はなっちの音日記

音楽、映画好き。 音楽活動も行なってます。 他のブログで長年音楽ブログを書いていました…

はなっちの音日記

音楽、映画好き。 音楽活動も行なってます。 他のブログで長年音楽ブログを書いていましたが、古いブログをこちらに移管。新しいブログも月1のペースで書いていきます。 既発表作は400近くあるので、気長に進めて参ります。 古いコンサートや昔のアルバム評など懐かしい話が中心になります。

最近の記事

ロングヘアー

前回のコラムで外人から「カミヲキレ!(髪を切れ)」と理不尽な恫喝をされた事を書いたが、8年前にも同じような事を書いていた。 やはり、僕らの世代は髪を伸ばすことが一つの象徴なんだろう。 あのビートルズだって、1965年あたりの髪型でさえ「長い」とか「おかっぱ」と言われていたんだから。 本当に世界の男子の髪の長さは軍隊基準だったんだろうね。 2024年6月  ジョンレノンのような長い髪に憧れてはいたが、校則が厳しくせいぜい耳が隠れる程度だった。教師に見つかると生徒指導部に呼ば

    • カミヲキレ!

       高校を卒業し、ぶらぶらとしていた頃の話。 予備校にも行かず図書館に入り浸り、本を読み漁っていた時期の事。 図書館と同じ頻度で渋谷道玄坂のヒップコミュニティに通っていたので、僕の風貌はどんどん変わっていった。髪や髭は伸び放題。渋谷の交差点で職質を受けるのも日常化していた。  さて、いつものように駅から図書館に向って歩いていると、前方から体格の良い外国の老人が来る。腕に刺青をしていたから軍人のような風貌だった。 僕はテレテレ歩いていたと思う。 すると、すれ違いざまに彼は怒鳴り

      • 『思い出は美しすぎて』 八神純子

         番組は歌から始まる。ワンコーラスが終わるとBGレベルまで音は落ち、大石吾郎のあのお決まりの 台詞がラジオから流れてくる。 “黙っていては 友達になれない 叫ばなければ 消え去ってしまう 私たちが生まれてきた時から育ててきた 何かを伝えあうために ちぎれかけた世界の 心と心をつなぎあうために 私たちの歌が 今ここにある・・・” “お元気ですか?大石吾郎です。” というソフトな語りから始まる“コッキーポップ”というラジオ音楽番組を覚えているだろうか。  番組テーマソング

        • 『スタンディング・トール』 ザ・クルセイダーズ

          「絶対保証する!良いから聴いてみな」と親戚の兄さんに渡されたアルバムのひとつにクルセイダーズがある。僕が高校生の頃、フュージョンが幅を効かせ始めた頃のことだ。その頃の僕は、ちょっとロックに冷め始めており、ウェザー・リポートやラリー・カールトンなどを聴いていた。技巧派というか、大人の音楽というか、ちょっと背伸びした音楽を聴いていた。ミュージシャンの演奏技術と超絶的なアンサンブルに興味がわき、フォークの弾き語りやロックの絶叫とは違った音楽を求めていた。  ジャコは歌うようにベース

          『GOLEDEN☆BEST渡辺真知子』 渡辺真知子

           1977年、秋。ラジオで頻繁にオンエアされていた「迷い道」。 新人歌手だったので顔も知らなかったが、印象的な歌いだしのフレーズの『現在、過去、みら~い・・・』。 中学生だった僕の第一印象は、その歌のことよりも「この人、なんて普通の名前なんだろう」と思った。失礼だと思うんだけど、ぜんぜん名前からメディアに出てくるという名前のオーラが感じられなかったわけよ。どこのお姉さん?ってな感じ。  当時は、ニューミュージックと呼ばれる音楽がテレビ、ラジオから溢れ、音楽番組花盛り。ちょっと

          『GOLEDEN☆BEST渡辺真知子』 渡辺真知子

          エコーズの問題提起

           1991年5月26日、日比谷野外音楽堂でエコーズは解散した。 10年間の活動期間、これといったヒット曲には恵まれなかったが、ロック本来の「強いメッセージを発する」という形では成功していたと思う。ただただ難解だった。同じ事務所で後輩のバンドザ・ブルーハーツの方がシンプルでわかりやすかった。だからヒットした。 リーダーの辻仁成は、ロックとしての表現に限界を感じた。 以下のブログを書いた時点でも14年経った頃。今33年経ち、辻仁成は音楽活動を再開させている。エコーズの歌も歌ってい

          エコーズの問題提起

          『パパ・ヘミングウェイ』 加藤和彦

          加藤和彦が亡くなったのが2009年10月。表題のブログを書いたのは2009年3月。 亡くなる半年前に彼を見ていた。 坂崎幸之助と一緒に「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌っていた。満面の笑顔が忘れられない。 もうすぐ加藤和彦の映画が封切られる。 最後までちゃんと観る事ができるか心配だ。 それくらい影響を受けていると自覚している。 2024年5月  久々に間近かで見た加藤和彦は素敵なおじさんに変わっていた。『ひっぴいえんど』(2009)のプロモーションで穏やかに語る加藤和彦

          『パパ・ヘミングウェイ』 加藤和彦

          答え合わせ

          「解散の時期と封切りが重なってしまい、レット・イット・ビーが最後のアルバムになってしまったから映画も解散もしくは解散前提の作品と思われてしまった」 「しかし、実態はゲットバックのフィルムが世に出たことでレコーディングセッションの一部だったということがわかる。 なぜなら4人はフィルムを回している時は解散するなんて思っていなかった、と。ソロアルバムはそれぞれが発表するかもしれないが、まさか解散するなんて」  先日よりディズニー+で映画「LET IT BE」の配信が始まった。その冒

