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『太陽の女神、月の男神』第二.五章

前作:『太陽の女神、月の男神』第二章

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 国立プロメテウス学園の高等部に合格した私サシャ・バレットは、己が太陽神ソルの生まれ変わりだと知り段々女神として目覚める中、正体のわからない夜色の合成獣に命を狙われていた。
そして先日とうとう首謀者と思しき男が現れ、マシューやマリルー、オルフェオに始まる友人たちを人質に取られた私は彼らの目の前で攫われたのだった。


「ふっ」
 怪しい紳士に攫われてから三日後、私はとても命を狙われたとは思えないほど穏やかな生活をしていた。森の深く、古城らしき建物の三階。扉の小さな広々とした婦人部屋に私は囚われているものの手足を縛られている訳ではない。ピンクゴールドの裾の長い絹のドレスに身を包み、髪を編み上げてうなじを見せている私は窓枠のホコリを指でなぞり吹いて飛ばす。
「バリー!」
「はっはい!」
私が廊下に向かって声を張り上げると汗でヨレヨレの金髪を肩まで伸ばした若者が顔を出す。
「ご用命でしょうか!?」
「貴方、また掃除をサボったわね。埃が積もっていてよ」
「も、申し訳ございません! すぐに掃除いたします!」
バリー・トールマンという名の若い男は自分より年下の小娘に良いように使われていた。この若者は私の命を狙った首謀者であるラウレンツ・ブラックウッドがあてがった下僕で、私の身の回りの世話に始まる雑用をほぼ一人でこなしていた。
私の目論見としてはワガママに振る舞う女神の生まれ変わりに辟易してそろそろ周囲に愚痴をこぼす頃。そのまま私から離れて過ごすようになれば万々歳。脱出の計画も立てられそうなのだが、この仕事の出来ない若者は愚直に私に仕えているので正直どうなるか分からない。
沈みの良い革の椅子に腰掛け、濡らした雑巾で懸命に窓枠を拭くバリーの背中を見ているとつい己の世話役と化していたアミーカを思い出す。私の槍、雷霆、天の槍の化身。今はカラスの精霊の使い魔。彼は私と同じく月神マニの生まれ変わりであるマシューとの儀式に乱入してしまった“契りの子”マリルーの面倒を見させるため学園に置いて来た。考えとしてはどこへ攫われるか分からなかった私の位置を他の人に伝えられるように。それから己の力を制御出来ていないマリルーの指南役として私の代理をしてもらい、オルフェオたちと共に私の救出に尽力してもらおうと思っていたのだけど。三日経って冷静になったらほんの数人の学生が行方不明の少女一人を助けに来るなんて、映画や小説じゃないんだから無茶を言ったかもと思い始めた。
溜め息をつくと窓枠を拭き終わったバリーと目が合う。私はツンケンした態度を崩さないまま右手を彼に差し出す。
「拭いて」
「はっはい!」
バリーは跪いて胸ポケットから白いハンカチを取り出し私の指を拭う。この金の髪が、カラスの黒い羽根の色だったらと耽っていると扉を叩く音がする。
「失礼致します、陛下」
バリーは慌てて部屋の隅に動いて頭を下げる。小さな扉を潜りながら現れたのは私を狙い、精霊と人間を合成した哀れな獣たちを生み出した事の首謀者ラウレンツ・ブラックウッド。星のない夜色の髪は短くうねり、赤茶色の右目と白く濁った左目。背は高く四肢はすらりとしている壮年から中年の紳士は、今日は藍色のスーツを身に纏っていた。
「また食事を拒否なされたとか」
私はツンと顔を背ける。ラウレンツは私に不自由のない生活をさせる為あらゆる物を揃えているが、彼が命を狙って来ていたことに変わりはなく信用出来ない。なので出される水にも食事にも全く手を付けず三日過ごしている。
「貴女様が口にする物に下手な物などございませんし毒など以ての外。食材もどれも街中の安い物ではございません。ご安心して口にして頂ければと」
いいタイミングで私のお腹がきゅうっと鳴る。鳴ったけど、無視。ラウレンツは私に分からないように肩を落として側にいるバリーを見る。
「バリー」
「はっ、はいっ」
「今後、陛下のお食事は全てお前が用意しろ」
「か、畏まりました旦那様!」
ラウレンツは私に一礼すると踵を返し部屋を出て行った。私はぎゅるぎゅると五月蝿い自分のお腹に、溜め息をついた。


 一方学校に取り残されたアミーカは、私の言いつけを守りマリルーの側に控えていた。
「サシャさん、大丈夫でしょうか……」
寮の自室にいるマリルーは溜め息と共にそう口にして窓の外を見る。三角帽に革のコート姿のアミーカは答えず、腕組みをして座り大人しくしている。
「あの……」
「何だ」
「アミーカさんは不安じゃないんですか? その……もう三日も経つし……」
「あいつの命が無事かどうかってんなら無事だ」
「でも……」
壁を睨むアミーカの横顔を見たマリルーは口をつぐんだ。アミーカだって不安だろうにそれを押し殺してここにいるのだと考えての事だったが、アミーカ当人はと言うと私が食事を拒否しているのを知っていて駆け付けられない自分に苛立っていた。
(飯くらい食え!)
私から魔力の供給はまだあるながらも、心の声は私に拒否され届かないためにアミーカのイライラは最高潮だった。
そんな中、マリルーの部屋を訪れる人がいる。ノックをして顔を出したのは月属性の一族の中でも有名なティアラ家の跡取り、双子のアガサとアリスだった。
「あ、アガサさん、アリスさん!?」
「ご機嫌ようマリルーさん」
「ご機嫌よう」
「ご、ご機嫌よう! 何かご用ですか?」
「貴女とアミーカの様子を見に来ましたの。その後どうかしらと思って」
姉妹の言葉を聞くとアミーカは不機嫌な視線を一度彼女らに向けるものの、ふいと顔を逸らす。
「小娘に世話焼かれるほどガキでもねえよ」
「……そうよね、ごめんなさい」
アミーカは舌打ちをする。
「いつもならここであいつの小言が飛んで来るのに、調子が狂う」
「アミーカさん……」
双子もマリルーもしゅんとしてしまい、静寂がのし掛かる。この暗い雰囲気を打ち破るためアミーカは膝を叩いて立ち上がった。
「散歩してくる」
「さ、散歩ですか?」
「お前も来い」
「えっ!?」
アミーカはマリルーの首根っこを掴むとズルズルと引きずって部屋を出る。
「あのっ! 私これから補習が!!」
「知るか」
「ああ〜!!」
なす術もなくマリルーはアミーカに引きずられ、廊下を滑るように移動していった。

 アミーカはマリルーを第三演習場に連れて行き、本来補習をしてくれるはずだった太陽クラスの担任アルリーゴ・デルカ先生をほっといてマリルーに対峙する。
「あいつの代わりに俺がきっちりしごいてやる。覚悟しろ」
「ひええ……」
鋭い視線のまま凄むアミーカにマリルーは怯えてしまうが、そのやり取りを見ていた使い魔で古竜の宵闇はぷっと吹き出す。
「お兄ちゃん照れてるんだよマリルー」
「誰が照れるか。てめえでストレス発散してやる」
「ひええ……!」
一つ息をつくとアミーカは膝を落としてマリルーに手を差し出す。まるでダンスに誘うような仕草にマリルーは顔を赤くする。
「えっ! あのっ!」
「一時的にてめえの使い魔になってやる。手ェ出せ」
「そんなこと出来るんですか!?」
「やったことはねえが知ってはいる。俺より詳しいだろ、手伝え宵闇」
「はーい」
トカゲ大の宵闇はマリルーの袖からちょろちょろっと出て来ると彼女の手の甲に移動する。
「お兄ちゃんの手を取って、マリルー」
「う、うん」
若いながらも竜の原生種、古竜たる宵闇はその血に刻まれし奇跡を二人に分け与える為、主人の手の甲に乗ったまま言葉を続ける。
「一時的な使い魔の契約は、主人たる魔法使いとその者に仕えている使い魔の承認があって初めて成立するものだ」
「う、うん」
「この一時的な契約は今のお兄ちゃん同様、主人が側にいない使い魔の命を維持したり守ったりする為に使うことが多い。期間は基本、元の契約者が見つかるまでだから今回は特に当て嵌まるね。じゃ、始めよう。マリルーは俺に続いて復唱して」
「うん、わかった」
「我ら奇跡を扱う者、我ら星に繋がる者。我ら古き者に連なり、やがて遠のいた者。この者の命を繋ぎ、星に留め、やがて安寧に導く。古き者よ聞き給え──」
宵闇の詠唱を追いながらマリルーは跪くアミーカを見る。主人の不在に悪態をつきながらも決して弱音を吐かないカラスを見て、マリルーの目に涙が滲む。
(私が、しっかりしなくちゃ)
「──これを以て我ら奇跡を扱う者、この者の契約者となる。汝の名は!」
「我が名はアミーカ。天の花嫁の槍、天の枝葉。雷霆たる黒き鳥」
「汝、アミーカ! 天の花嫁の腕に抱かれるその時まで、その槍を我らの為に振るい給え!」
詠唱が終わった瞬間、アミーカを通し遠く離れた私にも契約したことが伝わる。マリルーはアミーカを通して私の存在を感じ取り、またアミーカに自分の魔力が流れ込む感覚も得る。
「あ、あわわ……!」
マリルーは魔力の巡りが変わった感覚に目を回しふらつくが、アミーカがすぐに抱きとめる。
「あ、ありがとうございます……」
「使い魔に敬語なんぞ使うと舐められるぞ」
「ええっ!」
「お兄ちゃんってほんと照れ屋だよねー」
「るせぇ」
今のは本当に照れ隠しだったのだとアミーカの感情が伝わるとマリルーはふふっと笑う。
「さっさと訓練するぞ」
「あっはい! よろしくお願いします!」
「敬語要らねえつってんだろはたくぞ」
「ひぇーん!」
アミーカはマリルーの前に立ち私と彼お得意の、とても炎で出来たとは思えない立派な槍をさらりと取り出す。
「今のお前ならこのくらいさっさと出来て当然だ。真似てみろ」
「えっいきなり!?」
「お前は魔力保有量が馬鹿みたいに多いせいで一回に盛りすぎなんだよ。宵闇も散々言ってるが一度に使う量を絞れ。感覚派だし深く考えるほど知識もねえだろ」
「うう〜その通りなんですけど!!」
「悔しかったら理解するまで練習しろ」
「うえーん!」
マリルーは悔しさを噛み締めつつ目を閉じてアミーカの感覚を探る。その最中、私が普段行っている魔力の使い方に疑問を感じふと瞼を上げた。
「ん? あれ? サシャさんって私より魔力の保有量はないんですか……?」
「まあな」
「え!? あんなに豪快に魔力使ってるのに!?」
「あいつとお前の違うところは周囲の魔力を自分のものに変換する方に頼るか溜め込んだ魔力に頼るかの違いだな」
「え、えっと……」
「今のくらい一回で理解しろ」
「うえーん!」
「ったく……。あいつはそもそもが女神だし、神ってのは星と繋がってんだよ。自分自身の魔力は大して持ってねえのさ。星の魔力を自分の物として使えんのが神って奴だ」
「な、なる、ほど?」
「あいつは元々その感覚を知ってる。だから周りに魔力が潤沢にあれば文字通り砲台と化すのさ。一方のお前は、溜め込むのは得意だが放出の仕方も分かってねえし、放出したらしたで馬鹿みてえな量が出るから加減が出来なくて振り回されてんのさ」
「そ、そっか……」
「だからまず一度の量を絞って取り出す感覚から覚えろ。細かい操作はもっと後だ後」
「わ、わかりました!」
「敬語要らねえっつったろ耳聞こえてんのか」
「うえーん!!」

 宵闇とアミーカの両名による訓練開始から一時間後、マリルーは自分がいかに魔力の使い方を分かっていなかったかを理解し膝をついて落ち込んでいた。
「わたし今まで本当の本当に魔法らしい魔法使えてなかったってことぉ……!?」
「俺もまさか“成功してるものの暴発してた”じゃなく“成功直前に魔力が溢れて爆発してた”とは思わんかったわ。どう育てるつもりだったんだ? 宵闇」
「十年か二十年あればそれなりに育つかなぁって……」
「古竜ならではの時間感覚の緩さだな。てめえの欠点はそこだ」
「うーん、確かにお兄ちゃんの言う通りマリルーを思うなら契約から五年前後で魔力操作くらい指南しとけば良かったんだろうね」
「今更すぎるぞ」
「ごめんなさい……」
「うう、私が下手なばっかりに……」
「今は下手だが、これから操作感覚を鍛えれば他のクラスメイトのガキどもなんぞ余裕で追い越せる。てめえはあいつの契りの子だ。自信持て」
「……あの」
マリルーは立ち上がりながら砂を払い、困惑した顔をアミーカに向ける。
「ち、契りの子って事あるごとに引き合いに出される気がするんですけどそんなに重要なんですか……?」
「敬語」
「あっ、じゅ、重要なのかな!?」
「当然だろ。太陽と月の契りってのは、相手の命と自分の命を天秤にかける羽目になった時真っ先に自分を犠牲にする覚悟を持つことと同義で、婚儀以上に意味合いは重い」
「ええっ!」
「その婚儀よりも重い儀式に出くわすってのは少なからずその二人の運命に関係あるってことを意味する。お前の場合よりによって太陽神と月神の生まれ変わりの二人の儀式に首突っ込んだんだ。無関係な訳ねえだろ」
「ひ、ひええ……! 想像よりずっとすごい状況だったの私!?」
「あいつの説明じゃ飲み込めてなかったようだな」
「ううっ、理解が遅くてごめんなさい……」
「あいつはお前が契りの子だって意味の重さを理解していて俺をお前に託した。つまり、当てにされてんだよ。助けに来てくれって言われたようなもんだ」
「……私がサシャさんを助ける?」
「そうだ。だから俺が宵闇と一緒にお前を鍛える。鍛えて、あのクソ野郎の面に一発ブチかましに行く。それが目標だ」
アミーカの言葉と鋭い瞳、そして覚悟の強さを感じ取りマリルーの表情が引き締まる。
「解ったらとっとと訓練するぞ、小娘」


