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「縛り首の丘」 エッサ・デ・ケイロース

彌永史郎 訳  白水社Uブックス  白水社

「過去を売る男」ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザを読んだら、その中にケイロース「聖遺物」が出てきて気になったので再読…


「大官を殺せ」

この本、「大官を殺せ」と「縛り首の丘」の2編収録。まずは「大官を殺せ」。(ヨーロッパから見て遠い)中国の富める大官を、もしテーブル上の呼び鈴鳴らして殺すことができて彼の遺産が手に入るのならば、貴方は呼び鈴を鳴らしますか?という思考実験のテーマ。その行き着く先がこのケイロース「大官を殺せ」。このテーマの流れについては宮下志朗氏がまとめているという(すばる1994年6月号)。

その呼び鈴を鳴らすのは、テオドーロという内務省の官吏。下級官吏と言っていいだろう。下宿のマルケス夫人からは「疫病神さん」と呼ばれ…

 大学では教授陣を前に、怯えたカササギよろしく縮こまり、役所では上司の局長連中の前で平身低頭して背中をひどく丸めていたせいで不幸にも猫背になった。こういう風貌は結局は準学士にとっては好都合だった。組織のよく整った国家においてはこの風貌が秩序を保つ。そして私にとっては穏やかな日曜日、着るものには一応困らぬ生活、それに月額二万レイスの給料を保証してくれるというわけだった。
(p10)


この生活を楽しんでいるような語り手だが、一方では他の人を羨む気持ちもあったりして、そこで呼び鈴が出てくる…
呼び鈴鳴らすのに逡巡するのかと思いきや、割と単純に鳴らしてしまったり…しばらくして、本当に中国大官の遺産が送られて、富豪の生活始まる。でも、前の官吏の時の手紙の書記に戻りたくなることもあるらしく…

 役所勤めの忙しさが懐かしくなることもあった。そういうときは家に帰る。そして、人類の思想がモロッコ革のあいだに綴じられたまま置き去りにされている書庫のなかに閉じこもり、鵞鳥の羽ペンを削っては、なつかしきトジャル紙工製官用箋の上に「前略 以下の要領にて…をお知らせ申し上げます。…をお届けします。前略…」と筆をふるって、そこで何時間も過ごすのだった。
(p38-39)


苦笑する箇所もほどほどあるようだ。
(2024 03/11)

「大官を殺せ」続き。
殺してしまった大官の霊?が出てくるのに耐え切れなくなった語り手は、中国へ渡り大官の遺族に償いをしようとする。中国に着いた時からあの大官の霊は出てこなくなった。さて、その大官がいると占いで出たモンゴル国境の辺境の町に向かったが、そこで(たぶん現地知事の主導による)掠奪にあう。なんとか逃げ伸びてキリスト教修道院の修道僧に救われ、回復すると中国を後にする…と、またあの大官の霊が出てくる。というだいたいの筋。
ケイロース自体は中国には行ったことがないというが、いろいろ調べていたらしく、この時代のオリエンタリズムの影響も受けていることを認識しながら読めばなかなかの詳細さ。それと、中国にいるヨーロッパ外交官の社交が(ケイロース自身が外交官だったこともあって)諧謔を伴って描かれる。最後の方の5ページにもわたる(全体百ページほどの小説にしては不必要に長い)手紙の内容もそうした外交官社交の一例。以下は、そんな外交官ロシアのカミロフ将軍と語り手との会話。

 「ところで中国語はおわかりかな」
いきなり冷徹な目で私を見据えて訊ねた。
「重要な語を二つだけですが。『マンダリン』と『チャー』です」
将軍は強靭そうな筋の浮いた手で禿頭の生々しい傷跡を撫でると言った。
「そもそも『大官(マンダリン)』は中国語の言葉ではありませんな。中国ではだれにもわからんでしょう。これは十六世紀に貴国のつまりあなたの美しきお国の航海者たちが…」
「つまりわが国に航海者がいたころのことですね…」と私は溜息まじりにつぶやいた。
相手も儀礼的に溜息をついてから続けた。
「つまり貴国の航海者たちが中国の役人につけた名前なのです。貴国のことばの動詞、美しき動詞に由来しておりましてな…」
「わが国の国語にもまだ動詞というものがあったころのことですね」祖国を卑下する本能的な習慣からこうつぶやいた。
相手は一瞬年老いたフクロウのように目を丸くしたが、辛抱強く落ち着いて続けた。
(p57-58)


