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暗い森の少女 第一章 ⑦ 小公女



小公女


小学校生活は、不思議なほど穏やかに進んでいった。
田んぼの真ん中にぽつんとある校舎は木造で、花衣が3年生になるときに建て替えられるまで、あちこちで雨漏りをしたり、大柄な子供が歩くと床を踏み抜いたりするような古い建物だった。
「強く、正しく、温かく」
正門の前に学校のスローガンを彫った石がある。
全校生徒、90人に満たない学校で、教師がひとりひとりの生徒に目が配れたし、授業も丁寧に行われた。
また、上級生も下級生の面倒をよく見る。
村の中にある学校ではあったが、教師は全員、村の外の人間だったし、生徒も半数は村の外の保育園や幼稚園に通っていた子供たちだ。
「ひとり親である」
という理由で理不尽に花衣をいじめる子供はおらず、村の保育園から持ち上がりの生徒も、それにならって大人しくなっていった。
花衣はひとの顔や名前を覚えるのが苦手だ。
相手がどんな顔をしていても、どんな名を持っていても、その口から出るのは花衣への暴言だし、その目は軽蔑か、よこしまな欲望を宿している。
だが、小学校ではそんな状況になることがなかった。
何度か、同じ保育園出身の生徒に、いつものように、
「おかあさん、結婚もしてないのにどうやって子供を作ったの?」
と、あざ笑いながら言われた。
しかし、それをたまたま聞いていた教師が飛んできて、首根っこを掴むようにしてその生徒を校長室に連れて行き、数時間後全校集会まで開かれる事態となる。
名前は言われなかったが、花衣へのいじめのために開かれた全校集会なのは明らかだ。
いじめられるのも辛いが、こんな風に他の生徒の前で自分のことを話されるのは、花衣に強い羞恥を覚えさせた。
「葛木さん」
先生が声高に、偏見をもつな、ひとの気持ちを考えようと話す中、隣に座っていた瀬尾が花衣に小さな声で話しかける。
「唇が真っ白だよ。気持ち悪いなら保健室に行こうか?」
半ズボンにハイソックス姿の瀬尾が心配そうに花衣を見る。
体育座りで、ワンピースがめくり上がりそうになっていたことに気がついた花衣は、きゅっと裾を握って押さえた。
「我慢しないでいいんだよ」
黙っている花衣の目をのぞき込むように、瀬尾の顔が近づく。
この村で暮らしている男の子とは思えないほど、白くなめらかな肌を持っていた。
髪の毛は眉の上、襟にはかからないように短く整えられ、女の子のように艶を放っている。花衣はだいたいワンピースで登校していたが、瀬尾も襟付きのシャツに半ズボン、ハイソックス姿だ。
周囲の子供はジャージか、学校指定の体操服を来ているので、瀬尾も花衣も目立っていたが、瀬尾が花衣のようにからかわれたり、いじめの対象になることはなかった。
身長も学年では小さい方、成績も学年2位、運動もそこそこ、という瀬尾だったが、不思議にひとの中心にいることが多い。
花衣の学年は男子が4人しかいないが、みな瀬尾と話したがったし、休み時間は上級生が呼びに来て、ドッチボールやサッカーなどに誘われる。
瀬尾は大人びた笑顔でそれにこたえる。
放課後、学年のみんなで鬼ごっこをするとき、
「葛木さんも行こうよ」
そう、瀬尾が声をかけてきた。
他の子供たちは、花衣の存在を忘れていたのか、誘うということを思いつきもしなかったのか、びっくりしたように固まっている。
「ねえ? いいでしょう?」
瀬尾は首をかしげて優しげに笑った。
周囲も困っているし、花衣も当惑した。
鬼ごっこをしたことはあるが、走るのが苦手な花衣はいつも鬼役で、誰も捕まえることも出来ないで、そのまま置いて帰られる。
または、
「鬼の解剖だ」
といって、理不尽なことを強要されるか。
瀬尾に見つめられて、服を脱がされて様々な手に体を触れられる自分を思い出し、花衣は泣きそうになった。
(知られたくない)
知られたら、瀬尾はこんな風に花衣に話しかけたりしないだろう。
口を開けば嗚咽になりそうで、花衣は図書館から借りてきた本を、ぎゅっと胸に抱く。
「あ、本を読みたいんだ。葛木さんは本当に本が好きだね」
瀬尾は納得したようだ。
「それ、上級生用の本じゃない。すごいね」
1年生用の本は絵本が多かったが、花衣は挿絵のない、文章の多い本が好きだった。挿絵で自分のイメージを狂わされるのが嫌だったからだ。
「じゃあ、今度は絶対、みんなで遊ぼうね」
瀬尾の言葉に、教室のみんながほっとしたのを感じる。
出て行く瀬尾たちの背中を見送り、花衣は椅子に座って紺色の本を開く。
何度も読んだことのある話だが、花衣は繰り返しその本を借りた。
『小公女』
どんなにひどい環境でも、頑張っていたらいつか誰かが助けてくれる。
自分がその物語になにを感じているのか、花衣はよく分かっていなかった。
(誰かが、ここから、連れ出してくれる)
その誰かは、いつも影でしかなかったが、いつしか瀬尾の姿になっていく。
「……葛木さん」
全校集会中、自分の中に吸い込まれていた花衣を、瀬尾はいぶかしげに見ていた。
校長の話はまだ続いている。
床に接している部分が汗ばみ気持ちが悪い。
「やっぱり、保健室に行こう」
「いい……」
小さく、首をふる。
学校中のひとの集まる中、自分が保健室に向かうことを想像するとめまいがした。
瀬尾は不安げに花衣を見ていたが、少しして、
「無理そうになったらいつでも言ってね。僕が連れて行ってあげるから」
そう囁いた。
花衣が責められているわけではないが、花衣のために開かれた全校集会は、またしても村で花衣の評判を落とすだろう。
だが、隣に座っている、清潔な石鹸の匂いがするような男の子は、花衣を心配してくれている。
花衣は、自分の頬が赤くなっていることに気がつかなかった。
そして、ひっそりと人目をさけて囁きあっているふたりを見つめる目があることにも。

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