「陛下、明日から王笏を取り戻しに参りましょう」
 思わず耳を疑い、私はラウレンツに振り向いた。ラウレンツは相変わらず表情の乏しい顔で私を見つめ返す。
「……それが一体どういう意味を持つのか解っているの?」
「無論でございます」
日が傾き、部屋の中にはオレンジ色の光が満ちている。断食を続け最早お腹の音すら鳴らなくなってしまった私と、放置されたカピカピのパンケーキ。部屋の隅には下僕のバリーと、私から離れた位置に立つラウレンツ。
「陛下は天なる御方。空の王者たる貴女様が王笏を取り戻せば全盛期には程遠くとも古き御方としての力の一部は取り戻せます」
「……空の王者はわたくしではなく嵐の王たるお父様の名ですが、まあ良いでしょう。そこまで解っているならわたくしが王笏を手にした途端貴方に刃向かうと言う想像も出来るでしょうに」
ラウレンツは口の端を持ち上げた。その酷く歪な笑い方を見て、私はこの男が決して純朴に育って来れなかったことを悟る。
「陛下はその様なことはなさいません」
「……つまり、私が刃向かえない状況に持ち込める手札を貴方はまだ持ってると言いたいのね。ほんと、嫌な男」
「ご無礼をお許しください」
「ふん、許される気など砂の一粒もないくせに」
私はふいっと顔を逸らす。
(なるほど、こいつが私の面倒を甲斐甲斐しく見ていたのは心身共に万全な状態で儀式を終えて王笏を手にして欲しかったからね……)
私はラウレンツの考えに乗るかどうか逡巡する。
「明日の為にもお食事はなさってください」
(王笏を自分で探す手間が省けるならそれに越したことはないけど……。ん? でもこの状況でマシューがいないってことは……)
「陛下」
「……バリー」
「はっ! ご用命ですか!?」
「麦粥を持ってきて。あと果物も。そうね、リンゴがいいわ」
一時的な私の下僕は一瞬表情を明るくすると、頭を下げる。
「すぐ! お持ちいたします!」
バリーは慌ただしく部屋から出て行った。それを見てラウレンツはやれやれと首を振る。
「躾がなっておらず申し訳ございません」
私はラウレンツには答えず、革の椅子に腰掛けた。


 その晩、プロメテウス学園で生活するものが集う食堂ではアミーカが自分の食事を頼んでおり、オルフェオやティアラ姉妹は唖然と彼を見つめた。
「……何だよ」
私お気に入りのデミグラスソースハンバーグを口の端に付けながらアミーカはナイフとフォークを動かしている。
「そ、その……どう言う心境の変化だろうと思って」
「心境も何も、あいつがどう言う状況になってんのか分かんねーんだから魔力ぐらい自給しとかねえと困るだろ」
「……やはり、今の君ではサシャの状態は詳しくわからないのか」
オルフェオが肩を落とすとアミーカはナプキンで口周りのソースを拭う。
「ある程度魔法で阻害されてるからな。どこにいるとか魔力の供給量から推測出来る距離感とかその辺がぼんやりしてて分からん。近いが遠い、そう言う感じだ」
「そうか……」
「あ、あのぅ……」
横からマリルーが口を出すとアミーカはチラリと彼女を見る。
「何だ」
「あ、アミーカさんは今わたしからも魔力供給があるので……存在維持は困らないと思うのですが……」
アミーカは呆れて彼女を見ると少女の額を指で弾いた。
「痛いっ!」
「馬鹿に馬鹿足して馬鹿を掛けたような馬鹿だなてめえは」
「うえーん!!」
「てめえとは一時的な契約だっつったろうが。いざと言う時の貯蔵庫だてめえは。普段からホイホイ使うかっての」
「で、でも〜……」
「うむ。ミス・スロースだって魔力は毎日生み出している。少々負担してもらうだけなら問題ないと思うのだが……」
「てめえらは俺が大食いってこととあいつの馬鹿みてえな心臓の強さを知らねえからそんなこと言えんだよ」
あっ、とオルフェオたちは顔を見合わせた。
「サシャが彼の大怪我を十日程度で治したことを忘れていた……」
「あいつは保有量は並のやつに毛が生えた程度だが、生産量と吸収力はめちゃくちゃなんだな。この小娘と比べてよく分かった。あとこの小娘は保有量が馬鹿みてえに多い」
「ふむ、なるほど。ミス・スロースが魔法を暴発させ気味なのは手持ちの魔力が多すぎるからか……」
「そう言うこった。問題はその量をどう絞り出してどう魔法に使うかだが……ま、いい。何とかなる」
「すみません……」
「お前は謝る前にひたすら練習しろ」
「うう……」
 オルフェオとティアラ姉妹、そしてジョゼットさんは私が攫われて以降押し黙ってしまった騎士ダリアと、本来なら共に食事をしているはずのマシューの空席を見やる。
「レディ・アガサ、レディ・アリス。マシューは今日も連絡がつかなかったんですね?」
「オルフェオ、今はその呼び方はやめましょう」
「ええ、今はただ兄弟としてお互いを呼びましょう。敬語も要りません」
「……わかった。ではその後、彼から連絡は?」
「ご実家に戻るとは聞いたのですがご実家宛てに文を飛ばしても返事がなくて」
「もしかしたら戻っていないのでは、とアガサと話しておりましたの」
「……まさか一人でサシャを探しに?」
「それはない」
即否定したアミーカに、彼の考えが読み取れるマリルーも頷く。
「あの坊主は俺の主人に全員の身の安全を任されてる。この状況で周りを放置するほど自己中じゃない」
「そうです! マシューさんは多分なにかご自分で出来ることをしに行ったんだろうって、アミーカさんはそう思ってます!」
「一丁前に代弁すんな小娘」
「アミーカさんは頭の回転が早くて二つ三つ同時に色んなこと考えてるから補足してあげないとダメなんだなって気付きました!」
「おう、一丁前な口利くんなら明日からの訓練もビシバシいくからな」
「うええ!」
 そこへ靴音を鳴らしながら現れる少年がいる。彼は迷いなくオルフェオたちのテーブルに進むと、夜色のシャツと白いスラックス姿で微笑んだ。
「やあみんな。いやーお腹ぺこぺこ」
「マシュー!!」
驚く全員を前にマシューは普段通り席に座り食堂の職員を呼ぶ。
「今日のサラダと、ミートソーススパゲティ山盛りで」
「マシュー、君はこの三日どこへ行ってたんだ」
「そうですわ!」
「きちんと話してくださいまし!」
「勿論。でもその前に腹ごしらえしていい? あちこち出掛けたからさすがにお腹空いてて」
水をきゅっと飲み干したマシューはアミーカの顔を覗く。
「調子はどう?」
「お前の“娘”のお陰でどうにかなってる」
「そう。それは良かった」
アミーカの傷を肩代わりした私の時のように、マシューは二人前の食事をぺろりと平らげて食休みがてら話を始める。
「この三日、サシャが攫われた先の見当をつけるためにも私も自分の騎士と合流しておく必要があるなと思って、月花騎士団の元へ行ったんだ」
「月花騎士団?」
「太陽神のしもべがいるなら月神にもしもべがいるってこと。サシャ同様俺の騎士たちも案外そばにいてね。彼らに案内してもらって、今回は非常事態だってことを告げて太陽騎士団と連携させるためにそのまま太陽騎士団とも合流したんだ。快諾をもらえたよ」
「ふむ、そうだったのか」
「双方の騎士団は既に動き出しているから安心していいよ。後は私たちがサシャを助けるために動かないと」
「……子供に何が出来るんですか」
ダリアがやっと口を開く。悔し涙を浮かべ、唇を噛み締めて。
「あの人の言う通りです。子供が束になったって、騎士の振りしたって出来ることなんて限られてるのに、助けるなんて」
「ダリア、やめなさい」
「だって……!」
顔を上げたダリアの前ではマシューが古き王の如く凛と座っていた。
「ダリア、君に少なからず彼女の騎士としての気持ちがあるならその続きは言うべきじゃない。それに落ち込むのはまだ早いし、そんな時間はないよ」
「……でも私は」
「彼女の剣となり盾となると誓ったんだろう?」
「……はい」
「なら、これから私の話をよく聞くんだ。いいね?」
泣き疲れた子供の顔をしたダリアに、月神マニは柔らかく微笑んだ。


 朝日が昇り、太陽が生き物たちに目覚めをもたらす頃。私は古城の大広間、かつては王の間であっただろう場所で鎧に身を包んだ男たちを前にしていた。
「此度の遠征において、陛下の剣となり盾となる者たちです。良ければ出立の前に彼らにお言葉を」
ラウレンツ・ブラックウッドは私の執事のように振る舞い続け、今も横で控えている。彼を横目でジトッと見た私は立ち上がって目の前の兵士たちを見下ろす。
「この男曰くあなた方はわたくしがどう言う者か多少なりとも存じているようですが、本当なのか疑わしいので改めて自己紹介をします。わたくしはかつて古き者として天にあり、あらゆる命の目覚めを見守った者。古き者と人の子の交わりの果てにある者です。以後、名はともかく顔は覚えてください。さてでは、今回は古き時代にわたくしが振るった王笏を求めに旅立ちますが、古き者の持ち物と言うのはそれ一つでも自然の脅威と同等の力を持ち、近付くだけでも困難な物が多いです。よって、この場で嫌々仕事をしている者は即刻立ち去りなさい。命を捨てに行くようなものです」
私の言葉が意外だったのか、兵士たちは顔を見合わせる。
「この場で立ち去ったからと言ってわたくしはその者を腰抜けとは呼びませんし、誰にもそうは呼ばせません。まだ若い者や家族のある者だっているでしょう。今のうちにわたくしに申告なさい。そして堂々と出て行き、今日のことはただの思い出の一つとなさい」
兵士たちはじっとして動かない。ラウレンツは口を出さず全体の動向を観察している。
「……ふむ、ではこの場で出て行けない事情がある者ばかりだとあなた方はそう仰る」
「お、恐れながら!」
旅に同行することが決まっている下僕のバリーが珍しく声を張り上げる。
「ここにいる者は進んでこの場にいると存じます!」
「皆が皆、そうではないでしょう」
「少なくとも私は、望んでここにおります! 陛下のお役に立てれば、それだけで良いのです!」
「では腕が飛ぼうが首が飛ぼうが構わず、魂だけでも剣と盾にしがみ付きわたくしを進ませるために己の骸を踏みつけられても良い者だけがここにいると?」
私が鋭い視線を向けるとバリーは怯む。
「わたくしが言っているのは覚悟の話ですよ、バリー。貴方は出来るの?」
「そ、それは……」
「もう一度言います。わたくしの剣となり盾となると言う事の重さを理解出来ず、覚悟のないものは即刻立ち去りなさい」
兵士たちは誰一人とも動かなかった。私は彼らが腰抜けなのか、肝が座っているのか判別がつかないために溜め息をついた。
「陛下」
やっと口を挟んだラウレンツを私はジロリと睨む。
「この場にいる者は命を捨てる覚悟は出来ております」
「それは貴方がそうするよう強制したからではなくて?」
ラウレンツは一瞬歪な笑みを浮かべ、すぐ表情を引っ込める。
「そのような事は決して」
「貴方の言う事は信用出来ません」
「お食事に毒が入っていなかったことが何よりの証明になったと思うております」
「その話を今するの? ほんと、どこまでも小狡い男」
ラウレンツの歪んだ口の端を見ないようにして私は兵士たちに視線を戻す。
「では、あなた方の命は一度わたくしが預かります」