結構長く引用したけど、語り手…というよりケイロース自身の祖国に対する感情が見え隠れする楽しい箇所。ところが、「マンダリン」は実際はサンスクリット語起源らしい…
小説の最後はこう締めくくられる。

 死の間際に、私は不思議に心安らかなのである。汝も私と同じように、いとも簡単に大官を抹殺しその大財産を相続できるとすれば、北から南へ、西から東へ、韃靼の長城から黄海の波にいたる、あの広大な中華帝国から、大官はひとり残らず死に絶えてしまうはずだと思うと。
(p111)


人間の欲には実に限りない…
さて、十九世紀の思考実験としての「大官を殺せ」はこれでいいのかもしれないけれど、二十世紀、そして二十一世紀の今となっては、この文章の図式が世界経済の大まかには動かない構図として収奪の図式として機能していないだろうか。愉快な小噺聞いた後に考える意味はあろう。
(2024 03/12)

「縛り首の丘」

 ドン・ルイは恐ろしがるどころか、いやな顔さえしなかった。そして落ち着き払って剣を鞘におさめると訊ねた。
 「お前は死んでいるのか、それとも生きているのか」
 男はおもむろに肩をすくめた。
 「さて、どうだか…。そもそも生とか死とかいうものは、いったいどんなものやら…」
(p145)


1474年、セゴビア。登場人物はドン・ルイ、ドン・アロンソ、ドン・アロンソの妻リオノールの君、そして、ここに出てきた縛り首に処されてぶら下がっていた男(人物言っていいのか…)。ドン・ルイはリオノールの君を見て一目惚れするが、ドン・アロンソがほとんど妻を家から出さないことからきっぱり諦めていた。ドン・アロンソ夫妻は郊外の別荘に赴くが、そこでドン・アロンソは妻に、ドン・ルイをそそのかす手紙を書かせる(この時まで、妻はドン・ルイのことを知らなかった)。一方ドン・ルイはその手紙を読んで、すっかりその気になり月夜に別荘へ出かけるが、途中通りかかった縛り首の丘で…

というあらすじ。ここまでで引っかかる箇所が二つ。ドン・ルイは最初どうして諦めることができた(というかそういう設定にした)のか。それから、ドン・アロンソはどうしてこんな「余計な」ことをしたのか。自分としては、どちらかというと前者の問いの方が気にかかる(後者は、まあ、筋の関係上…)。ドン・ルイがずっと思い続けて病で寝込むようにまでなったとか、あるいはほんとに手紙が書かれるまでドン・ルイはリオノールの君のこと知らなかった(ドン・アロンソだけが知っている)とか、の方がいいのでは。なんか諦めてしまったからと、読者も一旦引いてしまいがち…
(まあ、元の伝説?がそうだから仕方がない、のかな)
ま、それらは実に些細な抹消な繰り言なので、この西洋時代劇をじっくり楽しめばいいのだけれどね。

 エッサ研究の第一人者シモインスが述べるように、『従兄バジリオ』から『マイア家の人々』にいたる十年間に、エッサはフロベールあるいはゾラから学んだフランス的な論理よりも、ディケンズ、メレディス、ジョージ・エリオットらのイギリス的な不条理のほうが小説の構成においてより重要であることを学んだのである。
(p172)


ここに収められた幻想短編2種だけでは、上の文章の真偽はわからないが…他の作品読まないとな。前の調べによると彩流社に3冊邦訳あるらしいから…
(「聖遺物」(これはないんだっけ)?「マイア家の人々」?)
(2024 03/13)

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