小川千紗 Chisa Ogawa

本と自然が好きです。

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書くということの根っこにあるもの

編集者を長く続けている方とお話をしたことがある。 そのときあるベテラン作家さんの話になった。日本を代表する著名な作家で、本もたくさん書かれている。 「自分が書く…

五月

五月のはじまりの日。明けがた小さな夢を見た。 海辺の美術館の窓から眺めた、ライラック色の海。朝焼けに染まる、静かな水面。 シーツのうえで、うすれてゆく記憶をたど…

別れを告げない

年度の切り替わりのせわしなさでたびたび寝こんでいた。めまいがひどくて夕方眠ってしまう。 ベランダからときどき外を見ていた。咲き初めだった桜が葉桜になってゆく。花…

淡雪日記

2月某日 湯あがり、散歩に行く。 朝の林。恋い交わすような鳥の声を聴く。 3月某日 絵を贈っていただいたお礼に、プレゼントを贈る。 ガラスでできた、小枝のかたち…

こぼれる

春。梅の花を見ている。 ほころぶ。こぼれる。梅の花にそえられる言葉。 長く保ってきたものがあふれてゆくような、こぼれるイメージの近くで梅の花は咲く。 こぼれる、…

雨と空白

雨が降った日に傘をさして散歩をした。 林のなかには誰もいなくて、空は白かった。いつも散歩のとき耳を澄ませて聞いている鳥の声がしなくて、雨音だけが続いていた。静か…

かすかな光と、日々の言葉

冬になると、すこし写真のトーンが変わる。 弱まる光にそっと抱かれたような感じになる。 冬の光は、とてもやさしい。 弱さ、というやさしさを思う。 ◯ 変わろうと思っ…

楚々

寒い時期に咲く桜を、今年はたくさん見た。 職場にきれいな冬桜が咲いていて、朝、いつも見上げている。ときどき小鳥が来る。 春咲きの桜と違って、ひと枝にわずかしか花…

そばにいる

目をさます時間が、すこしずつゆっくりになっている。秋が深まってゆくな、と思う。 たなびく雲を眺めながら体を起こす。 ときどき散歩をする。 森を抜けた野原に萩が咲い…

日々は泡

ときどき海の夢を見る。 青くてしずかな海。とぷん、と行くときもある。 ゜ ゜。 泳ぎたいな、と思って、水につかった。 水はやわらかくて、水泡がゆらゆらとのぼってい…

この頃のこと

とろめくように日々は過ぎて、おだやかに夏を生きています。 仕事にもすこしずつ慣れてきました。 おろしたてだったブラウスがやわらかくなって、かわらず肌ざわりが心地…

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かすか

写真展を見るためにひさしぶりに都内に出て都心を歩いた。 ビルのあいまに咲く夾竹桃の白い花がきれいだった。咲きはじめたさるすべりの色にみとれて、どこにいても私は草…

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六月の花

姫沙羅という花がとても好きで、咲くのをずっと待っていた。 六月の初めころ、白くて小さな花をつける。 朝咲いて、夕方に散る一日花で、地面にもいくつも落花が咲いてい…

初夏

新しい日々が流れてゆく。シャワーみたいに、肌を伝ってさらさら流れて洗われてゆく。 新しい仕事のためにブラウスを買った。真新しいブラウスに袖を通す。 肌ざわりが心…

3月の日記

春のはじめ、 ゆれる日々の日記のようなものです。 3月某日 うたたねから覚めると風が流れてきて春の匂いがする。 シーツにふせたままシジュウカラの鳴くのを聴く。や…

春の雨

梅の花が咲きこぼれて、沈丁花のつぼみがふくらんでゆく。じきに咲く。 窓の外、降る雨を眺める。春を養う雨だと思う。 ときどき祖父の夢を見る。 きまって険しい顔をして…