「やっぱり本物は違うよな」
「ああ」
 長距離転送ゲートを二度潜った私とラウレンツ率いる兵士たちは山の奥深くを進み、山を一つ越える前に夕闇の中テントを張った。
見張りの兵士たちは仮眠を取っている私の背後で内緒話をしているのだが、残念ながら丸聞こえだ。
「初めは偉そうな小娘って思ったけど、あの強い目を見てたら本物だって思い知らされた」
「ああ。最後のあたり、何だか保母(ナニー)に怒られてる気分になったよ」
「なったなった。しかし、ブラックウッド卿の実験は恐ろしく精巧だったんだな。あんなに似てるなんて」
「ここでその話をするのはやめないか?」
(実験……?)
「無駄話が多いですね」
「たっ! 隊長!」
男ばかりの中、珍しく女性の声がして私は強く耳を傾けた。
(びっくりした。女の人もいたの?)
「交代です。早く休憩に行きなさい」
「はっ!」
若い男性二人は“隊長”の命令に従い鎧を鳴らしながらその場を離れて行く。
 女性兵士は私に掛けられた毛布を直す時に私の目が覚めていることに気付く。
「……申し訳ございません陛下。部下が聞き苦しい話を」
私が上体を起こすと、栗毛で背の高い彼女は上着を取って来て肩に掛けてくれる。顔をよく見るとキリリとした美しい眉と切長の目元が涼しく、体格も相まって男性と見紛う中性的な出立ちだった。
(ミューア先生に雰囲気が似てるなぁ……)
学園での出来事を懐かしく思っていると女性兵士は周りに誰もいないことを確認し、突然上着をまくって脇腹を露わにする。大きな乳房の下、肋骨の上には太陽の大輪の焼印があった。
太陽騎士団の一員がいてくれると言うのは心強いが、どうしてこう彼らは身分を示すのが若干遅いのだろうと私はむくれる。
「これまでお側にいられず大変申し訳ございません」
私がぷくっと頬を膨らませたままそっぽを向くと、名も知らぬ太陽の騎士は服を元に戻した。
「主人を長く待たせるものじゃなくてよ」
「言い訳のしようもございません」
年相応にぷーっと拗ねてから、私は真っ直ぐ彼女を見る。湖面のような青い瞳と視線が絡む。
「名前は?」
「ベアトリクス・ジュネと申します」
「ベアトリクス。貴女をしばらくの間、わたくしの側役に任命します」
「は。光栄でございます」
「指名されたとラウレンツにはきちんと話を通しておきなさい。それで、他の者は?」
「現在はブラックウッド氏の命で行動を共に出来ず、この場にはおりません。私のみとなっております」
「そう。まあ、誰も居ないよりは良いわね。他にも色々と聞きたいのだけれど……」
私はテントの外を気にする。聞き耳を立てられているとまずいし。
「この時間は見張りの者しかおりません」
「そう。貴女から見てラウレンツはどう?」
「異様な執念のある男と言う所感です。頭も良く魔法、魔術、呪術と様々な分野に手を出しております。隙も少なく、部下に引き入れる者は天涯孤独の者と決めているようです」
「嫌なやつ〜。そうやって囲うのね。ほんと嫌い」
「……陛下」
「なに?」
「先ほど、覚悟のない者は置いて行くと仰いましたが……あの場で去った者が出た場合どうなさるおつもりだったのですか?」
「どうもこうも言ったままよ。帰りたい場所があるなら心に従っていいってだけ。王笏もそうだけど私の武器や道具は警備が厳しいところにあるから、怪我人の一人二人出そうだし」
ベアトリクスは静かに私の顔を見ている。
「でも帰るところのない人しかいないって知ってたら別の言い方をしたわ。全員の命が私にかかってくるのは同じこととしてもね」
「……正直なことを申しますと、私は陛下があのようなことを仰るとは思っておりませんでした」
「ん?」
「兵が陛下のために命を賭すのは当たり前だと思っておりましたし、陛下もそれを当然と考えていると」
「まさか。騎士や兵士が私に尽くすってことは私が命を預かることと同義よ? 古き者として長く命を見守ってきましたけれど、従者が命を捨てて当然だなんて一度だって思った事はないわ。人は生き物なんだからいつかは死ぬの。でもわざわざ早める必要なんてないわ」
「……そうですね」
「貴女も自分の命を惜しみなさい。死ぬことが怖くない者に背を預けるつもりはなくてよ」
「は。肝に銘じておきます」

 翌朝、私は兵士たちを集め一人一人の顔が見えるように土の盛り上がった場所に立った。ベアトリクスは私のすぐ横に控える。
「昨日、わたくしは覚悟のない者は置いて行くと申しました。しかしここに集った者は独り身の者が多くあると聞き、昨日の発言は良くなかったと省みています。配慮に欠けた発言をしたことを詫びます。ごめんなさい」
私が頭を下げると兵士たちはどよめく。
「本日からは昨日以上に慎重にあなた方一人一人の命を預かります。誰も見捨てず、皆生きたまま帰ることを前提に歩を進めます。体調の悪い者は必ず申し出るように。命を無駄にしないようになさい。わたくしからの話は以上です」
話が長いのも嫌だし、と早々に立ち去ると兵士たちはざわざわとしたまましばらく落ち着かなかった。

 太陽の騎士もいると分かりひとまず息が楽になった私はベアトリクスに見張りを任せ出発前に一眠りをする。
 夢の中、私は一人石の冷たい大きな遺跡の中にいて、ここが古き時代わたしやマニが使っていた神殿の一つだと思い出す。横を見れば黄金に輝く枝のような王笏があり、私の後ろには立派な古竜が何頭も控えている。王笏を持ち立ち上がると目の前に民が現れわあっと歓声を上げる。
華々しかった太陽の国を懐かしむと民はまた目の前から消え場を静謐が支配する。振り向いて残った一頭の古竜を見上げる。
金と銀の眼差しがこちらに向いている。烏の濡れ羽色の巨大な竜はじっと私の言葉を待った。
「その姿は久しぶりね」
「お前のせいで思い出したくもねえ記憶を引き摺り出された」
「まあ。いい思い出だってあったでしょうに」
「ケッ、どうやったって古竜は好かねえんだよ」
「どうしようもない同族嫌悪ね」
「他の奴が雑魚すぎんだよ。神の指先だって自覚のねえ竜なんぞ竜の風上にも置けねえ」
「貴方はプライドが高すぎたのよ」
「女帝に言われたくねえ」
「まあ!」
ぷっと膨れると私の槍はふっと笑う。
「まだ元気そうだな」
「一応、騎士がいたから側に置いたわ」
「そうか。ならまあ、多少は安心出来るか。お前の娘は今鍛えてる。付け焼き刃でも合流する頃には何とか形になってるはずだ」
「そう、よかった。オルフェオの様子は?」
「静かにキレてる」
「あら」
「お前の言う通り、好き勝手にするとよ」
「そう、わかった。わたくしの夫はどう?」
「色々やることはやって、お前を迎えに行くと。珍しくあいつらを先導してる」
「そう。で、貴方はどう? ご飯食べてる?」
「お前こそ飯食ってんのか。空きっ腹はなくなったようだが」
「食べてるわよ。あの男の言いなりになるくらいなら餓死した方がマシだったんだけど、王笏が手に入るならまあいいかと思って大人しくしてるわ」
「賢明だ。帰ったら学食のハンバーグでも何でも好きな物食え」
「そうする」

 目を覚ますと三十分程度しか経っていなかった。ベアトリクスに髪を任せ支度を整えると、私は本格的な山登りの服装、茶色一色だが腰や長い裾に白いフリルのついている厚手の服で兵士たちの前に再び現れた。
「陛下、こちらへ」
ラウレンツは地図を広げ王笏が納められているおおよその場所を示した。
「古文の解析が間違っていなければおおよそこの辺りかと。ただ高さまでは割り出せておりません」
「わたくしの杖なのだから高い位置に決まってるわ。この区画で天に一番近い部屋を探しなさい」
「畏まりました」
「遺跡に踏み入ってからはバリーに先導させなさい」
「は、その理由は?」
「気が弱いからよ」
「……畏まりました」
ラウレンツは訝しみつつも、お気に入りの兵士とバリーを先行させることに決めた。
「行くわよ」


 白い石で化粧をされた冷たい遺跡は、山の中に突然現れその口をぽかりと開けていた。突如現れた巨大な白壁の真四角の出入り口に圧倒される兵士たち。
「い、今の今までこんなデカい遺跡見えなかったよな……?」
「ああ……」
「滅多に見つからないように全体に結界が張られているの。ほら進むわよ」

 怯えて仕方ないといった様子のバリーの背を時々突きながら白い石の廊下を進むとひらけた場所に出る。目の前には巨大な下り坂があり、ラウレンツは確認のため地図を広げた。その隙を見逃さず、私は坂の前で震えるバリーの脚を蹴り落とす。
「わああっ!?」
バリーは転んでうつ伏せのままつつーっと長い坂を滑り落ち、坂が終わったところで寝転んだまま止まった。バリーの隣にいた兵士は困惑した様子で私に振り向く。
「蹴られたくなかったらさっさとお行き」
「は、はい」
兵士は床にお尻を置いてスーッと坂を下る。降り切ったのを見てから私はベアトリクスに耳打ちをする。
「必ず一人ずつ降りるように後続に伝えて。ここは複数人で降りると床が抜けるの」
「畏まりました」
私もお尻を置いて坂を滑って下る。先に滑り落ちたバリーは起き上がれぬまま涙目で私を見ていた。
「へ、陛下ぁ……」
「お前に降りろと命令したら坂の下に着くまでに日が暮れそうなんだもの」
「陛下のご命令ならばその通りに致します!!」
「本当かしら?」
全員が一人ずつ坂を降りたのを確認して私は次の場所へ向かう。

 私たちは一見何もない廊下を進み、道が途切れ崖のようになっている場所へ差し掛かる。
「バリー、そこで止まって」
「は、はいっ」
先を行くバリーと兵士を追い越し、床の模様を頼りに私はあるものを探す。
「えーっとここは確か……。あ、あった」
一つの四角い模様を踏み込むと石はガコンと音を立てて沈み、私は急いでその場から離れる。音が続きやがて床の一部が下がり、岸の向こうとこちらを繋ぐ下り階段が現れる。
「お、おお……」
「ふむ、太陽の国は魔法もなしにこれほどの大仕掛けが作れたのか……」
「さ、進むわよ」
「へ、陛下」
不安そうなままのバリーが私の顔を覗き込む。
「先程から下ってばかりなのですが……高い場所を目指しているのでは?」
「ここは下がり続けているように思えてあるところでは高い位置に来ている、みたいな作りなの」
「さ、左様で」
「ほら行くわよ」
「はいっ」

 いくつかの仕掛けを解きながら進んだ頃、ベアトリクスが耳打ちをしてくる。
「陛下」
「ん?」
「これだけ広大な施設の仕掛けを全て覚えているのですか?」
「まさか」
「ですが先程から迷いなくお進み頂いております」
「私も含めた神の化身や生まれ変わりは必要なところで必要な知識が“落とせる”ように仕込んであるの。だから前もって覚えておく必要はないのよ」
「知識を落とす?」
「そ」
首を傾げるベアトリクスを横目に、私は壁の模様をチラリと読む。
(ま、知識が引き落とせなくても壁や床にちゃーんと説明があるんだけどねー)
模様に化けた古代文字を読みつつ、私はどこでラウレンツとその兵士を引き離すか考える。
(古文を解析出来てるならあいつもある程度古代文字が読めてそうなのよね。いいタイミングで深いところに落としておかないと戻って来られて面倒くさい。いや、行きは大人しく連れて行って帰りに嵌めようかしら?)
「陛下」
「んっ?」
「行き止まりのようですが」
ベアトリクスの声で考え事から戻ってくると確かに行き止まりだった。
「あれ、ここに壁なんてあったっけ」
「……陛下の予想ではどうなっていたのでしょう?」
「しばらくずっと一本道のはずなんだけど……非常用の扉を出したのかしら?」
壁を探りながら仕掛けボタンを見つけ、ぐっと押し込む。すると石の壁が持ち上がり……飛び散った血と干からびた死体に出くわした。
ベアトリクスがすかさず私の目元を覆うが見てしまった後なので何とも……。心遣いは嬉しいが。
「私は平気よベアトリクス」
「しかし」
「いいの、慣れてるから。気持ちは嬉しいわ、ありがとう」
ベアトリクスの躊躇いの後、視界が明るくなる。死体は一つだけ。この感じだと警報に引っ掛かったかなんかだろうけど。
「陛下」
ベアトリクスの後ろにいたラウレンツが声をかけて来た。
「その者に話を聞きましょう」
「死霊魔法でも使う気?」
「はい」
「ふぅん、そう。好きになさい」
「は」
二人通れるかどうかの狭い通路で私の横を通り過ぎるラウレンツを見ながら私はまた考えに耽る。
(元々闇魔法使いなら死霊魔法系にも進めるわね。精霊と人間を合成したのも死霊系の技術かしら?)
ラウレンツは黒いタロットカードのような物を出し白骨を囲むように六枚置く。彼がフツフツと小声で呪文を唱えると白骨から死霊らしき白い靄が立ち上る。
「白い魂なので事故死か他殺のようです」
「色で分かるのね。自殺だと何色なの?」
「おおよそ黒色です。もしくは紫か青が多いです」
「ふぅん」
「汝、死した者。地に伏した者よ。召喚者である我に答え給え」
白い靄はぼんやり佇んでおり、自我らしき物は感じられない。
「……死んでから相当な年月が経っていると思われます」
「何年くらい?」
「少なくとも二百年は経っているかと」
「そう」
(大戦より前の世代か……。何しに来たのかしら。盗掘?)
魂の名残りはぼんやり漂うばかりなのでラウレンツは対話を諦めて別の呪文を唱え始める。
「汝、古き日の名残り。その欠片を我に与え……」
(ははあ、そうやって魂をあちこちで集めるのね)
ラウレンツが呪文に集中しているので隙を利用してやろうかと視線を動かすと、ラウレンツお気に入りの兵士がじっと私を見下ろしていることに気付き、仕方ないので笑顔で誤魔化す。
(ちぇー、抜け出してやろうと思ったのに)
私は何気なく使ったこの通路の用途を思い出そうと思考を巡らせ、ラウレンツが呪文を終え立ち上がったところで右足を壁へ伸ばした。
 ラウレンツお気に入りの兵士が私の行動に気付いたのと私が足を押し込んだのは同時だった。
ガコン! と音がして平坦な道が急な坂に切り替わる。何が起きるか分かっている私以外は体勢を崩し、重力に逆らえず転がる者が多数。何人かは壁の凹凸に捕まって転ぶのを防いだ。ラウレンツはもちろん真っ先に滑っていった。その姿勢がなかなか間抜けだったので私は滑り落ちながらぷーっと笑う。
「何が起きた!?」
「陛下が壁の仕掛けを踏みまして!!」
「陛下、この先は何が?」
「貯水槽よ。ここ水路なのよね〜」
「水路……!?」
滑り落ちていく兵士たちは後ろを振り向く。ドーッという音と共に大量の水が流れて来て彼らは慌てる。
「おっ溺れ死ぬ!!」
「大丈夫よ死なないわ!」
「俺泳げないんですが!!」
「なら蘇生してあげる!」
「陛下ァ!!」
ぎゃああと情けない悲鳴を上げながら、兵士たちは私と共に激流に飲まれ遺跡の中を落ちていった。


