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noteで書き始めたわけ

noteで書こうと思っていること、書こうと思ったわけについて書いてみたいと思います。

あ、はじめに言っときます。noteというサービスやプラットフォームの話は一切ありません。期待された方、残念ですが自分語りが続くだけですので、運が悪かったとそっ閉じして下さい。

自分語りってウザくね?という方、今すぐ、そして直ちに、閉じて下さい。

それでははじめます

そもそも、日記の類はこれまでの人生で何度となく書こうとトライしてきました。もともと何をやるにも習慣化することがド下手くそです。意志薄弱。まして、こと日記に関してはひどくて、3日を超えて続いた試しがありません。何を書いていいか分からなくなり止まってしまいます。そして忘れた頃にふと思い出し「やっぱり自分にはムリだったな」とレッテルを貼ることになります。失敗した経験しかありません。今回始めたこれも、どうなることやらと本人が半分呆れ顔で見ています。

ただ、よくよく考えてみると、今回は書こうと思った動機がこれまでとは全く違うことに気付きました。

これまでのケースでは毎日何かを続けられるようになりたいと思い、その度に日記をつけることを選んでいました。でも書きたいのに書けない。理由はおぼろげにはわかっていましたが、最近ようやくそれを言葉にできるようになりましたので書いていきたいと思います。

幼少期 (え?そこから?)

私は小さい頃、自分の気持ちを晒すことに抵抗を持っていました。大人になった今だからその理由を並べられますが、ここに書き連ねてみると、、、気持ちの整理がつけられない、頭と心の中が複雑すぎて言葉に表せない、表に出すと理不尽にバカにされる、ヘタだと思われたくない、いい子でいなきゃいけない、などなど。「おいしかった」「つまんない」などの単純なものは言えたのですが、複数のことが自分の中にあると頭と心の天秤が揺れどっちつかずになり、口でも鉛筆でも表現しきれなくなるのです。そんな自分がイヤでした。夏休みの宿題の絵日記や読書感想文なんかはもう地獄です。「おもしろかった」以外の言葉にできず、何も書けないのですから。何日も何日も推敲して、結局完成させられず提出をちょろまかしたこともあります。読書からも自然と遠ざかっていきます。

一方で、表に出さないことによる歪みもありました。小学6年生の時だったと思いますが、積もりに積もった感情が小さなきっかけで怒りとして爆発し、音楽室で壁を思い切り蹴飛ばして足首を骨折したのです。今でも同級生からネタにされ、自分でもおかしくて一緒に笑ってしまうのですが、当時松葉杖で過ごすのはとにかく情けないものでした。(昔ソフトバンクホークスの杉内投手が両拳を自爆しましたが、ちょっと分かるクチです) また、思ったことをスッと口にできる弟にはその時々できつく当たっていました。今思えば羨ましかっただけなのですが、弟には辛い思いをさせてしまったと申し訳なく思っています。

成人後 (その話、いる?)

結局そのまま成人しオトナに。大学生、社会人になりました。当時私は「数式で表せない物はいくら論理的に言ったつもりでも結局全部屁理屈やん」と思う程度にはとんがっていたのですが、そこに至る過程において別分野でまあまあな成功を納めたこともあり、次第にこんなことを思うようになっていきました、、、とは言え実践的なことは全く理解できてないよね、そんな薄っぺらい自分を見透かされたくはない、今更恥はかけない、成功体験にすがってしまう、劣っていることで傷つきたくない、本当はいろんな気持ちと考えがあるけどたくさん並列に渦巻いていてどれが自分なのかを言い表せない、そのスキルもない、妥当な線で適当に自分を言いくるめて受け答えしてしまう、そうやって自分を覆い隠し続けているうちに自分の気持ちをどんどん見失ってしまう、自己表現スキルはいよいよ身につかない、そもそも表現したいものなんて無い、殻に篭って人には踏み込ませず自分からも踏み込まないぞ、誰もわかってくれない、本当は踏み出したいんだけど石橋を叩いては壊してしまう、などなど。いやー、拗らせてますね。大学生の頃から30代後半くらいまでほぼこんな感じでした。そりゃあ親友と呼べる存在もいませんよね。

