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暗い森の少女第一章 ④ 人の焼かれる匂い

人の焼かれる匂い



病室の窓は小さく、昼に訪れても薄暗い。
幼い花衣にとっては数年も時間がたっているように感じたが、末期の膀胱癌で祖父が入院してから亡くなるまで、たったの三ヶ月だったのだ。
ベッドに吊り下げられている尿をためる袋はどす黒い。
「おとうさん、痩せたね」
給湯室で母はやりきれないようにつぶやく。
祖母はずっと病院に泊まりこんで付き添っていた。
花衣は祖母と引き離されることでパニックになり、母や叔父たちを受け入れず、夜驚症と拒食症になり、病院と相談して、花衣も一緒に祖父の入院している個室に泊まれるようにしてくれた。
祖母が洗濯ものを屋上に干しに行くのが好きだ。
たくさんの真っ白なシーツが風になびいて、この世界は優しく、清潔で、「正しい」気持ちになる。
祖母が買い物行ったり、なにかの手続きで病院から出かけるときは、手の空いている看護婦が花衣の面倒をみてくれた。
母と同い年くらいの、若く、明るい笑顔をした女のひとたちは、みな花衣を可愛がってくれる。
それには、母子家庭であるのに母親に面倒をみてもらえない子、父親代わりの祖父がもうすぐ死んでしまう子、という同情が含まれていたにせよ、花衣は幸せを感じた。
(保育園にいかなくていい)
祖父母といつも一緒にいられることもだが、花衣はあの村から出れたことが嬉しい。
(誰も私にひどいことをしない)
保育園児のいじめもだったが、この頃は幼なじみの母親から、いやな目で見られることが増えた。
どうも、幼なじみの父親が、私と遊ばせることに反対をしているらしいのだ。
「どこの馬の骨かしらん男の子供、うちの子になにかあっちゃならん」
そう、いきなり言われて石を投げられたこともある。
花衣は、自宅と葛木の親戚からはまるでお姫さまのように大切に扱われてたが、家から一歩出ると、「汚らわしい父なし子」でしかなかった。
また、花衣を徹底的に村から排除したい大人たちに混じって、普段は花衣を無視するのに、花衣がひとりきりでいると、ニタニタと笑いながらよってきて、暗がりに誘い込む大人のひとも怖い。
花衣には、そういう大人のひとが、どうして花衣を裸にするのか、触るのか、理解出来ないでいる。
それは保育園児のいじめと似ていて、だが、ねっとりとした手や息づかいが違う。
花衣が怖がって悲鳴を上げそうになると慌てて逃げていくが、あのぎらぎらとした目で見られると、それだけで体が汚されたような不快な気持ちになった。
(ここは、きれい)
消毒のにおいのする病院が好きだ。
大きな雨粒が庭の柿の葉を強く叩いて、その下に小さな川を作る瞬間、道でたんぽぽの綿毛を見つけたとき、そんな風景を花衣は愛したが、それよりもあの村ではいやなことが多すぎる。
遊び疲れて病室に戻り、ベッドで横たわる祖父の腕のあたりに頭を乗せる。
祖父は、微笑みながら花衣を頭を撫でた。
祖父はあまり話さないたちだ。
「戦争で性格がかわったみたいなのよ」
祖母から聞いたことがある。
戦争の話は祖母からよく聞いていたが、それは村人たちが花衣にする嫌がらせと同じように、花衣を震えさせることだったが、祖父からは聞いたことがない。
祖父は、いつも黙って、家族のために働き、家を建て、真面目にこつこつと生きてきて、今まさに死に直面している。
しかし、花衣から見たら、祖父の態度はいつもと変わらなかった。
「おじいちゃん、痛い?」
花衣に問いに、いぶかしそうに眉をひそめた。
「痛いの我慢してるって言った」
それは誰が言ったのだろうか。忘れてしまったが、確かに聞いた。
「痛くないよ」
祖父は薄く笑う。
「花衣が一緒にいてくれたら、痛くない」
そう言った祖父の病状が急変したのは、蛍も姿を消した夏の終わりことだ。