 時を遡って私が王笏を求める旅に出る朝。
月神の生まれ変わりとして同じく自覚が出て来たマシューはオルフェオとジョゼットさん、ティアラ姉妹、アミーカに特訓をつけられているマリルーを連れ月花騎士団が持つ拠点の一つに訪れていた。旧オールドローズ通りから数本離れた路地裏にひっそりと入り口を構える月花騎士団の拠点は、目を凝らさなければ分からないほど暗い場所にあった。

「ここが……」
 オルフェオが建物の内部に踏み入り、まるで霊廟のように静かな黒い石の壁と本来は天井があるはずの上空を見上げる。拠点は天井の代わりに魔法による星空の投影が頭上を満たしており、黒い石壁による圧迫感は不思議と感じられない。
夢では時間や空間を超えた相手に会うことが出来る、と言うのが魔法使いの常識。私よりも先に太陽の王と嵐の竜の夢を見ていたアミーカは金と銀の瞳に変わっていて、その瞳で月神のしもべの領域を不機嫌な表情で見ていた。
マリルーはアミーカが朝起きたら瞳の色が変わっていたことと、原因不明の不機嫌さしか分からず困惑と焦りを抱えたままマシューの後をついて歩いていた。
「あ、あのアミーカさん。いやくん!」
「あぁ?」
「機嫌悪い、ねっ!?」
「月の領域だからダルいんだよほっとけ」
「え、ええっと」
「ああ、アミーカには辛いよね。しばらく外で待っていても良いんだよ?」
「……あんまりダルかったらお前の剣に担いで貰うからいい」
「そう、分かった。オウル、面倒を見ておあげ」
「は」
マシューの使い魔、古くは月神の剣であった白梟の精霊オウルは主人の影から出て来るとアミーカの横に並んで歩く。
(アミーカさんが珍しくサシャさん以外のヒトに甘えてる!!)
(るせぇ)
(ぎぇえ心の声漏れてた!!)

 マシューたちは月花騎士団の騎士たちに出迎えられ、長距離転送用ゲートの前までやって来る。二人の騎士は夜色のマントを付けた銀の鎧の正装でマシューたちにゲートの使い方を教えてくれていたが、その後ろでアミーカが立っていられなくなりオウルがすかさず支える。
「坊っちゃま、これ以上はさすがに」
「本格的に辛そうだね。先にマリルーとお行き」
「は。では失礼して」
「え゛っ」
オウルは器用にアミーカを担いだままマリルーを抱えると、開かれたゲートに飛び込んだ。
「おぎゃあ!?」

 マリルーが目を開けるとそこは私たちが次の日訪れる白い壁の遺跡のすぐ近く。少女がポカンと遺跡を見上げているそばではオウルが気を失ったアミーカの体を横たえている。
「あっ! そう言えばアミーカさんはどうしたんですか!?」
マリルーが駆け寄ってもアミーカは起きず、深い眠りに落ちている。
「彼は天の槍としての記憶を取り戻したようですね。瞳の色が変わっておりますから。しかし増えた魔力消費量をミス・スロースに要求しなかったのだと思われます。その状態で月の力が強い場所へ来てしまったので……」
「ええっと反対性質の魔力の場に来ると魔力消費量が上がるんでしたっけ!?」
「その通りでございます」
「良かった勉強した甲斐あった!! えっ!? 今こそ私に要求すればいいのに!?」
「こういう時に強情なのですこの男は。全くもう」
「ええー、こういう時こそ頼って欲しいのに……」
「その通りでございます。しかし一人で生活していた期間が長いようなので、無理もないのですが……」
「あ、そ、そうなんだ……」
「ミス・スロースは彼の過去の話は……」
マリルーは首を横に振った。
「その辺りは全然……」
「左様でございますか……」
「さ、さすがに信用されてないのかな……。付き合い短いし仕方ないか。あはは……」
「いえ、彼の場合……」
オウルはふっとアミーカの寝顔を見つめる。白いまつ毛に覆われた黄色い瞳をしたフクロウが哀しそうで優しい眼差しでアミーカを見つめたので、年頃の少女はどきりとする。
「己の主にすら過去を明かすのは随分遅かったようなので、元々弱みを誰かに晒すのが不得意なのか、嫌なのでしょう」
「そ、そ、そっか」
二人が話を続けているとアミーカの瞳がやっと持ち上がり、オウルの瞳を捉える。
「目が覚めたか。我々は先に遺跡に着いたぞ。全く、そんな状態で道案内など出来るのか?」
アミーカは腕を伸ばすとオウルの首元にまとわりつく。マリルーは何故かいけないものを見ている気持ちになり高揚して焦った。
(あわわわわ……!!)
「おい、寝惚けている暇はないぞ」
「だるい」
「ううむ……半分寝ておるな貴様」
「ん……」
「はわわわわ……!!」
いいところでマシューたちと月花騎士団の騎士四名が姿を現す。
「おや、アミーカは起きたのかい?」
「はい。夢うつつと言った感じですが」
「うーん、遺跡に入ったら調子が戻るはずだけどどうしようか」
「私が担いで行きますのでご安心を」
「無理をしないでおくれよ」
「はい」

 マシュー率いる一行が遺跡に踏み込む。白い石壁の遺跡は太陽の力が強く、しかし月の魔法使いたちの力が弱まる訳でもないので不思議な感覚に彼らは驚く。
「不思議ですね……」
「ええ、本当に……」
ティアラ姉妹とジョゼットさん、騎士デルフィーヌも騎士アレクサンドラも、騎士ダリアも月花の騎士もただ広い入り口を見渡す。
「ここからはどう進めば?」
「王笏を取り戻すだけなら最上階の玉の間を目指せば良いんだけど、私たちが探すのはサシャだからね。アミーカが起きて動けるなら彼に案内してもらうのが良いんだけれど……」
全員アミーカに視線を向けるが、座り込んだ彼は寝ぼけ眼でじっと一点を見ていた。
「……駄目そうかな?」
「……サシャ」
「え?」
アミーカが見た方向に全員が振り向く。
すると私、いや私に似た並の人間より頭二つは背の高い婦人が白地に金の蔦が這う美しいドレス姿で立っていた。髪はうなじを見せてまとめたプラチナブロンド、瞳は黄金。
「……サシャではない、よな?」
「懐かしいな、太陽神ソルだよ。多分遺跡に残った記録か彼女の魂の名残りだね」
アミーカはオウルを支えに立ち上がり、光に誘われる虫のようにふらふらと女神に近付く。アミーカが手を伸ばすも、女神の名残りはふっと顔を逸らすと踵を返し数歩歩いて消えてしまう。
「消えちゃいましたね……」
しかしアミーカは迷いなく進み始め、彼を支えているオウルは振り向いて己の主に頷く。
「ソルの名残りを追い始めたようだからついて行こう」
「だ、大丈夫ですかねアミーカさん……」
「今は調子悪くてもそのうちシャッキリするよ」
少年少女とその騎士たちは、精霊の後を追い遺跡の深くへと踏み入る。

 マシューの言った通りアミーカは始めのうちは魔力が足りずふらふらとしていたものの、三十分もすれば自分の足でしっかり歩いていた。ただし周りと喋ることはなく目の前を見ているようで見ていない、一定間隔で歩いては止まるという行動を取っておりオウルはアミーカの手を離せずにいた。
「彼には女神が見えているのだろうか?」
「そ、そうですね。多分……」
「ミス・スロースには見たものを共有していないのか?」
「ま、マリルーでいいですよ。ベルフェスくん」
「それなら私のこともオルフェオで構わない」
「わ、わかりました。えっとですね、アミーカさんはトランス状態なんだと思います。私の感覚ではサシャさんの気配が目の前にあるってことだけ伝わってる感じで……」
「そうか。マシュー、君には天の花嫁が見えているか?」
「いや、私にも見えていない。ところどころそれらしい気配は感じるけど。アミーカはこの遺跡に居た頃の記憶に引っ張られてるんだと思うよ」
「記憶ですか?」
「うん。ここは太陽と月の国、俺と彼女が土地を収めていた頃の王宮の一つなんだ。その中でも太陽神ソル、妻の居城だったと思う。俺は冥府の城にいたからね。こちら側には滅多にいなかった」
「なるほど」

 半覚醒状態のアミーカはラウレンツに率いられた私たちが最初に見た、敵が攻め入ると床が抜ける下り坂を迂回し右の細い道へ向かう。
「あれ、どこへ行くんだろう?」
「どうしたんだ?」
「居住区を通って玉の間に行くなら坂を降りるんだけど……。右のこっちは何だったっけな? 行き先が読めない」
「使用人通路とかでは?」
「うーん、この王宮の場合そう言う通路も坂を下った先だと思ったんだけど……」
 アミーカは細い通路を抜けた先にある上階への階段を登り始め、普通の建物なら三階分はあろう高さの踊り場に少年たちを連れて行く。

 壁についた小さな扉を潜れば、目の前にはかつて花々が咲いていただろう小さな庭園が一行を待っていた。花壇の上は草が荒れ放題なものの石畳はまだ綺麗で、放棄される寸前までよく手入れされていたことが窺える。
「こんなところに庭なんてあったっけ……」
マシューが首を傾げていると一行の前に再び太陽神ソルが現れる。彼女は庭園の端に設置されている石のベンチに向かって歩いていき、オウルの手を離れ後ろからついていったアミーカが近くへ来るとベンチに腰掛け彼を膝に抱いた。
「何と」
「ん? どうしたんですか?」
「魂の名残りなのに実体がありますね。膝に抱いていらっしゃるから……」
「……あっほんとだ!?」
アミーカは女神に撫でられるとスッと眠ってしまい、くうくうと寝息を立てる。己の槍を膝で眠らせている女神は庭園から見える澄み渡る青空を静かに眺めていた。
マシューが近付くと女神は夫の生まれ変わりを見つめ返す。
「……私にも内緒の秘密基地かい?」
「プライベートの一つや二つ必要よ」
「そうだけどさ」
マシューたちの後ろでオルフェオやマリルーたちはこそこそっと声を出す。
「お話ししていらっしゃいますね」
「お、お話し出来たんですね」
「古代の神が現代語を知っているとは思わないのだが……どう言う仕組みだろう?」
女神ソルはチラッと少女たちを見てからマシューに視線を戻す。
「貴方の友人?」
「顔をよく見れば誰が誰だか分かるよ」
マシューは笑顔で振り向くとオルフェオたちを手招きする。少女たちは女神の近くへ寄り、騎士たちは入り口の近くで待つ。
女神は強い視線で子供たちをじっと見つめる。
「彼はオルソワル・オルフェオ・ベルフェス。こちらはマリルー・スロース」
マシューの紹介に合わせ少年たちは会釈をする。
「アガサ・ティアラとアリス・ティアラ。ジョゼット・フローラ。ね、馴染みのある顔だろう?」
「そうね」
「え?」
「わ、私たち女神様には初めてお会いしたんですが……」
女神はジョゼットさんに右手を差し出す。
ジョゼットさんは驚きつつも女神の手を両手で恭しく取った。天の花嫁は少女を引き寄せると白銀の髪と赤みの差す白い頬を指一つで撫でる。
「やはり繰り返すのね」
「必ずしも悲劇とはならないよ」
「悲観はしていなくてよ」
「そう? それなら良いけど」
「ええと……」
困惑するジョゼットさんたちを見てマシューは肩を竦める。
「実は君たち、太陽神と月神の息子と娘にそっくりなんだ」
「ええっ!?」
「た、太陽神と月神の子供たちも神ではなかったか……?」
「うん、そう。太陽と月の子供で人と交わった神々。私的には自分の子孫の血筋にまた現れたって言う想定でいるよ。サシャと私もそうだからね」
「何とまあ……」
「……えっ! あの! オルフェオくんたちはともかく私は違いますよね!?」
女神ソルはその発言に呆れて溜め息をつく。
「もちろん君もだよ、マリルー」
「嘘ォ!?」
「でも君の場合性別が違ってるけどね。君とよく似た子は息子だった」
「わたし男だったんですか!?」
「その騒がしいところもそのままね、マリウス」
「マッ!? えっ!?」
「マリルーは今世では契りの子だよ」
「それでわたくしに気配が近いのね」
「まあね」
「はわわ……」
「それで? ここへ来たのだから杖を求めに来たのでしょう? 何故わたくしがいないの? わたくしの槍は弱っているし」
「それなんだけど……」
 マシューは女神の欠片に事のあらましを説明する。
「では今世のわたくしを探しにわたくしのところへ来たと?」
「相手の考えを真似るとここへ来るのはほぼ確実だからね。攫われて三日は経ってるしもしかしたら間に合わないかもと焦ったけど、君の言動を見る限りサシャはまだのようだし」
「賊は何度か現れたけど、生きているわたくしはまだね」
「そう。なら間に合ったには間に合ったんだね。問題はどこで時間を潰すかなんだけど……使って良い部屋はある?」
「ここから上がって行けばわたくしの二つ目の庭があるわ。小さき者の寝床も近くよ」
「じゃあそこを借りよう。騎士たちも連れて行っていいね?」
「好きになさい」
「ありがとう。君の槍、アミーカはどうする? だいぶ疲れているようだけど」
「手入れをしてからそちらへ帰すわ」
「そっか。それじゃあまた後で」
「ええ」
マシューはアミーカを心配するオウルや少年たちと騎士を連れ、庭園から繋がる螺旋階段を使い先へ進んだ。

