『清史稿』明瑞伝⑤

【原文】
事聞、上震悼。賜祭葬、謚果烈。建旌勇祠京師、諸将死事者紮拉豊阿・観音保・李全・王廷玉、命併祀。珠魯訥以自戕不与。額爾登額及提督譚五格坐失機陥帥、逮詣京師。上廷鞫、用大逆律磔額爾登額、囚其父及女、併族属戍新疆。譚五格亦棄市、而以其明日祭明瑞及紮拉豊阿・観音保、上親臨奠。
【語釈】
・震悼(シントウ)ふるえいたむ。おおいにいたみ、嘆く。(漢辞海) 
・旌勇 勇を旌わすと訓読した。 
・廷鞫 朝廷で取り調べる。
・戍 まもる。(漢辞海)
・棄市 罪人を市場などで死刑にし、屍を市中にさらす。(漢辞海)
・奠 まつる。
【書き下し】
事聞し、上震悼す。祭葬を賜い、謚して果烈とす。旌勇祠を京師に建て、諸将の死して事える者紮拉豊阿・観音保・李全・王廷玉を、命じて併せて祀らしむ。珠魯訥自戕するを以て与らず。額爾登額及び提督譚五格坐して失機し帥を陥し、逮して京師に詣す。上廷鞫し、大逆律を用いて額爾登額を磔にし、其の父及び女を囚え、併せて族属新疆を戍らしむ。譚五格も亦た棄市し、而して其の明日を以て明瑞及び紮拉豊阿・観音保を祭り、上親ら奠に臨む。
【現代語訳】
明瑞の死が奏上され、乾隆帝はその死を悼んだ。祭葬を賜い、「果烈公」と謚した。旌勇の祠を北京に建て、諸将のうち死ぬまで忠義を貫いた者である紮拉豊阿・観音保・李全・王廷玉を、部下に命令して合祀させた。珠魯訥は自殺したので合祀しなかった。額爾登額及び提督の譚五格は機会を逃し軍隊を壊滅させたので、逮捕して北京に連れてかえらせた。乾隆帝は朝廷で二人を取り調べ、大逆律を適用して額爾登額を磔にし、その父及び娘を捕らえ、親族と合わせて新疆を守らせた。譚五格もまた棄市し、その次の日に明瑞及び紮拉豊阿・観音保を祭り、乾隆帝自ら葬儀に参加した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?