Claude Heath
小さな物語をイラストと共に。
山口静香さまの物書き企画 「もうすぐこれも去年の話になる」 に参加させていただきました。 山口静香さま Twitter : @Yama_Sizu
力強くて大きな結束力はありません。 今もそれは変わらず、たまに動向を伺いながら、緩やかに糸を結び、確かな繋がりがある事に心が温かくなります。 愉快な友人、MFとRAの話がしたいのです。 - ここに、MFという人物が居ます。 艶やかなフチの眼鏡を掛けており、スラッとした佇まいから、真面目な様子が伺えます。誰に対してもフレンドリー。こんな自分と仲良くなれるくらいなのですから、相当だと思って構いません。 MFの好きなところは、食べ物の好き嫌いが多い事、待ち合わせは
私。 とは一体なんでしょう。 - 今でこそ「私」と言う言葉を使えるようになりました。 というのも「私」という一人称を使うことに拒否感がありました。 今も少し躊躇いがあり、仲の良い友人などには、代わりに「自分」という言葉を使っています。 嫌だ、と感じたのは6歳のころでした。 女の子は「私」男の子は「僕」を使って、自己紹介をしましょう。と優しい保育園の先生が言うのです。 この頃、周りの子もそうでしたが、自分を指す場合には、自分の下の名前を呼んでいました。
「ぽんちゃん!」 彼女は今でもそう呼んでくれる気がします。 - あだ名に憧れていました。 なぜならば、あまりあだ名は付けてもらえない方で、というのも、ほんの少しだけ名前が珍しかったからだと思います。 加えて、中性的で堅い性格だったからか、周りに躊躇わせてしまったのも、少しはあるのかもしれません。 さらに、人伝に聞いた所によると “なんだか怖い人” という印象があったらしく、それもちょっとは原因なのかもしれません。 いつも苗字か名前かのどちらかで、中学生まで苗
「潜ってばかりは疲れてしまうから、たまに上にあがって息継ぎをするんだ」 と、うろ覚えの顔と、この一文だけが反芻しています。ハンチング帽と少し長めの髪がよく似合う人でした。 - 物心ついたころから絵が好きでした。 見ることはたいして興味はありませんでしたが、描くことは常に好きでした。 どこに行く時も、手のひらに収まる程度の小ぶりなノートと、外でも描きやすいペンを持ち歩いています。 好きな音楽を聴いて、気ままに街を歩いて、たまに知らない街まで行って、描きたいものを
もうすぐこれも去年の話になる。 春になり、上も下も七分丈がちょうど良くなるころに、ココノエは園芸店の棚の前で迷っていた。 小さな芽だった。「ミニひまわり」なるものらしい。 ココノエは今まで植物に興味を示すことはなかった。植物だけでなく、趣味嗜好とされるあらゆるものに興味を持たなかった。持とうともしなかった。 ココノエが気になる事といえば、大学の単位や、友人関係、切りすぎた前髪くらいで、この新しくできた大型の園芸店には 「素敵で大きな鉢植えがほしい」 と言った叔母
かつてパイロンを被ると別次元に行くことができるというウワサが学校中で広まった。 いかにも小学生というのはなんでも興味を持ってしまうので、学校中のパイロンというパイロンは消え、気づくと皆、赤いとんがりをぶかぶかに被って授業を受けるようになっていた。 さながら魔法使いのようではあったけれど、当然別次元になど行けるはずもなく、先生達はカンカンに怒り、遂には全校集会で校長先生が 「パイロンを被る者、この先給食に揚げパンがある場合、コッペパンに差し替えます」 と穏やかな口調で衝
MFは落胆していた。また七度寝してしまったのだ。 「あぁ」と言い時計を見ると、時刻はすでに十七時を廻っていた。 重たい身体を慎重に起こし、眼鏡を掛けカーテンを開ける。外はすっかり暗く、目の前にあるはずの海も夜に溶けてしまっていた。 しかしMFは、最初は落胆していてもいつも呑気だった。夢の中にいるのも現実に戻るのもさほど差を感じない。なぜならMFはきまった仕事をしていなかったからだ。 MFは現実でも夢の中のようにゆらゆら浮いていた。朝昼晩兼用のシーフードサラダを食べたら
「この寒い時期にフロートを頼む奴がいる」 そんな話をされたのは職場の小学校から程近いカフェでの事だった。喫茶ルナはイギリス風の小さな建物で、職場からは徒歩五分、丁度裏門を出て右に軽く坂道になった住宅街を進むと様相の違う建物が出てくる。 いつか主人が「これはとあるブリティッシュタウン・テーマパークの主人が建ててくれたんだ」と言っていたが定かではない。 「ですが冬にフロートを頼む人はある程度いるんじゃないですか?寒い時期に冷たいものを食べると美味しいと言う人もいますし」
伯父は騒がしい人だった。 いつもうちの喫茶店に来ては、やれあそこの歯医者は痛いだの、パチンコで今日はいくら擦っただの、自分のやっている古書店がうまくいっていないだのと、誰も聞いていなくてもとにかく喋っていた。来るときにはいつも、左胸のポケットにいつの時代のものかも知れない飴色のパイプを挿していた。 伯父は下戸だったのでいわゆる飲み仲間というものは持っておらず、毎夕自分の店を閉めた後うちに来て、バタートーストとコーヒーとだけ頼んできっかり五百円で閉店の二十時まで居座った