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五月


五月のはじまりの日。明けがた小さな夢を見た。
海辺の美術館の窓から眺めた、ライラック色の海。朝焼けに染まる、静かな水面。

シーツのうえで、うすれてゆく記憶をたどるように書いておいた。忘れたくなくて。小さな情景。



でも、どうしてそういうものを、とどめおきたい、と思うんだろう。




初夏は鳥の声で目ざめて、葉をわたる風が窓辺から届く。
ときどき朝の散歩をする。森を歩く。朝露にぬれた草のなか。肌にふれて心地好かった。シジュウカラの声がする。


エゴノキの咲くのをずっと待っていて、つぼみのころから見に来ていて、花の咲き初めも、満開も、どんなときも、きれいだった。森を抜けたところにある大きな木で、小さな白い花が枝にも地面にもあふれていた。




花の写真をそっとポストしたら、姉のように慕っている人から、私もいま、エゴノキを見ている、と返事があった。

アリ・スミスの「五月」という短編のなかに、木に恋する女の子が出てくる。なんだかその子のことを思い出しました、と伝えると、私も、と返ってきた。そうしてしばらくそのお話について話す。

遠いところにいるのに、おなじエゴノキの木蔭に座って、本の話をしているような、そういう記憶として残っている。ぽつぽつとことばを交わすふたりのうえに、ときどき、はらはら降ってくる白い花。





五月の半ば。大好きな作家のトークイベントがあった。画面越しにあらわれたハン・ガンは、儚くて、消え入りそうで、優しい穏やかな声をした人だった。しずかな声を大切に聴く。ときどきこぼれてくる、サラン、という音色が胸に響いた。


事前に書いておいた私の質問が、たまたま読みあげられた。

 夢というものをとても印象的に描かれている気がします。夢というものと、書くこと、そのつながりについて、お聞かせいただけるとうれしいです。

小さな相槌。

 夢の話を書くのは好きです。実際に私はよく夢を見ます。ある夢は私に何かを語りかけているような気がするんです。夢は隠喩で語ってくる。自分の見た夢を、長い時間自分の中にとどめている、その過程が好きです。夢の中に出てきた隠喩を自分で覗き込みながら、これはどういう意味だったのか、そしてこの夢は何を語ろうとしているのか、それを長い時間かけて考えながら過ごすのが好きです。その結果小説が書けた、ということもありました。


画面をとじてからもずっとその声が残っている。隠喩を抱いてゆくこと。
答えを出すことではなくて。むしろ問いをそのまま抱いてゆくこと。夢も比喩もイメージも。語りかけてくるかすかな声に、ずっと耳を澄ませていること。




とどめおきたいと思うもの。
ライラック色に凪いだ海。朝露。うつむいて咲く花。好きな人の声で届く愛という響き。それらすべてのしずかな音色。ぜんぶ抱いて、生きてゆくこと。

五月。鳥の声がする。朝、風が届く。耳を澄ます。生きている。



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