          Beauty and the Beat The Go-Go's

           ヤンキーガールがロックする。 中学時代に「銀座NOW」で観たランナウェイズはよくわからなかった。 下着姿でガーターベルトをだらしなく着こなし、股を広げて「チェリーボム!」って叫んでいる。なんか、そういうところでしか表現できないのかという気持ちで、受入れることができなかった。  スージー・クワトロもキャーキャー叫んでいるだけで何を歌っているのかわからなかった。しかし、音楽雑誌「ミュージックライフ」では大きく取り上げられ、絶賛している。どうして女性がロックを歌うとヒステリックに

          Beauty and the Beat The Go-Go's

          記憶に残る迷ライブ・・・ダディ竹千代と東京おとぼけCATS

           ダディ竹千代。ダディさんが鬼籍に入られた。 私が学生時代によく足を運んだ渋谷LIVE INNで、ダディ竹千代&東京おとぼけCATSを見に行っていた。あの頃のライブハウスで印象に残っているのは他にビジーフォーとジョニー・ルイス&チャー、シーナ&ロケッツなど。でもみんな鬼籍に入っているね(チャーは頑張って現役バリバリか)。  ブログは2005年に書いたものだから、まだダディさんがオーナーだった新橋ZZに出演させてもらう前。 初めて会話した時は伝説と話していると思ったからね。

          記憶に残る迷ライブ・・・ダディ竹千代と東京おとぼけCATS

          『DA・DI・DA』 松任谷由実

           『DA・DI・DA』は1985年発表の松任谷由実17枚目のオリジナルアルバムである。 このDA・DI・DAは「ダ・ディ・ダ」でなければならなかった。ダ・ディ・ダに意味は無いが、ラ・ラ・ラでもル・ル・ルでもない。ダ・ディ・ダという濁音の強いイメージだ。 何かつらいことがあっても「ダ・ディ・ダ、ダ・ディ・ダ」と鼻歌交じりに前を向いて進んでいく自らの応援歌のような歌。その背景にはこの作品の発表年がある。  1985年は男女雇用機会均等法が制定された年。その時代性を読み取り、女性フ

          『DA・DI・DA』 松任谷由実

          『タンゴ・イン・ザ・ナイト』 フリートウッド・マック

           80年代はロック不毛の時代と言われている。録音技術や楽器、特にシンセサイザーの技術革新により音楽自体が変化した。  シモンズのドラムやシーケンサーなど、打ち込みとペラペラなシンセが軽い音楽となって街にあふれていた。ちょっとでも70年代風のロックテイストがあろうものなら、「古臭い」と全否定されてしまうのもあの頃の風潮だった。  あの泥臭い声のスプリングスティーンだって「ボーン・イン・ザ・USA」での軽さは時代の流れによるものだし、クラプトンだってフィル・コリンズと蜜月だった8

          『タンゴ・イン・ザ・ナイト』 フリートウッド・マック

          『LIVE!』 ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ

           映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』がもうすぐ封切られる。 ボブ・マーリーは、レゲエは民衆のための歌で世界が良くなると信じていた。ピュアな人だ。 だから世界中から愛されているんだ。 2024年5月  レゲェは比較的新しい音楽だ。60年代初頭にジャマイカではスカというビートミュージックが流行し、それがレゲェに発展した。だからレゲェが世界的に広まっていくのは1970年代に入ってからだ。クラプトンがボブ・マーリーの「I Shot the Sheriff」を取り上げたことが引

          『LIVE!』 ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ

          『あゝ我が良き友よ』 かまやつひろし

           かまやつさんが亡くなって7年になる。 日本の軽音楽を牽引し、昭和のザ・芸能界を生き抜いた人。 だから、話が面白かった。全てが伝説のようなもの。 かまやつさんの何度かライブを観たことがあるが、肩の力が抜けていていつもリラックスしている。それがかまやつさんだた。難しいコードをいっぱい知ってるギターの名手でもある。笑顔も良い。 親戚に一人はいる変わったおじさんって感じかなぁ。 2024年5月  “ひょうひょう”という形容がしっくりくるアーティストとして「かまやつひろし」をあげた

          『あゝ我が良き友よ』 かまやつひろし

          コンセプトアルバムは何処へ。

           このエッセイを書いたのが約20年前。まだサブスクも無く音楽配信が目新しかった時だった。 その時はまだCDというソフトに対する不満だったのだが、2024年の今はそのCDが絶滅の危機に瀕している。 サブスク世代にコンセプトアルバムが響くのかどうかわからないが、聞き手に委ねられている音楽の聴き方は、演者の気持ちがどれだけ通じるのだろうか。 2024年4月  アナログ盤からCDへ、そして音楽配信、i-PODなど・・・。ソフトもハードの進化によりどんどん形を変えていくので、たった3

          コンセプトアルバムは何処へ。

          『カルメン・マキ & OZ』 カルメン・マキ & OZ

           日本のロックを語る上で必ず通らなければならないアーティスト達がいる。GSブームが終り、ロックという新しい音楽が湧き始めた1970年代初頭… ・日本を脱出し、海外を目指したバンドとして、「フラワー・トラベリン・バンド」「イースト」「サディスティック・ミカ・バンド」「ブルース・クリエーション」。 ・ピンク・フロイドの影響を受けプログレを定着させた「四人囃子」「コスモス・ファクトリー」。 ・関西ブルーズから「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」「ソーバッド・レビュー」「憂歌団」。

          『カルメン・マキ & OZ』 カルメン・マキ & OZ