書くということの根っこにあるもの

書くということの根っこにあるもの

編集者を長く続けている方とお話をしたことがある。
そのときあるベテラン作家さんの話になった。日本を代表する著名な作家で、本もたくさん書かれている。

「自分が書くエネルギーの源は、“怒り”なんだ」と、その方が言っていたそうだ。
その怒りこそが、書くという行為を長年続けさせてきたのだ、と。

「そういうもの、あなたにもありますか」
とその編集者さんは私に聞いた。自分がものを作りだす、書くという行為を

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五月

五月

五月のはじまりの日。明けがた小さな夢を見た。
海辺の美術館の窓から眺めた、ライラック色の海。朝焼けに染まる、静かな水面。

シーツのうえで、うすれてゆく記憶をたどるように書いておいた。忘れたくなくて。小さな情景。

でも、どうしてそういうものを、とどめおきたい、と思うんだろう。

初夏は鳥の声で目ざめて、葉をわたる風が窓辺から届く。
ときどき朝の散歩をする。森を歩く。朝露にぬれた草のなか。肌にふれ

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別れを告げない

別れを告げない

年度の切り替わりのせわしなさでたびたび寝こんでいた。めまいがひどくて夕方眠ってしまう。
ベランダからときどき外を見ていた。咲き初めだった桜が葉桜になってゆく。花びらの散る夕暮れはしずかだった。

ぐあいの良いときに外に出て水辺に白山吹の咲いているのを見つけた。今年も会えた。好きな花が生きていること。ただただ、見つめてすごす。

三月、春風みたいな言葉にふれて、ゆさぶられて、毎年春はゆれてしまって冷

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淡雪日記

淡雪日記


2月某日

湯あがり、散歩に行く。
朝の林。恋い交わすような鳥の声を聴く。

3月某日

絵を贈っていただいたお礼に、プレゼントを贈る。
ガラスでできた、小枝のかたちのカトラリーレスト。お箸を置いても。ペンや、絵筆でも。
大切なものをひととき休ませる、とまり木になってくれたら。

3月某日

ここにいつも、ジョウビタキがいるんですよ、と見知らぬおじいさんに教えてもらった場所に、今日も鳥はいなかっ

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こぼれる

こぼれる

春。梅の花を見ている。

ほころぶ。こぼれる。梅の花にそえられる言葉。
長く保ってきたものがあふれてゆくような、こぼれるイメージの近くで梅の花は咲く。

こぼれる、というと思い出すことがある。
長い小説を書いていたころ、文章のことをひとつひとつ教えてくれた人がいて、私が書くものをいつも読んでくれた。書ききることができなくて、指がとまってしまう。その書きかけの小説について話していたとき、その人が言っ

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雨と空白

雨と空白

雨が降った日に傘をさして散歩をした。
林のなかには誰もいなくて、空は白かった。いつも散歩のとき耳を澄ませて聞いている鳥の声がしなくて、雨音だけが続いていた。静かだった。