 寝息を立てていたアミーカはその後、二時間ほど経ってやっと瞼を持ち上げた。自分が見知らぬ場所で眠っていることに気付き、さらにはかつての主人、古竜時代の己を生み出した半身たる女神がさも当然のようにいることに唖然とする。
「……えっ、あっ?」
「わたくしの槍が随分と無様ですこと。弱りきった姿を人の子に見せるものじゃなくてよ」
「……ええと、遺跡の入り口に移動しようとして……」
女神ソルはアミーカのほっぺたをぎゅっとつねった。
「でっ!」
「その無様な姿はどうしたのか聞いているのよ」
「いででっ。ち、契りの子の面倒見ろってサシャに言われたんだよ!」
「まあ。己の槍をマリウスに? 呆れた」
ソルは手を離してツンと顔を背ける。アミーカは懐かしい主人の姿を見上げ、溜め息を漏らした。
「そういや、そう言う態度だったよな昔は。神は神、人は人で態度分けてたし……」
「大いなるわたくしたちと小さき者が交わるなど考えられなかったわ」
「そうだよな……」
アミーカは女神を見上げたまま何度か瞬きをし、また彼女の膝に頭を置く。
「……ずっとこうしていたい」
「そうもいかないでしょう」
「またみんな、ここに集まれば良いのに。お前もお前の息子と娘も……」
アミーカには、かつてこの庭で戯れた幼い神々と太陽王との記憶が蘇っていた。オルフェオによく似た息子やジョゼットさんに似た娘たちが遊び回るのを、古竜であった彼は人の似姿で己の主人と見守っている。
「それは貴方の記憶じゃないのよ、アミーカ」
もう去ってしまった遠き日の出来事。穏やかな日はやがて訪れた争いにより消え、カラスの精霊は薄っすら涙を浮かべる。天の花嫁はその頭を撫でる。
「過去を悲しむのは生きているわたくしを助けてからになさい」
「……そうだな。あいつは今一人で頑張ってるんだ。俺が迎えに行かないと」
アミーカは両手で顔を拭って立ち上がった。普段通りの引き締まった表情のカラスを見て、女神は微笑んだ。
「そうよ。頼りにしてるわ」


 ラウレンツ率いる一行が私の悪戯心で貯水槽に落ちて一時間は経った頃。騎士ベアトリクスがやっと目を覚まし頭を持ち上げる。
「……ここは」
彼女は水に落ちたのに何故か乾き切っている自分の服に困惑しながら薄暗く広大な空間を見上げた。目を凝らせば彼女と同じように兵士たちが石の床に転がっていて、近寄ればただ気絶しているだけだと分かった。
「ラウレンツ様は……」
彼女は主人たる男を探し当て駆け寄る。しかし、ラウレンツの服をしたそのものは土塊のゴーレムに戻っており彼女は歯を食いしばる。
「くそ、術が解けてる……!」
太陽の騎士になりすましたラウレンツの腹心ベアトリクスは転がった兵士たちを起こしながら私を探し、やがて私だけがその場にいないことに気付くと顔を強く歪めた。
「おのれ小娘、逃げたな!」

「ふむ、やはり撒かれたか」
 貯水槽に兵士たちが落ちた後、ラウレンツ本人は遺跡の別の場所でお気に入りの兵士二人と共にいた。
「女神の生まれ変わりなら地の利がある己の王宮を利用しない手はないだろうし、ラウレンツ様を毛嫌いしているなら必ず一人で行動するはず。読みが当たりましたね」
「無論だ。彼女に対して何年研究を費やしたと思っているのだ。さて、では女神が行きそうな場所を探せ、ソル」
ラウレンツはそばにいた少女の白い腕を引っ張る。ソルと呼ばれたその少女は女神の私によく似た、輝くようなプラチナブロンドの髪に黄金の瞳。日焼けを一度もしたことがない真っ白の肌をしていた。歳は私とそう変わらないように見える。
「わ、わかりません」
「何が分からない?」
「ここは女神の気配がどこでもして、サシャ様の気配が混ざってしまって分からないんです……」
「だからこそお前の考えに頼っているのだ。女神の似姿を持つお前なら思考も似る。お前は兵士を撒いてただ一人。主武器の槍も持たずに行動するならどこを通る?」
「え、ええと……」
ラウレンツが広げた地図を見ながら女神によく似た少女は考えを巡らせる。
「……槍はなくても今は周りに魔力が潤沢にあり、防戦に徹するなら困らない状況です。追っ手を撒くならなるべく複雑な道を通るか、女神の記憶がある自分だけが通れる道を使うと思うので……ここか、ここを使うかな」
少女は入り組んだ細い通路が多い使用人通路と、一見吹き抜けに見える場所を指した。ラウレンツは迷わず吹き抜けに見える場所を指で叩いた。
「ではこちらだな」

 謎の少女とラウレンツの予想通り、私は一見吹き抜けにしか見えない場所で飛び石の仕掛けを使いながら上階を目指していた。そのまま誰かに捕まることもなく貯水槽の高さから何とか居住区へ戻って来た私は追っ手がいないことを確認して溜め息をつく。
「あー、疲れる」
お水が飲みたいしお腹も空いたなと考えていると、目の前に女神時代の自分が現れて驚く。
「……んっ?」
「槍は放置、追っ手もろくに倒せないとは無様ですこと」
「あっ! それ疲れ切った自分に言う!?」
「自分? わたくしは貴女のような小さき者ではなくてよ」
「くぅ〜女神の頃だから高慢もいいところね! 腹立つ!」
「空腹なんて言うデメリットしかない稼働制限を受けるなんて小さき者はどこまで小さいのかしら。ほらこっちよ」
「自分なのに腹立つ〜!!」

 過去の自分と戯れ合いながら私は居住区を進み、かつて食堂や菜園のあった場所を訪れる。未だに食べ物が自生していると言うのが驚きだったが、今はなりふり構っていられないので畑に植わった小ぶりのトマト、赤いリンゴを収穫し水場ですすいで齧り付く。
「ありがとう水分と糖分〜」
「全くはしたない」
「生存最優先の時は品もへったくれもないの!」
「それがはしたないのよ。これだから人の体は」
「あ、ねえ。私自身なら城の中は熟知してるでしょ? 最短で王笏に辿り着けるルート教えてくれない?」
「そのくらい自分で思い出しなさい」
「ケチ」
「ケチ!? まあ!」
女神はぷっとフグみたいに膨れる。なるほど、側から見るとこんな顔なのね私。
「……自分と戯れ合ってる場合じゃないのよね」
「当然よ」
「アミーカには頼れないし自分で何とかしないと……」
「……わたくしが槍を放置するなんて余程ね。今世のマリウスはそんなにも頼りないのかしら? あれでもわたくしと月の子よ?」
「ん?」
私は女神ソルの顔をじっと見る。
「……マリウス? マリルーのこと?」
「貴女は思い出していないようね。夫、いえマシューはとうに息子と娘の顔は思い出したようよ」
「えっ何それ初耳……。息子と娘って誰よ?」
「普段の友人の顔を思い浮かべればいいわ」
思わぬ情報に私はポカンとする。
「……オルフェオたちが私とマシューの子供たちの生まれ変わりってこと?」
「わ、た、く、し、とわたくしの夫の子よ。顔がよく似ているから“繰り返し”でしょうと言う貴女の月とわたくしの所感よ」
「繰り返し……あー、えっと。星の連なりと人の神経の形が似るって言う、大と小でパターンが似るあれよね」
「そうよ。わたくしの似姿が貴女、夫の似姿がマシューなら息子と娘の似姿もいて当然。力のあるなしなんて些細なことよ」
「うーん、複雑な状況になって来たわね……。って、話が飛んだけどマリルーにアミーカを預けたのを何故あなたが知ってるの?」
「貴女より先にマシューたちはここへ来ているの」
「それを早く言って」
友達がそばにいる状況になり私はやっと心から安心する。
「それなら早く合流したいわ。みんなは今どこ?」
「このまま杖を目指せばすぐ会えるわ」
「よかった。そうとなれば早々に上がらないと」
「それと」
移動しようと立ち上がった私に女神は顔を向ける。
「今更ですけれど、騎士の偽物に注意なさい」
「……ベアトリクスのこと?」
「当然」
「ああ、やっぱり……。騎士たちが相手の正体が分からないって言ってたのに内部に太陽騎士がいるのは変だと思ったのよ」
「違和感はきちんと把握しておきなさい。人の子は正解よりも不正解を当てる方が得意でしょう」
「そうね……」
女神ソルは姿を消し、独り言タイムは終了。私は菜園の先にある階段を目指し歩き始めた。その後ろからラウレンツと神の似姿がもう一人、私の背を追い始める。
「やはりこちらか。よくやった、ソル」
「お褒めに預かり光栄ですお父様」
「参ろう」
「はいっ」

 菜園の裏から神官たちが住んでいた居住区の上層に上がって行くと、マシューたちと柵越しに出会う。
「サシャ!」
「サシャさーん! ご無事で!」
「みんな!」
壁に埋め込まれた石の柵を隔てて私たちはお互いの顔を確認し、笑顔になる。
「アミーカは!? 何か途中すごく弱ってなかった!?」
「アミーカほらおいで」
マシューに促された私の槍はムスッとした顔で柵の前に現れた。柵の隙間に手を通し、顔を触ってほっぺたをムニムニと掴む。
「よかった〜不機嫌な顔する程度には元気で!! マリルーほんとにありがとう」
「いえ、私はほとんど何もしてなくて……。むしろ何も出来なくて、へへ……」
「そんなことないわ。貴女がいてくれたからアミーカは落ち込まずに済んだのよ」
「おい」
「ん?」
「だいぶ昔のお前に会ったぞ」
「あ、えーと女神の私のことね。私も会ったわ」
「自分自身に会うとは妙な話だな」
「そうね。私の欠片みたいなものだから私本体じゃないけど」
「サシャ、すぐこちらに来れるかい? 俺たちはアミーカに案内してもらいながら何とか進んでるんだけど」
「アミーカと一緒に玉の間を目指して。私も向かってるから」
「わかった。じゃあ引き続きお願いするよアミーカ」
カラスの精霊は黒から変わった金と銀の瞳でじっと私を見つめる。
「ん?」
「……すぐにでもお前の元に帰りたい気分だ」
「私も早く貴方に抱きつきたいけど、もうしばらく我慢しましょ」
「……仕方ねえな」
「また後で。みんな、怪我しないようにね!」
私は階段の続きを目指し、マシューたちは通路の先へと足を運ぶ。私たちのやり取りを見ていたラウレンツたちは少し待って柵のある通路に顔を出す。
「ふん、子供ばかりで何をしに来たのやら」
「お、お父様……」
「どうした」
「あの槍……天の花嫁の槍、ほぼ完全に目醒めています。もしあれと力比べになったらお父様でも危ないかも……」
「そんなことか。無論想定済みだ。完全な目醒めでなければ付け入る隙はある」
「でも……」
「お前の体力が続くなら行くぞ。時間が惜しい」
「……はい」

 みんなの顔を見たから気力が湧き、私は階段を二段飛ばしで駆け上がる。
「ああもうこの服無駄に布が多くて重い!」
(腰回りの布が多いのがもたついていけない。下履きだけ脱いじゃおうかしら!)
踊り場に着くと私はゴソゴソと服を脱ぎ始める。
「やめなさいはしたない!」
「だって鬱陶しいんだものこの服!」
「淑女なら服の奇跡くらい使ったらどう!?」
「……まだ習ってないもん」
「まあ、習わないと出来ないなんて」
「あーもう小言はいいから!」
私と女神のやり取りと言うのはほとんど遺跡と喋っているようなもので、はたから見たら完全な独り言だ。私を尾行しているラウレンツたちはところどころで独り言ちっている私を不思議そうに見ている。
「あれは……誰と話している?」
「太陽神かな、と思うのですが……」
「女神の気配があちこちにあると言っていたな。具体的にはどうなっているか分かるか?」
「い、いえ漠然とした感覚でしか分かりません……。恐らく特定の血筋か、己の転生体にしか左様しないものかと」
「お前への語り掛けは?」
「ありません……」
「そうか。……肉体を模倣しただけでは駄目ということか。やはり一部でも魂か、何か必要な因子が他に……」
「お、お父様。見失ってしまいます」
「む。そうだな」

 ある部屋の個室に入った私は女神ソルに魔法を教えてもらい服を自分好みに作り変える。茶色のフリル付き登山服は、白地に金色の星砂が散るパンツルックのスーツ系ドレスコートに変わった。余った布地は置き去りに。金の色素は服になかったので壁の塗装を少しもらった。
「装飾いる? 普通に動きやすい服で良いと思うんだけど」
「女神の化身たるもの、いつでも完璧であるべきよ」
「うーん、そうかも知れないけど」
「早くお行き」
「はぁい」
 服装を変えて部屋を出て来た私を見てラウレンツたちは顔をしかめる。
「……このタイミングで着替えるとはどういう心理だ?」
「王笏が近いのだと思われます。ドレスコード……儀式に相応しい格好に変えたのかと」
「ほう、見た目もある程度大事と言うことか」