そんな私ですが、仕事においては大きな問題にはなりませんでした。客観的に合理的に判断できればまあまあこなせる仕事だったこともあり、また元々そういう思考性でしたので。

一方、自分の事となると途端に変わります。「好きな女の子のタイプは?」「どんな映画が好き?」とか聞かれただけでおかしくなる。見渡す限り平らで真っ白な地面の上(≒ドラゴンボールの精神と時の部屋)に放り出された感じになり落ち着かず、慌てて何かないかと目の前にある棚の引き出しの中をゴソゴソと探しまわるけど、引き出しの数がむちゃくちゃ少ない上、中も空っぽで何も入ってないんです。そうすると、殻の中には自分が閉じこもっているはずなのに、殻の中が空っぽと錯覚してしまうんです。自分=空っぽ。遠くの方にいる他のみんなは普通に自分で立ち、引き出しの中にいっぱい入っている感情と共に歩いているのに。

そうなると自分にできることは限られていて、そんな自分に見て見ぬ振りをして問題を先延ばしすること、そして空っぽの自分を守るために虚勢を張ることとぐらい。これで却って傷つけ、傷ついていましたね。いつだったでしょうか、プライベートな間柄で「カセットのソフトを刺して動くロボットみたい」と言われたことがあります。「自分の感情もなく『ああなったらこうする』って判断を下していくプログラムみたい。一見とても親切なようだけど、実はものすごく冷たい」と。近しい付き合いの中でも合理性が優先され、自分が表に出ていなかったのが客観的にわかりますよね。大学生の頃、そんな自分に嫌気がさしてビルの屋上の縁に何度も立ち、ここから落ちたらどんなに楽だろうと真剣に考えたりしていました。

そんな現実逃避から実世界に戻ってくると、こういう気持ちこそ日記に残せばいいんじゃない?とその都度重い腰を上げ、毎日続けられる強い自分になろうとするんですが、当時の感覚としては「表現できるものが何もなく、自分をいくら絞ってみても雫の一滴も出てこない」と同時に「たくさんの思いがありすぎてどの思いが1番強いのか整理がつかず言葉にならない」とが併存し堂々巡りする感じです。気持ちを表そうとすると頭の中に無と混乱が襲ってくるんです。日記を付けようと机に向かっても、手が止まる、数行書く、全部消す、の繰り返し。小学生の読書感想文から何も変わっていません。

また、私は基本的に記憶のネジが何本も抜けていて、今朝何を食べたかなどのふとしたことを思い出すことができません。忘れ物失くし物も日常茶飯事。一緒に出掛けたこどもの服装も分からない。なので、日記に出来事を書こうにも書くことが本当に見つからないんです。1時間机に向かってても1〜2行書けるかどうか。悩んだ末にスケジュール帳の丸写しせざるを得ずイライラモヤモヤ。ヘタレな自分に長時間向き合う苦痛に毎日耐えられるはずがなかったのです。

そして現在 (これ、まだやるの?)

40も過ぎるとさすがに人生経験の中でこれらも和ぎました。こどもが生まれたことが大きかったですね。経験の幅が広がり、ようやくいろいろなことが見えるようになりました。理不尽な嫌がらせは弱さや僻みから来る、信頼すれば大概信頼してくれる、こどもが社会に出た時に真っ先に教わる挨拶やお礼や感謝や謝罪の大切さ、他人は自分が思っていたよりもずっと人の話を聞かないし、あんまり我慢もしない、などなど。こどもの頃から無意識のうちにちょっとずつちょっとずつ貯めてきた疑問の答えが見つかることでようやく経験を活かせるようになり、この人は何が優れていてどんな残念な面があるかを掴めるようになりました。また、歌なんて歌詞の意味を理解せず、あるいはできないまま口ずさんでいましたが、いっぱいメッセージや情景が込められているのに気づき、その1つ1つに感動しだしたのも30代中頃からじゃないかと思います。多くの人が思春期に経験してきたことを私は倍の時間をかけてようやく経験し始めた、そんな感じです。

