マガジンのカバー画像

大須健太・作品集 Ⅰ

122
メンバーシップ会員の方に向けて書き下ろした、エッセイや写真詩、小説をありとあらゆるところから集めた作品集。
運営しているクリエイター

記事一覧

麦茶

 いつの頃からだったかもう覚えていないが、我が家は夏でも冬でも一年中、麦茶が冷蔵庫に常備されている。もちろん、それはペットボトルに入って売っているものではなく、やかんに湯を沸かしパックになっている麦を煮出した麦茶である。  普段飲むものが麦茶にコーヒーと決まっているせいか、冷蔵庫に他の飲料が入っていることは滅多にない。この麦茶も残り少なくなってくると、母がやかんで来る日も来る日も沸かしていた。  家で煮出した麦茶を飲むのが当たり前であったから、私も母もわからなかったが、ペ

誘惑

 先日、スーパーへ買い物に行った。家を出る前に必要なものだけをメモに書き、「今日は絶対にこれしか買わぬ!」と固く心に誓って出掛けたが、残念ながら脆くも私の意思の弱さが露呈する結果となった。  前日、友人から毎年届く見事な梅を、今年も梅干しにしようと梅仕事をしたばかりだった。それなのに、青梅一キロ四八十円という破格の値段を目にした時、私の心は大きく揺らいだ。 「もう一キロ漬けてしまおうか」「いや、もう一キロ漬けたい!」そう思った私の手は早かった。迷わずすぐに、香しい梅を買い物

歩行者天国

 銀座の歩行者天国は酷く居心地が悪くて、私は何だか落ち着かない。そうは言っても二十代の頃は着物好きな女友だちと二人で着物を着て、よくあちこちへ出かけたものだった。 銀座の歩行者天国へ出かけたのも、ちょうどその頃だった。  当初は出かける予定にはなかったのだが、友人がまだ帰宅までには時間があるということで、根負けして出かけたように記憶している。  歩行者天国にはそれは様々な人々がいた。若者 や外国人カップル、夫婦、友達。そんな人々は大概が洋服だったが、その中に着物を着た人

有料
250

珈琲の誘惑

 世の中、様々な黒い液体が存在するが、私の黒い液体との初めての出会いはコーヒーだったような気がする。小さな子供ならば、世間の相場としてはきっとココアだと思うが、私の両親は物心ついた時からティータイムにはコーヒーを欠かさなかった。 両親が二十代の頃にはコーヒーサイフォンがあり、アルコールランプで湯をフツフツ沸かしていたという。  急な来客があっても、我が家には緑茶の茶葉がなかったから、客人には気の毒だったが有無も言わせず、ブラックコーヒーに角砂糖とスジャータを添えて、というのが

字引

 スマートフォンの普及により、何でもこれ一台で事足りる世の中ではあるが、私はそれでも分厚い国語辞典を常に机の上に置いている。  たまたま、何か調べたい時や確認しておきたいことがあっても、充電中で手元にスマートフォンがない時がある。  そういった時、やはり頼りになるのは分厚い国語辞典である、薄い紙に、きっと今までの人生で一度たりとも使ったことがない言葉が載っている筈である。  人は、その一生のうちにどれだけの言葉を使い、 生き、そして死んでいくのだろうか。  そんな事を、

有料
250

花の代わりに

 ここ一ヶ月、私は毎日の暮らしに追われていて、今日が「母の日」だということをすっかり忘れていた。  薄暗くなった頃、スーパーやデパートの食料品売り場に買い物へ行くと、生鮮食品売り場に並んでいる魚や肉類が割引され始める。  私は全てにおいて割引が好きな人間だが、母の突然の病気により、主婦の真似事をするようになってからは、この物価高の只中にあって、余計にこの割引が大好きになった。  同じものを多少の鮮度の違いはあれど、味はちっとも変わらないのに、高い値段で買うのはやはりバカバ

有料
250

お守り

 一年前、財布を買った。振り返ってみると、私はこれまでの人生で自分で財布を買ったことが一度もなかったように思う。例えば他人様から頂いたものや、他界した祖父や伯父の物など、自分で心底気に入った財布を持ったことがないのである。 そんな私であったから、財布の中身の引っ越しをさせたのも人生でそう多くはない。  いつの頃からか、どこの店もポイントカードというものを作り出して、それまでの財布には入り切らない物もたくさんあった。割と使うカードは新しい財布に収まってもらうことにして、残りの

有料
250

希望の落書き

 いつの頃だったか、公共の建物の塀に美しい落書きをする人が現れた。その人の名はバンクシーと言った。

有料
250

過ぎ去りし日に

有料
500

読書の時間

 時には黙って、時には口に出して自己と静かに対話をする、それが読書である。もちろん、その本の作者は直接自分には何も言ってくれないし、本の感想を求めることもしてくることはないから、何が正解ということもなければ、途中で読むのをやめてしまってもそれまでだが、それだけに読書というものは、読んだ本人が自己完結しなければ成立しない行為である。  私はこの読書という行為、時間が昔から非常に好きであった。子供の頃、週末は地元の少年野球や少年サッカー、塾に通っている友達と一緒に過ごすことはな

有料
250

給湯器ラプソディー

歳月はあっという間に過ぎ去ってしまう。 つい先日、買い換えたばかりだと思っていた風呂の給湯器も、気がつけば十三年という歳月が流れていた。その間には祖母と祖父を見送り、コロナ禍を余儀なくされたそんな十三年だったが、今はそんな感慨に浸っている場合ではない。 先日、給湯器のメーカーの方に年に一度の点検に来て頂いたのだが、もうそろそろ寿命だと買い替えを勧められた。昨年まで我が家を担当してくれていた青年は、生憎、昨年のうちから「来年、異動になるかもしれません」と、私たち家族に話していた

有料
250

すし詰め

時折、遅い時間に食品売り場を覗いて見ると、店員が割引のシールを出す機械に値段を入力し、あっかんべーしたような長いシートが出て来るのを見かける。 こんなにも食品、それも調理してしまった惣菜が売れ残っているのかと、何とも言えない胸のモヤモヤを感じたものである。 随分前から食品ロスという言葉を耳にしているし、こうやって現実に目にもしている。あっかんべーに張り付いて出て来た割引シールを貼ったところで、客がたくさん来ていなければこの惣菜も一向に減らないわけで、どうしたものかと店の人

有料
250

ホームレス

有料
250

美しい死顔

私は今まで、何人か全くの他人様の死顔というものを、二十代の頃から見る機会が多かった。 別に葬儀屋に勤めていた訳でもなければ病院勤務という訳でもなく、その頃していた仕事上、ご年配の方と知り合う機会が多かったのだが、自然と情が湧き、亡くなったと報せを聞けば悔やみに行くといった、私はそんな質だった。 多分、あの時いつだったか正確には覚えていないのだが、初めて他人様の死顔というもの見たのは二十代前半の時だったと思う。

有料
300