 最後の階段を駆け上がり、使用人が使う小さな扉を潜ると玉座の側面が見え、集まっていたマシューたちと目が合う。
「サシャさん!」
「みんなぁ! いやー疲れた!」
「後は王笏だけだが……どこにも見当たらないので探していたんだ」
「あー、あれねえ普通にポンとは置いてないのよ」
「ふむ、警備を考えるとやはりそうか」
「いま出すから待っててー」
仲間と合流し、私が安心し切った瞬間をラウレンツは見逃さなかった。彼は扉の影からステッキを振りかざし無詠唱で魔法を飛ばす。狙ったのは私、ではなくアミーカで、アミーカは不意を打たれ一瞬気を失う。
「ちょっ……!」
「行け!」
「はい!」
ラウレンツの号令と共に女神によく似た少女が飛び出す。彼女はラウレンツの物と似たステッキを取り出すとアミーカへ向けた。
「我が槍よ、我が声に応えたまえ! 我が血を己の物とせよ!」
「う、おっ……!?」
すんでのところで目が覚めたアミーカは己を吸い込もうとする杖に抵抗する。
「来たれ我が槍! 天の槍!」
私は反射的にアミーカを呼ぶ。二人の少女の間で使い魔の取り合いが始まった。
「何々なに!?」
「誰だあれは……サシャそっくりだぞ!」
マシューは状況をひっくり返すため己の剣たるオウルに指示を出そうとするが、その目論見はラウレンツの部下が無詠唱で放った魔法によって阻まれる。
「チィ……!」
「みんな、加勢しろ!」
オルフェオが叫んだのが先か否か、騎士ダリアと騎士アレクサンドラが剣を振り抜きラウレンツの懐に突っ込む。
「はあああっ!!」
「無駄だ蛆虫ども!」
ラウレンツは見事な剣術で杖を振るい騎士たちと渡り合う。その間、私と謎の少女はアミーカを間にお互い踏ん張っている。
「うう、う……」
「この……。ちょっとアミーカ! 一体誰の使い魔なのよ!」
「こ、このガキ気味が悪いぐらいお前に似てる! 見た目だけじゃねえ! 中身もだ!」
「何よそれ!?」
「俺が聞きたい! 誰か何とかしてくれ!」
私そっくりの彼女は天の槍を引き寄せるだけなら私と互角で、このままでは埒があかないと直感が示していた。
(何とかしなくちゃ……!)
月花の騎士たちが加勢するもラウレンツたちはたった三人で複数を相手に互角に、いや段々と私たちを押し始め優位に立ち始める。
「剣を振るだけなら馬鹿でも出来るぞ!」
「くっ……」
そして残された一人の少女は膝を震えさせるだけであった。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……!)
戦いが激しくなる中、マリルーの目の前の光景は遅く感じられる。
「マリウス」
太陽の女神が、ただの少女の傍らに立つ。
「貴女、それでもわたくしの子なの?」
「わ、私には、何も……何も出来ないです。弱虫で、泣き虫で、魔法はろくに使えなくて……!」
紫の瞳に涙がにじむ。女神ソルは少女の目の前に立ち、強い目で彼女を見下ろした。
「貴女は何?」
「ただの子供です!」
「だから何もしないと言うの?」
「だって……!」
「マリウス、目の前をよく見なさい。その手にあるのは一体何?」
「何って……」
マリルーはいつの間にかワンドを握っていた。それは小さな棒切れにしか見えず、頼りない。
「貴女は混沌の子。太陽と月の子供。太陽と月が求めれば夜は目覚め、火が興り、水が生まれ、土は命を芽吹かせる。もう一度言うわ。その手にあるのは何?」
マリルーはワンドをよく見て、掲げる。
「これは、木の棒……。木は……土の上で光と水で育って……」
彼女の気付きに呼応するように古竜たる宵闇が姿を現す。
「よく育った聖なる木は夜を吸い、光を生み出す」
「そ、そっか……!」
少女は両手で木の棒を掴んだ。
「それでこそ、わたくしの子」
女神は姿を消す寸前、満足そうに微笑んだ。

「でええええい!!」
 マリルーは己の杖へ土、火、光の順番で魔力を注ぐ。オリーブの枝から作られた杖は、その細くなった幹にまだ残されていた生命力を増幅させ、大気中の水分を利用しぐんぐんと育つ。戦いの最中、マリルーの異変に気付いたラウレンツは彼女を妨害しようと向きを変えるが、すかさず私の騎士たちが割って入る。
「させるか!」
「お前の相手は私たちだ!」
「ええい蛆虫どもめ……!」
マリルーの杖はオリーブの美しい枝葉を持つ、彼女の背丈ほどの長さに育った。少女はそのまま杖をラウレンツたちへ向ける。
「子供が何をしようと無駄だ!」
「私はバカだし、子供だし、何にもわかんないけど!!」
マリルーは大した魔法は使えない。しかし、魔力の出し入れは出来る。
「だからって困ってる友達をほっといて逃げたらダメなんだ! んぬぅうううう〜!!」
ラウレンツたちは一瞬何が起きたのか理解が遅れた。急に体の力が抜け、体の芯を冷たい風が通るような感覚。魔法使いにとっては最も恐ろしい、魔力が枯渇する感覚。
「な、」
「サシャさあああああん!!」
マリルーは杖の向きを変え大砲のような、ただの魔力を放った。
その魔力の塊は女神の化身たる私に届く。
体の内から熱が起こり、力となる。
増幅した力を持つ私に呼応し遺跡に眠る何かが目醒める。
「<太陽王の転生体を検知。声紋認証に移ります。お言葉をどうぞ>」
「我が名はサシャ・バレット! 我が杖よ、我が魂と我が声に応えその姿を現せ!」
トーン、と機械的な高い音がして遺跡は再び私の頭に言葉を伝える。
「な、何だ!?」
「<声紋、一致。転生体の生体を登録しました。杖へのアクセスを承認しました。ゲートを解錠します。間もなく射出されます。安全のため台座の周囲から避難してください。発射まで五、四、三、>」
遺跡全体が震え、玉座の前にある小さな石の塊は遺跡以上に細かく震え出す。
「<二、一。発射>」
スポーン、と間抜けな音を立てて王笏は格納庫から飛び出した。ダイヤモンドの飾りを頂点に持つ古代金属オリハルコンで出来た華美な杖は、浮いたまま形を解き黄金の金属を平たく変え始める。
「ソル! 杖が出た! 回収しろ!」
「今は無理ですお父様……!」
ソルそっくりの子供の注意が逸れた瞬間、私はアミーカを呼び寄せる力を止め天を指差す。私の髪と瞳は赤茶色からオレンジゴールドに変わり、輝く。
「此の右腕は黄金なりし、此の左腕は黄金なりし」
アミーカは吸い込まれまいと床にしがみつき、太陽王の杖は二つに分かれ私の両腕にまとわりつく。ラウレンツはその光景を見て状況も忘れて感動し、口元を歪めた。
「なるほど、黄金の腕とはそう言う……!!」
「此の右腕は雷を放つ為に在り、雷とは即ち、我が為に在り。我は即ち、天である」
詠唱の終了と共に私は自分にそっくりな少女を指差す。少女は純粋で大きな力が向けられた瞬間、怯んで身構えた。
 使い魔のカラスは光の粒となり、私の杖に仕舞われる。杖から溢れた雷は黄色い雷と青白い雷が二つずつ、穂先の長い立派な槍の形を取る。
「穿て! 太陽の名の下に!」
少女を庇ったのは生み手ゆえの親心なのだろうか?
ラウレンツ・ブラックウッドは自らがソルと呼ぶ少女と放たれた天の槍の間に割って入る。が、対抗して出した闇の防壁も虚しく天の槍の威力に負け、少女ともども弾き飛ばされる。転がった彼はすかさず少女を担ぐと玉の間の窓辺から身を投げた。
 首謀者が逃げたことで事件は呆気なく終わった。アミーカが私に抱きついてしばらく離れなかったとか、騎士ダリアと騎士アレクサンドラが太陽の騎士になりすましたベアトリクスの事を知ると、わざわざ彼女の頬に平手を食らわせに行ったとか。貯水槽に流された兵士たちは太陽騎士団が取り囲んでいて早々に捕まったとか語ることはたくさんあるけれど、ひとまず私たちの日常は平穏を取り戻した。

 ラウレンツは少女と共にどこか遠い森の中、山小屋のような工房に身を潜めていた。ソルと名付けられた人工生命体(ホムンクルス)は与えられた部屋に閉じこもり、隣の部屋から漏れる気味の悪い笑い声を聞かないように枕とクッションで耳を塞いでいる。
「ククク、素晴らしい……やはり本物は違う。あの輝き、あの圧倒的な力。純粋な暴力! ハハ、ハハハ……アハハハハハハ! もっとだ、もっとホムンクルスをあれに近付けなければ……」
フラスコから生まれた娘は静かに涙を流す。けれどその涙を見ている者は、誰もいなかった──。


「ふわ〜あ」
 澄み渡る青空の下、私は生い茂る草を下敷きに、三角帽に革のコート姿のアミーカの膝枕で寝ている。
「いい天気……」
「本当に」
そして今日は珍しく、隣には私と同じようにマシューがオウルの膝を枕に寝転がっている。オウルは普段の鎧姿ではなく、白銀の髪は肩に流れるままだし夜色の紳士服だ。
「使い魔の膝で寝る発想はなかったなぁ……」
「今度から時々するといいわ」
「そうだね。またうちに来た時みんなでこうやってゆっくりしよう。ね、アミーカ?」
「俺に振るな」
「つれない……」
「もっと愛想よくすることも覚えた方がよくてよ」
「フン」
「ごめんなさいねわたくしの槍が」
「構わないよ。家族だからね」
「ん」
「どうしたの?」
「家族で思い出したのだけれど、マシューのお父さんって……」
「ああ、俺が生まれて一年経つかどうかの頃に悪性腫瘍で死んじゃってさ。実はオウルは父の使い魔だったんだよね」
「あら……」
私がチラッとオウルを見ると、男女とも見分けのつかない美しい白梟は微笑む。
「父君に息子を護ってくれと頼まれ、やむなく主従の契約を切り、これまでは守り手に徹しておりました」
「そう。だから他者と争いを避けているオウルが自分から誰かに食ってかかるなんて信じられなかったんだ。アミーカを随分気にしてるなとは思ったんだよ」
「んぎゃー!!」
話の途中で飛んで来た悲鳴を聞き、私とマシューは首を持ち上げる。少し離れた場所ではマリルーが己の魔力に振り回されており、彼女のオリーブの杖は枯れたり茂ったりと忙しい。
「大丈夫かな? 手伝う?」
「まだ大丈夫よ。そっか、オウルは最初からアミーカを気に入っていたのね」
「いえ、そんなことは……」
顔を逸らしたオウルの耳は赤く、私は思わずニンマリする。
「それにしてもオウルの性別がどっちでもなくどっちでもある話には驚いたわ」
「精霊界でも珍しいからね、姉弟の魂が混ざって一つの精霊になったパターンは」
「女の子だし男の子なのよね。考えが矛盾して困ったりしないの?」
「私たちは性格も似ていて仲が良かったので、これまでそう言ったことで困ったことはありません」
「ふぅーん? なるほど」
「ぎにゃー!!」
再びマリルーの悲鳴が飛んで来たので私はいよいよ半身を起こす。
「手伝ってくるわ」
「俺も行くよ」
私たちがその場から離れるとオウルはそっとアミーカの頬に口付け……。アミーカはしれっとした顔でそれを受けてから、オウルの唇を奪った。


 いよいよ夏至となり、年中行事の中でも特に盛大な祭りの日を迎えた我が国は街のどこへ行ってもお酒と笑いに溢れ、人によっては溜まった鬱憤を晴らすべく派手な喧嘩をした。精霊たちは森や水辺から太陽を謳い、敬いながら一日中踊り続ける。
 そんな喧騒の中、ベルフェス家に招かれた太陽の御子たちは広大な庭でベルフェス家当主、オルソワル・アンリ・ベルフェスに視線を向けていた。
「この良き夏至の日に、我ら太陽の御子は我らが祖たる太陽王を讃えん。ハレル・ソラール!」
「ハレル・ソラール!」
「太陽よ、永遠であれ! ハレル・ソラール!」
「ハレル・ソラール!」
太陽の御子たちによる大合唱で儀式もといパーティの挨拶は終わり、拍手と共に無礼講どんとこいの大宴会が始まる。
「太陽の御子めちゃくちゃいるじゃん……」
赤茶髪で明るいベージュ色のドレスの私は混み合う会場を見ながらブドウジュース片手にケータリングのトマト・ハム・オリーブ串を口に放り込む。
「あっこれめちゃくちゃ美味しい……!! アミーカも食べな!?」
使い魔は影から出てくるとカラスの姿で私の肩にちょんと留まる。素直に開けられた嘴に串を入れると彼はぺろっとつまみを食べ切る。
「美味い」
「素直ね」
「こう言う素朴な方が好きなんだよ」
「ああ、なるほど……」
「サシャー」
遠くから呼ぶ声がして振り返ると、母シャルルがオレンジ色のドレス姿で久しぶりに髭を剃った燕尾服姿の父と共に戻ってくる。
「お母さん、こっちー」
「あんたすごい人たちと交流してんのねえ。お母さんびっくりよ」
「私も最初は驚いたよ」

 事件の後、私が太陽神の生まれ変わりであることや入学後の様々な事件をきちんと話すと、母は泣き、怖がり、無茶をした私を叱った。その傍らには父ディオンもいて、普段は仏頂面の熊みたいな彼が静かに涙を流し、消えかけた太陽の大輪の焼印を見せてきたことには本当に驚いた。
 私の父は太陽の騎士として陰ながら母を守っていたが、色々あって顔を合わせて行動するようになり、その後騎士団を抜け母と結婚し、田舎にこもったそうだ。普段木槌で家具を組み立てている熊みたいな父が元々は騎士だったなんて、今聞いてもちょっと信じられない。
 そして幼い私の欠けた記憶は何の不思議もなく埋まった。ミミックに襲われた私を助けたのは他でもない父で、私は泣き疲れて父に抱えられて帰ったことを思い出せていなかっただけであった。