こうした経験を今度は自分の身に置き換えてみることで、少しずつ自分の気持ちにも気付けるようになっていきました。すると自分の気持ちを伝えることにも少しずつ慣れていきます。暴発することも減ってきました。そんな折、転機が訪れます。コテンラジオとの出会いです。

コテンラジオについて語り出す流れではありますが、既に随分と長く書いてきたので詳細は敢えて省きます。(むちゃくちゃだなおいw) 一言にまとめると、あれは「歴史コンテンツの形をした、生きる人への応援歌」だと私は思っています。包み込んで背中をそっと押してくれる。

そんなコテンラジオへ恩返しのためぜひ応援したいと思い、感想をちょっとだけでもいいから投稿しようと、これまで書いたことのなかったTwitterを書くようになりました。それがこうしてnoteを始める1番のきっかけとしてつながっていきます。これをオンエアーの度に毎回やることができたんです。半年か1年ほどになると思うんですが、ほとんど苦もなく、自然に。気がついたらできていたんです。日記の時はあんなに苦痛だったのに。振り返ってみると、感想を書くことを楽しんでいましたし、我ながらよく続いてるなと不思議でなりません。ひょっとすると、深井さんがおっしゃる「エネルギーの出せること」だったのかもしれません。たかちんさんにお会いした時は「誰かのために、人の力になることに動く才能がある」とも言われました。

こうしてちょっとだけでも書き続けることで、自分の気持ちの整理がつきやすくなっていきました。言語化しやすくなったと言えばいいでしょうか。あんなに表現することに苦しんでいたのに。巷でよく聞くアウトプットし続けた後の変化とやらを、ちょびっとだけではありますが初めて実感できたのです。

他にも影響として大きかったのは、コテンラジオのパーソナリティーの方々やコミュニティ内の色々な方に接することができたことです。歴史というコンテンツに集う方々の恐らく大半は、私の「体育会理系」という背景とは異なる背景の方なのではないかと勝手に思っていますが、そんな皆さんのお話やリアクションは私にとってとても新鮮で刺激的でした。しかも色々と優れた才能をお持ちの方が多くいらっしゃいます。この方々やコンテンツを通じ、今まであまり触れて来なかった様々なことに気づき学び、それがきっかけとなって自分の中に変化が現れました。

まず客観視が上達し、自分に対しても俯瞰で見れるようになりました。深井さんのガンダムの例えですね。そしてこの効用で人と比べる頻度が減り、心が軽くなりました。元々人生キャリアを積むに伴って人と比べること自体減ってはいたのですが、それが更にガクンと減った感じです。比べることが減ると、同時にマイナスの自分も受け入れやすくなりました。自分を嫌う要素も減って「それも俺」と思える幅が広がりました。老いを受け入れる応用篇、って感じですかね。なんかどんどん解放されて自由になっていくんです。

自分の気持ちや考えを見直すこともありましたし、逆に確信に変わったことも多くありました。これらが積み重なった結果、自分の言葉の解像度が上がり、今の気持ちに近い言葉が出てくるようになりました。また言葉を発するまでに頭の中をこねくり回さなければならない頻度も下がってきました。状況や気持ちに対してスパッと言えることが増えたのです。こうなると、Twitterのような文字数制限のある中では言い切れないし言い足りない、気持ちや考えをもっと出したい、そんな気持ちが湧いてきました。纏っていた殻から出たい。いやむしろそんなもの既に無いのかもしれません。自分にとってはかなり大きな変化です。

では、どうする? (もういいんじゃない?)

