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年の瀬となり、いつものように国内はソワソワしている。若くして起業して三十三年になるが、この年末のソワソワ感については我関せずが、筆者のスタンスである。別にソワソワすることもなく、年末だから、年始だからと言って、商業イベントに心を奪われる必要性を感じないのである。 それより、お歳暮をお贈りして頂く方々の気遣いがすこぶる有難くもあり、気になって仕方がない。「日々、お陰様。」の心を持って、恩返しをしなければならないが、それを考えると、少々焦ってしまう。 今年も、静岡名産、
新聞社時代から現在に至るまで、「地域おこし」、「村おこし」、「町おこし」が常に頭のどこかにある筆者である。 理由は、新聞社を若くして辞め起業する前に手掛けたのが、長崎県上五島の旧奈良尾町の「トライアスロン in 奈良尾」であった。 新聞社を辞める4年前に、同町観光協会専務理事が熊本を訪れ、当時の交通センターホテルで会うことになった。 相談内容を聞くと、98%若い人たちが島外へ就職や進学のために出ていくので、過疎化が加速しているとのことであった。 筆者が勤務し
特に、ソフト面、例えば芸術的な価値、人の価値が理解できぬ人に、どんなに価値を伝えようとしても、聴く耳を持たない。そこで、価値あるものの歴史的なこと、他者の実績を伝えても、価値が分からぬ人には、馬の耳に念仏であることを理解しておかねばならない。 そのような人は、目に見えて、重さがあるような物に対しての価値は伝わるとしても、目に見えぬものは価値はないと思っている。更に、物に対しても、例えば、陶磁器の微妙な曲面や玻璃面の美についても全く反応を示さぬ人がいるが、それは論外。初手
仕事にしても、学ぶにしても、重要なことは「DIY(Do it yourself)」という姿勢である。 仕事が捌けない、学んでも次から次へと忘れていくのは、「DIY」ではなく、他者に依存する楽な姿勢をとっている大人が多いから、捌けるものも捌けず、得るものも少ないことになる。 最近、筆者主催のZOOMプライベートスクール「Well Done」で飛躍的に伸びている人物について語れば、少しずつであるが、「DIY」に挑戦するようになっている。 これまでは、仕事が忙しいとい
実は、昨日は筆者の誕生日であった。つい先ほど、facebookを開いて見ると、時差が7時間ほどあるヨーロッパの写真愛好家の仲間から、バースデイメッセージが沢山届いていた。 勿論、国内の知人友人やその他Facebookで繋がりのある起業家や凄腕シェフ、その他、フィリピンのプロバンドのメンバーからもメッセージが届いていた。 以前は、自分のFacebook投稿欄に全てのバースデイメッセージが長々と掲載されていたが、最近は、ひとまとめされて、それを更に開くと、段階的にメッセ
毎年、誕生日やお中元、お歳暮の時期に、欠かさず贈ってくれる友人とその奥様。今日も早々と静岡の名産品が大きな段ボール箱で運ばれてきた。 以下写真は全てではないが、魅力的かつウキウキするような食料品やお菓子の類。スタッフと一緒に楽しもうと考え、慌てて写真撮りを済ませたところである。他にも十数点あるけれども、純粋な静岡の名産品のみを掲載することにした。 言い訳にもならないが、丹那乳牛のチーズタルトは2日以内に食すように書いてあったので、早速、つまみ食いにて2個が胃袋に入っ
筆者が中学生の頃に、ボーイスカウトに所属していたことがあった。今思えば、その当時の多くの訓練が、現在の災害時の危機管理能力や被災後のサバイバル能力を高めてくれたことに、今更ながらではあるが、感謝するばかりである。 例えば、密林の中の登山の場合は、一定の間隔で木の枝に目立つ色のリボンや紐などを結び、自分が進んできた道が判るように道標を作ったり、リボンや紐が無くても、矢印の形に枝を折り、進む方向指示の目印を付けていた。 ロープの結び方は日常でも大変役立っており、今でも、