 久しぶりに父と顔を合わせた私は彼のふくよかなお腹に抱きつく。おがくずとニスの香りが抜けない父は大きな手で私の頭をポンポンと撫でる。
「ありがと、お父さん」
昔からそばにいてくれた太陽の騎士に感謝しつつ、私たちバレット家はやっと揃ってベルフェス一家の元へ向かった。

「サシャちゃ〜ん! 今日もとーっても可愛いわ〜!!」
「ラモーナさーん!」
 私とラモーナさんは会って早々ハグを交わし、父や母はアンリさんやシンディーさんに最初の挨拶をする。
久しぶりに学校以外で顔を合わせたオルフェオと目が合い、挨拶をしようと一歩前に出た時。見えない位置からとてつもない元気の塊が私にぶつかってくる。びっくりして下を見るとまだ金髪の五、六歳の女の子が私の腰元に抱きついていた。
「こら、シーラ!」
オルフェオに嗜められるも年相応のフリフリフリルの可愛い水色ドレスの幼女は兄にべっと舌を出して突風の如くどこかへ行く、つもりだったのを私は反射的に抱きすくめる。
「妹さん?」
「あ、ああ。ほらシーラ、ミス・バレットにご挨拶なさい」
「やだ!」
「シーラ!」
「やだ!!」
シーラは私の腕から抜け出してバッと走り出してしまう。しかしアミーカが紳士服姿で現れ彼女をさっと掬うと彼女はきょとんとしてアミーカを見つめた。
「すまない……。シーラは自分がつまらないと思うと大体こうで……」
「構わないわ」
私はシーラに近付くと丁寧に膝を落とす。
「初めまして、ミス・ベルフェス」
「……はじめましてしない」
「ん?」
「おしゃしん見たもん」
「ああ、そうね。ならご機嫌よう、ミス・ベルフェス」
「ごきげんよー!!」
「あらぁ元気ねぇ」
まだ幼い突風は私の顔をじっと見てからアミーカの顔を見つめる。
「んだァコラ」
「んだあこら!」
シーラはカラスのぶっきらぼうな物言いにきゃっきゃと喜ぶ。
「アミーカ、口調は真似されるんだから気をつけなさい」
「へーへー」
「へーへー!」
「お嬢様、お口が悪うございます」
「じいやヤダー!!」
「誰が爺やだ」
アミーカの腕の中でのけぞったシーラはまたカラスの顔に興味を戻す。何だろう、いい男だから見惚れてるのかしら? 観察しているとシーラは小さな手の平でアミーカの顔にそっと触る。
「お目目きれい」
「あら、良かったわねアミーカ」
「あみーか!」
「何だ」
「なんだ!」
シーラはまたきゃっきゃとはしゃぐが唐突に静かになり、アミーカの首元に頭を預けピンク色に整えられた爪をいじり始めてしまった。
どうしたのだろうと思ってオルフェオやラモーナさんの顔を伺うと、二人どころかベルフェス家全員がシーラを抱っこするアミーカを唖然として見つめていた。
「し、シーラちゃんが初めましてのお方の腕の中で大人しくしていらっしゃるなんて……」
「玩具も何もないのに……」
普段どれだけ走り回っているのだろう、彼女は。アミーカは女児の顔をチラッと窺うと私に頷く。
「ご迷惑でなければこのまま彼がお相手しますけれど」
「し、しかし」
シンディーさんはそっと夫の肩に手を添え頷く。
「そばに居て頂く形ならそうご迷惑にならないと思うわ」
「……そうだな。ではお願いします」
「良かったわねアミーカ。可愛い子に気に入られて」
「フン」
アミーカは照れ隠しをするも満更でもなさそうなので、私は笑顔になる。
「サシャ、皆さんとご挨拶なさい」
「ああっそうだった」
 白地に金の蔦と星が襟や袖にばっちり施された金のマント完備の正装のタラクサクム伯爵ことアンリさん。そして銀色の生地に金で太陽の光を装飾した引きずるほど長いドレスのタラクサクム伯爵夫人ことシンディーさん。二人はとっくに私を知っているので、どちらかと言うとオルフェオのお姉さんたちに紹介する形で私の父ディオン・バレットが私を手の平で示す。
「娘のサシャ・バレットです」
 私は父の挨拶に合わせドレスの裾を持って膝を落とす。次にアンリさんがシンディーさんの横にいる赤茶髪に緑の目の女性を手の平で示す。
「長女のアンジェラ・ベルフェスです」
 末妹のシーラちゃんと比べると親子くらい歳が違いそうなアンジェラさんは、鼻筋にそばかすがあり、オルフェオに似た一見気難しそうなタイプだった。彼女は式典用に上半身が金、下半身が白といった形でグラデーションになっている派手なドレスを着ている。アンジェラさんは自ら挨拶はせずドレスの裾を持って膝を落とすだけだ。
(典型的な赤毛さんだなぁ)
 アンリさんは次にアンジェラさんの隣にいる、アンジェラさんより背が高く頭の形がわかるくらい髪が短い、スタイルのいい女性を示す。
「次女のアデライン・ベルフェスです」
髪と同じ真っ赤な眉毛がキリリと美しいアデラインさんはその長く美しい四肢を飾る薄手の白いレースと金のヒマワリの装飾が入ったパンツスタイルのドレスの、腰元から流れる布を右手でつまんで腰を落とした。瞳は青で、オルフェオとアンリさんによく似ている。
(すごいスタイルいい……モデルさんかしら? スポーツ選手?)
 そしてアンリさんはお馴染みのラモーナさんを示し、「三女のラモーナ・ベルフェスです」と紹介する。
今日のラモーナさんは背中まであるオレンジゴールドの髪にゆるいカールをかけ、ドレスは胸元が金色、袖とお腹のあたりは白。ドレスの裾は銀色となっているレースを惜しみなく使った薄手で露出も多い派手な服装だったが、これが下品に見えず似合っているのですごいなと思う。彼女もドレスの裾を両手で軽く持って膝を落とす。
(今日も美人だわ……)
「四女のレベッカ・ベルフェスです」
 アンリさんはラモーナさんの隣にいる上三人の姉たちよりやや年若い、前髪が斜めになっている東国のおかっぱヘアスタイルの茶髪の女性を示す。彼女は飾り気の少ない白い生地に左袖だけ金色を散らした長袖のドレスで、ラモーナさんとは対照的だ。
レベッカさんも膝を落とし、アンリさんはその隣にいるさらに若い女性を示す。
(段々オルフェオと歳が近くなってきたな……)
「五女のモニーク・ベルフェスです」
 モニークさんは太陽の家系には珍しく、月の一族の母親に似て色の薄いブロンドヘア。ドレスはレベッカさんに寄せているのか右袖だけが金色を散らしたデザインの飾り気の少ない白いもので、私はおや? と首を傾げる。
(服だけ見ると双子みたいな……)
「レベッカとモニークは双子でして」
(ああやっぱり)
「そして長男のオルソワル・オルフェオ・ベルフェスです」
 今日も赤毛が美しく凛々しい青い瞳のオルフェオは、白地のスーツだが襟や袖口、スラックスの裾に金色の装飾。左肩にも金色のマントを付けていて父親同様華美で仰々しい格好になっていた。
(まあその派手さがちゃんと似合うんだけども)
オルフェオは左胸に手を添えきっちりお辞儀をする。授業でも見た完璧なお辞儀だ。
「ミス・バレットには友人として大変お世話になっております」
「こちらこそ娘がいつもお世話になっておりまして」
父とオルフェオは深々とお辞儀し合う。
 そしてアンリさんは兄弟の七人目、アミーカの腕に抱かれた末娘のシーラを示すが、シーラは非常に眠そうでうとうとしていた。
「六女のシーラ・ベルフェスです。先程から粗相が多くて申し訳ない」
「いえいえ、子供は元気が一番です」
「そうですよ。うちのサシャだって小さい頃は似たようなものでしたから」
「もーっお母さん、そう言うのいいからっ!」
 やっと全員の紹介が終わったので各々喋りたい相手と話し始める。結果オルフェオのお姉さんたちが私に一点集中してしまって何というか美女と言う名の壁に囲まれる状況に。
「サシャちゃんはオルちゃんとほんっとーに仲がいいの!」
ラモーナさんに肩を抱かれた私は真正面から次女のアデラインさんに頬を揉まれる。
「弟がお世話になっております。十六歳の肌、羨ましいわー。すべすべでもちもち」
(ラモーナさんにも出会い早々頬を揉まれたけどそう言う理由……?)
「アディお姉様は短距離走の選手でモデルなの〜」
「やっぱり! そうなんですね。スタイルいいなーと思いました」
「ありがとうございます」
「一番上のアンジェラお姉様はねー、魔法協会に勤めていらっしゃるのー」
「えっすごい!」
「いえ、大したことではございません。協会では基礎研究部門におりまして、魔力そのものの振る舞いについて研究しております。一般の方と触れ合う機会のない部門なので、顔はほとんど知られておりません」
「えーっ、こんな美女を知らないなんて世の人は損してるわ……」
「あら。ふふ、ありがとうございます」
「レベッカさんとモニークさんは双子って仰ってましたね」
「ええ、そうなんです」
「私たち二卵性なんです」
「ああ、なるほどー」
ラモーナさん以外のお姉さんたちは一度顔を見合わせる。
「ミス・バレットは本当にお写真の方にそっくりですね」
「ねえ」
「ああ、そうなんです。うち、同じ写真があって」
「母やオルフェオから聞きました。元々ベルフェス家の方だったのではと皆で予想しておりまして」
「多分そうだと思います。って、私が勝手に思ってるだけなんですけど」
「お写真の方、とってもお綺麗ですものねえ」
「お名前が分からないのが残念ですね」
「本当に」
遠回しに美人と褒められてくすぐったい思いをしているとアミーカに呼ばれ、私は振り向く。
「完全に寝た」
「あらっ」
アミーカの腕の中ではシーラがすやすやと寝息を立てている。
「あらあらぁ、珍しい」
「本当に」
「シーラちゃんは人見知りなんですか?」
「ええ。シーラは気難しいのか人見知りなのか、人でも精霊でもあまりこう……ねえ?」
「ええ、初めましての方にもちょっと元気をぶつけがちと言うか……」
「……飛びついちゃったりするんですか?」
「飛びつくくらいなら良いのですが……」
「こう、手や足が出まして……」
「ああ……」
シーラは気に入らない人を片っ端から殴ったり蹴っ飛ばしてしまうチビ嵐さんらしい。それは怒られても仕方ない。
「先ほどミス・バレットに抱きついたのですら驚いたくらいで……」
「あら。わたし気に入られたんですかね?」
「そうだと嬉しいのですが。ねえ?」
「そうねえ」
「ふむふむ」
そしてアミーカは更に気に入られていると。
「ねえねえ、アミーカちゃん瞳の色変わってらっしゃらない?」
「あ、そうなんです。最近こう……説明が難しいんですけど力が増したと言うかその関係で」
「あらあらそうだったの」
「金と銀で縁起がいいお色よね」
「本当に。太陽の家系に相応しい精霊ですわ」
「ありがとうございます」
(ベルフェス家って全員気位が高くて有名だった気がするんだけど思ったよりお話ししやすいな……)
(そりゃ親戚だしお前だからだろ)
(なんで?)
(神の花嫁)
(あっ。えっそれ関係ある?)
(神の花嫁の元祖天の花嫁だから無意識に話しかけるんだろ。心の中の母親っつーの? そう言う)
(ああ、なるほど……)
まあ女神だったし女王だったし母親だったから、そうなるのかもしれない。今は特に女神の意識も普段からあるし。
(サシャとしての人格が塗り潰されちゃったらどうしようとか考えてたけどそう酷くないよね、現状)
(両立がどうとか考えてるみたいだが、お前そもそもプライド高いところあるぞ)
(えっ)
(俺からすると女神の気質の方が根だなと思ってる。元々の部分っつーかな。育ち方違ったら女帝の時とあんまり変わらなかったんじゃねえの?)
(えっ……ええーっ)
そ、そうだろうか? そんな高慢な自分(サシャ)は想像したくないのだけど。
 視線と心の中でアミーカと会話を続けていたら、私の父母と話していたオルフェオが戻ってきてそっと視界に入ってくる。
「オル」
「君の父君と母君に色々と話を聞いていた。この後なんだが、バレット家の皆さんはご用事がないようなので少し時間を借りたいのだが、どうだろう? サシャは予定などは何か?」
「ううん全然。パーティー楽しんだらお父さんたちと帰るつもりだったから。時間は平気」
「そうか。なら会わせたい方がいらっしゃるんだ」
「どなた?」
「君もよく知ってる方だよ」

 私たちはベルフェス御一家と足を揃えて城の如きお屋敷に戻り、白地に金と銀が眩しい客間に案内される。私は二度目なので大丈夫だが、両親は豪華な客間に驚いてしまったみたいで動きが固い。
アミーカは寝てしまったシーラお嬢様を起こさないようそーっとベルフェス家の執事(シーラ曰く爺や)に預け、紳士服姿のまま私の元へ戻って来た。
「子守りお疲れ様。子供の相手得意なのね」
「いや全然」
「でも上手だったわよ?」
「今世ではガキんちょを抱えたの初めてだな」
「あらっ」
隠れた才能と言うやつだろうか?