そんな風に湧いてくる気持ちを調子に乗っていざ書き綴ろうとした時、それ自分だけの日記で書きゃいいんじゃない?わざわざ晒す必要ある?とも思ったのですが、改めてこの1年ほどを振り返ってみると、周りの皆さんからの文章、音声、映像による発信にレスポンスすることで、2つのことを肌で感じられたことに気付きました。1つは、自分の感想や共感に呼応して喜んでもらえた事。そしてもう1つは、それを通じて会ったこともない人の力になれるしなれたんだ、という事。であれば、私の気持ちや考えを誰に見せるというわけでもないんですが、かろうじて見える隅っこの方に置いておき、それをたまたま目にした方に何か響くものを届けられるのならこれ幸い、と考えた次第です。noteという場にしたのは「ただなんとなく」です。これのタイトルにする程の理由はなんもありませんw。

ただ、湧いて出てきた自分の気持ちを書き残すつもりで始めるのですから、ある程度正直に書いていきたいとも思っています。つまり、誰かの助けになりそうな前向きで素敵なことばかり書けるとは思っておらず、負の感情にまみれたものを吐き出すこともあるでしょうし、褒められはしないことを言うかもしれない、ということです。そこで1番気がかりなのは、目にして下さった方の気を害してしまうことや自分にリスクが及ぶこと。これについては「人の目に留まる場所に置く文としての表現を磨く」と捉えることにしました。それでも足りずどうしてもぶちまけたくなる時もきっと出てくるでしょうが、そうなったらなったで、その時の自分に相談して対処法を決めることにしよう、ととりあえず先送りすることにしました。ぶちまけることができる環境でぶちまけまくることも考えたのですが、それをしているとやがてその言葉に支配されてしまいそうですし、そうなることを望んではいません。言霊、ですかね。この環境を選んだ理由の1つでもあります。

また、これからいろいろと失敗もするでしょう。私があなたを傷つけてしまった時には、素直に受け止めて謝ろうと思っています。そんな時は言って下さい。小さな自分が本当にできるのかテストしてみたい、と客観的に見てもいますので。ただ、ただの八つ当たりを受けたと感じた場合、そうとは限らないかもしれません。その時は申し訳ありませんが悪しからず、ということでお願いします。

長すぎだよね、これ

言葉にするのは本当に苦手です。もっと簡単にサクッと書きたかった…こんな長文になるとは思いませんでしたし、数時間これに向かうことを何日続けるだなんて想像すらしませんでした。まあ、せっかくいろいろ書けたので、そのまま上げます。

これもたかちんさんからコテンラジオのリアルオフ会の時に言われたのですが、私は完璧主義に突っ走りがち。自覚もしていたのですが。日記を書くにはこれが良くない方に作用しているんだろうなと思っています。

ただ、せっかくやりたいなと思ったことが難産になると仮に分かっていたとしても、その事で苦しむことにはなりたくありません。人生の折り返し点を既に過ぎているのも影響していてるとは思いますが、このことはストイックにやるよりも心の向く方へ、ノルマは決めずに細々と自由にやっていきたいと思っています。ロボットじゃないんだし。ロベスピエールみたいにはなりたくないし。

書くに越したことはない。とにかく、ゆるゆると。不定期でいい。書きたいという気持ちがもこもこっと出て来た時に。思い立ったが吉日。その時には半歩でもいいから踏み出してみる。どの程度まで踏み出すかは、踏み出した後で決めればいい。戻りたくなったら戻ればいい。

6600文字って原稿用紙何枚分?溜まってた思いをやっと出せて爆発したんだろうな。次からはもう少し気軽に書いていけたらな、と思います。疲れた。。でもすっきりはできたかな。及第点。


トップの写真は山口県にある角島大橋です。
エメラルド色の浅瀬を​一直線に走る姿はとても美しく、
クルマのTVコマーシャルにも時々使われています。
今回は出発のイメージにピッタリだったので使わせてもらいました。​

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