生活のなかの仕事の比重が大きくなって人と会う時間もふえた。それはそれで楽しくて、でもバランスをとるようにひとりになる時間もとっている。

体はずいぶんよくなって、年明けに行ったときお医者さんは笑顔だった。
  ほんとうによくなっ

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かすかな光と、日々の言葉

かすかな光と、日々の言葉

冬になると、すこし写真のトーンが変わる。
弱まる光にそっと抱かれたような感じになる。
冬の光は、とてもやさしい。

弱さ、というやさしさを思う。



変わろうと思った今年だった。
ちがう仕事をはじめ、新しい人たちと出逢い、いままで読まなかった本もたくさん読んだ。

何かに近づき、そのぶん何かから離れ、でもおだやかに、つつましく生活ができて、よかったと思う。

別れも、失ったものもたくさんあった

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楚々

楚々

寒い時期に咲く桜を、今年はたくさん見た。

職場にきれいな冬桜が咲いていて、朝、いつも見上げている。ときどき小鳥が来る。

春咲きの桜と違って、ひと枝にわずかしか花をつけない冬桜は、ひかえめで、花も小ぶりで、その楚々とした佇まいにとても惹かれる。立ちどまって、よく眺めている。



そういう品種の桜だけでなく、ふだんは春に満開になる桜でも、意外と秋にも、咲くんだ、ということを知った秋だった。

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そばにいる

そばにいる

目をさます時間が、すこしずつゆっくりになっている。秋が深まってゆくな、と思う。
たなびく雲を眺めながら体を起こす。

ときどき散歩をする。
森を抜けた野原に萩が咲いていた。つつましくてとても好き。あたらしいフィルムで秋をうつす。
夏よりやわらかくなった光を萩も私も受けている。

草木の、赤くなってゆく実。黄色くなってゆく葉。

ほんとうにつらいことがあって眠れなかった日、朝焼けがきれいだった。一羽

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日々は泡

日々は泡

ときどき海の夢を見る。
青くてしずかな海。とぷん、と行くときもある。


゜。

泳ぎたいな、と思って、水につかった。
水はやわらかくて、水泡がゆらゆらとのぼっていって、魚のようになって泳いだ。

水のなかにいると、お腹のなかにいたころとか、生まれるまえのこととか、魚だったことをうっかり憶い出しそうになる。

存在の深いところで相手を呼んでしまう歌。私も一介の水泡だと思う。

水のなかは、夢のな

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この頃のこと

この頃のこと

とろめくように日々は過ぎて、おだやかに夏を生きています。

仕事にもすこしずつ慣れてきました。
おろしたてだったブラウスがやわらかくなって、かわらず肌ざわりが心地好くて、優しい服をまといながらできるだけ丁寧に仕事をしています。

働きはじめたころは八重桜が咲いていたけれど、もうさるすべりが咲いている。歩く道すがら色味を変えてゆく植栽の、夏の光にゆれるのを眩しく見ています。日々がとても、愛しいです。

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かすか

かすか

写真展を見るためにひさしぶりに都内に出て都心を歩いた。
ビルのあいまに咲く夾竹桃の白い花がきれいだった。咲きはじめたさるすべりの色にみとれて、どこにいても私は草木を見ている、と思う。

のうぜんかずらの橙色があちこちで咲きこぼれている。
実家の庭にも咲いていた。物干し台の近くにあって、白いシーツを干す母の肩越しに鮮やかな花が見えた。その光景がとても好きだった。

母は結婚後、家出したことがある。

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六月の花

六月の花

姫沙羅という花がとても好きで、咲くのをずっと待っていた。

六月の初めころ、白くて小さな花をつける。
朝咲いて、夕方に散る一日花で、地面にもいくつも落花が咲いていた。

それよりすこし大きい夏椿も、とても好きで、そのやっぱり白い可憐な花を、この時期よく見にゆく。
雨のふる時期に咲くことを選んだその気持ちに、ふれようとしてもなかなか届かないまま、眺めている。

高校生のころ、ほんとうにつらいことがあ

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初夏

初夏

新しい日々が流れてゆく。シャワーみたいに、肌を伝ってさらさら流れて洗われてゆく。

新しい仕事のためにブラウスを買った。真新しいブラウスに袖を通す。
肌ざわりが心地好い。うすくてしなやかで、かすかに張りがあって、ふんわりやわらかい。私もまたそうありたい。

昔、東北の雪深い町をおとずれたとき、タクシーに乗った。しんしんつもる真っ白な雪のなかを行く。

 雪道の運転は、いつかは慣れるものですか。

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3月の日記

3月の日記

春のはじめ、
ゆれる日々の日記のようなものです。

3月某日

うたたねから覚めると風が流れてきて春の匂いがする。

シーツにふせたままシジュウカラの鳴くのを聴く。やさしい声。最近雨月物語を読んでいる。眠りかけてまた読んでまた微睡む。
物語と夢とさえずりと、届かないはずの沈丁花の甘い香りがほどけるようにまざってゆく。これはだれの見た夢なんだろう。

3月某日

最近はことに梅がゆかしく感じて、どこ

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春の雨

春の雨

梅の花が咲きこぼれて、沈丁花のつぼみがふくらんでゆく。じきに咲く。
窓の外、降る雨を眺める。春を養う雨だと思う。

ときどき祖父の夢を見る。
きまって険しい顔をしている。曲がったことの嫌いな人だった。
掃き出し窓のむこう、祖父が立っていた。夢のなかでは。その姿がないことを確かめて、ベランダに出てひとり雨を眺める。

ふるさとには、春、よく雨が降った。
軒先からしたたる雨のしずくを、縁側から見ていた

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