子供の頃を思い起こして欲しい。 何をするにも楽しくゲラゲラと笑いっぱなしの幼少期。周囲を見回すと、見たこともないものばかり。それに手をつけて、両親から注意され、祖父母から叱責を受ける。 純粋な心を持つ幼少期は、スポンジのように、ありとあらゆる物を吸収して、自分なりに消化していく。この繰り返しが、成人に向けて重要な時期でもある訳だ。 ところが、いい大人になった人間がいろんな経験から馴れが生じて、周囲を見下すようになることがある。そこで、純粋な心を捨ててしまえば、申
年齢性別関わりなく、澄んだ心の人に惚れる。 目を見て、表情を見て、語りを聞き、そして所作を見る。透過度100%の澄み切った心の持ち主は、嫌味なく、自然体にて、指先にまで神経が通っている。 目や表情はとても重要なファクターであるが、特に女性を見る場合に、指先への神経の通いどころがポイントでありはしないかと筆者なりに考える。 ある日、ぼーっとテレビのニュースを見ている時に、阿波踊りの様子が映し出されていたのだった。昔の阿波踊りとは異なり、かなりブラッシュアップされた
時が刻々と刻まれる。そこで不慮の事故や病にて絶命することを考えてみた。体験談として、筆者の父と母の他界について少々語りたい。 11年前の3月6日。昨日まで元気で買い物へ出かけたり、食事をして喜んでいた父が、一晩でこの世を去った。享年86歳、日本人男性平均寿命より5年ほど長生きしている。 前日運んだ介護食(介護は不要だが、食事を筆者が届けていた)を食べて「旨い!」と言っていたが、その夜に電池が切れた。 母は、29年近く前になるが、1995年12月7日の午前3時43分
以下は、過去記事「苧木晃、急逝。」を若干修正したものである。早いもので、今年の5月25日で、苧木晃急逝から22年となるが、今回「note」に再掲載し、素晴らしい思い出を残してくた苧木晃のご冥福を改めてお祈りしたい。 2002年5月25日は、筆者にとってはとても悲しい日であった。10年近く一緒に仕事をした関西テレビの苧木晃(プロデューサー)が、癌との戦いにおける壮絶な死であった。享年48歳という若さであり、当時、筆者はスタッフを引き連れて、大阪の葬儀場に飛んでいった事を昨
ライフスタイルは人それぞれである。 読者の方々は、日々のライフスタイルは、単調な生活を選んでいるのか、日々変化のある生活を選んでいるのかを、自問自答して頂きたい。 筆者の場合は、仕事は完全ルーチン化している中で、コンテンツのところに変化を持たせ、飽きやすい自身の心に無数の選択肢を見せることで、己を騙し騙ししながら変化を与えている。 プライベートにおいては、完全に単調な生活になりがちなので、そこは食事において変化を与え、飽きが来ないように、あれこれと考えながら、栄
歳を重ねて、他人から苦言や助言を受けると、間、髪を入れず反発する人がいる。その理由は、「こんなに歳とってまで、どうして他人から叱られなければならないのか?」と膨れっ面になる。 それは屁理屈であって、若ければ叱られても当たり前だが、歳を重ねると叱られないという特権でも得たような言い回しである。 熟年を過ぎ、高齢者となり、更に、後期高齢者となれば、愚行も蛮行も叱られることもなく、犯罪に手を染めても世の中が目を瞑るとでも思っているのだろうか。 実にシンプルなことが、歳
読者の中で、注目している記事や話題の記事を、自らの「note」で紹介されている人がいる。他者が書き綴る記事やエッセイをしっかりと読まれて、選別するのは手間暇のかかることであるが、感心するばかり。 筆者の場合は、一瞬間の思いつきを、バチバチとキーボードで文字化するのだが、それを読まれていることに、感謝の言葉しかない。 この2年間に、脳活性化を目的に「note」を書き綴り、既に2,214本のエッセイやコラムを掲載しているが、全く納得できていない自分がいる。 少しでも