たまたま、花衣は自宅に帰されていた。
22時頃、黒電話が鳴り響く。
曾祖母が電話を取り、すぐに自室にいた上の叔父を大声で呼んだ。
母は出先からすでに病院にむかっているらしい。
半分眠っている花衣を連れて叔父は病院へと車を走らせる。
正面玄関の灯りが消えた病院は、よそよそしく花衣たちを迎え入れた。
個室には、祖母と、母、そして看護婦がいる。
祖父は墨を塗ったような顔色して、乱れた呼吸を繰り返していた。
「おとうさん、花衣が来たわよ」
祖母が祖父の耳元で、ひび割れた声で囁く。
叔父に押され、花衣は祖父のベッド脇でとまった。
うめき声も上げなかった祖父は、きつく閉じていた目を開き、花衣をまっすぐに見つめた。ぎらぎらと光る瞳に、花衣は怯えて後ずさろうとしたが、それより前に、点滴につながれた祖父の手が、強く花衣の腕を掴んだ。
痛いほど力を込め、握りしめる。
祖父はなにか話そうとした。乾ききった唇が開く。
しかし、言葉は発せられることはなかった。
それから、どのくらいの時間がたったのか。
気がついたら、花衣は病室のソファで眠っていた。
祖母を含め、大人たちはせわしなく動き話している。
ベッドの上を見ると、そこのいる祖父の顔は白い布で隠されていた。
覚悟はしていたはずの祖母は、狭心症の発作を起こし、喪主は上の叔父がすることになったが、二十歳そこそこの叔父には荷が重く、母たちより10歳年上のいとこ、祖父の甥が実質葬儀を取り仕切った。
普段、どれだけ無視をされようと、葬式の時は村のひとが総出で手伝う。
台所では女たちの手で次々に料理が作られ、男たちはテントをたて、祭壇の飾り付けをし、弔問客の対応をする。
その間、遺族は祖父のそばにいた。
祖父の甥は、立ち働く人たちにこまめに声をかけ、お茶出しなども気を配る。
そんな甥の振る舞いに、立場を奪われた形の上の叔父は、いつも以上に無口になり、イライラとした様子で煙草をふかす。
下の叔父は、祖父が危篤の時、仕事で県外にいたため、死に目に間に合わず、なぜかそのことを祖母がきちんと面倒を見なかったからだと殴りかかりそうになり、村の男たちに止められてから、姿が見えない。
祖母は、息子たちの態度、また体のこともあり、喪服姿でぼんやりと棺桶の前に座って、遺影を見上げていた。
そういえば、母はどこいるのだろう。
祖父は、一人娘の母を溺愛していた。その娘である花衣を可愛がったのは、まず、母が産んだ子供であることは、なんとなく分かっていた。
葬儀は続き、村の男が大きな鐘を鳴らすと、それが祖父を火葬場に連れて行く合図だ。
花衣は祖母に手を引かれ、霊柩車の後ろを走るマイクロバスに乗った。祖父の甥も乗り込んでいたが、叔父たちは自分の車で向かうという。
子供心に、奇妙な居心地の悪さを感じながら、バスに揺られ山間にある火葬場につく。
白く清潔で、花衣はまるで病院のようだと思った。
黒い服の人たちが、棺桶の中の祖父に花を捧げていく。
花衣も祖母と一緒に、白い菊を祖父の顔のそばに置いた。
そのとき、黒いワンピース姿の母が現れたのだ。
胸の前に、黄色い花束を掲げている。
その花からは、強く甘い香りがした。
「お前、その花は」
祖母はそのとき、すっと頬に涙を流した。
祖父が死んでから、一度も泣かなかった祖母の、初めて見る涙だった。
「おとうさんは、この花が好きでしょう。探していたの、フリージア」
夏の終わり、春の花を探してきた母は、しんと静まりかえった人々の間を歩き、祖父の胸に花束を置く。
「おとうさん、さようなら」
夕方までかかって、祖父の遺体は焼かれた。
少しだけ変わった匂いがする。
(ひとが、焼かれる匂い)
その煙っぽいような、脂臭さを含んでいるような匂いに、先ほどの鮮烈なフリージアの香りが混ざり、花衣の中に蓄積されていった。

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