 メイドさんからお茶やお菓子をいただき、家族だけでしばらくゆっくりしているとアンリさんやシンディーさんたちがお色直しを終えパーティー用よりやや落ち着いた紳士服やドレスで戻って来た。オルフェオもいるしお姉様たちもみんな揃っていて何事だろうと思っていたら、アンリさんは二人の女性を連れてくる。
オルフェオが言った私も知ってる人、その意味が分かり思わず立ち上がる。
もうすっかり白くなってしまったブロンドヘアー、瞳は黄金に近いオレンジ色。シニヨンヘアーの老齢の婦人は締まりの緩い、体型をはっきり出さないベージュと灰色の中間の色合いのドレスを着ていて、彼女は私の姿を見ると涙を浮かべて口を覆った。
「お母さま!!」
わっと感情が溢れたソル・フレール女史はそのまま私の腰元に抱きついて子供のように泣き出し、私や両親は唖然とするしかなくて。ソル・フレール女史と共に現れた藍色のドレスの老婦人とアンリさんは顔を見合わせ「やはり」と言った顔をした。

「取り乱してしまって申し訳ございません……」
「い、いえいえ」
 嗚咽も落ち着いたソル・フレール女史と彼女の騎士リディア・ストーンは私の隣に並んで座っている。アンリさん曰く、プロメテウス学園の授業で特別講師としてお呼びするはずだったが私が攫われたことでそれどころではなくなり、予定が有耶無耶になってしまった。しかし私が何とか夏至までに戻ってこれたので夏至祭で顔合わせが出来るだろうと、ベルフェス家の皆さんが動いてくれたそうだ。
「ほんと感謝してもしきれないと言うか……」
「サシャ、それはお互い様だ」
「そ、そーお?」
「何か別の形でお返ししよう、サシャ」
「そ、そうだね。うん」
隣に座るソル・フレール女史は私が憧れた太陽属性の女性魔法使いなのだが、出会って一発目の反応があれだったのでこの後の展開は何となく予想出来る。
(やっぱり前世だったわあのそっくりさん……)
(まあそうだろ)
どう見ても顔一緒だもんね、と思いつつソル・フレール女史を見やると彼女は私の顔を見て、思わず目を伏せてしまうくらいにはまだ涙が堪えきれていない。
ソル女史がそんな状態なので説明はソル女史の騎士ストーンさんが始めてくれた。
「大戦前のお話になります。我が主ソルの母君は名を同じくソル・ベルフェスと仰いましてベルフェス本家のお方でした」
(前世の私ご貴族なんだ……)
(まあ驚かねえな。自分の血筋に“繰り返し”で出たんだろ)
「母君のソル様は大変気位の高いお方で、街中で一般の方と話すことなど全くなかったそうなのですが、唯一母君が街中で会話なさった方が靴磨きをしていた男性で……」
(ああー、マシューの前世だ)
「映画一本作れそうな出会いですね……」
「実際スキャンダルになったようなのですが、情報が微妙に途切れていまして。お伏せになったのかと存じます」
「あら」
「そしてその靴磨きの方が我が主のお父上となったお方なのです。ただ、そちらの方は名がはっきりとせず記録が残っておりません」
(きっと二人揃って記録を消しちゃったのね)
「そうですか……」
「しかし我が主の母君ソル様はご自分と同じお名前を主に残していて、若かりし時のお写真も残しておいでです。その後大戦の先駆けとなる戦いで何かに気付いた母君は我が主とその妹様お二人を別々の家へ預けて消息を絶ってしまったのです」
「なるほど」
「その先は私が補足を」
と、父が口を挟んだので何か嫌な予感がする。
「ソル・フレール様を含むソル・ベルフェス様のお子様は三人。全て女性でいらっしゃいましてそれぞれフレール家、バレット家、レーヌ家に預けられ、ご姉妹は別々の生活を余儀なくされました。我が師はこのうちバレット家に預けられたご息女をお守りする役に就いており、私はその後継でございました」
「お父さんお父さん、先に自分が元・太陽騎士団って言わないと」
「んむ、失礼。娘の申した通り元団員です。騎士としての役目を通しきれなかった点は大変お恥ずかしい限りなのですが……」
父が元騎士団員だったことはみんな意外なのかポカンとしてしまっている。
「ソル・ベルフェス様のお孫様にあたるお方が我が妻シャルルです」
(ん? ちょっと待った)
「お父さん、ソル・ベルフェスは太陽王ソルの生まれ変わりでいいのよね?」
父ディオンはうん、と頷いた。
「待った。えーっと、それってつまり……」
「ソル・フレール様と我が妻シャルルの母君がご姉妹。ソル・ベルフェス様と我が娘サシャ・バレットが太陽神ソルそのお方でございます」
「私のひいお婆ちゃんが私……」
思わずこめかみを押さえてしまった。何そのややこしい血縁関係。
「ではフレール家、バレット家、レーヌ家に我がベルフェス家の傍系の血筋が混ざっているとそう言ったことですね?」
「左様でございます」
「更に加えてその傍系の血筋となられた方がお写真の方で、太陽神その御方だと……」
「はい」
「ってことはお母さんもお婆ちゃんもベルフェス家と血が繋がってて……? ん? 私とオルフェオが? どう言う立ち位置?」
「我が妻シャルルとタラクサクム伯爵がはとこにあたり、我が娘サシャとご子息ご息女の皆さまはその娘さま息子さまとなるので……」
「そうか、サシャと私は其又従兄弟になるのか」
「そのまたいとこ」
なにそれ。もうよく分かんない。
「スッキリしたようなしないような……」
「……お母さまは」
ソル・フレール女史は涙をこらえやっと語り出す。
「お母さまは、本当に気高いお方で……でも常に何かに追われていらっしゃいました。出会した賊を腕の一振りで倒してしまうようなお力をお持ちでありながら、子供の私たちには本当にお優しくて……」
(女神の意識が早々にあったんだろうな)
(加えて天の槍を早い段階で取り戻してたのかも)
「お母さまに、私は名前とお写真と、お手紙を頂きました。名前以外は全て捨てるよう言いつけられましたけれど……とても捨てることなど出来なくて」
ソル・フレール女史は何度も泣きながらクシャクシャにして何度も伸ばした手紙を取り出し私へ差し出す。失礼して目を通すも、文字が達筆すぎて何も分からない……。
(あ、アミーカ読める……?)
私の使い魔は後ろから手紙を覗き金と銀の瞳を動かす。
(気位の高いお前にしては珍しく娘への深い愛を書いてるな)
(あら、娘思いね)
「今世でお母さまに再び会える日を待ち望んでおりました。でも……」
ソル・フレール女史はまたボロボロと泣き始めてしまう。
「……っお母さま……」
(ああ、そっか。私がここにいるんだから前の私は死んでるのよね)
ソル女史に同情して彼女の肩をさすると、彼女は私の肩に頭を預けて嗚咽を漏らす。
「ごめんなさい、貴女のお母さんじゃなくて」
ソル女史が本格的に泣き出す中、アミーカは私にそっと耳打ちをしてくる。
「そろそろ」
「えっもう? 困ったな」
ソル女史泣いてるし、と私は視線でついオルフェオに助けを求める。
「どうかしたのか?」
「私ちょっとやらなきゃいけないことがあって……」
「このタイミングで? ……ああ」
オルフェオは何かに勘づいてうんと頷く。
「何か手伝えるか?」

 私たちは人払いをしてベルフェス家の古城で一番高い場所にある庭園に移動した。私とアミーカは石畳みの上にいて、アンリさんや私の父母、ソル女史たちは離れた位置に立っている。
天球で太陽が最も高い位置に来た時、私はアミーカから黄金の枝葉を持つ杖を受け取りそれを両手で高く掲げる。
「古き者よ聞き給え。美しき者よ聞き給え。我はかつて来たりし者、我はかつて去りし者」
掲げた杖を真横にし、頭の上に掲げる。杖は私の手を離れゆっくり浮かぶとその金属を平たく解く。
「我は雷鳴を継ぎし者、我は嵐を呼ぶ者。天の花よ、我が声に応えその力を授け給え」
古代の金属は質量を無視し、どんどん面積を大きくしていく。鏡のように丸かった黄金はやがて自らを畳み始め花の蕾に形を変える。
私の様子を見ていたアンリさんはオルフェオに耳打ちを始める。
「太陽王の奇跡など滅多に見られない。よく目に焼き付けておきなさい」
「勿論です、父上」
花の蕾は開き、枯れるように花びらを折るとまた新しく大きな蕾に形を変える。それを繰り返すこと七度、蕾は私の頭の上で大輪を咲かせる準備を整える。私はやがて開く花を支えるように伸ばした腕を広げた。
「我は古き者の名残り、其の果てである。天なる者よ、汝は我である。天なる花よ、我は汝である」
黄金の大輪は花を開き、私の足元に影を落とす。このままある物の到着を待つのだが、これがいつも時間がかかる。私をじっと見守っていた人たちも何も起きないので段々不安そうな顔をする。
「何かお待ちになっているのでしょうか?」
「招来の呪文なのでしょうかね?」
「太陽とご自分を紐付ける呪文にしか聞こえませんでしたが……」
アンリさんやオルフェオ、アンジェラさんに関してはひたすら私の観察を続けている。
「……腕しびれてきた」
「支えてやろうか」
「そうして欲しいところ……」
「そろそろ来る。頑張れ」
「うん……」
詠唱から八分後、太陽から放たれた光の砲弾がやって来て轟音と共に黄金の花に落ちてくる。花となった杖は太陽の光を飲み込み、震えながら形状を雷の枝葉に変える。
「お、おお……」
「あれだけの威力を受けて壊れないんですね、あの杖は」
「柔軟性があるのか頑丈なのか……いや、両方だろうか?」
「来たれ我が槍、天の槍!」
私が高らかに謳うとカラスの精霊は光の粒に姿を変え、杖に吸い込まれていく。
「汝、遠き日の名残り。汝、嵐の王の右腕よ! 其の吐息は雲である。其の羽ばたきは嵐である。太陽の花の下、大いなる翼を取り戻さん!」
よく晴れた青空に黒い雲が現れる。枝葉を広げた杖はその暴風の中心に向かって黄金の雷と青白い雷を放つ。雷鳴が轟き、黒い雲の中に大きな影が映る。
杖が元の形に戻っていき、黒い雲は風によって内から祓われる。
嵐の中から戻ってきたのは、古竜のように大きくなった黒いカラスだった。降り立った大きなカラスを見てシンディーさんは目を輝かせるが、アミーカは見て見ぬふり。
「どう? 力が戻ってみて」
「悪くはない」
「そう」
金と銀の瞳のカラスは私をじっと見下ろして、羽を一度大きく広げる。パチパチと雷光が溢れ、周囲を明るくする。
「おおっ」
周りの人たちはちょっと驚いて、私は気持ちが良さそうな彼を笑顔で見つめる。カラスは人々から視線を外して羽を畳んだ。よし来た! と私は杖を腰元に仕舞ってカラスの胸元に飛びつく。
「いや〜これこれ!」
「フン」
「シンディーさん来て! 今のうち!」
「よっよろしいの!?」
「どうぞどうぞ! アミーカの気が変わらないうちに!」
「まあ〜!」
シンディーさんは目をキラキラさせて駆け寄ってきた。夫のアンリさんや息子のオルフェオなどは呆れた顔で駆けていく妻と母を見た。
「シンディー!」
「母上!」
彼女は少女のようにはしゃいでカラスの胸元にぴょんと飛び込む。
「大きな動物さんにこうするのが夢だったの〜!」
「いやーこれは一度はやらなきゃ。ねえ?」
「フン」
「ああ、ふわっふわ……」
「精霊セラピー最高……」
私たちが羽毛のもふもふを堪能しているとラモーナさんも興味を持ち出す。
「わ、わたくしも……」
「姉上! おやめくださいはしたない!」
「だぁって!」
ラモーナさんが迷っている間にアンジェラさんがツカツカと歩いてくるし、アンリさんと他の姉妹はポカンとしている。
「天の花嫁」
「はい?」
「先程の魔法は精霊を大きくするため、いえ、強化するために行ったものですか? すみませんつい研究心が疼いて」
「ああ、ええとですね。杖に女神の力を一部取り戻して、それを天の槍……私の主武器に与えた形です」
「ふむふむ」
「私本人より私の槍であるアミーカが力を取り戻した方が色々と勝手が良くて……」
 私はアンジェラさん相手に身振り手振りで魔法の説明を始め、シンディーさんは遅れてやって来たラモーナさんとアミーカの羽毛を堪能し始めた頃だった。まるで雷の如き慟哭と共に末妹のシーラが現れた。へとへとの爺やも一緒に。
「あみーか帰ったぁあああ!!」
一同が仰天する中、シーラはこの世の終わりのように泣きじゃくる。
「あみーかどっか行ったぁああああ!!」
「ま、まだいんだろ!!」
「勝手に行ったぁああああ!!!」
「も、申し訳ございません皆さま……。お嬢様、お客様が困っていらっしゃいますから」
「わぁああああああ!!」
「あらまあ」
もふもふタイムは強制終了となり、人の姿に戻ったアミーカはシーラに駆け寄る。
「泣くな! ここにいる!」
「ああああん! うわあああああん!」
「わかった! 俺が悪かった! 今度は勝手にいなくならないから!」
シーラを抱きかかえるアミーカを見て、話途中だった私とアンジェラさんは顔を見合わせ肩をすくめた。
「アミーカを余程気に入ったみたい」
「そうですね」


──『太陽の女神、月の男神』第二.五章・完
次回、第二部開始

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