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*21 眠れない夜に
春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山際。日本有数の豪雪地帯であるこの町のこの時期に二桁気温を記録したから、思わず枕草子の一節が頭に浮かんだ。清少納言の眼の中で「白くなりゆく」のは朝方の山向こうの空だと云うが、今この節を思い浮かべた私の眼に映る「山際」の「白」は雪である。雪が見えるからまだ冬らしい。冬の中に春が一匹迷い込んだ様である。来週にはまた春が逃げ出してぐっと気温が下がるという。なんだか稚児しい。
私が役所に申請してあった駅での販売許可も、ようよう白く明るくなった。話を持ち掛けて最初の日から彼是一月と経っていた。連休明けの火曜日から販売を開始したいと申請してあったが、その火曜日に駅からの電話があって、翌日からの販売許可が下された。「遅れてしまいまして申し訳ありません」と丁寧に謝ってくれたが、イエスノークエスチョンでさえ返答するのに三週間も掛かっていた役所がまさかたったの一週間で許可を出してくれるとも毛頭期待していなかった私は、役所と私の間に挟まれた末の駅職員の畏まった謝罪を「全然気にしないで下さい」と笑って受け流した。
翌水曜日、開始予定時間の三十分前に駅へ到着すると、販売開始前の最終確認を私と職員と所長の三人で行った。「先日の雪まつりはどうでしたか」「お陰様で大盛況賜りまして」と他愛も無い会話をする。実際、雪まつりではパンが飛ぶ様に売れた。プレッツェル目掛けて来場したという者までいた。その雪まつりのあった三連休が駅を利用する外国人スキー客のピークでこれからは少なくなっていきます、とは所長の話であった。
***
凡そ一月前、「スキーシーズンの駅は外国人客で溢れ返っている」という話を前以て聞いていた私は、実際に自分の目で見て改めて驚いた。この町を十年以上離れていた私に出来得る想像よりも遥かに多い人出であった。これだけの外国人客の往来がある中に販売小屋を立ててプレッツェルを売ったらどうなるだろうか、という好奇心が私の足をそのまま観光案内所へ向かわせた、というのがこの駅構内プレッツェル販売計画の発端であった。
誰に相談したらいいんでしょうか、という私の質問を受けて、案内所の職員は私を市役所へとするする通してくれた。市役所二階の何某という者に電話をして話を通しましたので今から御向かい下さい、と言われるがままに私は市役所二階へ向かい、そうして聞いていた課で聞いていた人物を訪ねた。そこで色々と話を聞いたが、「知りたい事は一点のみで、私のような個人業者が駅構内の一角を借りて販売活動をする事が可能か否か。駄目だと言われても執拗く食い下がったりしませんから、お返事よろしくお願いします」と念を押して役所を後にしてから、結局その話が動いたのは二十日と経ってからの事であった。その時に、成程市役所を介した活動を企てようと思うとこれだけの時間を要するんだという事を肌で覚えた。
一月末に駅での打ち合わせがあった。そこで二枚の申請用紙を受け取って、内一枚が駅構内での販売についての申請用紙であった。私はその用紙を持ち帰ると、私の思惑が出来る限り詳細に役所へ伝わる様、利用目的欄や活動内容欄など一つと抜け目の無いよう具に綿密に書き上げた。そうして効果を発揮するも見込めぬ様な小細工ではあるが、利用目的の欄に態々「パンの販売」と書くのに加えて、インバウンドのスキー客をはじめとする駅利用者を対象とした、などと書いてみた。ここに幾許かの、私は一日でも早く販売を開始させていただきたいという意思を込めたわけである。
斯くして私が晴れて駅構内で主にインバウンドのスキー客に向けたプレッツェルの販売を実現出来たのは、外国人客来訪のピークが過ぎ去った直後であった。
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二週間ほど前に私は約一週間駅に張り込んで、駅利用者の往来の数を只管数えていた事があった。その時の記録では一日あたり、該当の三時間の内に約六〇〇人の往来が平均的にあった。その結果をもとに計算し見込める売上の予測を立てた私は、比較的高い場所代さえ苦にならない程の十分な利益を確保出来ると確信していた。過度な期待ではなく、あくまで多角的に考えた上で導き出した確信であった。
そうして販売許可が正式に下された今週、外国人客のピークが過ぎたとされる今週になっていざ計測時と同時刻にその場に立ってみると、確かに往来の数は凡そ三分の一程度まで減少していた。言葉にならぬ虚無感である。いや、虚無感とは違う。実際、往来こそ少ないが「プレッツェルだ」と見付けて買いに来てくれる外国人客はいた。物珍しそうに近付いて来て試しに買って行ってくれた老人もいれば、「プレッツェルが好きなんです」と言って買って行ってくれた人もいた。その度に嬉しかった。虚無感などではない。然しそれでいて何処か腑に落ちない様な気が起こっていた。
「前を向く」の真意を掴んだ私は、まさか「ああもっと早くから販売が開始出来ていれば」だの「対応の遅かった市役所が悪いんだ」だのと後悔や憤怒に意識を囚われていつまでもねちねちと過ぎた事を考えてはいない。「市役所に何かを申請する場合、大凡これくらいの時間が掛かる事が経験として分かったから、次にまた何かを企てて市役所を介する場合には余裕を持って申請しよう」と、前向き然たる意識で駅に立っている。
それでいて何処が腑に落ちていないのかと考えると、偏に何故申請許可に一ヶ月と掛かったのか、その一ヶ月で果たしてどういう手順で話が進められていたのかが不明確過ぎた点にあった。いや無論、部外者にとって内情は不明確で然る。そしてまた私の一件など多忙な役所仕事の内のほんの些細な、重要度の低い件である事は疑う余地も無い。然し乍ら、イエスノークエスチョンに三週間と要し、申請書の許可に一週間と掛かったかと思えば駅からの一本の電話口で許可が下されるレスポンスの早さである。その仕組みが果たして魔訶不思議で、どうも腑に落ち切らない様である。怒りや不満ではなく、不思議である。あらゆる可能性を考えてしても真っ当な答えに到達しない謎こそが不思議という物であるが、それである。
事前の予測の三分の一程度まで減少した往来の中でパンを売る。水木金と三日やってみて、何れも場所代を漸く稼げたくらいに終わった。場所代を稼ぐ為に場所代を支払うとは落語の様で滑稽である。滑稽ではあるが、私の主観のみで言えば経験値に換算できる物が案外ある。やってみないと分からない事を実際にやってみて分かった事は全て経験値である。また、三分の一の往来の中で場所代を稼げているという結果は、予め見込んでいた売上予測が強ち間違っていなかった事の証明にもなったから、自己投資としての働きはあった。
金曜日の販売を終えると、東京へ向かう新幹線に乗り込んだ。友人の引越を手伝う為であった。傍から見れば僅かな稼ぎの身で、態々東京まで稼ぎにもならない引越の手伝いへ出向くとは滑稽に映るかもしれないが、世の中には目先の稼ぎよりも大事なものもある。
この都心での体力仕事も含めて今週から随分多忙になった。そうして膨大な注文の入った来週はどうも今週よりもさらに忙しくなりそうである。近頃はなかなか休めない上に、駅構内の寒い中で連日立っているからか声が日に日に掠れている。東京も案外ハードワークであった。ここが踏ん張り時である。四月に控えた楽しみを目の前にぶら下げて。下積みと逆境という二つの好きな言葉を左胸に貼り付けて。
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※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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