日系企業で働いているという。「周囲が日本語アクセントの英語を喋っているのが何とも心地よい」と喜んでいるそうだ。

カルパンさんが仕事内容よりも日本人と仕事をしている自分が好きなんだろう。日本語英語に聞きなれており、聞いて理解できる自分に酔っているのだろう。

ジョージさんも旅程保証事件の一年後にリリパットを去り、現在は北海道で英語教師をしているという。

「やっぱり英語のできない可哀そうな日本人を助けるのが俺の使命なんだよ。俺の英語も大分アメリカンっぽくなってきたし、これでアメリカンアクセントの英語が教えられるよ。やっぱり日本人はアメリカ英語を話さなきゃあ・・・」

メッセンジャーのアプリでそのようなメールを送って来たジョージさんも,やはり旅行や視察が好きでは無かった様だ。

短期滞在プログラムで一年間日本で過ごした日本好きの人達は、母国に帰っても日本との絆を大切にする様だ。日本人と関わりたい。日本との仕事がしたいと考える人は多いようで、日本人を相手とした旅行会社に入ってくる人はもしかしたら多いのかもしれない。一年間の日本滞在経験で日本人の行動様式に触れ、生活を知っている人だからこそ会社に雇われたのかもしれない。

ただ、私はそこに疑問を感じた。普段彼らの身の回りにいる人たちは学校の先生と中学生や高校生だ。一般企業で働く人間ではない。子供の世界と、教師と言う民間企業で働いた事の無い人たちと一緒に過ごして、日本滞在期間中の約半分は研修という名目で日本を観光してまわる。いわゆるサラリーマンの中で揉まれた経験の無い人たちがいきなり民間企業に勤めれば、学校と言う教育の現場での仕事から民間企業での仕事のギャップを埋めるのには相当な覚悟が必要だろう。

アメリカ英語を喋る日本人と働く。又は日本人にアメリカンな英語を教える。

それはそれで素晴らしい仕事だが、果たして言語だけの興味で仕事が続くのだろうか。そこに「英語のできない可哀そうな日本人」という考えが出て来るのが何とも後味が悪い。日本人を対等な人間として見ていない事は明らかだ。

知日派を作るのに日本短期滞在プログラムと言うシステムは非常に良いシステムではあるものの、参加者の意識が並外れてナルシスティックであったり、「気の毒な日本人に助けの手を伸べる」という意識では、一人の人間として日本人と働くのは非常に厳しいのではないだろうか。

日本人に対する固定概念や哀れみなど持たれては、日本から海外に様々な事を学びに行きたい人達の希望を叶えるよりも、「こちらの売りたいものを可哀そうな日本人に売る」という意識になってしまう。

本当に知日派であれば、そして民間企業の会社の仕事をしているという意識であれば、不必要なものの無理やりの押しつけや「可哀そうな日本人」として上から目線の扱いをする事にはならないだろう。

ジョージさんやカルパンさんが特殊な例なのだと思いたい。

しかし、新しい道を選んで進んでいった彼らとの一年間の格闘は、物理的に遠くにいて目の前でどのような職務に当たっているか分からない同僚たちとの仕事の難しさを教えてくれた。

仕事として割り切っていない人がいると、ほんの少しの事が大きな疑念の種になる。

ロンドンには、新しくMICEやイベント・コンベンションのプロの人が入社した。

彼らとは行き違いが起きません様に。

視察と言うものを理解してくれますように。

そして何より、一対一の人として仕事が出来るようになりますように。

そんなことを願いながら、私は来たばかりのFAXに目を通し、新しい案件についてのメールを作成し始めた。

(完)

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